(1-36)夜は静かに
電話を切った伸江は、スマートフォンを握ったまましばらく画面を見つめていた。
「ねえ、あなた。純恋どうしちゃったのかしら」
「……うん」
隆文は答えに困ったように頭をかいた。
「劇団の人に聞いてみたらどうだ?」
「そうね……」
伸江はうなずいたもののすぐには動かなかった。
劇団の代表の連絡先は知っている。純恋が以前、何かあったときのためにと教えてくれていた。電話をかければ何かわかるかもしれない。
けれど、時計を見るともうすぐ深夜零時になろうとしていた。
「こんな時間に電話したら迷惑じゃないかしら」
「まあ、もう寝ているかもしれないな」
「でも……」
伸江は言葉を切った。
電話をかけたい。けれど、もし劇団の仲間と飲みに行っているだけだったら。何かの行き違いで帰りが遅くなっているだけだったら。
深夜に突然電話をかけて大騒ぎするのもどうなのだろう。
そんな考えが伸江の手を止めていた。
「まあ、劇団の仲間と飲んでいるのかもしれないし……前にもあったじゃないか」
隆文はできるだけ穏やかな声で言った。
「そのうち帰ってくるさ。もう少し待ってみよう」
そう言って椅子から立ち上がる。
「俺は先に寝るよ。明日も仕事だからな」
「……そうね」
伸江は曖昧にうなずいた。
隆文だって心配していないわけではなかった。ただ、今の段階では何が起きているのかまるでわからない。考えれば考えるほど不安になるばかりで、だからこそいつものことだと思おうとしていたのかもしれない。
隆文が寝室へ向かったあとも伸江はしばらくリビングに残っていた。テレビはついていたが画面の内容などまったく頭に入ってこない。
スマートフォンを手に取る。
純恋とのメッセージ画面を開く。
やはり、既読はついていなかった。
「……純恋、早く帰ってきなさいよ」
誰もいない部屋に向かって伸江は小さくつぶやいた。
遅くなった理由を話しながら台所に何か食べるものはないかと尋ねてくる、そんな娘の姿を思い浮かべる。
今夜もきっとそうなる。
そう思いたかった。
伸江はスマートフォンを手元に置いたまま、ようやく寝室へ向かった。
布団に入ってからもなかなか眠れなかった。
隣では隆文が目を閉じている。
伸江も目を閉じてみたが、少し物音がするたびに純恋が帰ってきたのではないかと思って耳を澄ませてしまう。けれど、玄関のドアが開くことはなかった。
日付が変わり夜は静かに更けていく。
純恋が今どこで何をしているのか。
どうして連絡が取れないのか。
二人には想像することさえできなかった。
ただ、娘の帰りを待つことしかできなかった。




