17. 向日葵畑でつかまえて
「なんてきれいなの……」
地平線の彼方まで続く、黄色い花の絨毯。見渡す限りのひまわりの花。折り重なるように連なる丘がまるで波のように、ひまわりの海を形作っている。
目の前には葉や茎の部分の緑の中に、黄色い珠が乗っているように見えるのに、遠くに見るほど黄色一色になる。
そして、マルハナバチと呼ばれる、ひまわりとそっくり同じ色の丸っとした可愛い蜂が、忙しそうに飛び回っている。モフモフのおしりが可愛い。
「どうしても、シアに見せたかったんだ。この時期を逃すと、見れなくなるから」
日本では夏休みの花だけれど、この地方の夏は40℃を超える。だから、初夏のほんのわずかな時期にだけ、この黄色の海原を楽しむことができる。
「ひまわりは、この国の料理には欠かせないものね。話には聞いていたの。でも見たのは初めて」
ひまわりの種はサラダに入れたり、おつまみになる。炒って米粉と塩をまぶしたものは、スペインでもよくおやつ感覚で食べられていた。
ただ、殻つきのまま口に入れて、口の中で中身を選り分ける……という芸当は、なかなか日本人にはできない。
それに、見た目がリスの餌そのものなので、最初はちょっと引いた。
もちろん、サンフラワー・オイルといって、食用油を取るのにも使われている。オリーブオイルと並んで、よく料理に使われるのだ。
せっかく友達になった野生の馬を逃してしまったお詫びにと、カルが乗馬に誘ってくれた。
そうは言っても、私は馬には乗れないので、カルの馬に二人乗りさせてもらっていたのだけど。
もちろん、おとぎ話のお姫様のように、私はカルの前に横座り。そういう風に乗れるような鞍がちゃんとあるのだ。
だから、小高い丘を全速力で駆け抜けるときは、カルの胸にしがみついた。わーい、役得だ!
遠乗りと称して、ずいぶんと遠くに来てしまったと思う。ひまわり畑の先にある地平線に、太陽が沈みかけている。
抜けるような青い空と黄色い大地。その稜線に夕日が一直線にオレンジの光を走らせている。
この世のものとは思えない美しい光景だ。
「こんな景色を見てしまったら、神様の存在を疑うわけにはいかないわね」
「お前、聖女のくせに、全っ然、信仰心とかないからな」
はい。ごめんね。だって、元日本人だもん。
信仰とか微妙。お正月や結婚式は神道で、お葬式は仏教で、クリスマスはキリスト教。最近だと、イースターとハロウィンも入るね。イベント宗教観。
いや、知識としては知ってるよ。前世では高校で倫理を選択したし、大学では聖書を学んだし。
キリスト教系の大学じゃなかったけど、聖書は最古の文学なので、私が専攻した英文学部には結構重要な科目なの。
だって、いろんな文学に引用されているんだもの。
「あー、うん。堕落した聖女だからね、私」
深い意味はなかったのだけれど、カルはそれを聞いて黙ってしまった。
あ、いやいや、そうじゃないよ。純潔を散らしたことは、私の宗教観とは無関係だから。気にしないで!
「ごめん。卒業まで待てなくて」
「あ、違うよ。あれは私が……」
え、どう言えばいいの、コレ。改めて口に出すと、すごい恥ずかしいんだけど。む、無理無理無理!思い出すと、頭がパンクする!
自覚できるほど真っ赤になってうつむいた私を、カルは優しく抱きしめてくれた。
うん、この話はここで終了だよね。なんとなく、誤魔化せたよね。
「暗くならないうちに、街へ移動しようか。ここには、丘の上に古代の要塞があるんだ。今は宿泊施設として開放しているけれど、俺の部屋はいつでも使えるから」
ん?それって、カルはよく使っているってこと?え、なんで?こんなマイナーな街に、どうしてよく来るの……って、アッヤしーい。
ク、クローゼットの中、見ないようにしよう。女物が入っていたら、ショックが大きすぎる。
つまり、そういう目的に使っているってことだから。それ、知りたくない情報だから。
「ここは白い街と呼ばれてる。白壁の家や石畳の道があって、町並みも美しいんだ。女子の好きな街だよ。明日、案内するから」
げ、有罪決定?女の子を口説くときに使っているのかな。
うん、そうだよね。カルは慣れていたし、たぶん、ここに女の子を連れてきたんだろう。
「うん……楽しみにしてる」
白い街と言ったら、セビリアから近いカルモナの街をモデルにしているんだろうか。スペインというよりは、イタリアやギリシャの雰囲気に近い。
前世ではセビリアの後で回るつもりだった。たぶん、私はその前に死んでしまったので、実際のカルモナの街を見たことがない。時期的にもひまわりには早かったので、今回は本当に初めての場所。
だから、とても楽しいんだけど、でもちょっと心が痛い。だって、カルはもう何度も来ていて、そして、連れてきた女の子は私が初めてじゃない。
なんでもかんでも、カルと一緒に経験することが初めての私には、それがちょっと苦しい。
「疲れたか?もう行こう。ひまわり畑が気に入ったなら、明日も連れてきてやるから」
「うん……ありがと」
カルにとって私は、ここに連れてきた大勢の女の子の中の一人。カルの人生が描く軌道に、ちょっとだけ交わった線みたいなもの。その交差点を過ぎれば、また大きく道が離れていく。それだけのこと。
カルが案内してくれたのは、予想通りの場所だった。
前世でも国営ホテルのパラドールに使われていた城塞は、外観は重厚だけれど、中は優美なイスラム様式。
回廊の中心にあるパテオは、無駄な装飾がなく、すっきりと計算されて作られている。
ムーア人と呼ばれたイスラム教徒は、幾何学模様が好きなだけに、きちっとした人たちだったんだと思う。
カトリックよりずっと戒律が厳しいせいもあるのかもしれないけれど
新月ではないけれど、月が見えない夜に、松明で照らされたパテオは、ため息がでるくらいに幻想的だった。
たしかに、これは女の子が落ちるシチュエーションだろう。
宿泊施設なので、支配人らしき人が、カルに挨拶に出てきた。そして、私を見ると、一瞬驚いたような顔をして、それでもすぐに表情筋を殺した。
あっぱれ仕事人!聖女だって、バレたかのな。まだ色素を黒くしているままなんだけど。
「殿下、申し訳ありません。いつも通り、お一人なのかと思っておりまして。お連れ様がいるとは思わずに、お部屋の用意が……」
「ああ、彼女はいい。私の部屋に泊まる。食事もそこに用意してくれ」
「左様でございますか。かしこまりました」
そうなの?いつも一人で来てるって。なんだ、そっか。よかった……と思ってしまった自分を恥じた。
ダメダメ、カルは私のものじゃないんだから。
それより、え、私たち一緒の部屋に泊まるの?それは、ちょっと、色々と具合が悪いような気がするんだけど。でも、部屋がないんだったらしょうがない……のかな?
通された部屋は、離宮に似た豪華な作りだった。二間続きになっていて、どちらも窓からテラスに出られるようになっていた。
小高い丘の上にあるので、地平線までを見下ろすことになる。すでに日は落ちて、夜の帳が降りていた。
たぶん、ひまわり畑だろう大地は今は真っ黒で、星がキラキラ光りだすところが地平線だと分かった。地平線からずっと降るような星空だ。
月がでていないので、まるでプラネタリウムの中にいるみたいに、星のドームに包まれている。
「シア、すぐに食事にする?それとも、先に風呂にするか?」
「あ、じゃあ、お風呂に入りたいな」
日本人には、やっぱりお風呂だと思う!
今日はずいぶん馬に乗ったし、汗臭いはず。先にお風呂に入って、さっぱりしたい。
「よし、じゃあ、入ろう」
え、待って、何?入ろうって何?
私の顔に浮かんだハテナ・マークに気がついたのか、カルがいたずらっぽく笑った。
「イスラム様式だよ。つまり、混浴の内風呂だ」
アレか!トルコ風呂……じゃなくて、イスラム国のハーレムなんかで見る、あの豪華な浴場に王族が女をはべらす感じの!なんと!
そういえば、この街にはローマ時代の遺跡もあったはずだし、古代ローマ浴場もそんな感じだったな。前世で漫画原作の映画で見ただけだけど。主演男優が好きだったの!
……って、そんな場合じゃないよ!カルと一緒にお風呂とか、なんの冗談?無理無理無理!無理だから!ありえないから!
黒い微笑みを浮かべるカルに怖気づいて後ずさりした私を、カルはあっさり抱き寄せてキスをした。
それこそ、腰が立たなくなるくらいに、深く情熱的なやつを。
そして、そのせいで息も絶え絶えになった私は、抵抗する力もなくそのままカルに抱きかかえられて、お風呂に連れていかれた。
カルの卑怯者!計画的犯行だ!
そして、浴場ではもちろん、カルの「三助サービス」を受ける羽目になったのだった。
いくらメイドさんに洗われ慣れているとはいえ、これはそれとは全然違う!
なんでこんなことに?どう考えてもおかしいでしょ。完全にカルのペースにはめられた!
ときどき飛びそうになる意識と格闘しながらも、私はぼんやりと考えていた。
どうしよう、もうお嫁に行けない……と。




