二話 首相と長も普通じゃなかった
「ふん、早めに来て用事を済ませようと思っていたのに。すっかり出遅れたようだな」
「おっと、この声は」
ため息が混じった、不機嫌そうな声。やって来たのは、ひょろりとした体躯の初老の男だ。
分厚い丸眼鏡に、気難しくしかめられる顔。ここに居る国王たちとは異なり、シンプルな白衣姿。
一見すると科学者か医者にしか見えないものの。彼もまた、一国の代表者である。
「おはようございます、そしてお久しぶりです。レンノ首相」
「ギデオン王、お変わりないようで何より。ただでさえこの国は暑いのに、朝っぱらからこんな暑苦しい男の相手をしているとは、尊敬しかありません」
「ふっふっふ。レンノ首相、五分ほど遅かったですな。一番になりたいのなら、最低でもあと三十分は早く来ないと難しいですよ」
「なるほど、それだけの時間があればレシピの走り書きくらいは出来そうだな」
陛下にはそれなりに、ウィルフレドには適当に言葉を返すレンノ。彼はルアミ共和国の首相である。
この世界では唯一の共和国であり、リネットが生まれ育った錬金術の国でもある。
「おっと、こうしている暇などなかった。ギデオン殿、少しいいだろうか」
「何でしょうか?」
「我が国の錬金術師が、オルディーネ王国の騎士団長に剣を贈ったそうなのだが。その剣を一度、見せて頂きたい。他国の騎士に半端なモノなど贈ったとあれば、恥をかくだけでは済まされんからな」
「騎士団長に剣を……」
陛下の目が、自然と俺を見る。
なんだろう……どうして今日に限って、こんなにも目立ってしまっているのだろう。
「ふん、きみか。ワタシはレンノ・ハイアットという。ルアミ共和国の首相だ。今の話は聞こえていただろう? さあ、さっさと剣を見せたまえ」
「え、ええ……流石に、ここで剣を抜くのは」
レンノは元々、優れた錬金術師であり根っからの研究者だ。「自分が錬金術を研究するための地盤を作るため」という理由で首相になった男なので、国交やら駆け引きなどは度外視しているところがある。
王族や貴族とは違う圧力に押され、テーブルの上に剣を置いて好きに見てもらうという形になった。
「ふん、剣のことなどよくわからんが……この剣身は興味深いな。シュバル鉱石とヒヒイロカネ、他にもいくつかの稀少鉱石が惜しげもなく使われた結果、奇跡のような合金が誕生したというわけか」
「ほお! これが大悪魔を屠ったという剣……ヴァリシュ殿が持つに相応しい名剣ですな」
レンノが蒼い剣身を撫でたり突っついたりしながら、ぶつぶつ何か呟いている。
そしてその横で、ウィルフレドもまた新しいおもちゃを前にした子供のように目をキラキラさせている。
ちなみに俺は二人が触って怪我をしたりしないかと、ハラハラしている。
「ずいぶん軽い剣だな。ワタシでも片手で持てるぞ。ウィルフレド殿、剣とはこんなに軽くてもいいものなのか?」
「そうですね、剣の重さはそのまま一撃の重さに繋がるのですが……ヴァリシュ殿はどの騎士よりも速く、舞うような剣を得意とされていると聞きます。この剣だからこそ、ヴァリシュ殿の剣技は生きるのだと思います。しかし……」
不意に、ウィルフレドが俺の方を振り向いて。バチン! と、爽やかなウインクを一発かましてきた。
「先ほど握手をさせて頂いてわかったのですが、ヴァリシュ殿は一般的な成人男性と比べて指が細くて長いです。つまり、握力が比較的弱く手に負担がかかりやすい。この剣は汎用品をモデルにしたようですが、グリップにくびれを持たせるなど細工をした方が手にかかる負担を減らせるかと思います」
「なるほど、グリップは盲点だった。素晴らしい着眼点だ。他には何かないか? こうなったら、とことん細部までこだわりたい」
「そうですねぇ、実際に剣を交わすことさえ出来れば色々と気がつくかもしれません。先ほど決闘の約束をしたので、この会議が終わるまでには報告しますよ」
「決闘か。ならば、ワタシも立ち会わせてまでもらおう。戦いに関しては初心者だが、実際に目で見ればわかることもあるだろう」
「もちろん、ぜひ!」
「な、なんでそうなるのか」
このデルフィリード国王め! ちゃっかり決闘の約束を公のものにして、しっかり立ち会い人まで確保したぞ!
なんという手腕。流れるように話を待っていかれて、危うくスルーするところだった。いや、もうこうなったら決闘を受けた方がラクまである。
でも、その場合はどう勝敗をつけたらいいんだ? 多分、俺の方が強いよな。真面目にやって勝つべきか、接待のつもりで負けるべきか? ただでさえ後継ぎ問題に折り合いがついていないのに、なんだこの変則的すぎる外交は!
誰か、この場をひっくり返してくれないだろうか。忌々しくも神に願いたくなった、その時だ。
「ふぎゅう!」
「……ふぎゅう?」
各国の代表が集まる空間にそぐわない、情けない声。皆が反射的に声がする方、出入り口を見やる。
そこには、色鮮やかな布の塊が落ちていた。
「ほ、ホタル様!? 大丈夫ですか、だからコソコソ小走りなどせず、堂々と歩いて行くべきだと申し上げましたのに!」
「あうぅ……だ、だってぇ、皆さまが楽しそうにお話していらっしゃるからぁ、お邪魔しちゃいけないと思って」
「あああ、泣かないでください。大丈夫大丈夫、長なら大丈夫ですよー」
どこからともなく姿を現した忍者たちに、起こしてもらう布の塊。もとい、少女。
いわゆる『十二単』という装いに、床まで届きそうな黒髪。まだ幼く可憐な容姿と相俟って、人形のような可愛らしさだ。
ただ、可愛らしい顔は今にも泣き出しそうなくらいに真っ赤で、鈴を転がしたかのような声は聞いているこちらが不安になりそうなくらいに震えている。
あえて言うまでもなく、彼女がテンロウと呼ばれる東の島国の代表である。テンロウは日本をモデルにしただけあって、俺としては結構馴染み深い国なのだが、この世界にとってはそうではない。
ほとんど外交をせずに、慎ましく暮らしているテンロウの人々。こうして会議に参加するようになったのも、まだ二回目なのだ。
「あー、えっと……お久しぶりです、ホタル殿。どうぞ、コソコソなどせずにこちらへどうぞ。四年前よりもずっと大人っぽくお綺麗になられましたな。おいくつになられたのですか?」
「お、おおおっお久しぶりですギデオンさま。えっとえっと、今年で十六になりました」
流石は陛下、まさに久しぶりに会った親戚のおじいちゃんのような空気感だ。ゆっくり歩いてきたホタルの表情も、少しだけ和らいだように見える。
「お久しぶりです、ホタル殿。大丈夫ですよ、華やかさでの一番はあなたのものですから!」
「何度見ても華やかな衣装ですな。その布はどのように染められているのか、教えて欲しいものですな」
「え、ええっと、そのう……」
クセが強いとはいえ、そこは外交のプロたちだ。即座に切り替え、ホタルと自然に交流を深めようとしている。
よし、今の内に剣を回収しつつ、王様たちから距離をとろう――
「はわ! なんて美しい御髪!」
「げっ」
マズい、見つかった。
しかも、見つけたのはホタルだ。
「おお、そうじゃそうじゃ。ホタル殿にも紹介させていただきます。彼はオルディーネ騎士団の団長であり、ワシの後継ぎであるヴァリシュです」
「よ、よろしくお願いします」
「まあ、あなたがヴァリシュ殿なのですね。えっと、勇者殿からお話をうかがっております。頼もしい幼馴染みだと嬉しそうに語られておりましたので、その……ぜひとも、お会いしたく思っておりました」
ホタルが引きずるほどに長い裾を踏まないように気をつけながら俺に歩み寄り、ぺこりと頭を下げる。
というか、ラスターめ。彼女にまで俺のことを話していたのか。むず痒いものがあるが、怖がられずに済んでよかった。
「はわわわ。でも、まさか、こんなにも美しい御髪を持つ方だとは思いませんでした。女のわたくしから見ても見惚れるほどの御髪だなんて……はっ! ま、まさか勇者殿は、わたくしに牽制を!?」
「は?」
「そ、そうですよね! ヴァリシュ殿ほど美しいお方なら、恋慕を抱く女性も、その……邪な考えを持つ者も多いことでしょう。勇者殿とヴァリシュ殿……なんて、尊い……」
耳まで真っ赤な顔を、袖で覆い隠すホタル。なんとも奥ゆかしい仕草だが、なんだかおぞましい勘違いをされている気がする。
そういえば、テンロウでは性別問わず、髪で人間の美醜が決まるんだったか。
言い換えると、髪が美しければ男であっても羨望の的になるのだとか……。
「……ほう、なるほど。まさか、お二人がそのような関係だったとは」
「ふん、他人の趣向をとやかく言うほど暇ではない」
「違います、その勘違いだけはお止めください」
「あら、何やら賑やかですね。会議の前に親交を深められたようで、何よりですわ」
なんだかんだ話していたら、あっという間に時間が経ってしまっていた。
キャンディスを先頭に、アルッサムの面々が会場に入ってくる。さらに国王や首相に置いて行かれていた各国の要人たちが、急ぎ足で駆け込んできて。
「えっ、なんでもう勢揃いしてんの!? まだ開始時間まで十分もあるのに」
「いやー、勇者殿。こういう場所ってさ、もっと時間に余裕を待って席についてるのが普通だと、オジサン思うよー?」
「遅くなった原因は、ゲオル殿が二日酔いで中々起床してくださらなかったせいなのですが」
「おはようございまーす、よろしくお願いしますー」
最後の最後で、暢気な勇者一行が登場した。