新たな名前、新たな主人〈シオン〉
「シオン」
彼が呟いた言葉に妙に惹かれた。
その言葉の意味は知らない。
今まで名前があるやつと関わったことも少ないから、ネーミングセンスがどうだと言われても分からん。
だが、その言葉は妙にこの俺に馴染むような気がした。
「シオン」…か…
その静かで厳かな響きが気に入った。
いい名前じゃねぇか。
気に入ったぜ。
俺は「シオン」だ。
お前にはこれからも世話んなるつもりだから、よろしくな!
…俺はお前をなんて呼べばいい?
ずっと「お前」だと味気ないだろ?
名前はなんだ?
死神は遠くを眺めていた。
しばらく虚無の時間を過ごしたあと、彼は答えた。
もう名前は忘れてしまったらしい。
死神として生きていて名前を呼ばれることなんかない。
生きている限り、誰も彼らを見れないからだ。
彼らには他者との関わりを求める社会的欲求はない。
故に他の死神との交流もない。
彼らのほとんどは孤独である。
彼は誰とも言葉を交わしていなかった。
そんな中で、自分の名前を覚えているはずもなく…。
やっぱり死神って悲しい奴らだな。
まぁいい、アイツが名前を覚えてないなら、俺が名付けるだけだ。
とはいえ、俺にネーミングセンスは皆無だ。
どうしたものか…。
コイツには今後も世話になる。
住処も見つけてもらった。
名前も付けてもらった。
なら、コイツこそ俺の「ご主人様」か…?
あぁ、待て待て…。
「ご主人様」は流石に恥ずかしい。
そこまで謙るつもりもないしな。
うむ…。
そういえば以前、散歩中の飼い猫に出会った事があったな。
そいつの名前は知らないが…。
そいつは飼い主をなんと呼んでいたっけか。
「主」?
いや、違うな。
そんなに堅苦しくなかった気がする。
じゃあ「ご主人様」か?
いや、これも違うだろ。
アイツはそんな上品な感じじゃなかった。
「主人」?
いやなんか違う。
「ご主人」…。
これか?
まぁ、謙り過ぎず、テキトー過ぎず…。
ちょっと呼び捨て感もあっていいな…。
よし、じゃあとりあえずお前は「ご主人」だ!
…違和感あるな…。
ま、そのうち慣れるだろ。
んで、俺はまだまだ教えて貰いたいことがある。
死神について、もっと教えてくれや、ご主人。
わざとらしく「ご主人」と呼んでみた。
あいつは少し違和感を抱えたような、照れたような不思議な表情をしていた。
さて、俺が教えて欲しいのは、普段何をしているかだ。
今は欲もないし、他の猫とも関われない。
飯を食べて、昼寝して、狩りをして…。
そんな事ばかりしていた生活だったから、死神になった今、何をしていれば退屈しないか知りたかった。
死神は人の魂を刈り取る事を生業としているらしいが、その仕事がない時は何をしている?
さっき、「ただ単に魂を刈り取るだけの存在」と教えられたが、流石にそれだけな訳が無い。
だって感情はあるのだ。
欲が無くとも「退屈」という感情はあるはずだ。
だが、帰ってきた返事はやはり絶望的。
「ただその窓から景色を眺めている」
…。
ほんっとぅにつまんねーな!
道理で新人の死神が苦労する訳だ!
何にも出来やしねぇ!
せめてどこか旅して回ったり、人間観察したりぐらいできるだろーがよ!
なんだ「窓を見てる」ってよ!
しゃらくせぇ!
ご主人は俺を無表情で見ていた。
その顔は「ただその窓から景色を眺めている」の信憑性を高めていた。
少し言い過ぎたかもな。
…はぁ。
おいおい。
つまんねー顔してんなよ。
これから楽しもうぜ?
俺が来たんだからよ、少しは賑やかにしてやるよ。
…とは言え、今日の所は休もう。
せっかくソファも用意してくれたしな。
ま、俺も窓の景色を眺めるのは嫌いじゃねぇ。
ご主人の隣に座り直して、一緒に窓を眺めていた。
わぁおおい!
ご主人が急に触ってきた。
思い切り驚いて、飛び上がった。
す、すまねぇ。
ビビっちまった。
元々野良猫だからよ、人に触られるのには慣れてねーんだわ。
せめて一声かけてくれ。
そう言い、また座り直す。
今度は声をかけられ、触られた。
まだ怖い。
触られた箇所の筋肉が強ばった。
人間に対する恐怖心が抜けてないらしい。
ただ、ご主人から害意は感じないから今は耐えるか。
ご主人もおどおどと俺の背を触っている。
まったく…。
いつか俺も飼い慣らされちまうのかな…。
不思議と拒否感はない。
ご主人ならいいかと、少し思った。
古びた家に死神が2人。
…いや1人と1匹。
月沈む夜を眺めている。




