36. ハロウィンの魔女
あれ以来、カルと話せないままだった。もうすぐ、正式な婚約者のお披露目をする『諸聖人の日』の公式行事があるのに、詳細は何も知らされていない。
私の体調も悪くて、授業も休みがち。試験で赤点を取らなかったのは、はっきり言って奇跡だった。
「シア、ハロウィン・パーティーだけど、やっぱり欠席する?」
この国がスペインもどきだとしたら、地中海性気候だ。秋は天気が崩れて、昼夜の寒暖の差が激しくなる。
ハロウィンのような夜のイベントは、今の私には荷が重い。ニナは、いつ倒れるか分からない、私の体を心配しているんだ。
「とりあえず、顔だけは出すよ。でも、すぐ退出する。次の日が公務だから」
「そっか。じゃ、私も出るわ。でも『諸聖人の日』の公務はないと思うよ。ちょっと今、治安が悪いじゃない? 学園もハーフターム休暇を二週間に延ばしたし、なんとなく帰郷を奨励してるもの」
最近の王都には、貴族や特権階級にあまりいい感情を持っていない人たちが集まっていると聞いた。
前世の知識で考えても、この国の王侯貴族がそれほど富の搾取をしているとは思えないけれど、そりゃ、封建主義国家なんだから、ある程度はしょうがない。
「そうね。でも、公務が中止になったなら、教えてくれるはずなんだけど」
「殿下とは、相変わらずなの?」
ニナには、カルと私が微妙にすれ違っていることは話した。ただ、次の公務で正式な婚約が整うという話は、なぜか言えなかった。
「うん。嫌われちゃったみたい」
「ありえないけどね、殿下がシアを嫌うとか。忙し過ぎるんでしょ」
「そうかな。パーティーで時間があったら、話したいんだけど」
ハロウィンの仮装は無礼講。実際、教義とはほとんど関わりない現代のお祭りがモチーフだから、実際はお遊びみたいなものだ。
聖女だからといって、特に何かにこだわる必要もない。ただ、途中で退出するなら目立たない姿がいいだろう。
「シアの夢魔とか、見てみたいなあ」
ニナ、それってサキュバスでしょ?そんなもん出てくるなんて、どんなエロゲーだ。ここは乙女ゲーの世界なの!十八禁じゃないんだから、そういうコスチュームは無理だから!
「自分でやったら?私は魔女でいいわ。黒一色で簡単だし」
「地味っ!せめて黒猫にしなよ。シアに猫耳とかしっぽとか、超エロかわ!」
だーかーらー、モフモフも畑違いだから!
それでも、聖女が魔女に仮装とか、神殿のおじいちゃま方には、かなり不評だな。
まあ、神殿終身雇用も不可能になったし、もう気にしなくていいか。
ニナと話すのは楽しいのに、心が晴れない。適当に相槌をうちながら、私はぼんやりと未来に不安を抱いていた。
そうして迎えたハロウィン当日は、翌日からハーフターム休暇ということもあって、学園中がウキウキとしていた。
放課後に部屋に戻って、魔女の仮装をしていると、ニナがカルの伝言を持ってきた。どうやら仕事で遅れるらしい。
「学園イベントに生徒会長が遅れるなんて、殿下ちょっと働きすぎだね」
「そうだね。じゃあ、ニナ、一緒に行っていい?」
「もちろんよ。ね、黒猫衣装かわいいでしょ。今日はシアの使い魔よ」
ニナは黒いスレンダーなニットドレスにスパッツ、猫耳としっぽをつけて、顔にひげが書いてあった。
シンプルなのに、すごく可愛い。なるほど、これが女子力というものなのか。
「私はどう?目立たないよね」
それにひきかえ、私は黒のワンピースドレスに黒のフードつきのマントを羽織っていた。三角帽も考えたけれど、巡業のお付きの白三角帽のことを思い出すのでやめた。
治安がよくないという理由で、あれから、祈りの巡業は休止になっている。代わりに病院や修道院で祈りの儀式はしているけれど。
「うーん。目立たないことは、なくはないかも」
「え、どっち?目立つの?目立たないの?」
「ドレスもフードも地味だから目立たないよ。でも、中身がね。なんかシアがすごく綺麗なの。衣装が地味な分だけ、壮絶美少女オーラが半端なくて」
「意味分かんないよ。中身はいつもと同じだよ」
「なんかさ、今夜の主役っていう感じなの。スポットライトが当たってるみたい」
ハロウィン・イベントってなんかのフラグだっけ?ヒロインは攻略対象と入場するから、ライバル役はそれを非難するだけ……。
え、カル、サラちゃんと入場するのかな。まさかね。ヒロインは第一王子ルートじゃないはず。フラグもみんな折れているし、イベントも発生してない。
胸に浮かんだ不安を振り払って、私はニナとハロウィン・パーティー会場に入った。
フードを深くかぶっているのに、なぜか皆に見られている気がする。
「聖女さん、今日も美しいね。具合はどうかな。気分が優れないなら、私の診療室に行きましょうか。手取り足取り看病しますよ」
「先生も素敵ですわ。それ、神父様の衣装ですね。聖職者……じゃなくて、生殖に命をかけていらっしゃる先生にピッタリ」
「相変わらず手厳しいね。僕は聖女さん以外との生殖行為には興味ないですがねえ」
「完全にセクハラですね。訴えられたくなかったら、それ以上は言わないでください。禁錮刑は嫌ですよね?」
養護教諭の鬼畜医っぷりは健在。でも、学園で具合が悪くなると、どうしてもこの先生のお世話になる。
実際、本当に診療室でイタズラされたことはないし、今日のもいつもの軽口の延長みたいなものだ。
医者として、先生として、この人は信頼できる。
「聖女さん、カルロスが来る前に、少し話せませんか」
「どうぞ」
「ここではなくて、テラスでお願いしたいんですが」
「人に聞かれたら、都合の悪い話なんですか?」
「まあ、そうですね。どうでしょう?」
「分かりましたわ。ニナ、ちょっと待ってて」
ニナが近くで待っていてくれるので、私は先生とテラスに出た。何かあれば叫べばいい。
でも、そんなことにはならないと思っている。
この人は、そう見せているほど愚かでもないし、非常識でもない。何か、私に知らせておきたいことがあるんだ。
「聖女さん、カルロスとは、どうなんですか?」
「どう……とは?」
「俗に言えば、うまくやっているのかということです」
「別に、喧嘩はしていませんが」
「はぐらかさないでください。きちんと話し合っているんですか?」
「……夏以降、カルは忙しくて」
私の答えを聞いて、先生は深い溜息をついた。
分かっている。つまりは、全然うまくいってないということだ。明日の公務のことだって、何も言われてない。中止なのかも、決行なのかも。
「聖女さん、今の君には、精神的な支えが何より必要だ。体の不調を考えるなら、もっとその心に配慮がされるべきです。カルロスはそれを怠っている。なぜ怒らないんです?彼は婚約者でしょう」
「……正式ではないんです。まだお披露目をしていなくて」
「それでも、君たちは恋人同士でしょう。互いに対するコミットがあるはずだ」
「自信がなくて。最近は特に、自分が不要な人間な気がするんです」
「聖女さん、そう思うのは、君のせいではなくて、カルロスのせいですよ。彼が君にそう思わせている。君は必要な人間です。誰に遠慮することもない」
必要な人間。そう言われて、不覚にも涙が出てしまった。どうしてこんなに涙もろいんだろう。なんでこんなに弱くなってるんだろう。これが鬱病ってやつなのかな。
泣いている私にハンカチを差し出してから、先生は私の頭をポンポンを叩いた。優しくて大きな手の感触に、お兄様を思い出した。
最近のカルは、私に触れることもない。私は彼の温かさを忘れかけてしまっていた。
「励ましてくださって、ありがとうございます。先生のこと、少しだけ見直しました」
「それは光栄だ。僕はね、いつでも聖女さんの味方なんだよ」
「それは、なんとなく分かってます」
「もし僕が必要になったら、いくらでも頼ってほしい。医師としてではなく、一人の男として、僕は君を愛しているんだから」
え、今、何て言ったの、この人。愛の告白?冗談じゃないよね。こんなときに、別にジョークを言わなくてもいいもの。
それに、先生の言っていることが嘘じゃないのは、私にだって分かる。
「ありがとうございます。でも、そういうことはないと思います。私はカルしか愛していませんし、カル以外を愛せるとも思えません。先生の気持ちにはお応えできません」
「そうだろうね。でも、頭のちょっと隅にでも、僕がいるということを覚えておいて。君は一人じゃない。僕なら今の君を、何もかも丸ごと受け止められる。僕に愛されているのを、忘れないでほしい」
不思議だな。先生はヒロインの攻略対象だったのに、なんで私を?
そうか、ここは養護教諭ルートでもないんだ。
サラちゃんは一体、誰が好きなんだろう。クラスメイトのセミプロ闘竜士?義弟?幼馴染の弁護士?
あれ?そう言えば、そんなキャラいたな。たしか民衆の指導者とか。
「シア、こっち来ないでっ!」
先生と会場に戻ろうとすると、ニナが私たちを急いで止めた。その姿の向こうには、ヴァンパイアの仮装をしたカルに、親しそうに腕を絡ますサラちゃんのサキュバス姿があった。
え、なんで?カルのパートナーは私なのに。
私の姿が見えたらしく、二人は堂々と腕を組んだまま、私のほうへ近づいてきた。
状況を判断したのか、先生が取り乱したニナをテラスに連れ出してくれた。
そして、カルは私に向かって、ゲームの中で何度も聞いた言葉を発した。会場が薄暗いので、その表情はよく見えなかったけれど、声色はゲームと全く同じく冷たかった。
「シア、お前との婚約を破棄する!」
イラスト:一本梅のの様