死んだ黒猫〈カモミール〉
吾輩は猫である。
名前はまだない。
……なんてな。
俺はここらを縄張りとしてる猫だ。
辺りの猫からは「ボス」と呼ばれてるが、名前はまだない。
というか、今後も名付けられるつもりなんてさらさらない。
人間に飼われる気はないからな。
俺は人間が嫌いだ。
アイツらは腹の中で何を考えてるか分からねぇ。
信用ならねぇ奴らだ。
この前だって、餌を持って来たかと思えば、俺の子分を1匹連れ去りやがった。
追いかけて引っ掻いてやったが、アイツらはビクともしなかった。
それどころか俺すら連れ去ろうとしやがった。
俺は間一髪逃げきれたが、子分は…。
…あんな事はもう二度と起こしたくねぇ。
アイツらは口では「動物愛護」だ何だを騙ってるが、実際はそんなことねぇ。
俺らは自然に生きる獣だ。
それを人の手で救おうだなんて、おこがましい奴らだぜ。
夕焼け空にカラスが鳴く。
カラスも嫌いだ。
アイツらはいつも俺らの獲物を横取りしやがる…。
そういえば、腹が減ってきたな。
そろそろ狩りの時間か…。
「ニャーゴ」
おい、お前ら狩りの時間だぜ。
一声鳴けば子分共が集まってくる。
狩りを先導するのもボスの務めだ。
こいつらの餌も用意出来なきゃ、ボスとして面目丸潰れだぜ。
今日は近くの公園で狩りをしよう。
この時間なら、人間のガキ達も帰った頃だろうしな。
あそこの公園は絶好の狩場だ。
年中昆虫がうじゃうじゃいやがる。
夏のセミは最高だ。
油がたっぷりでな、歯ごたえもある。
うるさいのが玉に瑕なんだがな。
あとは時々出てくるネズミなんかもご馳走だ。
きっと近くの中華料理屋から出てきてるんだろうな。
あいつは肉が美味いんだよなぁ。
少し臭いけど。
お、噂をすれば公園が見えてきたぜ。
どうやらもうガキは見当たらねぇ。
これなら存分に狩りができるぜ。
道路を1本またげば、狩の始まりだぜ!
おい、お前ら行く…ぞ…
途端、自分の体が白い光に包まれた。
鳴り響くクラクション。
得体の知れない浮遊感を覚えた。
体は微動だにせず、目も耳も動かない。
痛みは感じない。
…おい…お前ら…大丈夫…か…
お、俺は…
俺は今どうなっている?
なぜ体が動かない?
あいつらが俺を見つめている。
憐れむような、悲しむような目で。
エンジン音が離れていった。
子分らが駆けつけてきた。
可愛い奴らだ。
みんな俺のそばで鳴いている。
こいつらの反応を見れば分かる。
俺はどうやら死にかけているらしい…。
お前ら…そんな悲しむなよ…。
はぁ…意識が途切れ始めた…。
瞼が重たい…。
あいつらの…鳴く声が掠れて聞こえる…。
ぼんやりと人影が見える…。
黒い服を着て、背が高い。
人間か…?
人間の助けは要らねぇ。
俺は野生として生きた…。
最期までその生を全うした…。
俺は死ぬ…。
それでいい…。
俺に後悔はない。
だから今更人間の助けなんて…。
…人間の…。
…こいつは人間か…?
何か不思議な雰囲気を感じる…。
大嫌いな人間のようでいて…
人間にはない温もりと冷たさがある…
…子分共はこの人間に怯えていない…?
…いや…見えていない…?
こいつは…何者…?
その刹那、不思議な人影は大鎌を取り出し、俺に振りかぶった。
驚いたのも束の間、視界が真っ黒になった。
とうとう死んじまったみたいだな…。
だが、未練たらしくしてても仕方がねぇ。
天国でも地獄でもかかってこい。
その運命を受け入れてやろうじゃねぇか。
少しずつ視界が開けてきた。
それでもまだ暗かった。
やっぱり地獄か…?
目の曇りが段々と無くなり、目の前の光景が露わになった。
路上に転がる黒い物体。
それに群がる野良猫達。
火を見るよりも明らかだった。
あ、あれは俺か…?
恐る恐る近づいてみる。
野良猫達の間を縫って、一歩一歩と歩み寄る。
物体の横には草が添えられているようだった。
香り立つ…優雅な香り…。
その中に混ざる生臭い匂い…。
ぴちゃん
足元に何か触れた気がした。
そこには赤い水溜まりがあった。
跳んで退く。
血なんて見たのは久しぶりだ。
しかもこれは自分から溢れ出した…。
そこまで考えてゾッとした。
今まで自分の死に怯えたことはなかった。
だがまさか自分の死体を見ることになるとは、思いもよらなかった。
そしてその最期は想像よりもグロテスクで…。
結局、自分の死体を眺める事は叶わなかった。
どうしても足がすくんでしまったのだ。
今はただ野良猫達を背に、途方もない風に当てられている。
この先どうしようか。
成仏できなかった自分は何をすべきなのだろうか。
宛のない自分の未来を遠く眺めていた。
全く…我ながら情けないぜ…。
いつも子分共を率いていた。
いつも真っ先に自分から行動していた。
そんな俺が今は立ちすくんでいる。
こんなことは何年ぶりだろうか。
幽体になった自分は、子分にも干渉できない。
何からも突き放されたような感覚に囚われている。
今の俺にできるのはただ、歩くことと考えることと、そして…見渡すこと…
おい、アイツ…あの人影は…
おい!待てよ!お前何者だよ!
「ニャァ!」
鋭く鳴いて呼び止める。
アイツは気にもしない。
おい!待てってば!お前…
よく見れば人影は少し浮いている。
…お前人間じゃねぇな!
幽霊か?お化けか?
何者だ!
おい!こっちを見ろって!
無視すんなよ!
おい!
思いっきり引っ掻いてやった。
アイツはものすごく慌てた形相でたじろいだ。
滑稽だったな。
俺の事を認識したあとも、アイツは驚いた様子だった。
おい、慌てんなよ人間。
いや、人間じゃねぇのか。
だって足ねぇしな。
お前も幽霊か?
それとも妖怪か?
人間ではないよな?
…通じねぇか…。
コイツはずっと驚いたままだし…。
てか、俺はコイツに殺されたのか…?
いや違うな。
コイツの鎌で直接殺されたんなら、俺の死体は原型を留めてなかっただろう。
あの時の音や衝撃、浮遊感…
俺は車に轢かれたんだろうな。
それに、コイツからは嫌な匂いがしねぇ。
俺は野生で生きたボス猫だ。
悪意とか殺意とか、そういったものには敏感だ。
そんな俺の心がコイツを認めてる。
なら、コイツは信用に値する。
だから決めた。
俺はお前に付いていく。
暇だしな。
今のとこ、お前にしか干渉出来ねぇんだよ。
だからお前に付いてくのが1番面白そうだ。
人間じゃねぇなら、嫌いじゃねぇしな。
ひょいとコイツの肩に乗り、進むよう促した。
コイツは戸惑いながらも歩き始める。
…「歩く」ってよりも「漂う」って感じだな。
おい、お前、どこへ向かってるんだ?
家か?仕事場か?狩場か?
てか、お前何者だよ。
早く教えてくれよ。
道中、問いただしてやったら、返答があった。
まず、今向かっているのは自宅だと。
そして自身は死神であると。
彼が死神であるということにも驚いたが、それ以前に、自分の言うことが通じた事に驚愕した。
聞けば、死神は相手の感情をある程度読み取れるらしい。
それを駆使すれば、動物との会話も可能なのだと。
ただ、人間相手よりは難しいそうだ。
ついでに死神についても詳しく聞いてやった。
死神は基本的に死んだ人間が成仏せず、かつ幽霊や妖怪とかにならなかった場合に生まれるらしいが、その詳しい原因は不明だ。
彼も元は人間だったそうだが、既に死神になってから久しいらしい。
死神はみな、人間の死を介錯するのが仕事だそうだ。
死にそうな人間のもとに赴き、それが死ぬまで見守る。
死んだらその魂を大鎌で刈り、魂の浄化を助ける。
死神は死にそうな人間を本能的に探り出せる。
今回の件も、俺が死にそうなのを感知して彼が来たらしい。
他にも、おそらく死神は、理性の強い生物の死に対して働くことになってるとも教えてくれた。
だから死神は、基本的に人間の死に対してのみ働くらしいのだが、ごく稀に俺のように動物の死に対しても働くことがあるそうだ。
ただ、今回の俺のように動物が死神に干渉できるようになった事例は見たことがなく、死神の「ベテラン」とも呼べる彼でさえ、驚きが隠せなかったようだ。
彼いわく、どうやら俺も死神になっちまったらしい。
幽霊でも妖怪でもない。
でも、成仏はしてない。
なら死神なのでは?という判断だ。
ふむ…死神か…。
悪くない。
むしろ面白そうだ。
もっと死神について知りたかったが…
彼が歩みを止めた。
どうやら自宅に着いたらしい。
さて、彼の家を物色してみるかな…。
っておいおい…。
ここ廃墟じゃねぇかよ。
もうちょっと綺麗な家を期待してたぜ…。
まぁ、こういう陰気臭い場所には慣れてるからいいんだけどよ…。
仮にも「神」と呼ばれてるんだろ?
もっといい家を用意して貰えねぇのかよ?
死神は下界でしか存在できない。
だから専用の家を用意出来るはずもなく、人間が使っていない家を拝借してるんだと。
もっと豪華な家に住む死神もいるらしいが、そういった家は直ぐに人間が住み着いてしまい、死神は引っ越すしかなくなるらしい。
だから、ベテランな死神ほど、人間の住まなさそうな家を住処とするのだとか…。
人間の為に働いてるのに、こんな仕打ちとは…
悲しい話だな。
軋むドアを開けてみると、中はまさしく伽藍堂。
もともとダイニングだったと考えられる部屋は、机と椅子が一組置いてあるだけ。
隣の元リビングに至っては何もない。
ただ開けた空間にすす汚れたカーペットが敷かれている。
おいおいおいおい…
ここは走りたい放題じゃないか!
廃れた壁は登るのにちょうどいい!
カーペットが敷かれているから足も痛くならない!
今まで、なぜ廃墟に住み着こうとしなかったのだろうか。
ここなら、俺の子分全員入れても余裕がある広さだぞ!
生前、この家を訪れなかったことを今更に悔やんだ。
気分爽快に走り回っていると、破れた襖を見つけた。
奥には何が置いてあるのだろうか。
気になって近寄ってみたが、ふと足を止めた。
よく見りゃ、襖の隙間からネズミが顔を出してるじゃねぇか!
しかもこっちに気づいてねぇ!
こりゃ大チャンスだ!
ご馳走!いただき!!
すかっ
あれ?
俺のお得意のジャンプ&アタックで仕留めてやろうと思ったんだが…
俺は何も掴むことが出来なかった。
ネズミにも触れられねぇ。
あ、そっか。
俺、死神なんだったわ。
さっきも子分に触れられなかったし、このネズミも同じか。
ちぇ。
…あれ?
ってことは飯どうするの?
狩りができないのは死活問題だよな?
このままじゃ飢えて死んじまう…。
お腹がすいて…。
お腹が…すいて…ないな…。
死神ってお腹空かないのか?
実はその通りらしい。
狩りの一部始終を見てた彼に教えられた。
死神には生理的欲求はなく、社会的欲求も少ないらしい。
つまり、お腹は空かず、眠くもならない。
さらに、誰かに認められたいと思うことも少ない。
ただ淡々と魂を刈り取る存在らしい。
部屋に家具が少ないのも、休んだり食事したりする必要がないからだろうな。
しかし、感情はあるから、初心者の死神は苦しさを感じやすいらしい。
ベテランの彼は常に感情を殺しながら仕事をしているのだとか。
そんなつまらないことあるかよ。
少しがっかりして、リビングに向き直す。
窓から白い月光がさしている。
ささやかな風が壁のひびから漏れてきた。
外から猫の遠吠えが聞こえる。
俺の子分の声じゃない。
小さな子猫の声だ。
母親を呼んでいるらしい。
その声は何度も何度も発せられ、
次第に弱く細くなっていった。
俺はボス猫だった。
子分の為に動いていた。
それなのに今は…
子猫の1匹も救ってやれない。
やるせない気持ちが積もって、月に鳴いてみた。
誰にも聞こえないだろうがな。
彼がこっちを見ている。
おい、なんだ?どうした。
ふとしたように、彼は物置からソファを取り出してきた。
それをリビングの真ん中に置き、ぽふぽふと叩く。
ふっ。
少し笑っちゃったぜ。
死神も優しいもんだな。
わざわざ俺の寝床を用意してくれたらしい。
眠くないけど。
ただ、今日は出来事が多すぎた。
少し疲れた気がする。
眠れはしないが、ソファの上で瞑想でもするか。
…ありがとよ。
俺がとぼとぼとソファに乗ると彼も横に座った。
俺のことを見つめてくる。
…なんだよ。
人に見つめられるのは慣れてないんだ。
やめてくれよ…。
彼は急に口を開いた。
曰く、俺の事をなんと呼べばいいのかと。
俺に名前はない。
飼われたことがないからな。
そう言ってやると、彼は名前をつけることを提案してきた。
心地よい新居も手に入れたし、
他に宛もない。
今後ともコイツと一緒に居る事になるだろうから、実質飼われるようなもんだ。
少し抵抗はあるが、名前はあった方が便利なのは間違いない。
まぁ、コイツなら許せる気がする。
んで、なんて名前をつけてくれるんだ?
せっかくなんだから、いい名前にしてくれよな。
彼は黙り込んでしまった。
ちょっとプレッシャーをかけすぎたか…?
窓の外を眺めている。
透き通る風が吹き、外の草木が揺れている。
冷たい秋の晩に、紫の小さな花が揺れている。
彼はポツリと呟いた。
「シオン」




