砕屑─glasscherven─
(一)
ローデヴェイクは警察にこう語ったそうだ。『特殊な毒薬を開発し、チョコレートに混ぜて被害者達に食べさせた。毒薬の効果は摂取してから約二週間ほどで表れ、最期には脳が潰れて死亡する』と。
そして『被害者は皆、死亡する二週間前にキャンディ包みにされたチョコレートを食べているはず』と彼が供述したことで、警察はこれまでの被害者宅を調べ直した。その結果、複数の被害者宅から同一のチョコレートの包み紙が発見された。
クラップロース教団の『静寂の聖域』にも数日間警察の捜査が入ったが、当然毒薬そのものの発見には至らなかった。毒薬について問い詰められた彼は曖昧に誤魔化し、代わりに『聖堂の地下室を調べろ』と指示したらしい。
地下室には顔の潰れた腐乱死体がいくつもあり、教団の信徒にも複数の被害者がいたことが判明。また、施設内にて、犯行に使われたとされるチョコレートの包み紙も見つかった。
新たに発見された遺体や包み紙は、物的証拠として十分。警察は殺害方法のみに疑念を抱えながらも、複数の物証により"彼の供述内容がいずれも犯人しか知り得ないもの"と裏付けられたことで、彼は逮捕された。
教団はローデヴェイクが信頼する人物に委ねられ、『静寂の聖域』で暮らす子供達は元気に過ごしているという。
今朝の新聞を閉じ、柱時計を瞥見してから姿見に向かう。長い後ろ髪を普段通り一纏めに結び、覚束無い手つきでネックレスを着けた。
先日硝子ナイフで貫いた手には包帯を巻いているが、疼痛が滲んで動かしにくい。現実での負傷はこうも不便なのかと実感していた。
鏡で揺れるペンダントトップは空夢硝子を加工したもので、円形の額縁に菫の花が咲いているデザインだ。柄にもない装飾品は落ち着かない。けれどアニカを思うと片笑みが零れる。
先日ミハエルに届けたネックレスは紫苑の花をイメージして加工した。彼も今頃、この重みを首に下げているだろう。
菫のネックレスをシャツの中へ仕舞い込み、鞄を肩に提げる。と、机上で硝子ナイフが稲光を放っていた。
『また私を置いて外出する気か?』
「置いていきませんよ。今身に着けようとしてたんです」
『嘘吐きめ。今まさに、忘れていた、という間抜け面をしていたぞ』
「してません」
やかましい硝子ナイフをレッグホルスターに収める。扉を押し開ける手の平は微かに汗ばんでいた。柄にもなく緊張している。己の作品を人に見せることは日常茶飯事なのに。
きっと、彼女には教えてしまったからだ。硝子製品は造り手の息吹なのだと。
(二)
人混みを通り抜け、噴水の前で足を止めた。かつて俺の生家だった、煉瓦造りの建物を見上げる。白い窓枠の向こうは父の部屋。少年だった俺はその窓から何度も街を見下ろしたのだろう。歌唄いの少女の姿を探して。
生家の叩き金を鳴らすと、寝ぼけ眼を擦りながらリーセロットが顔を覗かせた。彼女は珍しく藤色のワンピースを身に着け、白鼠の髪を幾本も跳ねさせていた。
「な、によ、こんな時間に……」
「渡すものがあったのを、思い出したので。というかこんな時間って、お昼前ですよ。寝ていたんですか?」
「うるさいわね、朝には弱いのよ。身だしなみを整えてくるから、中で少し待っててちょうだい」
「……その間、父に会っても?」
自然に問いかけたつもりだ。だが、声色は硬い音を孕んでいたかもしれない。彼女のオッドアイは果実の如く丸められ、それから悪戯っぽくしなっていく。
「好きにしなさい。貴方のお父様なんだから。あぁでも、お父様に怪我させちゃダメよ?」
「俺が何をすると思っているんですか……」
リーセロットはなぜか上機嫌に、鼻歌混じりに階段を上がっていく。お互い二階へ踏み入って、廊下で進行方向が別たれる。彼女は自身の部屋へ、俺は父の眠る部屋へ。
臙脂の絨毯に靴底を押し付け、ベッドサイドに置かれた丸椅子に腰を下ろした。カーテンから滲む朝影が彼の寝顔を暖色で染めている。その相貌と真っ直ぐに向き合った。
白髪混じりの金髪、目元や眉間に残る皺の痕。無精髭の生えた頬は笑うと笑窪を作るのだろう。そういう人柄に見えたからか、それともかつての父がそうだったからか、この人の笑顔を想像していた。
規則的な寝息に、掠れた独言を重ねていく。
「……手紙で、書いてくれていましたね。メイス、と。あんたにとっての俺は、ようやく息子に戻れたんでしょうか」
口にしながら寒気を覚えて、己の片腕を抱いていた。上腕に爪を突き立てる。開かない彼の瞼に、冷眼を突き立てる。
「もう、目覚めないのでしょうけど。俺はあんたを許しません。時々こうして顔を見に来て、あんたに対する嫌悪を何度も思い出して生きていきます。俺があんたみたいな人間にならないように」
立ち上がる足は毅然としていた。扉に片手を突いて、不意に立ち止まる。もう一度窓際を一瞥し、今度こそ背を向けた。
「リーセロットを救ってくれたことだけは、感謝しています」
階段を下っても、リーセロットはまだ一階にいなかった。身支度に時間がかかっているようだ。リビングのテーブルに鞄を置いて、中を覗き見ていればヒールが高く鳴る。
黒と灰のワンピース姿。リーセロットは義足の編み上げリボンを揺らし、椅子を引いて腰かけていた。
「遅くなったわね。渡したいものってなに? もしかして契約書かしら。私を従業員として雇ってあげるっていう」
「何の話ですか……従業員は今後雇わないつもりなんですけど。持ってきたのはコレです」
鞄から取り出した箱を机上に置く。ワインレッドのリボンで装飾された黒い箱。リーセロットはそれを自分の方へ寄せてまじまじ眺めてから、リボンをほどいた。箱の蓋が外されて、布で梱包されていたグラスが露わになる。
筒状の硝子は罅加工が施されており、室内光を受け止めて閃爍する。色硝子も鮮やかに色めき、紅い花弁を幾枚も散らした様相。底に近い部分を彩なす赤は、紅葉の絨毯をも思わせた。
リーセロットは両手でそれを掲げると感嘆を上げていた。無邪気な子供さながらに、顔ばせが華やいでいく。
「綺麗……!」
「気に入りましたか?」
「ええ。本当に素敵だわ。貴方の髪と同じ色!」
「え」
瞠目して彼女を見つめていた。喜色満面だった彼女も、しまった、とでも言いたげに口を覆うなり目を泳がせていた。
このグラスを作った日を思い返す。何色が好きか訊ねた俺に、深い紅と答えた彼女。今更、俺の髪を見て赤を選んだのだと思い至り、思わず彼女から目を逸らしていた。
気まずい沈黙が流れ始め、俺は鞄の口を閉じて帰ろうとした。けれども袖を摘まれて足を止められる。眉を下げたリーセロットが悄然を背負っていた。
「あの、メイス。ごめんなさい。私……お父様が貴方にしたことを、何も知らなくて。辛いことを思い出せなんて。それだけじゃない、貴方に身勝手なことばかり言って」
「……いえ、思い出せて、良かったです。あんたには忘れて欲しいですけどね」
苦笑を漏らしてみたら、彼女はおずおずと俺を見上げる。彼女を傷付けぬよう虚言を吐いているのでは、なんて誤解されているかもしれない。だから真情のままに息を継いだ。
「あの頃の俺は記憶を砕いて逃げました。当時の俺にとって、それは正解だったと思います。そうしないと自分を守れなかったから、生きる為に必要なことだった。けど、今の俺なら向き合えます。とうに過ぎ去った出来事なんだと、切り離して認識できるようになりました。だから今、思い出せて良かったんです」
「……本当に?」
「ええ。嫌なことから逃げ続けるのは、やめたくなっていたので。もう忘れません。変わっていくのにちょうどいい」
窓明かりの下は穏やかで休らいでいる。頬を緩める俺に対して、彼女は呆然としていた。細い首がゆっくりと傾き始める。光を流した灰髪がさらりと艶めく。
「変わりたいと、思っていたの? どうして?」
「それは……あんたのせいですよ」
目映さに、夢許り目を細めて微笑んだ。彼女はぼんやりと俺の返事を咀嚼し、更に頭を傾げていく。そのまま倒れるのではと心配になるくらい斜めになった上体が、バネさながらに跳ね起きて俺に掴みかかった。
「ど、どういう意味よそれ」
「さぁ」
「さぁってなによ……!?」
誤魔化しの片笑みだけを返して、彼女の手をやんわりほどく。「店を開けるので帰りますね」と言い置いて、軽く会釈をしたのち生家を後にした。
粉々に砕いた硝子を掻き集めても、元の形には戻せない。けれど熱で溶かせば原料になる。硝子は何度溶かしても劣化せず、形成すると静澄な透徹を見せてくれる。
記憶の砕屑は熱情で繋ぎ止めた。あとはそれに息吹を吹き込むだけ。
赤ばんだ天光を見上げ、深く息をした。
*
──××××年、×月×日のことだ。
ひどい埃の臭いだった。手燭で足元を照らせば大きな蜘蛛が逃げていく。奥へ進むと動物の鳴き声が響いていた。
鼠が共食いをしている。その傍には砂埃にまみれた鏡が落ちている。燭影が鏡面に反射していた。片腕は自然とそちらへ伸び、気付けばその鏡を持ち上げていた。
『こんにちは』
どこからか声が響いて息を呑む。手鏡を握った指が震えたが、不思議とそれを手放すことは出来なかった。鏡は青く光っていた。この場には碧天も蒼玉も在りはしないのに、青い炎がまたたいていた。
『もしよろしければ私と契約しませんか? 貴方が会いたい人の姿を映し出してあげますよ。生者でも死者でも、存在しない人間でもいい。……ほら、想像してみて』
心臓が強く脈打って理解する。この鏡が喋っているという、非現実的な現実を。紡がれる声は人声そのもので、だからこそ反射的に応えてしまっていた。
思い浮かべた人間の姿が、鏡に映し出されていた。
『素敵な人ですね。亡くなった想い人ですか? ……そうですか。この人に再会したいですよね。抱きしめたいですよね。私なら、叶えてあげられますよ』
燭台と鏡を取り落としていた。地面に膝を突き、声に導かれるまま己の指を噛み切る。痛みが滲むと生温い血が指先に纏わりつく。溢れる血液を鏡に擦り付けた。鏡が謡う詩の調べに、息が乱れていく。
青光りした一面。けれども惣闇はすぐに立ち返り、灯火なしでは歩めない。
『契約は結ばれました。さぁ、これから貴方の血液を多くの人間に飲ませなさい。貴方に求める行為はそれだけです』
握った手鏡が青く明滅する。溶けてしまう蝋燭などもはや不要だった。鏡が華燭となって、行く先を照らしてくれる。燐火がこの身を再会の方へ導いてくれるのだ。
虚空に問いかけると鏡はほくそ笑んだ。
『私の名前? 夢魔、とでもお呼びください。名前らしい名前は持ち合わせていないんです。私はただの──付喪神ですから』
そうして夢語りを吐出する。
徒夢とは器物を通じて現実へ滲み出すものなのだ、と。
読了いただきありがとうございました。感想等頂けると励みになります。
⬇以下は各章タイトルの和訳付まとめです。
プロローグ 星落─Wens aan een ster──星に願いを。
第一章 誰そ彼─Wie is dat?──あれは誰?
第二章 暁闇─Maak me wakker──私を起こして。
第三章 紫苑─Ik zal je niet vergeten──君を忘れない。
第四章 月痕─Goedemorgen──おはよう。
エピローグ 砕屑─glasscherven──硝子の破片。
本作品の人名・言語等はオランダを参考にしていますが、あくまで架空の国を舞台にしています。
最後まで楽しんで頂けたら幸いです。お付き合い下さりありがとうございました。
■参考文献
『口語訳聖書(1955年版)』日本聖書協会
『世界シンボル大事典』ジャン・シュヴァリエ著
『シンボル事典』水之江有一編




