35. すれ違う気持ち
新学期が始まってしばらく、私は気が抜けたように過ごした。それでも、ニコ兄に何かあったという情報は入って来なかったので、たぶん無事だったんだと思う。
「休みボケ、なかなか抜けないねえ」
ニナにそう言われて、また自分がぼんやりしていたのに気がついた。まずいなとは思っているんだけど、なんとなく気分が乗らない。試験勉強にも身が入らないのは、えーと、永久就職組だから?
「うん。なんとなくダルいんだ。無気力よ」
「無気力か。まあ、特に楽しいこともないしね」
「試験、まずいかも」
前回の試験は、カルに教えてもらってなんとか乗り切った。でも、今回はそうもいかないと思う。
でも、もういっか。卒業パーティーで婚約破棄されるイベントもないわけだから、結婚中退でも……って、ヤンキーか!
「殿下、忙しそうなのにいつも首席とか、実はコソ勉してるの?」
「分かんない。あんまり一緒にいる時間ないから」
カルは今学期に入って、更に忙しくなった。よく知らないけれど、卒業後に王太子になることを見越して、政務もかなり入れているんだと思う。
頻繁に王宮に行っていて、授業は公欠になっている。そんな日は夜遅く戻ってくるし、寝室は別だから会うこともない。
学校では、いつもサラちゃんと一緒にいる。この夏に秘書業務をしてからというもの、いつも一緒にいるこの二人には、色々と噂が飛び交っている。
その……、彼女がカルの恋人だとか、愛人だとか、本命だとか?
「私がもうちょっと賢かったら、生徒会に入れるのにな。赤点スレスレじゃね」
「えー、聖女ってだけで有資格者だと思うけど」
「そんなわけないよ。あれは体力勝負で、頭脳はいらないもん」
「そこまで言う?卑下しすぎだよ」
その体力だって、そんなにあるわけじゃない。最近は特に疲れやすくて、週末の巡業もへろへろだ。心配したカルが前夜にも魔力を分けてくれるので、なんとかこなしてはいるけれど。
こんなんじゃ、カルの迷惑になるだけで、なんの役にも立てない。
「ねえ、やっぱりさ、サラちゃんってカルとお似合いだよね」
「ちょっと、シア。また、そこに戻るわけ?堂々巡りしてるよ」
「うん、ごめん。私ちょっとおかしいの。感情コントロールができなくって」
時期的には秋かもしれないけれど、気候はまだ特に悪くない。夜は肌寒くなってきたけれど、精神的ダメージになるような季節じゃないし、むしろ豊穣の秋という感じで清々しいはずなのに。
「世情不安定だからじゃない?最近、王都はちょっと物騒になってきていると思うのよ。領地へ引き上げる貴族も多いし」
ニナの言う通り、なんとなく反体制的な風潮が強くなっている。こういうことは定期的にあると、カルは説明してくれたけれど、本当にそうなのだろうか。
夏の外遊では、全世界的に国内の勢力均衡が危うい印象を受けた。まさか、この国で革命が起きるとは思わないけれど、用心に越したことはない。
「祈りの巡業を、しばらく休もう」
カルがそう提案したのは、学園にもどって一ヶ月くらい経ったときだった。
せっかく夕食を一緒に食べることができたのに、私の具合が悪くて少しも食べられなかったせいだ。
「ごめん。ちゃんと食べるから大丈夫。だから、巡業は行かせて」
癒しの祈りくらいしか、私がこの国で役に立つことはない。それを取り上げられたら、私の存在意義なんて消えちゃう。いらない人間になってしまう。
それなのに、無理に食べたらすぐ吐いてしまった。もともと食は細いほうだったけれど、これほど食べられないのは珍しいと思う。
「無理するな。巡業は司祭に行ってもらおう。そんな状況じゃ、途中で倒れる」
「大丈夫だから。ね、お願い。私も仕事がしたいの」
「我儘を言うな!お前が倒れたら、みなの迷惑になるんだぞ」
いつになくカルが声を荒らげたので、反射的にビクっと体が跳ねた。それを見て、カルは慌てて私を抱きしめた。
「ごめん。でも、心配なんだ。一度、医師に診てもらおう」
「私は聖女だよ。怪我と病気は治せるの。悪いところはないよ」
「じゃあ、精神的なものかよ?更に悪いだろ」
「大丈夫だもん。そんなに心配なら、今夜は泊まっていってよ」
理由になってないのに、お泊りに誘ってしまった。でも、魔力をもらうなら、そのほうが効率的だ。
それに、夜はグンと冷えてきて、人肌が恋しい季節だ。一人寝は寂しい。
「シア、今夜は生徒会のほうで、まだ仕事があるんだ」
「生徒会って、今は学園のイベントとかない時期じゃない」
「メンバーに政務を手伝ってもらっているんだ。彼らは卒業後は俺の側近になるから」
「……それって、サラちゃんもってこと?」
自分の声色に冷たさを感じた。生徒会には他にも女子はいるし、なんなら副会長なんか公爵令嬢なんだけど。
それでもサラちゃんが気になるのは、たぶん彼女がヒロインだから。
「オーランド嬢?彼女は下級生だから、俺の卒業後すぐというわけにはいかないだろ」
「じゃあ、いずれは執務に携わるってこと?カルの秘書になるの?」
「さあ、分からないな。彼女はまだ、進路については決めてないだろ」
「カルはどうなの?彼女が必要なの?側に置きたいの?」
「……シア、どうしたんだよ。お前、おかしいぞ」
だって、婚約破棄イベントは回避したはずなのに、そのヒロインとカルの距離が、どんどん近くなっていくんだもの。心配に決まってるよ。なんでそんなことも分からないの?
「もういいっ!さっさと行っちゃってよ。具合が悪いから、私もう寝るっ」
そう言って立ち上がった瞬間に、クラっと立ちくらみに襲われた。あ、貧血だ。
そういえば、ヘム鉄が足りないかもな。この世界にはサプリがないから、血肉から摂取しなくちゃいけないのに。あーあ、日本は楽だったのになあ。
カルが何か言っているようだったけれど、なんかもうどうでもいい。このまま寝ちゃおう。ちょうどソファーがあるし、あそこまでたどり着けばいいんだもの。
そう思って、ソファーに手を伸ばしたところまでは覚えている。どうやら、あの後、私は倒れてしまったらしく、目を覚ましたらベッドの上だった。
いつもなら、そばにカルが付いていてくれるのに、寝室には誰もいない。もちろん、カルの結界が張ってあるから、危険なことはないんだけど。
「カル、私のこと、もう好きじゃないのかな」
口に出して言ってみると、なんだか本当に聞こえる。思った以上に辛くて、涙がこぼれた。
せめて体でカルを虜にできるくらい、ナイスバディだったらよかったのに。それこそ、サラちゃんみたいに。
ヒロイン特有の魅力的な容姿。サラちゃんには、何一つ敵わない。彼女は優秀で有能で、カルの役に立っているんだ。私とは違う。
「シア、起きたのか」
結界にセンサーがあるんだろうか。私が水を飲もうと起き上がったとき、部屋のドアをノックして、カルが入ってきた。
まだ、いいって言ってないのに!涙を拭く時間なかったじゃないか!
私はブラウスの袖で、急いで涙を拭った。
「カル、仕事は?なんで来たの?」
自分でも可愛くないことを言っているのは分かる。本当は会えて嬉しいんだけど、なぜか素直にそう言えない。
私、どうなっちゃったんだろう。八つ当たり?ヒステリー?
「一段落したよ。少し、ここにいていいか?」
私が黙って頷くと、カルはコップに水差しの水を注いでくれた。それを受け取って、コクコクと飲む私を、カルはじっと見ていた。
「シア、しばらくこの国を離れないか?」
「え。カル、どこかに行くの?」
「俺じゃなくて、シアがだよ。ニコライ陛下のところとか」
「何それ、どういう意味?」
ニコ兄は私にプロポーズしたんだよ?私を愛しているんだよ?私だって、ニコ兄を慕っているんだよ! そんなところに、私を送るってどういうこと?
シーツを握る手が震えた。
「シアには、少し療養が必要なんだよ。養護教諭もそれを勧めてる」
「勝手に診察したの?大丈夫だって言ったのに!」
「そんなこと言って、倒れたじゃないか!少しは自覚してくれよっ」
「いやよ!絶対に行かないっ。カルに命令される理由はないわ!私は私の意志で動くの!」
「なんでそんなに聞き分けがないんだよ!心配してるのが分からないのか?」
「カルは私が邪魔なんでしょ?だったら、婚約破棄でもなんでもすればいいわ!そうしたら、ニコ兄のところに行くしかないもの。私を追い払いたいなら、そうしたら?」
「なんだよ、それ。本気で言ってるのか?」
「本気よ!私を排除したいなら、命令しなさいよ!」
売り言葉に買い言葉だった。本気でそう思ったわけじゃないし、婚約破棄なんてしたくない。
実際、まだ正式な婚約者じゃないんだから、破棄する必要もないんだけれど。
理不尽に喚き散らす私を、カルは黙って見ているだけだった。
カル、何か言ってよ。悪かったとか、離さないとか。いつもなら言ってくれるじゃない!
「……分かった。考えておく」
カルの言葉に、全身の血の気が引くのを感じた。何を考えるの?何が分かったの?
待って、違う。そんな言葉を聞きたかったんじゃないっ!
何か言いたいのに、体が震えて言葉が出てこない。どうしよう、こんなのカップルの別れの典型的な展開だよ。前世だって、こういう喧嘩別れを経験してきたのに。
「とにかく、今夜は休んでくれ。俺は仕事に戻る」
そう言って、部屋から出ていくカルを、私は呆然と見送るしかできなかった。
どうしてこうなっちゃったんだろう。
私は声を上げて泣いた。泣いて泣いて、そして泣き疲れて眠ったら、カルの夢を見た。カルと一緒にいられるなら、このまま二度と目覚めたくない。
夢から覚めて現実に引き戻されることを、私は本気で恐れていた。




