(3)
「少し食べた方がいいよ」
そうニューリに促されても、固形物は喉を通らなかった。たっぷりジャムを入れたハーブティーだけを、なんとか飲み干して、カティヤは草の上に敷いた毛布の上にぐったりと横になった。
身体が泥のように重く、横になると意識が遠のいていく。
けれども目を閉じると、水の中で味わった恐怖に全身をがんじがらめにされて、息が詰まる。このまま眠ってしまうと、真っ暗な水底に引きずり込まれる気がした。
怖い——!
がばりと身を起こすと、とっさに、食事を囲んで右側に座っていた人に手を伸ばす。
「どうしたの? カティヤ」
驚いた顔のニューリに見つめられ、はっと我に返った。
「え……。あの……」
いつの間にか、彼の手をしっかりと握っている。
わたしったら……何を?
自分で自分のしたことに驚いたが、彼の手がなければ水に溺れてしまう気がして、どうしても放したくなかった。彼に触れていれば、何があっても彼が守ってくれるという絶対的な安心感があった。
けれども、左側に座っているヴィルヨのことが気にかかる。
さっき、「自分が守りたいんだ」と苦悶の表情を見せた彼の目の前で、ニューリの手を取ることは残酷なことのように思えた。
「ごめんね。あの……なんでもないから」
握っていた手を緩めると、追いかけるようにぎゅっと握り返された。
新緑色の瞳が優しく細められる。
「ずっと手を繋いでいてあげるから、少し眠るといいよ。もし、何か悪いものが近づいてきたら、こうしていれば僕にも視えるから、全部追い払ってあげる。だから心配しないで眠って」
「でも……」
ちらりとヴィルヨに視線を向けると、彼はじっとこちらを見つめていた。
いたたまれなくなって顔を背けようとしたとき、彼は強ばった顔のまま、ゆっくりと一つ頷いた。
——え?
そして彼は、飲みかけのお茶が入った白樺のカップを手に取り、「探し物がある」と立ち上がった。
「カティヤ。ほら、横になって」
「でも、お兄ちゃんが……」
彼が草を踏む音が、遠ざかっていく。
「気にしなくてもいいよ。彼が立ち去ったのは、君をゆっくり休ませるためだよ。だから、早く」
「でもわたし、お兄ちゃんに酷いことをしてる」
「彼は君に、そんな風に思われたくないはずだよ」
繋いでいない方の手でゆっくりと肩を押され、カティヤは毛布に仰向けになった。
長く伸びた夏草の上に敷いた毛布は、少し弾力があって寝心地は悪くない。見上げると、木の枝に干した三人分の衣類が風に吹かれ、顔の上にはためく影を落としていた。
繋いだ手の甲を、彼の親指がゆっくりと撫でてくれる。温かな体温と優しい感触に、恐怖心が和らぎ眠気が押し寄せてくる。
今のわたしが、お兄ちゃんじゃなくてニューリを頼ってしまうのは、彼がわたしと同じものを視ることができるから。きっと、それだけ。
カティヤは自分に言い訳する。
本当なら、幼い自分を盗賊団から救い出し、これまで大切に育ててくれたヴィルヨの手を取るべきなのだ。
「ねぇ、ニューリ」
「ん?」
「わたしが精霊と結婚しなくてすむ方法って、あるのかしら?」
「……そういう話は、聞いたことがないけど、あるといいね」
「精霊の花嫁になんか、なりたくないの。絶対に……いや」
こんな忌まわしい運命から解放されれば、お兄ちゃんに辛い思いをさせなくてすむのに。ニューリにも、迷惑をかけなくてすむのに——。
いつのまにか瞼が落ちて、誰が隣にいるのかもあやふやになっていた。
カティヤは無意識のうちに、ニューリの手を強く握りしめ、自分に引き寄せた。そしてそのまま、深い眠りに落ちていく。
「そうだね。精霊と結婚するなんて、人間なら誰だって嫌だよね……」
そんな苦しげな言葉は、もう聞こえなかった。




