第6話
「あ、あの……晴太、さん?」
ハルカは明らかに動揺していた。
しかし俺の中の暴れ牛は止まらない。止めてやるものか。
凡人の意地を侮るなかれ。
目にもの見せてやるよ、超人ハルカ。
「いやホント、彼氏彼女が遊びだとか言われても、経験ない俺からすれば、“そんなもん知らねえ”って話なんですよ。だいたい遊びだと思うんなら、遊びこそ全力で遊ばないかんでしょ。テキトーに、気怠くやる遊びって何なんですか? そんなの、最初から遊ぶなって話でしょ。そんな茶番に付き合わされる俺の身にもなれって話でしょ」
「でもそれは、晴太さんが、付き合って欲しいって言ったので……」
「俺を言い訳にするなよ。その言葉のどこに、お前の意思があるんだ?」
「――――ッ」
ハルカ、表情が歪む。
――これは、好奇ッ!
「だいたいなんだよ、名前も家も聞くなって。そもそもお前は俺のこと全部調べ上げてるだろうに。名前も、家も、学校も。どうやって調べたかは知らんけど、俺のことは調べまくったのに自分のことは教えたくない、知られたくない? 言ってることむちゃくちゃじゃねえかよ。誰が納得するんだよ、そんなこと」
「そ、それは……その……」
ハルカは明らかに劣勢に立っている。
今こそトドメを刺し込む。
「名前とかくだらない、家とかくだらないなんて拗らせた中学生みたいなこと言ってるけど、そんなくだらないものに今一番こだわってるのは、間違いなく、ハルカさんの方でしょ」
「…………ッ」
ハルカは言葉に詰まる。
口は動くが、声が出ていない。
(ふふふ……完ッ全ッ勝ッ利ッ!)
これは俺の勝ちだろう。
勝ち負けの基準はわからんが、気持ち的にはトリプルスコアくらいはありかねん。
さてと、ここからはウイニングロードを悠然と歩かせてもらおう。
「ってことで、まずはハルカさんの本名から聞かせてもらいますよ。あとは何で俺の名前と家、通学路まで把握してたのか……全部教えるまで今日は終わらないし、終わらせねえから覚悟してください」
「…………」
ハルカはしばらく俺の顔を凝視した。
かと思えば――。
「……ふ、ふふふ。うふふふ……」
言い方はすこぶる悪いが、何やらキモめに笑い始めた。
「……晴太さんって、思ったより強引なんですね。そうですよね、晴太さんだって晴太さんですしね。でもいきなりだったので、ちょっと……いや、かなりびっくりしちゃいました」
「はいストップ。その手には乗らんです。そうやって誤魔化そうとしても、今日は聞かないですよ」
「そうですか。それは残念です。ふふっ」
「とにかく、まずは名前から教えてもら――」
「――遥日宮、鏡花です」
ハルカは、何の予兆もなく、何の準備もなく、空間を斬り裂いて告げてきた。
「遥日宮鏡花……それが私の本名です」
「え? あ、ええと……そ、そっすか……」
こんなにもアッサリと言われるとは思わず、今度は俺が劣勢に立たされた。
「でも、晴太さんには今まで通り“ハルカ”と呼んで欲しいです。そう呼んでくれるのは、晴太さんだけなので……」
「いや、うん……それはいいけども……」
「じゃあ、残りのことは追々ということで。人は秘密がある方が魅力的って言いますし」
ハルカの秘密はむしろ機密って感じで、魅力と言うより魔力を帯びてる気がするが。
気が付けば、日はすっかり沈んでいた。
光は弱く青色を帯びて、影は宵闇に溶ける。街にはネオンの光が溢れ、家路につく車は、網目状の道路に光の川を作り出していた。
ハルカは俺が促すわけでもなく立ち上がり、出口に向けて歩き始めた。
「……では、私は帰ります。晴太さん、また」
「え? あ、ちょっと!」
彼女は浅く一礼した後、いつの間にか公園前に止まっていた真っ黒なリムジンに乗り込み、車は東へと走り去っていった。
そう、リムジンで。
「……リムジン?」
初めて見たよ、リムジン。
◆
一人になった帰り道、単独の足音を擦らせながら物思いにふける。
その議題は、言うまでもなくハルカである。
「ハルカ……遥日宮、鏡花……」
なるほど、あのアカウント名は苗字をもじったものだったのか。てっきり本名がハルカだと思っていたが……なんだろう、してやられた感がある。
というよりも、またしても俺は、ハルカに綺麗にあしらわれてしまったらしい。
あれほど大口叩いた割に、結局のところ名前しか聞けなかった。
あまりに突然告げられたもんで、他のことを追及する知能を退化させられたのかもしれん。
しかしまあ、結果は上々と言えるだろう。
ハルカなる彼女の秘密の切れ端に触れることには成功したんだし、残りの秘密は、それこそ追々見破っていこう。
「……これ、付き合ってるのか?」
何か違う気もするが、悲しきかな、恋愛経験の比較対象が皆無ゆえに正解がわからん。
結局俺は、この道を突き進む他ないのだろう。
やがて家にたどり着き、淡い門灯の下を潜り抜け玄関を開けた。
「ただいまー」
定型文を口にした直後、この日は珍しく返事があった。
「――あ、お帰りなさい、“晴太さん”」
「…………」
その声に、口調に、呼び方に、脳天から踵までの全細胞がフリーズした。
「……ないない。それは……ないだろ」
靴を脱ぎ捨て、バッグを放り投げ、リビングへなだれ込む。
「おーお帰り。遅かったね」
うるせえぞ昴姉。
今はアンタではなく、我が家のテーブルに鎮座してやがる“ソイツ”に用がある。
「ハ、ハルカ、さん? 何してんの、アンタ……」
「お邪魔してます、晴太さん」
リムジンで帰ったはずの彼女は、ニッコニコの笑顔で、なぜだか我が家の粗茶を飲んでいた。
我が姉は言う。
「いやぁ驚いたよ。我が愚弟にこんな美人の彼女がいたなんてねぇ」
ハルカは言う。
「突然訪問してすみません。どうしても、晴太さんに会いたくて……」
いやお前、さっきまで外で会ってたぢゃん。
帰ったと思ってたけど、リムジンで先回りしてたの? なんで?
「いいのいいの、全然気にしないで。むしろなんで鏡花ちゃんみたいなキレイな子が、うちのアホ弟と付き合ってるのかわからんないわ。世界七不思議の一つに入れてもいいくらいね」
「晴太さんはとても素敵ですよ、お姉様」
「お、お姉様って……なんか照れちゃうねコレ」
鼻の下が伸びまくる昴姉。
どうでもいいから、昴姉、お前そろそろ黙れや。
「い、家に入ってくるのは、反則だろうに……」
かろうじて絞り出した反撃を、ハルカは一笑に付してさらりと躱す。
「ふふふ。晴太さんの驚いた顔も見られたんで満足しました。さっき好き放題言われた“仕返し”です。そろそろお暇しますね」
彼女は立ち上がると、バッグを両手で持ち直し、俺の横を通り抜ける――。
「――でも、晴太さんが相変わらず“ハルカ”と呼んでくれて、とても嬉しかったです」
まるで宣戦布告か。
彼女は猛烈な可愛さを誇る、溢れんばかりというか溢れまくってる笑顔を披露して、今度こそ静かに帰っていった。
「……あざといにも程があるでしょ、ハルカさん」
彼女が去った玄関でそんなことを呟くことしかできなかった俺、なんと哀れ。
その後、愚姉の怒涛の質問を闘牛士の如く躱し、心身共に疲れ果て、果てまくり、死んだように就寝するのだった。




