(2)
「きゃ……」
「やめろ!」
力づくでひったくられた細く軽い身体が、椅子に座ったまま待ち構えている首領の元に飛ばされる。
しかし、少女を抱きとめようとした首領の腕は空を切る。
首領が被っていた毛皮の帽子がぱさりと床に落ちた時には、決着が着いていた。
あまりの早業に、誰一人、何が起こったのか分からなかった。
テーブルの上に飛び乗った少女が、左手で首領の髪の毛を鷲掴みにし、右手に握った短刀を、のけぞった喉元にぴたりと当てていた。この場の支配者が誰であるかを知らしめる視線を周囲にめぐらせ、周囲を威圧する。
首領は、仰向けでテーブルに半分身を乗り上げた、苦しい体勢にうめき声を上げた。
「う……ぐっ!」
「首領っ!」
状況が一変したことに驚いた大男に、隙が生まれた。
ヴィルヨは大男の手から長剣を奪い取って膝を腹に叩き込み、こちらもあっという間に床に落とした。テーブルと壁との狭い隙間にうつぶせに倒れた大きな背中を、右足で思い切り踏みにじり、目の前に長剣の先をちらつかせる。
「お前ら、下がれっ! 首領の命が惜しかったら離れろ!」
ヴィルヨは呆然としている残りの男たちを威圧した後、少女に捕らえられた無様な様子の首領を、斜めに見下ろした。
「なぁ、首領。いいかげん、カティヤを諦めてくれないか? 俺たちをこれ以上、つけ狙わないと約束するのなら、解放してやってもいいぜ」
「なんだと! 生意気言うなっ!」
かつて下僕扱いしていたヴィルヨの高圧的な言葉に、下がった二人の男は腰が引けたまま怒りの声を上げた。
しかし、首領は無様な体勢ながらも、にやりと笑う。
「ふっ……言うようになったもんだなぁ、ニコ坊。お前が娘を連れて逃げたことは許してやるから、団に戻ってこんか。お前もそうだが、儂を捕らえたこの娘の腕も相当なもんだ。お前らがいれば、儂らはもっと大きな仕事ができる。分け前は、たんまりやろう。豪勢な暮らしをさせてやるぞ。どうだ?」
「断る。俺はカティヤを故郷に返してやりたいんだ。彼女を攫ってきた村を教えろ」
「それは、そう簡単に教えられん……ぐっ」
首領が拒否しようとすると、少女が、髪を掴んだ腕をぐっと引いた。同時に、喉にちりりとした痛みが走り、首領は驚愕に目を見開いた。
喉仏の上に細く引かれた赤い線から、同じ色の雫が伝い落ちる様に、盗賊団の男たちが息を飲んだ。
冷え冷えとした視線を落としてくる少女には、何の躊躇もない。どちらが優位にあるのかを見せつける美しすぎるその顔には、背筋が凍るほどの凄みがあった。
しかし、長年、荒くれどもを率いてきた首領だ。こんな危機的状況でも、煙草のヤニで黄ばんだ歯をむいて、余裕のある表情を見せる。
「さすが、ニコ坊が育てた娘だなぁ。その腕と度胸はつくづく惜しい。まぁ、こうなったら仕方がねぇ。教えてやろう。お前を攫ってきたのは……」
「待て! それ以上しゃべるな!」
相手がどんな男なのかをよく知っているヴィルヨが、首領の言葉を止めた。
「でたらめを教えられても困る。おい、スルホ、こっちへこい!」
名を呼ばれて台所に入ってきたのは、顔に真新しい傷がある痩せぎすの男。ヴィルヨが拾われた当時から団に所属しており、いつも首領と行動を共にしている団の古株だから、この事件のことも知っているはずだった。
「あんたも、カティヤを攫ってきた村を知っているはずだ。その名を、竃の炭で壁に書け。お前が書き終えたら、首領に改めてその名を聞く。もし、それが一致しなかったら……分かるな?」
傷だらけの顔を憎々しげに歪めたスルホが、窺うようにちらりとを首領を見ると、首領は諦めた様子で「書け」と目で合図した。
「ニコ。てめぇ、こんなことして、ただですむと思うなよ!」
スルホは吐き捨てるように言うと、竃の炭で壁にいくつかの文字を書き付けた。
それを確認してから、ヴィルヨが脅すような低い声で再度問う。
「首領、カティヤを攫ってきた村の名は?」
「……パンキクッカだ」
パンキクッカ——岸辺の花。
はっきりと聞こえたその地名を、カティヤは頭の中で繰り返した。その言葉の響きだけで身体が震えてくる。
こんな美しい名前の村に、お父さんとお母さんがいるかもしれない——。
昨日から、衝撃的な出来事ばかりに襲われたカティヤにとって、それは唯一の希望だった。
「その村はどこにある?」
ヴィルヨの尋問は続く。
「この国の北の端。湖の近くにある村だ」
「彼女の両親の名前は?」
「そんなこと、儂がいちいち覚えてる訳ねぇだろう。それに、娘を直接攫ったのはヨウニだ。奴は三年前におっ死んじまったから、これ以上のことは誰も知らん」
「本当か?」
「……さあな」
首領がふてぶてしい態度で、はぐらかす。
首領の言葉のどこまでが真実かは分からないが、少なくとも地名だけは正しいはずだ。これ以上、質問を続けても無駄だろう。
窓枠にちょこんと止まっていた赤い小鳥に、ニューリがさっと視線を送った。小鳥はそれを合図に飛び立ち、ぴゅるぴゅると高い声でさえずりながら空を舞う。




