第5話 2人の距離
ある雨の日だった。
手持ち無沙汰で、私は一日中自分の部屋で本を読んでいた。外は朝から降り続いていて、庭に出られない。魔法の練習もできない。仕方なく文献を読んでいたが、雨音が単調で、少し眠かった。
ドアがノックされた。リアンだと思った。最近、この音がリアンの音になっていた。
「どうぞ」
ドアが開いた。リアンが顔を覗かせた。雨の日は髪が少し跳ねる。今日もそうだった。
「今日もここにいていいですか?」
うるうるとした上目遣いで聞いてくる。
あっ、かわいい。と思った。
前世の記憶がまだ新しかったころ、ゲームの中のリアンにこういう顔をさせるイベントがあった気がする。あのときも同じことを思った。でも今は画面の向こうではなく、私の部屋のドアのところに立っている。
「いいわよ」
冷淡に聞こえない程度のトーンで言った。加減が難しい。あまり柔らかくしすぎると自分らしくない気がして、でも硬くしすぎるとリアンが怯えてしまいそうで。
リアンの顔がぱっと明るくなった。「ありがとうございます」
入ってきて、いつもの椅子に座った。窓際の小さな椅子で、リアンが来るようになってからそこがリアンの定位置になっていた。私が用意したわけではない。リアンが自然にそこを選んだ。
本棚に目をやって、一冊抜いた。植物図鑑だった。前に渡した本とは別の巻だった。リアンは絵を見るのが好きだから、また絵の多い本を選んだ。差し出すと、受け取った。
しばらく二人で読んでいた。
雨音だけがあった。
リアンが不意に立ち上がった。本棚の前に行って、背表紙を一冊一冊確かめるように見ていた。迷っていた。迷った末に、一冊抜いた。
私の魔術理論書だった。
ここに置いていたのは研究用の基礎文献で、図もほとんどない。子どもには早い、どころの話ではなかった。
「読み聞かせてくれますか?」
と、リアンは言った。
何かを試しているようだと思った。どこまでお姉様が応じてくれるか、測っているような。でも目を見ると、そうでもなかった。ただ純粋に、聞きたそうな顔をしていた。
「いいけど、その本はまだリアンには難しいと思うわよ」
「それでも、その本がいいです」
少し考えた。難しいと言っても聞かない強情なところも、またかわいいと思った。
「そこに持ってきなさい」
リアンが椅子を引き寄せた。私の椅子のすぐ隣に置いて、座った。近かった。でも何も言わなかった。
本を開いた。
「魔力とは術者の生命力から派生する力であり、属性とはその力が自然界の諸元素と共鳴する際の様式を指す——」
読み始めてすぐ、これは無理だと思った。
でもリアンは静かに聞いていた。意味がわかっているかどうかは怪しかったが、聞いていた。私の声を聞いていた。
「干渉魔法とは複数の魔力が接触した際に生じる相互作用であり、同属性間では増幅が、異属性間では……」
横目で見た。
リアンの目が、半分閉じていた。
まだ閉じきってはいなかった。閉じまいとしているような、でも抗えないような、そういう目だった。
声を少し低くした。読む速度も落とした。
「……魔力の減衰は距離の二乗に反比例するとされているが、術者間の共鳴が生じた場合には——」
リアンの頭が、少し傾いた。
私の肩に、触れた。
止まった。
本から目を上げた。リアンを見た。目が閉じていた。寝息が聞こえた。
起こすべきか、と一瞬思った。
思っただけで、動かなかった。
代わりに、その小さな頭をそっと撫でた。壊れ物を扱うように、優しく。
雨の音がしていた。窓が白く曇っていた。リアンの重さが肩にあった。軽かった。この子はこんなに軽いのか、と
ぼんやり思った。本を閉じた。
膝の上に置いて、ただ雨を見ていた。
溺愛、という言葉を最近よく保留にしていた。この感情はそこまで大げさなものではないはずだと思っていた。ただ妹が心配なだけだと、ただ前世のリアンが好きだったからその延長だと、そう思っていた。
でも今、起こさなかった。私は、得体の知れない感情が芽生えてくるのを感じた。
夜が白んでいく。
しばらくして、リアンが小さく動いた。目が開いて、私を見た。それから自分が眠っていたことに気づいたらしく、はっとした顔になった。
「す、すみません! 眠るつもりじゃなくて」
「いいわよ」
「怒っていませんか」
「怒っていない」
リアンがほっとした顔をした。それからまた私の肩のあたりを見て、「寄りかかっていましたか」と聞いた。
「少しね」
リアンが少し赤くなった。「ごめんなさい」
「謝らなくていい」と言った。言ってから、少し続けた。「重くなかったから」
リアンがまた私を見た。
何か言いたそうな顔をして、でも言わなかった。代わりに窓の外を見た。
「雨、まだ降っていますね」
「そうね」
「もう少し、いてもいいですか」
「好きにしなさい」
リアンが頷いた。椅子を元の位置に戻さないまま、また本を開いた。さっき渡した植物図鑑だった。
私も本を開いた。
魔術理論書をそのまま読み続けた。声には出さなかった。声に出さなくても、リアンはもう眠らなかった。ときどき図鑑の絵を見せてきて、これはなんですかと聞いてきた。答えた。
雨が上がったのは夕方だった。
リアンが帰っていった。扉が閉まってから、私は肩に残っている感触を確かめた。
もう残っていなかった。
でも、静かな夜に、確かにリアンがそこにいた証が残っていた気がした。




