(5)
ついさっきまで聞こえていた、炎と煙にまかれた悲鳴に似た音とは全く違う、共鳴するように鳴り響く音。それは、森林全体が歓喜にうち震える声。
すぐ背後に出現した力が、みるみる膨らんでいく。
「ニューリッキな……の?」
同じ精霊でも、ペルケレが上空に現れたときとは全く違う、おおらかで力強い、そして凛と張り詰めた気高さを感じさせる気だ。カティヤが森に入ったときにいつも感じていた、包み込むような優しさも併せ持っている。
ああ、確かに森の主がそこにいる。
酷く懐かしく感じる気配に、振り返って彼の姿を見たいと思ったのだが、どうしてもできなかった。
背中から流れ出すように、全身の力が奪われていく。
精霊に力を与えるとはこういうこと……?
初めてのはずなのに、いつか経験したような奇妙な感覚に、もはや立っていることもできなくなった。膝が崩れ、身体が後ろに倒れていく。
「ニューリ……ッキ、お願い。みんなを、助け……て」
必死にそう告げると、ふわりと、背中を大きな手で支えられた。そして、宝物でも扱うような優しい手つきで、草の上に座らされる。
「カティヤ、辛いだろうけど少しだけ待っていて。すぐに、決着を付けるから」
「あ……」
耳元で囁かれた低く響く声に、胸が震えた。
その声も手も知らないはずなのに、確かに知っていると感じるのだ。これほど大きく神聖な気を感じたことなどないのに、よく似た気配はいつもそばにあった。
まさか……。まさか、まさか!
力の入らない腕を必死に突っ張って身体を支え、すぐ隣に立つ精霊、ニューリッキを見上げた。
おそらく、大柄なヴィルヨよりも背は高い。茶色の皮のブーツに細身の黒いスボン。裾に蔦の模様が入った、不思議な光沢を放つ青い色の上着。広い背中に下がるのは緩く編まれた銀の髪。
すぐ足元に座り込んでいるカティヤからは、彼の顔を見ることはできず、真っすぐ前を見据える顎の形しか分からない。
だけど彼は、きっと……。
周囲を取り囲む木々のざわめきが一層大きくなり、振動を伴うほどになった。
森は一つの巨大な生き物のように、生命力に満ちあふれ、力強い鼓動を刻む。
ニューリッキが右手をさっと天に上げた。
その動きに同調するように、木々の枝は大きくしなり、取り憑いていた悪魔の炎を一斉に空へと弾き飛ばした。
圧倒的なニューリッキの力に、不利を悟ったペルケレはいち早く退散したのだろう。真っ黒な雲に覆われていた空は、いつの間にか雲一つない夏空に変わっており、弾き飛ばされた炎は、青い色に溶けるように消えていく。
不意に、背後からおびただしい数の黒い影が飛び出してきた。
「きゃ……」
ヒイシの大群の気配に、カティヤはとっさに首をすくめたが、彼らはカティヤとニューリッキを避け、次々と老婆に襲いかかっていく。老婆の支配を離れたヒイシたちは、今は森の主の意のままに動くのだ。
「くそっ! やめろ! 言うことをきかぬなら、消してしまうよ!」
老婆は、手にした杖を振り回しながら、森の中へと追われていく。
「うわぁぁ! なんだこれは!」
「ヒ……ヒイシ! や、やめてくれぇぇ」
普通の人間には、見ることも触れることもできないはずのヒイシの一群は、盗賊団の男たちにも襲いかかっていった。
初めてヒイシを目にした者には、その異様な姿はかなりの恐怖だろう。男たちは人質だったヴィルヨと少女をその場に放置し、悲鳴を上げながら森の奥に消えていく。
「今度こそ、逃がすものか!」
ニューリッキは老婆が消えた方角に、左手を伸ばした。どこから出現したのか、軽く握った拳に、金色の大弓が握られている。その弦を、何も持たない右手できりきりと引き絞ると、今度は金色の矢がつがえられた。
狙い澄まされて放たれた矢は、鋭く風を切る音とともに、眩い直線を描いて森の中に吸い込まれていく。
立て続けに、別の方向に放たれたもう一本の矢は、盗賊団の首領を追っていった。
いつの間にか木々たちのざわめきは収まっていた。
死んでしまったような真っ黒に焼け焦げた枝に、瑞々しい若芽が芽吹いていく。引き裂かれた大樹の幹を癒すように、柔らかな苔が覆い尽くす。踏みしだかれた草花は、ゆっくりと空に伸び上がり色とりどりの花をほころばせる。穏やかに静まり返った中に、濃い緑の芳香をまとった風が、小鳥たちのさえずりを乗せて通りぬけていく。
隣に立つニューリッキの肩の緊張が解け、左手に握られていた大弓が空気にきらきらと溶けていった。
あまりにも気高く美しい姿から目を離せないでいると、彼は小さく息をつき、ゆっくりとカティヤを見下ろした。




