第六十五話 薬
第六十五話 薬
それからの安藤は、週二回の『てのひら』通いとなっている。
「う~ん…… 情報は集まってきたけど、解決に向けての方針が定まらないわね……」
小坂が八田から送られてきた情報と、聞き取りから出来たファイルを照らし合わせていると
「ちょっと待って……」 撫子がファイルを見る。
安藤の処方を見るとSSRI (選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が出されている。
(『パニック障害』『広場恐怖症』だけなら問題ないけど……)
撫子が八田にメールを返す。 それはカウンセリングの報告である。
「ナデシコ~ 朝からラブメール?」 小坂がニコニコして訊くと、
「まさか…… 安藤さんのカウンセリングの報告よ。 コッチを紹介してくれたし、報告はしないとね」
そして撫子が八田のスマホに電話を掛ける。
「すみません、久坂だすが……」
撫子が噛んでしまった為に小坂が滑る。
(なんで彼氏への電話で噛むのよ……)
よくある話だが 『そうです』を『そうだす』と噛んでしまう人がいる。
すると、撫子が八田に質問をしていた。
「あの、広場恐怖症に関してなのですが…… どこで判断されました?」
「それかい? 基本的には自己申告なんだよ。 そこから強度などを確認しながら判断して処方をするのが普通だよ」
八田の説明を聞き、電話を切ると……
「あっ、メール?」 撫子が開くと、医師の判断基準となるものが送られてきた。
「この早さって、用意してた?」 小坂が驚いてしまう。
八田は、撫子から連絡が来ると予想して用意していたのだ。
「愛ですな~」 小坂がウットリしたような顔をすると、
「そんなこと言っていないで読むよ」 撫子は仕事モードに入っていく。
広場恐怖症の診断については臨床面接、心理検査、医療歴の評価などを通じて判断される。
正確な診断をするには多面的なアプローチが必要である。
『臨床面接』 精神科医や心理カウンセラーが面接を行い、具体的な症状、発症時期、頻度、持続時間、症状の重症度などを評価していく。
『家族歴および病料歴に確認』 広場恐怖症のリスクを評価するにあたり不安症やパニック症の家族歴があるか確認をする。 過去にパニック歴があるかも確認する。
『生活歴の調査』 過去のトラウマなどストレスフルなこと、現在の生活環境やストレスなどを調べていく。
『心理検査(広場恐怖症の尺度)』 これは患者の恐怖度などを自己報告による質問形式で行われていく。
その他、甲状腺や心臓疾患などの病気を排除するために血液検査をしたりする場合がある。 その際は別の科によって血液検査を行ってもらう。
このようにして、いくつもの検査をして安藤は広場恐怖症という診断が出ていたのだ。
「これを見ると納得してしまうわね……」
そして再び八田からメールが届く。 そこには……
「医師はマニュアルで診断結果を出してしまう。 カウンセリングで新しい効果を見いだしてほしい……」 と書かれていた。
撫子は『可能性』を信じ、 ギュッとスマホを抱きしめる。
「うへ~ これは愛以上のものを感じますわね~」 小坂が顔を手で仰ぐ。
“ピンポーン” この日も安藤がカウンセリングを受けにやってきた。
「安藤さん、ペースが早すぎませんか? それなりの金額にもなりますし……」 小坂が心配そうに言うと、安藤は はにかんだ笑顔を見せる。
(なんか雰囲気が違うぞ……) 小坂が少し離れて様子を見ていると
「~♪」
(鼻歌? これだけ苦しんでいるのに?)
小坂はカウンセリングの方向転換を考えていく。
「すみません、安藤さん…… もう一度、問診票を書いてもらって宜しいでしょうか?」
小坂が頭を下げながら問診票を差し出すと
「はい? えぇ、構いませんよ」 安藤は問診票を書き出していく。
異変を察知した撫子は、 “チョイ チョイ ” 小坂に手招きをする。
「どうしたの? 様子が変じゃない? 少し入っていい?」
そして、安藤が問診票を書いている時に
「すみません。 私からいくつかの質問をして宜しいですか?」 撫子が安藤に話しかけると
「えぇ、大丈夫ですよ」 安藤はニコッと笑う。
「問診表を書くのを止めてもらって宜しいですか?」
撫子が言うが、安藤の手が止まらず黙々と書き続けていると
「すみません、失礼します」 撫子が問診表を取り上げた。
「どうしたのです?」 安藤がキョトンとすると
「安藤さん、お薬手帳を見せてください」 撫子の目が厳しくなる。
安藤は黙ってお薬手帳を渡す。 その時に手が震えていた。
「これ、コピーを取って宜しいですか?」 撫子が訊くと、安藤が頷く。
「由奈、コピーを取って八田先生に……」 撫子が手帳を渡すと、小坂は慌ててコピーを取りに向かう。
「安藤さん…… これはどういうことでしょうか?」 撫子は安藤を睨むが
「……」 安藤は黙ったままだ。
「これはODというやつです…… 何故に……」 撫子は、哀れみや悲しみに似たような声を出す。
安藤の薬手帳には複数回、処方された薬のシールが貼ってあった。
(1ヶ月に三件もの病院で……)
安藤は抗精神薬などで気分を落ち着かせていたようだ。 ただ、飲み過ぎると効果は真逆である。
(これを絶えずに飲み続ければ、ほとんど麻薬中毒みたいになってしまう……)
小坂が八田にメールをすると、てのひらのスマホに着信が入る。
「すまない…… 私も気づかなかった。 こちらに搬送してくれないか」 八田の声は焦っていた。 自身の見落としを詫びるような口ぶりだったようで
「先生は気づかなくて仕方ありませんよ。 保険ブラックになるには先ですから……」 小坂が慰めのように言う。
保険ブラックとは近々で複数の病院を回り、薬をかき集めてしまうのを阻止するものだ。
抗精神薬などを買い、転売などをしたりするものがいたり、ODになってしまうのを防ぐものである。
これは処方箋などを出す医師にも伝達がされ、処方しないことや病状にODと足されてしまうのだ。
撫子が搬送の連絡をすると安藤は肩を落としている。
「そんなにキツかったですか?」 撫子が訊くと、安藤は静かに頷いた。
夕方、てのひらの掃除をして一段落すると
「こんばんは……」 八田がやってくる。
「先生……」 小坂が驚いていると、後ろから撫子が顔を出す。
(お邪魔かしらね……) 小坂が帰り支度を進めると
「小坂さん、本当に助かったよ。 久坂さんも……」
その言葉に納得いかない表情をしている者がいる。 小坂だ。
「先生、久坂さんでいいんですか?」
「えっ?」 そう言われると八田がモジモジしだす。
そこに仕事帰りの吉野がやってきた。
「こんばんは。 救急車が停まっていたと聞いて……」
「あっ、すみません……」 吉野は八田と面識がなく、クライアントと勘違いをしていた。
「留美さん……」 小坂が耳打ちをすると
「それは……」 吉野の顔が赤くなる。
「えっと、吉野さんですね。 はじめまして……」 八田が挨拶をすると、吉野も慌てて頭を下げる。
吉野は五十五歳になって、八田は五十二歳。 ほぼ同年代である。
(それなのに若い娘を…… 犯罪じゃない) なんて思った吉野であった。
「それで先生…… いつまで久坂さんと呼ぶ気ですか?」 小坂が話を戻すと
「あ あぁ…… そうだな……」
八田は撫子を見て息を飲む。 これには小坂と吉野も息を飲む。
「なんか、落ち着く薬が欲しいな……」
八田は勇気が出ず、ドキドキしていると
「今の状態で薬なんて言ったら、間違いなくODしますからー」
そんな笑い話になっていく。
「な…… 撫子さん」
「……はい」
二人が固まっている静寂の中、『ぐぅぅ……』小坂の腹の虫が鳴ってしまう。
(ぶち壊しじゃない……) 三人の冷たい視線が小坂に向いていったのであった。




