問題編
東京で探偵業を営む先生とその助手である私は、休暇を取るためにある山間の村に訪れた。その村には気味の悪い言い伝えの残る神社があった。先生と私が村を訪れたその日、言い伝えを再現したかのような凄惨な殺人事件が起こったのである。
「この宿の裏手にある大階段を登った先に、鹿島神社っいうのがあるんだが、この神社には二つ名があってね。それが、「首祀り神社」っていうんだ。不気味だろ?江戸時代の初期だったか、この神社に祀られる山神の化身とされた老鹿が山に住んでいたんだ。しかしある時、それをある若者が誤って狩ってしまい、首を切り落としてしまった。祟りを怖れた村人たちは、その若者の美しい妹を生贄として、首を切り落としその首を境内に供えた。そんな云くがあるんだよ。」
宿泊客の一人、軽戸一平はニヤニヤと私達にこの村に伝わる言い伝えを話して聞かせた。
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昭和4×年7月、東京で探偵業を営む先生と助手である私は、休暇がてら、東京から列車を乗り継いで1日かかる、ある山間の村にやってきた。
その村は、四方を山に囲まれており、村から出る交通手段は、山中に辛うじて整備された山道を車で行くか、或いは、一日朝夕一本ずつの列車に乗るばかりである。
私達の泊まった紅葉荘は、駅からは歩いて10分程かかる山の麓に位置している。ちょうど裏手には、山神を祀る神社に続く階段の入り口たる大鳥居がある。
私達が宿に到着した際には、既に二組の旅客が宿泊していた。夕食時にわかったことだが、一組が怪奇小説家の軽戸一平であり、もう一組が年若いアベックで男が輪島隆、女が蒲田春代といった。
そして、私達と同日に宿に来たのが、東京で出版社に勤める山路透子である。
彼らと初めて会したのは、夕食の用意された一階の広間であった。時刻は夕方7時。紅葉荘の主人、野々村一夫の用意した山菜料理を食べながら談笑した。その時話にでたのが上の伝承で、軽戸はそういった気味の悪い伝承には職業柄明るいらしく、散々と語って聞かせて来た。室内だと言うのにサングラスをかけた輪島は、軽戸の話を面白そうに笑いながら酒を煽り、アベックの片割れである蒲田はこういった話は苦手なのか俯いていた。山路は、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を終始指で直しながら、怯えつつ聞いていた。
私達が部屋に戻ったのは8時半。軽戸の怪奇漫談が終わった後、話を振られた私が、つい先生が探偵であることを口滑らせたために、軽戸にこれまでの事件譚を根掘り葉掘り聞かれる羽目となった。いいアイデアが思いついたと軽戸は、8時頃には部屋に戻っていった。
輪島と蒲田もそのすぐあとに出て行き、最後に残った我々と山路は8時半前に広間をでた。
部屋に戻った私達は少し腹を休めた。
「先生、そろそろ酔いも覚めましたし、風呂でもどうですか」
「そうだね、もう9時だしそろそろ行こう」
客室のある二階から風呂のある一階に降りて、風呂に向かう。風呂は男湯と女湯が隣り合って位置している。
「あれ?清掃中?野々村さん、今夕食の片付けをしてますよね?どうしましょう、入っていいか聞いて来ましょうか」
風呂の入り口の前に着いてみると、男湯の前には清掃中と書かれた板が下がっていた。
「嫌、構わないよ。急いでいるわけではないんだ。あとにしよう」
私達はそのあと、一時間ほど部屋で待ってから風呂に行った。その時にはもう清掃中の看板はなく、我々は暖かい湯を堪能した。
部屋に戻ると、少し晩酌をした後、11時には床についた。
この時はまだ、あの伝承の如き凄惨な事件が起きようとは夢にも思っていなかった。
朝8時、我々は朝食を取るために広間に向かった。
広間には既に眠気まなこの山路がいた。我々は席につくと、机に並んだ料理を食べはじめた。少しすると、軽戸がやってきた。
「やあ、おはよう。昨夜は随分と執筆が捗ったよ。貴方方のお陰だよ、ネタの提供ありがとう」
朝食がほぼ食べ終わった頃、時刻にして8時半頃、主人の野々村が厨房から顔を出した。
「あれ?まだ輪島さんと蒲田さん起きてきてませんか?」
「はい、まだみたいです」
「うーん、それは困った。今日は買い出しのために山向こうに行きたくて、早めにここを出たくて、、」
「そうですか。それじゃ、僕呼んできましょうか」
「あ、いえ!私の方でお呼びします。」
そういうと、野々村は二階の方に上がって行った。私達は、そのすぐ後に食事が終わり、自室に戻るために二階に上がった。すると、輪島と蒲田の部屋のドアを叩く野々村とあった。
「あれ、寝てます?」
「眠りが深いのか、、さっきからノックしてるんですが、、」
そう言いながら野々村が再びノックをしようとした時、僕の横にいた先生がふっとドアに近づいた。そして、徐にドアノブをひねった。
ガチャリ。
「空いてますね」
「ちょっと、先生!開けるのはっ!」
先生は少し引いたドアを開け放った。その瞬間、私達は息を飲んだ。いや、声を失った、という方が正確だろうか。
我々の目の前には、首の無い男の死体が横たわっていたのである。
「これは、、大変なことになりましたね」
先生が静かに口を開いた。その落ち着いた口調は、目の前の光景とはどこか不釣り合いで、そしてとても先生らしかった。
「うわわわわわああ!!!!」
野々村がやっと状況を理解したのか、叫びをあげた。
「いっ、一体何が!!」
「野々村さん、警察を呼んでもらえますか」
「はい!しかし、警察呼んでも時間がかかると、、村には駐在がおります」
「では、駐在を呼んできてください。それと、検死のできる医者を。」
野々村は、足を縺れさせながら、一階に駆け下りて行った。
「それでは、我々は人探しをしよう」
「えっ?」
「この部屋のもう一人の客人、蒲田さんが見たところいないようだ」
部屋には人一人が隠れられるところは無い。彼女はこの部屋にいない。
「まさか、彼女、輪島さんを殺して逃げた?!」
「どうかしたのか?野々村さん、大慌てでかけて行ったが、、わあ!!」
「きゃあああああ!!」
騒ぎを聞きつけた軽戸と山路が上がってきた。山路は死体を見るや劈くような悲鳴を上げ、しゃがみこんだ。
軽戸は、眉間にしわを寄せ、恐怖を表情に表しながらも、職業柄か興味の方が上回っているようで、部屋の中を覗いている。
先生は口を開く。
「見ての通り、輪島さんが亡くなりました。我々は姿の無い蒲田さんを探そうと思う。お手伝いいただけるか」
「蒲田さんがいない、、わかった、勿論だ」
「では、まず、宿内を捜索して、、」
「ま、待ってくれ!そう言えば、昨夜、蒲田さんが鹿島神社に向かうのを見た!私の部屋は、宿の裏に面している!ちょうど窓を覗くと、大鳥居が見えるんだ!!」
「では、まず玄関を確認しましょう。」
玄関を確認すると、蒲田の靴が無くなっていた。
「宿にはいない、、、」
「鹿島神社に行きましょう」
狼狽している山路を広間で休ませ、先生、軽戸、私は神社に続く階段を登った。山に沿うように伸びた階段は急で、神社に着く頃には、足に疲労が溜まっていた。
「まさか、首が境内に祀られてる、なんてことはないでしょうな」
そういう軽戸の声は、震えながらもどこか喜びが感じ取れた。こんな時に悪趣味なと思いながらも、私達は確かに確信していたのだ。境内に首があると。私達は迷わず、階段正面の境内に向かった。境内は、扉に閉ざされているが、少し隙間が空いていた。
「開けます。」
先生はそう宣言すると、扉を開け放った。
そこには首があった。
長く美しかった黒髪が乱雑に切り取られた蒲田の首だった。
「な、なんで、!なんで蒲田の首が!!」
すっかりあるべき首は輪島のものと確信していた私は声をあげた。先生は、眉間の皺を深くして首を見つめる。
「まさに、伝承通りだ、、」
伝承を再現するが如き光景に、既に軽戸の顔からは恐怖が消えていた。先生は境内の中を見渡した。
「軽戸さん、すまないが、下に行って、駐在にこのことを伝えてきてくれませんか。そして、医者にも部屋の遺体の検死後、こちらに来てもらえるよう伝えてくだい。」
「、、わ、わかった」
軽戸は少し名残惜しそうにしながら、階段を降りて行った。時刻は9時。
「先生、これは一体、、まさか蒲田まで、、」
「うん、困った事態だね。我々は医師のくるまで、この付近を探索しよう。失われた輪島さんの首と蒲田さんの身体を探さなくては」
神社の周りには背の高い木々が生い茂っており、私達はその中を捜索した。しかし、結局のところ、目的のものを発見し得なかった。
「あとはここだけだ。死体を隠せるのは、、」
先生は、神社の横にある古井戸の前に立った。その井戸は何十年も使われていないといった風情があり、上には転落防止のためか板と重り石が乗っている。私は、重り石を持ち上げようとしたが相当重く、男一人でやっとというところだ。板を外し中を覗くが、井戸は深く暗く到底肉眼では底を見ることは出来なかった。
そうしていると、駐在と共に医師がやって来た。このような事件に出くわすとは夢にも思わなかったろう駐在は慌てふためいている。そして、連れてこられた医師は、ただの町医者という感じで、歳も老いていて、私は若干の不安を覚えた。
「駐在さん、ご苦労。遺体はそのままにしてある。先生、下の遺体は確認いただけましたか。そうですか、ありがとう。では、首の方もお願いします。」
先生はそういうと、階段を下った。私もそのあとを追った。我々が宿に戻ると、野々村は顔を真っ青にして広間に座っていた。その横では山路が嗚咽交じりに鼻をすすっていた。
二階に上がり、輪島と蒲田の部屋に向かうと、中には軽戸がいた。
「何をしてるんです!!」
「いや、すまん!こんな事件滅多にお目にかかれないものだから」
「何も動かしててはないでしょうね」
「ああ、何も触ってない!」
軽戸がそそくさと部屋を出て行ったあと、先生と私は、部屋を調べた。一通り調べ終わったところで、広間に我々が戻ると、軽戸と境内から戻って来た駐在と医師もいた。先生は主人、宿泊客、医師にそれぞれ話を聞いていった。時刻は10時。
以下、それぞれの証言と私達の現場観察の結果である。
野々村(紅葉荘主人)
「宿泊客に関してですか?えっと、一番長いのが軽戸さんで、彼此1ヶ月目くらいになると思いますよ。それで、亡くなった輪島さんと蒲田さんは一昨日からですね。予定では、もう1日お泊まりの予定でした。
部屋の間取りは、どの部屋も一緒です。各部屋にはトイレと洗面台があり、それを抜くと8畳と言ったところでしょうか。部屋同士の壁は厚くしてあり、隣室の声は聞こえないに等しいでしょう。
昨夜の私の行動ですか?私は皆さんが食事を終えられた後、夕食の片付けをしていました。え、風呂の清掃?いえ、記帳して頂いた時にお話ししましたように、風呂の清掃は毎日決まって昼の3時から4時の間ですし、清掃の札は外しているはずです。
えー、それで、夕食の片付けの後、明日の仕込みをし、11時ごろ風呂に入りまして、12時前には布団に入りました。ええ、いつもこの日程で動いています。
玄関の鍵?鍵は就寝前にいつも閉めています。昨夜もです。外からの入り口はあそこのみです。え?はい、確かに、駐在を呼びに行く為に開けようとした際、戸は開いていました。」
山路
「この宿に泊まったのは、休暇のためです。今の会社では悩みが多くて、、ここのお風呂は疲れが取れるって友達に聞いて来ました。
昨日は、夕食の後、すぐにお風呂に入ろうと思ってお風呂に向かいました。その時、ちょうど蒲田さんと脱衣所で会いました。彼女はもうお風呂から上がって髪を乾かした後みたいで、私を見るや少しギョッとしてから、そそくさと出て行ってしまいました。私は、彼女の美しく長い黒髪に見惚れつつ、シャイな人なんだなあと思いました。
それからお風呂に入り、部屋に戻りました、、え?その時に男湯の札?すみません、確認してないです。ただ、私が部屋に戻ったは、9時半頃でした。それで寝たのは、10時くらいだったと思います。
え、私の髪の毛?ああ、いつも結んでますが、解くとこのくらい、、いえ、長さは同じくらいかもしれませんが、蒲田さんの髪の方が美しいです!」
軽戸
「私はね、もうここに泊まって、一ヶ月くらいだよ。執筆のためにね。ここを選んだのは、なんと言ってもあの神社の伝承と大鳥居だ。だから、それが見えるような部屋も選んだよ。
被害者の二人とは、2日ほどの付き合いだな。輪島くんは気さくな奴だったよ。部屋の中でもサングラスを外さない変なやつではあったがね。しかも、怪奇物には目がないようで、私の小説にも随分と興味を示してくれた。初めて会った晩には部屋で書き途中の小説を見せてやったよ。いい若者だよ。
で、恋人の蒲田さんだが、打って変わって無口だよ。彼女が喋ってるところなぞ見たことがない!いつも黙っていてね。まああれだけ美人じゃ愛想がなくても引く手数多かな。美人ってだけでなくて、背もすらっと高くて、横に立つのが憚られるよ。私だって男の中じゃ平均くらいってもんだよ、、輪島くんによると、東京でモデルだかをやってるとか。まあ、頷けるね。輪島君本人は劇団員をやってるらしいよ。
で、そうだ、昨日の夜は、夕食後小説のネタが思いついたんで、早速それを書き留めていたよ。昨日は調子が良くって、次から次へとアイデアが浮かんだよ。だから、風呂も入り損ねた。元来夜型でね、大方夜から明け方まで書いて、昼に寝る生活をしているが昨日もそうだ。
ん?ああ、蒲田さんを見た話ね。あれは何時頃かな、時間はあまり見ないたちでね。けど、1時くらいじゃないかな。外でガタッと音がしたんだ。気になって窓を覗くと、ちょうど、髪の長い女が鳥居を跨ぐところだったよ。顔?嫌、、顔はちゃんと見てない。だか、彼女で間違い無いよ。背格好にしろ、長い黒髪にしろ、こんな田舎町じゃいない女だ。
そのあと?そのあとは執筆に没頭したね。特に外は気にしてなかったよ。」
医者
「わしは検死の経験は少ないんじゃが、まあ、大まかな死亡推定時刻はわかったよ。どちらも夜10時から2時というところじゃな。死因ははっきり分からん。外傷は特になかった。ただし、首の切断はどちらも生活反応はなかったから、死後のものじゃな。せめてもの救いだ。それと、男の方の身体じゃが、指の指紋が焼かれとった。」
現場観察の結果(私)
「まず、神社の境内とその付近についてです。
境内付近には、首を切るのに使ったと思わしき、血の付いたノコギリが落ちていたのですが、遺体自体は発見出来ませんでした。井戸は確認しましたが、底までは調べられてません。それと、境内横の木々の間に、何かを焼いたような跡がありました。人体ではないです。燃えかすを見るに、布の様に見えました。因みに、宿付近、宿内の捜索もしましたが、遺体は見つかっていません。
で、首の方ですが、境内の中心の台の上にのせられていました。不可思議な点といったら、髪でしょうか。蒲田さんは長い黒髪だったのですが、それがバッサリ根元から、しかも切り口も乱雑に切られてました。切った髪は見つかりません。あ、そうだ、発見した燃えかすに、人毛の焦げたようなものがあってそれかもしれない。
次に、輪島さんと蒲田さんの部屋です。
客室は全部で4つ。山側に2部屋、反対に2部屋です。二人の部屋は、軽戸さんの隣です。
中央に、二人分の布団が敷いてあり、その上に首無しの男の死体がありました。服は着ていました。夕食時と一緒だと思います。服は血がべっとりでした。あと、先生によると死因は絞殺だそうです。爪には皮膚片があり、死後硬直した指の曲がり具合から、おそらく首を紐か何かで締め上げられ、抵抗したのだろうと。不可思議な点は、焼かれた指紋でしょうか。
彼らの荷物ですが、鞄はどちらの分もありました。ですが、少し、鞄の大きさの割に荷物が少ない様にも思います。それと、荷物の中に、彼等の身元を証明するようなものが何もありませんでした。犯人に抜き取られたのか、はたまた元々所持していなかったのかは分かりません。」
一通り、皆の話を聞いたあと、先生は腕につけた腕時計を見た。時刻は11時少し前。そして、徐に口を開いた。
「君、一つ頼まれてくれるかな?」
先生と目が合った瞬間、先生は犯人の目星が既についているのだと私は確信した。
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問題文は以上です。
設問は、犯人は誰か、です。
(ただし、
「先生」「私」「医者」に関しては故意の嘘をつくことはありません。また、犯人以外が故意の嘘をつくことはありません。また、文中における時刻についての記載は、誤りがないものとして推理して下さい(犯人は除く)。