七話 なんて色気のない温泉イベント!
アルッサム皇国には火山以外にも名物がある。
というよりは、火山があるからこそ、この名物だ。
「はー、まさかこの世界で温泉に入れるとは……最高じゃないか」
そう、温泉だ。この国は、温泉大国でもあるのだ。ただ、名産品と呼べる代物ではなく、あくまで国内で普段使いしているに留まっている。
温泉を利用して、観光業を盛んにしようとは考えていないらしい。
「普段はこうしてゆっくり風呂に入ることなんて出来ないからな。左目のことを気にしなくていいなんて、気楽だ」
前髪をかき上げ、乳白色のお湯に疲れが溶けていくのを感じる。
オルディーネ城にも共同浴場はあるが、共同だし、目を隠すために出来るだけ人が居ない時間を選ぶ必要がある。
でも、アルッサム城の客室にはそれぞれ専用の浴室がついているのだ。だから、夜だろうが朝だろうが好きな時間に好きなだけ堪能できる! 最高でしかない!
「ほーんと、最高ですよねー! ヴァリシュさんと一緒に入れるなんて、夢にまで見たシチュエーションです。オルディーネのお部屋にも作りましょうよ、お風呂」
「そうだな、スペースさえあれば考えるんだが……って、なんで入ってきた!」
さも当然のように、浴槽に入ってくるフィア。しかも「ひゃっほーい!」と勢いよく飛び込んで来たので、お湯が大きく跳ねて俺の顔までずぶ濡れだ。
「いいじゃないですか、別に。同室なんですから」
「俺にあてがわれた部屋が、たまたま二人部屋だったっていうだけだがな」
「ちゃんと湯浴み着も着てるんですから、問題はありませんよね?」
ほらほら、と一度立ち上がってワンピースのような湯浴み着を見せつけてくる。アルッサムだけではなく、この世界では基本的に全裸で入浴する習慣はない。
もちろん、俺もちゃんと着用ている。だから実のところ、そこまで騒ぐことではないのかもしれないが。
「……濡れた湯浴み着って、逆にいやらしい気がする」
濡れた布が、フィアの身体の凹凸に沿ってぴったり貼り付いている。
確かに隠れてはいるのだが、ある意味全部見えているとも言えるような……この世界、本当にマニアックだな!
「えへへー、そんなにジロジロ見ないでくださいよー。あ、でも……触りたいなら、どうぞ!」
「どうぞ、じゃない。触らない」
「ぶー、つまんなーい。じゃあ、私がヴァリシュさんに触ってもいいですかぁ?」
「いいわけあるか!」
手をわきわきとさせるフィアの額にチョップを食らわせる。彼女もそれ以上からかってくる気はないのか、隣に座るとふへぇと気の抜けた顔をした。
「でも本当に、お風呂っていいですねぇ。お湯を溜めて入るだなんて、人間って賢いですねぇ」
「悪魔は風呂に入らないのか?」
「うーん、川や湖で水浴びはしますけど、お風呂はないですねぇ。だからシズナさんなんて、一週間くらい平気でそのままだったりするんですよ」
「あまり知りたくない情報だったな」
風呂が存在しないなら、それも仕方ない……のか?
「悪魔の国はずっと暖かいので、水浴びでも十分なんですけどね。あ、この国よりは涼しいですよ」
「ふうん……そういえば、お前から悪魔の国の話を聞くのは珍しいな」
「そうでしたっけ?」
フィアが不思議そうに見返してくる。自覚はないらしいが、彼女は自分のことをあまり話そうとしない。
こうして話している様子を見るに、特に抵抗があるわけではないのだろう。ていうか、そもそも俺がそういう話をフィアとしてこなかっただけかもしれない。
「前にシズナがお前の後輩だって言ってただろう? 悪魔にも学校があるのか?」
「ありますよ。座学だけではなく、戦闘や魔法も学校である程度は習います。六年間の総合成績で上位だった悪魔が上級悪魔として、重要なお仕事や役職に就くことが出来るんです。まあでも、座学以外は生まれ持った素質がモノを言うので、人間みたいに努力でどうにか出来る問題じゃないんですけどね。素質さえあれば、アスファさんみたいなマイペースサボり魔でも大悪魔入りです」
「聞く限りでは、お前はとんでもなく優秀な悪魔ってことになるんだが」
「とんでもなく優秀なんですよ! 家も中々のお金持ちですしね。今度、私の実家に招待してあげますよ。パパとママをびっくりさせましょう」
ふふん、とフィアが胸を張る。今は目のやり場に困るので、軽率にそういうポーズをしないで欲しい。
「私だけじゃなくて、ヴァリシュさんのお話も聞かせてくださいよ」
「俺の?」
「はい! ヴァリシュさんって、なんでグレンフェルなんですか? グレンフェルって、どこから来たんですか?」
「どこから来たって……まあ、いいか。昔、俺が居た孤児院を援助するグレンフェル家という貴族が居てな。城に召し上げられる時に、俺を養子にしてくれたんだ。俺はラスターとは違い、完全に素性が不明の捨て子で、そのままではあまりにも体裁が悪かったからな」
「え! じゃあヴァリシュさん、オルディーネでもちゃんと貴族じゃないですか。なんで貴族相手にビビってるんですか?」
「俺が養子になる頃には、グレンフェル家は没落していたんだ。自然消滅というやつだ。今では何の力もない」
グレンフェル家は悲運に見舞われた下級貴族だった。家を継いだ夫婦は仲がよかったものの、子供になかなか恵まれず、授かった息子も成人前に病死した。
手掛けていた事業も上手くいかず。やがて家を残すことを諦め、貧しい子供たちを助けることに尽力するようになった。
俺が養子となった時、ほんの数日だったが、グレンフェル家で過ごした時のことをよく覚えている。かつては栄えていたであろう屋敷は、すっかり色あせてボロボロだった。
あの優しかった夫婦も、もう亡くなっている。屋敷も取り壊されてしまった。今思えば、グレンフェル家の落ち目もあってずっとラスターに対して僻んでいたのかもしれない。
……待てよ。
「そうか! 養子とはいえ、そんな没落貴族の出が国王になるだなんて、貴族からさぞ反感を買うんじゃないか!?」
「でも、あのなんとかって伯爵がヴァリシュさんを推してるんですよね? あの様子だと、反感くらい黙らせちゃうと思いますよ」
「くう……」
「それに、オルディーネ王国って元々戦争で手柄を立てた英雄が作った国だって聞きましたよ。そんな歴史がある以上、ヴァリシュさんが王さまになることに異議を唱える人なんて居ないですよ」
「む、よくそのことを知っていたな」
昔、それぞれの国が領土争いをしていた頃。一人の英雄が傷ついた人たちを助け、勝ち取った領土に国を作ったのがオルディーネ建国史の始まりだ。
だから、これまでにも国王が自身の子ではなく、文武ともに優れた戦士……英雄と呼ばれる者に王位を譲る、ということは何度もあった。だから、王族としての権威というものは、他国に比べればそれほど強くない。
陛下が無理矢理にでも血の繋がった子供を欲することがなかったことも、俺を後継者だと言い出したことも、そういう経緯があるからだ。
そう考えると、オルディーネってどこまでも実力主義な国だな。
「うふふ、ふふー。オルディーネに帰ったらー、お墓参りに行きましょうよー。ヴァリシュさんはこんなに立派になりましたよーって、見せびらかしてやりましょー」
「墓参りか。名前を借りている以上、たまには花でも持って行かないとな……って、大丈夫かフィア、顔が真っ赤だぞ」
「だーいじょーぶれすぅー! ちょーっと、世界がぐるんぐるんしてるだけでぇすー」
完全にのぼせてしまったフィアには、呆れて何も言えない。触らないと宣言したものの、ここに置きっぱなしにすることも出来ない。
浴槽から引き摺り出して、冷水を浴びせる。キャーキャーと床を転げて喚くフィアのせいで、センチメンタルな気分になる暇すらなかった。