第4話 愛の形
リアンはよく転ぶ子だった。
転生して2ヶ月で気づいた。ゲームでは見られない一面だった。光魔法の才能に溢れ、眩い光を指に灯すことができる彼女であったが、なにぶんお転婆なもので、足元をろくに見ないで走る。庭でも廊下でも、突発的によく走った。そして頻繁に石畳の継ぎ目や段差に躓いて、よく転ぶ。
だから私は、いつもハンカチを持っている。
庭の端の花壇の近くで、リアンが石畳に膝をついていた。侍女が遠くで別の作業をしていた。おそらく、リアンの様子には気づいていなかった。
私は本を脇に抱えたまま、リアンに歩み寄る。
しゃがんで、彼女の膝を見る。擦り傷ができていた。蝋のように透き通った白い足に、うっすら血が滲んでいた。
「痛い?」私は聞いた。
「ちょっとだけ、痛いです」
私はポケットからハンカチを出した。いくら未来の聖女候補でも、まだ傷の治癒はできないようだった。ハンカチで、膝の泥を拭う。リアンは黙って足を伸ばす。傷口に触れると、少し目を瞑ったが、それ以上の痛がるそぶりは見せなかった。
「足元、気をつけて」
私はそう言って、リアンに手を差し伸べた。リアンは驚いた顔をして、そして両手で私の手を、包むように掴んだ。
引き上げる。リアンの体は驚くほど軽かった。
「お姉様の手、冷たいです」
「そう?」
「ひんやりして、気持ちいい」
それ以上は何もなかった。私は黙って歩き出した。リアンは手を離さないまま、引っ張られるようにして私の隣に並んで歩く。
屋敷へ戻る道を並んで歩く。怪我をしたことなんてなかったみたいに、リアンの足取りは軽かった。私に、道に生えている植物の名前を尋ねては、目を輝かせた。
それが、どうしようもなく愛おしかった。
前世のゲームで、リアンを推していた理由を思い出した。この無邪気さだ。誰に向けても同じ温度で好奇心をぶつける、その無防備さ。画面の向こうにいたとき、攻略対象たちが惹かれるのも当然だと思っていた。
そう遠くない将来、この子はみんなの中心で笑っている姿を想像した。少し、胸騒ぎがした。
でも、今は、今だけは。
「お姉様、あの雲、うさぎみたいです」
私は空を見上げた。リアンの指の先にある雲は、どうみてもうさぎには見えなかった。
「見えなくは……ないわね」
「でしょう!」リアンが笑った。花が咲いたみたいだった。「お姉様もわかるんだ」
この感情に名前をつけることを、しばらく保留にしていた。溺愛、と呼ぶには自分の中にあるものが静かすぎる気がしていた。
でも——
「お姉様」
「なに」
「さっきのハンカチ、汚れちゃったから、今度洗って返します」
「いいわよ、気にしなくて」
「でも」リアンが考えた。「じゃあ、また転んだときに使ってもらえるように持っておきます」
「またって、転ぶつもりがあるの」
「つもりはないけど」リアンが少し笑った。「もしかしたらまた転ぶかもしれないから」
転ぶかもしれないから、という理由でわたしのハンカチを持っておくという、はちゃめちゃな論理の飛躍を、なぜか咎める気になれなかった。
やがて、屋敷の玄関が見えてきた。
リアンが私の手を放した。放すとき、ちょっとだけ名残惜しそうにしていたのを、私は見逃さなかった。嬉しかった。気のせいではないことを願った。
玄関の扉を開けて、リアンが先に中へ入っていった。
侍女のマリがリアンを見つけて、「お嬢様、膝が」と駆け寄った。リアンが「お姉様が拭いてくれた」と言った。マリがわたしを見た。何か言いたそうな顔をして、やめた。
わたしは自分の部屋へ向かった。
廊下を歩きながら、手のひらを見た。
リアンが握っていた手だった。もう温度は残っていなかった。でも残っている気がした。
夜、闇魔法の練習をしながら、さっきの光景を思い返した。
転んで、泥だらけの膝で、怒ってると思ったか、とわたしに聞いた。怒っているわけがなかった。怒れるわけがなかった。どうしてかと問われたら、まだ言葉が出てこなかった。
指先から暗い霧が滲んだ。
満ちてくるような感覚があった。
闇魔法はいつもそうだった。枯れない。消耗しない。でも今夜は、それとは別に何か別のもので満ちている気がした。
これが、私の溺愛の形。私は静かに、溺れるようにリアンを愛している。
そう思いながら、月を見上げた。




