∥008-A 閑話休題・その後の昭和基地
#前回のあらすじ:こんな結末ってあるぅ?
[久我島視点]
「―――あらっ?」
ぱちくり、と分厚いレンズの奥で瞳が瞬く。
ふと気付いた時、彼女の目の前には自分を見つめる8つの瞳が並んでいた。
見知った顔が目の前に並ぶその状況に、女性は思わず首を傾げる。
垂れ気味の黒い瞳、焦げ茶色のちぢれ毛を後ろで束ねたロングヘア、包容力を感じさせる柔和な顔立ち。
女性的な肢体をだぼっとした白衣で包んだ彼女は、いささか戸惑いながら声を上げた。
「皆して・・・どうかしたの?何か、あったのかしら?」
「―――雛罌粟君。身体に、どこか違和感は無いか?不調があったりは・・・」
「まあ、久我島主任。・・・ええと、特には?おかしな所はありませんですけれど―――」
「「「・・・ほっ」」」
奇妙な状況に疑問を覚えながら、雛罌粟はそう答える。
固唾を飲んで見守っていた彼等は、いたって健康そうな彼女の反応に安堵の息をつくのだった。
・ ◆ ■ ◇ ・
―――【彼方よりのもの】、そしてショゴス達の襲撃が終息した後。
前代未聞の事態から辛くも脱した昭和基地は、ようやく平穏な時間を取り戻しつつあった。
【影の国】の影響下に置かれていた者達もまた、停止した時空間より解放され、普段通り活動できるようになっている。
異次元よりの侵略者である―――【彼方よりのもの】。
それが作り出す、時間が停止した世界。
通常、そこではあらゆる生物が活動を停め、次元を越えて現れる侵略者たちの餌食となるのだ。
唯一の対抗策は、久我島のような『覚醒者』―――異なる次元を知覚する者のみ。
抗う意思を胸に宿し、激闘を繰り広げた職員の奮闘によって、襲撃者どもの撃退は既に完了している。
残るは、騒動が残した爪痕の後片付けのみであった。
久我島は無線機を通じ、復旧しつつある基地各部からの報告へ耳を傾けていた。
『―――他の区画でも、続々と職員達が活動を再開しているようです!』
「防壁は?」
『可動式防壁の約30%が全損、残るは50%が無傷、20%が中破・・・と、いった状況です』
「・・・そうか。後始末を考えると頭が痛いが、ひとまず一安心、といった所か。だが、まだまだ気は抜けん。今後も何かあれば、すぐに報せろ」
『はいっ!』
窓の外へ視線を向けると、職員達が台車を使って瓦礫を運び出している所であった。
巨大ショゴスの砲撃を中心に、基地設備へ残された傷跡は深い。
『狂気山脈』よりの来訪者を迎え撃つ防波堤として、十全な機能を発揮するには未だ時間が必要であろう。
それまでに、次の襲撃が起こるだろうか?
総ては運次第。
基地は今、非常に危うい状況に置かれていると言える。
だが―――人的被害はゼロだ。
それだけは、皆に誇れる確かな戦果であった。
口元を僅かに歪め、久我島はくるりときびすを返す。
背後では、雛罌粟女史に抱きつく子供たちが上げる歓声が響いていた。
それを後に残し、男は人気のない区画へ向けて歩みを進める。
『―――もしもぉし、真調でぇす』
「お久しぶりです、特別顧問。久我島です」
周囲に誰も居ないことを確かめた後、久我島は国際通話を発信する。
相手はあの怪老人―――真調であった。
「只今、お時間宜しいでしょうか?」
『おや~~~?珍しい方から電話が来ましたねぇ。こりゃ、明日はきっと大雨ですねぇ・・・キヒヒヒヒ!』
既知概念凌駕実体究明・対策室。
通称―――『既知対』。
日本において、異能者・覚醒者、及びそれに類する事件を取り扱う、唯一の政府機関である。
過去に戦闘中の負傷がもとで、生命体として『覚醒』を果たした久我島。
彼にとって、真調はよく見知った相手であった。
自らの身に生じた変化に戸惑い、明日を見失っていた自分。
それを導き、社会に再適合する手助けしてくれた恩人でもある。
久方ぶりに聞いた声は相変わらず、猿のような奇怪な笑い声を上げている。
老人の奇行にも動じず、久我島は用件を切り出すのだった。
「先日、通達のあった未確認異次元生命体。―――『シング』ですが、此方にも現れました」
『ふぅむ?それでこうして、ボクチンに電話してるというコトはぁ・・・。無事、生き延びたようですねぇ~?久我島クンの事だから、心配はしてませんが・・・。大変だったでしょぉ?』
「ええ、まあ。それで、宜しければ互いの認識を擦り合わせたいのですが・・・」
久我島はそのまま、これまでに見聞きした出来事について報告を始める。
実のところ、彼は【彼方よりのもの】の存在をあらかじめ知っていた。
一定以上の階級を持つ『覚醒者』に向けて、先日、政府より密かに情報の開示があったのだ。
―——先日、北陸で起きた『深泥族』と政府機関の衝突。
その折に観測され、政府の知る所となった正体不明の組織、【イデア学園】。
彼等の情報と共に、敵対者である【彼方よりのもの】についても、政府はその存在を認識していたのだ。
以降、政府は極秘裏に日本各地を調査し、その存在についての情報を蓄積していた。
日本政府の影響下にある、彼奴等の襲撃を受ける可能性のある地点。
特に、陥落した場合の影響が甚大と予想される所には重点的に、その特性と対処法が共有されていた。
久我島含め、一部の基地職員にはあらかじめ、最低限の知識はインプットされていた事になる。
その動きを主導し、関係各所との調整を行っていたのが、ほかならぬ真調であった。
『なぁるほど、ねぇ~。今回も我猛クンが大活躍だった訳だ、エライエライ!』
「はい。・・・自慢の部下です」
『そ・れ・で。―――チミの所に姿を現した少年。マルくぅんの事はボクチン、よぉく存じ上げているんですよねぇ~』
「やはり―――!」
ようやく話が主題に入り、久我島は思わず身を乗り出す。
あの時、基地へと訪れた見知らぬ少年。
丸海人の存在が、彼の頭にずっとこびり付いていたのだ。
【彼方よりのもの】、そしてショゴス最後の一体が撃破された後、彼等は忽然と姿を消していた。
その後の足取りについては一向に掴めず、職員の中にはその実在すら疑う者も居た。
だが、あの襲撃の中、彼らは確かに存在したのだ。
その手がかりとなるのが、少年が口にした真調の名前である。
自分に掛けられた疑惑から逃れる為、口から吹いた出まかせか?
それとも事実―――この怪老人と、面識があったのか。
疑問が氷解すると共に、新たな謎が浮かび上がってくる。
「彼らは・・・我々の、敵なのでしょうか?それとも―――」
『キヒヒヒヒッ!それについては・・・チミ自身の目と勘で、判断して貰いたいですねぇ~』
久我島の呟きに、歴史の闇を知る老人は奇怪な笑い声を上げる。
小柄な少年、猫被りの着物男、果ては―――【深きもの】まで。
我猛青年が見たという構成員には、遠く、ヨーロッパの同盟国の出身者まで含まれていたという。
彼等を擁する【イデア学園】とは、如何なる組織なのだろうか?
国籍、年齢、性別すら一致せぬ、種々雑多な構成員たち。
それらがたまたま参加したのでなければ、その版図は全世界にまで広がっている可能性すらある。
その在り方如何によっては、今後の基地にとって重大な懸念点にもなりかねないだろう。
(俺個人としては、信じてやりたいが・・・)
久我島の脳裏に、朗らかな少年の笑顔が浮かぶ。
対価を求めず、窮地に駆けつけてくれた彼等には恩がある。
だが、基地の護りを担う身としては、まず『疑う』ことから出発するのが鉄則であった。
心の中で懺悔を済ませると、男は通話中の内容に意識を向ける。
日本政府と、【学園】。
極寒の地にて、二者の行く末に大きく影響する一石が、密かに投じられるのであった―――
今週はここまで。




