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悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第一章
7/7

誰そ彼─Wie is dat?─6

 硝子玉を腰のポーチに仕舞い込むと再びナイフを抜いた。片手だけの不便さに溜息が溢れる。


「……ところで、俺が呼んだのは聞こえていなかったんですか。付喪神」


『聞こえていたぞ。だからあの小娘に頼んでやったんだろう』


 リーセロットをかえりみれば、彼女は肩を揺らして立っていた。震えを誤魔化すためか、スカートの裾に両手で皺を刻んでいる。両足も痙攣しており、足首からひざ下までを編み上げている赤いリボンが、小刻みに揺れていた。


 安心させてやりたくて柔らかく微笑みかける。


「リーセロット。さっきは助かりました。ナイフを投げてくれてありがとうございます」


「い、いえ……そのナイフが、私に『投げろ』って言ったから……」


「貴方も付喪神と契約している魔法使いだから、一応コレの声も聞こえるんですね」


 蒼白の童顔は俯いたままで、怖い思いをさせてしまったなと後悔が湧き出した。助けられたが、やはりただの依頼者を連れてくるべきではなかった。


 自責で唇を歪めていたら、リーセロットの手が俺の袖を引いていた。


「貴方、その傷、大丈夫なの? 腕、病院……」


「ああ……現実に戻れば傷は全て消えます。ここは夢なので。だから、大丈夫です」


 不安そうな面持ちがこちらを見上げる。口端をほんの少し左右に引いて笑い顔を見せてやれば、彼女もようやく愁眉を開いていた。


「リーセロット、帰りますよ」


「え、ええ……えっと」


「すみません、俺は今片手しかないので貴方を掴めなくて……俺の手首を、掴んでもらえますか。それから、俺に続いて詠唱を」


 一瞬の躊躇を見せた細い指が、俺の手首に絡みつく。冷えた肌がこちらの熱を奪っていく。


 涼風が窓から吹き込んだ。誰もいない窓際を一瞥して、在りし日の夕刻を瞼に閉じ込めて、睫毛を伏せる。


 母の声が、聞こえた気がした。勝手に入ったら駄目でしょう、と。母が、俺の首根っこを掴んで。俺と見合うなり、頬を膨らませていた母は可笑しそうに噴き出して破顔する。


 これは空夢か、忘れていた記憶なのか。


「──〈繋げ。現は空夢へ帰す〉」


『〈閉目せよ。戻れ、辿れ。汝の籠はあばらの奥に。置き捨てるは蝶の一生。現に戻りし人の子よ。開目の刻、籠は閉じられた〉』


     (五)


 夜の寝室で、男性が穏やかな顔で眠っていた。俺は両手の感覚を確かめ、椅子から立ち上がると、硝子ナイフをレッグホルスターに収める。ポーチから取り出した硝子玉をどうするか悩んで、ベッドサイドのテーブルに置いた。転がってしまいそうだったが、黒い手帳と薬袋に挟み込まれる形で、球体はしっかり留まっていた。


 リーセロットは座ったまま、父親の手を握り続けている。こちらを振り返ることなく、問いだけが投げかけられた。


「これで本当に、お父様の悪夢は終わったの?」


「ええ。夢魔も、夢魔に蝕まれた記憶も取り除いたので」


「訊いてもいいかしら。貴方が戦っていた赤髪の子は、誰? 貴方の妹?」


 妹。その考えはなかったが、確かに、俺に妹がいたのならあんな姿になるのだろう。だが、妹がいたという記憶はない。僅かに痛んだこめかみを軽く押さえて、頭を振った。


「あれは恐らく、母の昔の姿なのかと。それより、その空夢硝子は砕いてあげたほうがいいかもしれません」


「そらゆめ、がらす……」


 椅子に座ったまま上体を捻ったリーセロットが、サイドテーブルをじっと見る。加工も何もしていないただの硝子の塊だが、ランプの紅燭を浴びた采色は綺麗だった。


「それを砕くと、どうなるの。そもそもそれはなに?」


「これは悪夢の原因となっていた記憶です。夢魔は特定の記憶に住み着いて悪夢を見せる。俺の付喪神の力で、夢魔が棲みついた記憶を硝子として実体化し、取り除くことができるんです。記憶の持ち主がこの硝子と密接して寝ることで、硝子化した記憶を思い出すことが出来……条件を満たして砕くことで、嫌な記憶を一生思い出さずに済むようになります」


「……条件って、なによ」


「記憶の持ち主が自らの血液を硝子に塗り、硝子を砕く。それだけです。なので、彼の血液を塗って砕けば、その記憶を割ることが出来ます。逆に、血で濡らさなければ砕けることはありません」


 依頼者が悪夢の当事者だったなら、当人に硝子をどうしたいか尋ねるのだが、今回は珍しいケースの為、対応に困る。依頼者によっては『嫌な記憶であっても忘れたくない、時折思い出したい』という人もいる為、要望によって球体の硝子をコースターに加工している。睡眠時、枕の下に忍ばせやすい形だからだ。


 記憶の持ち主たる当人の意思が分からない以上、その身内に委ねるしかない。


「──貴方は、だからお父様のことを何も覚えていないのね」


 硝子に反射していた風景が、歪んだ。俺が視点を移すと、リーセロットが真っ直ぐにこちらを見上げていた。感情の掴めないオッドアイが瞬く。濁りのない硝子玉を見つめ続けることは出来ず、結ばれていた視線を断った。


「……そうかもしれません」


 玄黙に秒針の音だけが跳ねる。柱時計は夜半を指し示し、淡々と今日を削っていく。日付が変わる前に依頼を終わらせようかと思ったが、リーセロットが思い切った声で夜音(よと)を打っていた。


「私の実の父親は罪人で、獄中で亡くなったらしいわ」


 こちらに一瞥もくれず、眠る男性の手を両手で包み込むリーセロット。冷えてしまった体温を温めてやるように、その触れ方は恩愛で満ちていた。


「父の事件を捜査していたのが、ここにいる彼──貴方のお父様だった。私は、父が犯罪者だったことも知らず、貴方のお父様に引き取られて、実の子供みたいに甘やかされて……四年間、お父様に育てられたの」


 リーセロットが椅子から立ち上がる。彼の手は彼女という熱を引き止めることなく、冷えたシーツに沈んで眠る。ヒールを鳴らした彼女は室内を見回していた。家具や小物の一つ一つに、思い出を結びつけるような回視。


「お父様も、一人きりで寂しかったのでしょうね。でも私じゃ駄目だった。本当の子供にはなれなかった。お父様はずっと思い出の中の貴方ばかり追いかけて、貴方を探し続けていたのよ。お父様の遠い目……あの瞳に私は何度も思い知らされていたわ。『優しさ』と『愛情』は違うんだって」


 掠れた声遣いに、木材の擦過音が重なった。リーセロットは机の棚を引き開けると、取り出した物を机上に並べ始めた。歩み寄って見れば、硝子製の砂時計が、細分化された秒の粒を底へ注いでいる。器を支える三本の柱は緩やかに捩じられた色硝子。上下の台座も淡く着色され、雪花が刻印されていた。


 机に片手を突くと一枚の紙が皮膚と擦れる。拙い文字と絵で装飾されたそれは、アニカが描いたチラシだった。


「これは……」


「貴方の店のものよ。一年前、お父様は貴方の店に行っていたの。『ようやく再会出来た息子は、顔を合わせても自分のことを覚えていなかった……だけど優しく微笑んで丁寧に接客してくれた』って。息子の成長した姿に泣きそうになって、涙が零れる前にカウンターの商品を慌てて購入して店を出た……お父様は苦笑しながら教えてくれたわ。あの日のお父様はほんの少し悔しそうで、本当に嬉しそうだった。聞かされている私がいやになるくらいずっと、貴方の話ばっかりして」


 俺は、砂時計を指でなぞって記憶を辿っていた。客の顔など、よほど印象に残る相手でなければ覚えていない。だが、砂時計を購入した客は少なかったはずだ。人相は定かでないが、過ぎた往時のなかで、俺は誰かと時計に関する雑談を交わしていた。


「それからは何度も貴方の店を外から眺めていたみたい。店に入る勇気はない、父親だと伝える勇気もない。店に入れたとしても話を切り出せないだろうから手紙を……なんて、書こうとして諦めた手紙ばかりがゴミ箱に溜められているのよ」


「手紙……」


「読みたい?」


 リーセロットはどこか寂しげな目笑を浮かべて、床に置かれていた屑籠へ手を伸ばす。アイホールの高さで切り揃えられた前髪が、俯きに伴って垂下すると彼女の薄笑みを隠してしまう。


 机上に転がった数枚の紙屑。俺はそれを一枚一枚、開いていった。緊張はなかった。ただ、他人宛ての手紙を検めるような心持ちだった。けれど彼の筆致をなぞった先から、指が震えていく。まるで毒のインクだ。気道が狭まって、脈を狂わせる。


 本能が拒んでも、どうしてか読まずにはいられなかった。


『私は、君の父親だ。君は私のことなど覚えていないのだろう。きっと、忘れたくて堪らなかったんだろう。だけどどうか一度話をさせて欲しい。君にちゃんと、謝罪をさせてほしい』


『風邪をひいてはいないか。金に困ってはいないか。君のことが心配で仕方がない』


『いつか、帰ってきてくれ。私にとって、君はずっと、大事な息子だ。たった一人の、愛しい息子なんだ』


 掠れた筆記体。滲んだピリオド。塗り潰された頭文字は決まってMだった。四枚目の紙を見た時、嗚呼、と気付いた。


『メイス』。彼は、俺の名前を綴ることを、何度も躊躇っていたのだ。それほどまでに、勇気の要ることだったのだろうか。 


『こんな父さんで、ごめんな』


 手紙が、潰れた音を鳴らす。無意識下で指先に力が込められていた。表情の作り方も分からぬまま、自分自身の気持ちすら名状できぬまま、紙の端を握り潰していた。


「私は……っ」


 机上を絵取っていたリーセロットの影が、揺らめく。靴音は崩れ落ちる寸前みたいに不規則だった。咄嗟に振り返ると、彼女は胸元のブローチを掴んで息を乱していた。


 項垂れた彼女は月影に染まっている。夜に沈んだ絨毯へ、小さな星が、流れ落ちた。


 虹彩異色の瞳が激情を溜め込んでは零していく。


「私は、ずっとお父様の傍にいたのに……貴方みたいにお父様を捨てて出て行ったりしないのに……! お父様のことを忘れて笑っていられる貴方なんかより、私の方がお父様を愛しているのに! それでも私じゃ『たった一人の息子』の代わりにはなれなかったの……! どうしていつまでも貴方のことばっかり……じゃあどうして私を拾ったのよ……!」


 哀に塗れた裂帛(れっぱく)が鼓膜を貫く。歳不相応の強がりが剥がれ落ちて、彼女は両手でしきりに涙を拭い始めた。


 彼女は恐らく、捨てられた手紙の山を既に読んでいたのだろう。彼女にとっても、この反古紙ほごがみは毒だった。


 ふらついた彼女の両手は机上に叩きつけられ、紙屑を手荒に丸めていた。俺は黒目を彷徨わせたが、当然台詞など見つからない。開口と閉口を数度繰り返して、苦り笑うことしか出来なかった。


「すみません、俺には、なにも分からないのですが……けど、貴方が誰かの代わりになろうとする必要はないと思います。貴方は、貴方として、ちゃんと愛されていたと……そう思いますよ」


「っ……下手な慰めなんていらないわ。貴方のせいで私は……っ、私のせいでお父様は……」


 吐き捨てられた呪詛は息苦しくなる響きだった。重力に引きずり降ろされるように、リーセロットは絨毯に膝を突く。座り込んだまま俯伏してしまった彼女にどうしてやることも出来ず、ただ黙然と、意味もなく机を眺めていた。


「お父様に、喜んでほしかったの。私が、貴方を引っ張ってきて会わせてあげたかったの。貴方の容姿の特徴はお父様から聞いていたから、貴方を見つけるのは簡単だったわ。珍しい赤い髪……偶然、人混みの向こうに貴方を見つけて追いかけて……通行人とぶつかって転んだ。通行人は暴れた馬から逃げていたみたい。気付いたら私は、暴走した馬車に巻き込まれて、死んでいたのよ」


 貴方のせい、と、先刻彼女は言った。その訳を味解して、その苦々しさを、噛みしめた。


 なるほど、ならば確かに、彼女の死は俺のせいだ。


 発露した自責が拳を動かし、掌を爪で抉っていく。事故の際、自分が何を思っていたか、思い出さずとも分かる。自分の稟性ひんせいなど知り尽くしているから。


 きっと『何かあったのか』程度の気持ちで一顧して、それから気にも留めなかっただろう。そんな己が腹立たしかった。


「生と死の境は夢のようだったわ。私の心臓に入り込んだ付喪神が、夢の中で教えてくれた。お父様は自分の意識を犠牲にして、私の意識を取り戻させた。私が時を刻んで生き続ける代わりに、お父様は時を止めて眠り続けることになった。それが、私のせいでお父様が付喪神と交わした契約よ」


 リーセロットはこちらに背を向けたまま、立ち上がってベッドに歩み寄っていた。彼女が生きている限り二度と起きることのない男性に、繊手が伸ばされる。細い指は彼の頬を撫で下ろして、首に触れていた。彼が、まだ生きていることを確かめるように。


「貴方の言う通り、私もお父様に、多少なりとも愛されていたと思うわ。でも……一人ぼっちにされる悲しさを知ってるくせに、私を一人ぼっちにして、それを愛だなんて言わないでよ……」


 脈拍に縋った手は滑り落ち、男性の襟を強く掴んでいた。華奢な肩が悄然と震えていた。哀感に押し潰されそうな頼りない背中。そこに温言を投げかけることしか、今の俺に出来ることは無かった。


「……何かあったら、俺の店に来てください。可能な限り、力になります」


 緩慢にこちらを仰いだ彼女の頬は、月の滴を浴びていた。濡れた肌はまだ乾きそうになく、泡沫がしたたる。俺は屈んで、真っ向から彼女と向き合った。


「リーセロット。俺達の世界は家の中だけじゃないんです。扉を開けて外に出られる。そこには様々な人達がいて、決して孤独にはならない。家か外か、どちらが息をしやすいかは人それぞれですが、貴方は好きな時にどこへ行ったっていいんです。愛情は人を縛るものじゃありませんから」


「……私……」


「貴方が孤独にならない道へ進んでいくのを、彼も望んでいると思います。その為の義足でしょう?」


 露の落ちた睫毛が下を向いて、彼女自身の足を見下ろしていた。球体関節人形のような両足は、赤いリボンで可憐に編み上げられている。彼女の纏う衣装も相俟って、ビスクドールのような妙相。


 人形然とした義足は、彼女が好む服装に合わせて選ばれたデザインだったのではないかと、俺は思う。


 時計を瞥視したのち、懐から手帳を抜いた。仕事に関する文章と数字を書き込んで、その一枚を破いて切り離す。請求書代わりのそれを卓上に置いてから、リーセロットに会釈をした。


「悪夢狩りの依頼料は後日、店までお持ちください。もし支払えなければお気軽にご相談を。もう遅い時間ですので、俺は失礼しますね」


 いつもの接客通り、人好きのする笑みをたたえる。けれど、この部屋の酸素は俺にとって息苦しく、ずっと頭痛に苛まれている。だから表情は歪んでしまったかもしれない。


 疲弊を隠せなくなる前に、退室しようとした。しかし袖を掻い繰られ、歩みを引き止められていた。


 泣き腫らした後の赤らんだ明眸(めいぼう)が、燦然と俺を映していた。鏡のように、硝子のように、こちらの影を鮮明に映し出す。「ねえ」と、彼女が言った。


「メイス。お父様のこと、思い出してあげてちょうだい」


 頭が、痛んだ。


「貴方にとって忘れたいほど辛い記憶だったのかもしれないけれど、ちゃんと思い出して、向き合った方がいいわ。どんな記憶だったとしても、忘れた方がいい記憶なんてないもの」


 夜闇を浴びても陰ることのない星眼(せいがん)に、目の奥まで貫かれている感覚だった。寒灯よりも眩燿な目付きだった。


 彼女はきっと、俺なんかよりも強い人間なのだろう。


 俺は腕に絡みつくリーセロットの手をやんわりと解いた。微笑の仮面を貼り付けて、頷いてみせる。


「そうですね。……良い夢を、リーセロット」


 人は、忘れたい記憶があったとしても、忘れることが出来ないから苦しんで、乗り越えて、強くなっていく──それが出来るのは、一部の強者だけだ。


 忌まわしい記憶を砕くことが許されるのなら、可能なら、誰だって砕くはず。


 心が砕けてしまう前に。


     *


 神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。


 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。


 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。


 夕となり、また朝となった。第五日である。


──引用『創世記・第一章』

 

 

 

 

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挿絵(By みてみん)

▽以下、キャラ紹介挿絵。自作絵です。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

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