第495話 亡国の跡
「キャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
けたたましい悲鳴と唸り声が、廃墟の港町に木霊する。
姫野愛莉は今まさに、絶体絶命の危機に陥っていた。
龍一と桜がリベルタに跨り無謀な戦いに挑んで行ったのを不本意ながら見送った後、愛莉は一目散に逃げ出した。こんなの言われなくたって、逃げるに決まっている。
まずは文字通りに嵐の渦中にある、この場から少しでも遠くへ離れることを優先すべき。しかし、上空にはギャアギャアとやかましい鳴き声をがなり立てて飛び回るワイバーンの群れがある。
早々に激しい空中戦を開始したことで、ワイバーンの大多数は龍一達の方へ殺到しているが……どこにでも自分と同じようにサボリ魔はいるのか、戦闘に加わらず周辺一帯をただ飛び回り続けている奴らもかなりの数がいた。
下手に逃げる姿を見られれば、周回するワイバーンの注意を惹くだろうことは想像に難くない。そもそも人間を積極的に襲わない性質であれば、この港町もこんなことにはなっていないはずだ。
ワイバーンに見つかり次第、襲われる。そう心得て、姫野は必死に、それでいて細心の注意を払って、家屋の影や物陰に紛れ、上手く上空からの視界を遮りながら着実に距離を稼いでいった。
このまま行けば、もう少しで港町を脱し、森の中に紛れ込めそう――――というタイミングで、彼女の運は尽きた。
カバーに使っていた木造の物置小屋が、この激しい強風に耐えかねて吹っ飛んだのだ。
思わず悲鳴を上げて地面を転がった後、慌てて次の隠れ場所を探そうとしたが……すでに目ざとく獲物を見つけたワイバーンが、愛莉の前に降り立っていた。
そして愛莉の円らとは言い難い瞳と、冷徹な爬虫類染みたワイバーンの眼が合った瞬間、両者は声の限りに叫びを上げたのだ。
「イィヤァアアアアアアアアアアアアアッ!」
実に危機に瀕した女性らしい悲鳴を上げる愛莉だが、そこはこれでもダンジョンサバイバルの生き残り。咄嗟に最も使い慣れた『光矢』を無手で放っていた。
これでゴーマやラプター程度のモンスターならば撃退できただろうが、曲がりなりにも相手は飛竜。本物に比べれば体格も能力も劣る人造の量産型であっても、下級攻撃魔法の一発二発で倒れることは無い。
炸裂した光の攻撃魔法に怯みながらも、鋭い声を上げて、ワイバーンは愛莉へと襲い掛かった。
「ぬぁあああっ、ちょっとぉ! 離しなさいよ、離しっ、離っ、はぁあああああああああああああああああああああっ!?」
イヤイヤ言いながらも激しく抵抗し続ける愛莉だったが、その体をワイバーンは長い鉤爪のついた脚でガッチリと掴むと、そのまま羽ばたいた。
爪で引き裂かれなかったのを幸運と言うべきか。結果的に、姫野はワイバーンに捕まった状態で、空を飛んだ。
リベルタに乗って飛ぶのとは全く違う。鳥が捕らえた小動物を掴んで飛んでいるようなものだ。視界は真っ逆さまで、体は激しく揺さぶられる。上下左右の方向感覚すら判然としない。
「キャアアアアアッ! たぁっ、助けてぇーっ!」
悲痛な叫びは、ただ虚しく嵐の空に木霊するのみ。
どれだけ助けを求めて叫んでも、龍一が助けに駆け付けてくれることはなかった。
そしてきっと、これからもっと泣き叫んだとしても、誰も自分のことなど助けに来てくれることは無いのだろう。愛莉は途中で、そう悟った。
「た、助け……助けてっつってんだろうがよぉ! 助けろやぁっ!」
自分は見捨てられた存在なんだ、と自覚したその時に湧き上がった感情は、絶望ではなく怒りだった。
何故だか無性に腹が立つ。いや、腹が立たないワケがない。
どうせこうなっているのが自分じゃなくて桜だったら、何だかんだで誰かが助けに入っているのだろう。
そして何より、こんな時に自分を助けてくれそうな男であった、中嶋陽真はもういない。
「ざっけんなよぉ……陽真くんがいなくたって……自分で助かってやるぁっ!!」
腰のホルスターから引き抜いたのは、ハンドガンタイプのブラスター。
アストリアに流通しているモノとは一線を画する性能を持つ、本物の古代製だ。かつて小鳥遊が使った一品モノのカスタムブラスターには劣る量産品だが、エメローディア軍の正式採用品であることに代わりはない。
威力は十分。少なくとも、精気を摂取できていない『淫魔』では、このブラスターを超える威力の攻撃は撃てない。
即座に火力を発揮する武器として、姫野にこそ必要な装備と思って小太郎が持たせた、いわばお守りのような護身用武装であった。
ギンギンギンギィン――――
青白いマズルフラッシュと銃声を響かせて、姫野はブラスターを連射した。
彼女の腕前は、可もなく不可もなく。武器の扱いに慣れていない素人女子であることを鑑みれば、構えて撃ってそこそこの命中率を出せるだけ上等といえよう。
無論、鉤爪に捕まれ宙づり状態では構えも何もあったものではないが、それでも出来る限り、有効そうな頭部へ向けて姫野は撃った。
ギョォオオァアアアアアアアアアアアアアッ!?
まさか手痛い反撃を受けるとは思っていなかったのか。偶然にも目に光弾が直撃したワイバーンは悲鳴染みた声を挙げ、飛行姿勢を大きく崩す。
「ちょっ、コレ――――揺れっ――――すぎぃ――――」
目を撃ち抜いただけでなく、脳にも損傷を受けたのか。ワイバーンは必死に羽ばたき飛行を続けるが、方向は定まらずデタラメに飛ぶのみ。フラフラとした不安定極まる状態で飛ばれるせいで、振り回される姫野も追撃を狙えるような状況ではない。
そうして、一体どれだけ飛んだのだろう。
天地も定かではなくなり、不穏な酔いの気配を覚えた頃、ついに体が解放された。
フワリという浮遊感と共に、宙に放り出されたと認識する。
ワイバーンはすでに自分という獲物を捕らえたことを忘れたように、ただ翼をばたつかせて飛んでいるだけ。このまま3秒もすれば、勝手に飛び去り、自分は地面に落ち行くのみだろう。
「死ねこのクソトカゲぇ!!」
姫野は自由落下が始まる寸前に、ブラスターを構えて時間の許す限りぶっ放した。
再び轟く銃声は、頭部と首筋に数発が命中し、今度こそワイバーンへトドメを刺すに至った。
自分を襲った怨敵を倒したという喜ぶ間もなく、姫野の体は重力加速度によって地面へ向けて急接近を始めていた。
しかし姫野は焦らない。ブラスターを抜いて覚悟の反撃を始めた時に、着地の方法も手していたのだから。
そもそも高い所から落下するのは、初めてではない。
「――――持ってて良かった、エアクッション」
流石は桃川、と風のマジックアイテムをすぐ取り出せるようホルスターにセットしていた周到さに、姫野は無事に着地を果たして寝転びながら、しみじみ感謝した。
以前に使った時と変わらず、人間一人が落下する威力を完璧に殺し切る風圧を放ってくれたお陰で、傷一つない。桜と比べれば下位互換の劣化もいいところな、初歩的な治癒魔法すら使う必要がないほど元気である。
「はぁ……これからどうすりゃいいのよぉ……」
しかし精神はすでに下降の一途を辿り始めいた。決死の反撃を試みた時の高揚はすでに過ぎ去り、ひとまずの安全を手に入れたことで頭がどんどん冷えて来る。
「まずここ何処ぉ……すでに遭難してんですけどぉ」
周囲一帯、見事に森のど真ん中。
最早、自分がどちらの方向から飛んできたのか、分かったものではない。
流石に落下する寸前に、冷静に周囲を観察するほどの余裕は無かった。万全の着地体制を整えるのに精いっぱいで、強いて言えば、眼下に広がる景色は森の緑一色だったことくらいしか記憶にない。
「いや間て落ち着け私、まだ海岸線からそこまで離れてはいないはず。帰れる、歩いて帰れる距離!」
ひとまず再び海の見える位置にまで出られれば、海岸線に沿って港町を発見できるだろう。ワイバーンも凄い勢いで飛んではいたものの、まだ徒歩で取り戻せる距離のはず。
「で、どっちに行けばいいのぉ……」
しかし愛莉は方角が分からなかった。
こんな事になるのなら、小太郎がちゃんと用意していた方位磁針も肌身離さず持っていれば良かった。如何に小太郎の準備が良くとも、当の本人が手放してしまえば意味はない。
撤退する間際に、龍一に言われた通り、しっかり荷物の入ったリュックこそ背負っているが……邪魔臭いから、と小太郎謹製の魔法式コンパスをリベルタのストレージに突っ込んだのは、他でもない自分である。
だってしょうがないじゃない、アレ目覚まし時計くらい大きいんだもん……などと言ったところで、困るのは自分一人。叱ってくれる人すらいない虚無感に、姫野は泣きそうになった。
「しゃーない、切り替えていこ。ここはもうイチかバチか、進んでみるしかない!」
どうせここでメソメソしていたところで、助けは来ない。自分のような女の元に、都合よく助けてくれる素敵なイケメンは現れないのだ。
再び自分に気合を入れて、愛莉は未知の森の中、一歩を踏み出した。
その方向が海岸線とは真逆であることなど知らぬまま。
◇◇◇
それから三日。姫野愛莉は森を彷徨い続けていた。
「いやもうこんな進んだら後戻りできんわ」
道中、野生のモンスターに襲われること数知れず。しかし幸いにも、ワイバーン軍団を従える巨竜は現れていない。初日の内にどこかへ去ったようで、荒れた天気も元通りである。
あれほど規格外のレイドボスさえいなければ、未開の森もダンジョンの中と変わりはない。大抵のモンスターは、ブラスター装備の愛莉単独でも十分に対処できる。
それに基本は目立たず逃げ隠れの後衛スタイル。ちょっとでも強そうな奴は息をひそめてスルーし、目を点けられれば閃光や煙幕などで攪乱して逃げる。
モンスターとの戦闘さえ何とかなれば、物資の詰まったリュックを持つ愛莉は、危なげなく森の中を進み続けていた。
「んんっ、これは……獣道、みたいな……?」
森の中で、ただの獣道にしては目立つ跡を発見。もしかすれば、人の手による小道かもしれない。
その可能性にかけて愛莉はそこを辿って進むことしばし――――ついに、目の前から鬱蒼と生い茂る森の緑が晴れた。
「おっ、おおぉ……やっと道に出たぁ……」
森の中よりはずっと開けた平地に、荒れてはいるものの十分に原型を残している広い石畳の道が続いている。
見たところ、あの港町から伸びていた街道とよく似た作りをしており、かつてはこの国の各地を結ぶ国道であったと思われた。
すなわち、この道は間違いなくかつての町や村に繋がっている。
無論、道に出たところでいまだに海の方向も分からないのだが、それでも深い森の中で遭難しているよりは、遥かにマシな状況だ。
「ようやくツキが向いてきたわね」
意気揚々と愛莉は街道を辿って歩を進めた。
しかし、またいつワイバーンなどが襲ってこないとも限らない。堂々と開けた道のど真ん中を歩くことはせず、出来る限り脇に生い茂る木陰などで身を隠しながら歩いた。
幸いにも空から襲ってくるモンスターはおらず、道中でエンカウントしたのも、森で見かけた野生動物に毛が生えたような奴らと、妙に灰色がかった体色のゴーマくらい。
色が違う、と警戒はしたが、ゴーマはゴーマだった。ただ色が違うだけで、気色悪い人型モンスターであることに代わりはなく、その強さ、行動、装備、どれをとっても特筆すべき点は無い。
ブラスターがあれば、ゴーヴ部隊が出てきても一方的に撃ち殺せるだろう。流石にゴーマ王国並みの大軍や、装備の整った戦士やゴグマまで出張ってくればどうしようもないが。
ひとまず灰色ゴーマは粗末な装備しかしていなかったので、大した規模の群れではないと愛莉は判断した。
「あっ、やっと建物が!」
そろそろ野営の準備かと思った頃、道の先に明らかに人工物である建物の影が見えてきた。
どうやら、町についたようだ。
ただ、ぽつぽつと見え始めた建物に近寄っても、案の定というべきか無人の廃屋であり、人が暮らしている様子はどこにもない。あの港町と雰囲気は同じであった。
とりあえず廃墟でも屋根があるから野宿よりマシ、の気持ちで陽が傾き始めた中でも町へ駆けこんでみたが、
「はぁ……やっぱここもただの廃墟か……ホントにこの国滅んでるじゃん」
あんなドラゴンが飛び回ってれば滅びもするか、と改めて納得しながら、一夜を明かすために少しでも状態の良さそうな物件探しに切り替えた、その時である。
「ッ……ァ……」
それは、女の悲鳴のような声だった。
普段なら聞き間違いかも、と思ってしまいそうなか細い声だったが、それでも無人の廃墟街にあっては、やけに際立って聞こえた。
誰かいる。かもしれない。
愛莉は即座に声の方向へ進む。声は上げず、そっと忍び足で。
モンスターの中には、幻術をかけて人間を惑わすようなモノもいる。小太郎が『雲野郎』と呼ぶモンスターなんかは特に強力な幻術を持っていたと聞いたことはあったし、ただの動物に過ぎないオウムだって、人の声真似をするのだ。
ただ人間の声らしき音だけで、人間がいると判断するのは危険過ぎる。
そして何より、本当に人間がいたとしても――――果たして、その者が敵か味方かは、一目で判断などできはしないのだから。
「いる……間違いなく、誰かが……」
悲鳴の元に近づけば、そう愛莉は確信した。
やはり聞き間違いでは無かった。接近してみれば、ハッキリと人の声が聞こえてくる。それにしばらく一人きりだったせいか、不思議と人間の気配のようなものを感じ取ることが出来た。
よほど気配が鋭敏になっているのか、人間の臭いすらも感じるように思えた。
何者かの存在を確信し、愛莉はさらに慎重に身を潜めて近づいて行き……そして廃墟の町の一角。教会のような、独特な造りをした建物で、ついにその姿を覗き見た。
「うっ……うううぅ……」
「おぉい、いつまで泣いてんだよ」
そこにいたのは、女と男。
最初に聞こえた悲鳴の主は、その女性に間違いないだろう。若い、少女というべき年頃であり、恐らく自分よりも年下、中学生くらいだと思える。
対する男は、精悍な若い男で20歳前後。
その大柄な男が伸ばした手の先に握られているのは、無残にも引き千切られた黒い衣服。
勿論、自分の着ている服ではない。
ローブのような黒い衣装を纏うのは少女で、それが男によって力任せに引き裂かれ、その白い肌が露わとなっていた。
「ヤベーぞっ、レイプだ!?」
一瞬で理解した。こちとら乙女どころか本物の淫魔である。そういう雰囲気を察せないはずがない。
そうでなくても、この状況を目の当たりにしてそれ以外の状況などありえないだろう。恋人同士のちょっとハードなプレイではないと断言できる。
よく見れば、少女を襲う男の背後には、更に仲間の男達が控えている。ここから見て、少なくとも二人。もしかすれば、近くにもっと潜んでいる可能性もある。
「み、見なかったコトに――――」
君子危うきに近寄らずの精神で即座に離脱を選ぼうとしたが、何故か愛莉の脳裏には、あのクソ生意気な小太郎の面も浮かんできた。
「やったね姫野、外に出れば男なんて食い放題! 『淫魔』の本領発揮だぜ! 奇跡のカーニバル、開幕だぁ!」
両手で中指突き立てて煽って来る姿を幻視した……ことが、愛莉が踵を返しかけた足を止めた理由ではない。勿論、どこぞの勇者が如き正義感やら、聖女の綺麗事を本気で思っているワケじゃない。
眷属『淫魔』の本能が訴えかけている。
食える。あの男は食える。あそこにいる奴ら全員、食える、と。
森の中で強そうなモンスターをやり過ごしていた時には全く感じなかった、やけに強気な気持ちが湧き上がって来る。
逃げる必要がどこにある。アレは敵ではなく、獲物。
恐れる必要がどこにある。コレは戦いではなく、捕食。
感謝をこめて、いただきます。
「ああ、もう……分かったわよ、ヤレばいいんでしょっ、ヤレば!」
そうだ、どの道ヤレば強くなれる。十分な精気を吸収できれば、ブラスターよりも強力な一発をぶっ放すことだってできるのだ。
ちゃんと淫魔用の小杖『プリムタクト・ラブ&ダブルピース』も持っている。
危険なコトは何もない。ヤレば淫魔の自分の方が確実に強くなれる。ついでに襲われている可哀想な少女も助けられて、良心も痛まない。
愛莉は理性と淫魔の本能と脳内の小太郎、全員にやかましく急き立てられるようにして、今まさに少女が裸に剥かれようとしている犯行現場へと、踏み込んでいった。
「今すぐ、その子を離しなさない! 私が相手になるわっ!!」
◇◇◇
その少女達と男達が廃教会の前で鉢合わせたのは、偶然であった。それでも、互いに互いの状況を一目で理解し合う。
自分達も彼らも、同じく逃げ出してきたのだと。
「おい神官さんよ、アンタどっから来た」
「ここから南の、すぐ近くの里からです……しかし、三日ほど前、里は竜兵に襲われ……」
「チッ、そっちもか。俺らも似たようなもんだ。竜兵の群れを迎え撃ちに出張ってみりゃあ、ものの見事に負け戦だぜ」
少女はその黒い法衣と、竜鱗を模したシンボルのペンダントを下げていることから、龍神の神官であることは一目瞭然。それにボロボロで焦げ跡までついた様子から、焼け落ちる里の中を必死に逃げ出してきたことは、想像に難くない。
まだ見習いと言うべき年若い少女だが、共に連れているのはそんな彼女よりももっと幼い、子供ばかりが5人ほど。自分だけでなく、守るべき子供を連れてきているだけ、彼女は立派に神官の務めを果たしていると言えるだろう。
対して、男達はシャングリラ軍の歩兵装備を身に着けていた。かつては白銀に輝いていただろう装甲は、すっかりくすんで黒ずみ、傷跡も刻まれたまま。ただでさえ20年前のお下がり装備は、つい先日に起こった戦いを経て、いよいよ限界を迎えたといった有様だ。
そんな敗残兵の一団は、10人ほどのむさ苦しい男所帯である。
本来ならば、哀れな神官少女と子供達を率先して保護すべきところであるが……
「あの、どうか……食料を分けていただけないでしょうか」
「まぁ、そりゃそう来るよな……だがなお嬢ちゃん、悪いが俺らも飯を探して、危険を承知でこんな廃墟の町まで潜り込んでんだ」
共に故郷を失った集まりであり、先立つものなど何もない。
神官少女はここ三日の逃避行で飲み水さえも底をつき、食料は一昨日の晩で尽きた。道中で見かけた木の実やハーヴを口に入れて、飢えを誤魔化しここまで辿り着いた。
一方の敗残兵は、まだ最低限の保存食を所持している。しかし、それもすでに先が見えており、少しでも補給しなければ、ここから自分達の里に帰り着くことも出来ないだろう。
それも、里がまだ残っていればの話である。防衛のために満を持して打って出た結果が、この惨敗である。
防衛兵力を失った里は、凶悪な竜兵の軍団によって、すでに滅ぼされたか、今まさに襲われている最中かといったタイミングだと予想できた。
「それでも、どうかお願いします! もう私達には、何も残っていないのです!」
「同情するが、俺らだって明日食えるかどうかの瀬戸際だ」
慈悲で分け与えるなら、それはもう己の命を削ることを意味する。
自分も仲間達も、心から哀れに思う気持ちこそあるものの、だからといってこの先、助かる見込みもない一時の施しに、自分の命をかける気になどなるはずもなかった。
さて、どうするか。どうするか、などと言ったところで、食料が無いことに代わりはない。何も見なかったことにして立ち去るタイミングが、今かもう少し後かの違いしかない、何とも気まずい沈黙が場を支配した。
「なぁ、お嬢ちゃん、名前は」
「シェリー、です……」
「俺はグレッグだ」
考え込んだ末に、敗残兵を率いる一応の隊長を務めている男、グレッグは自己紹介をした。
考え込むような表情で、グレッグは語る。
「正直、俺はアンタら神官って連中が好きじゃねぇ。昔、どんだけ偉かったのかは知らねぇがな、今じゃ一日祈りを捧げるだけの無駄飯食らい共だ」
「そっ、そのようなコトはありません! 私達は龍神様の加護を賜るべく、厳しい修行に励み、人々を救う善行を――――」
「ああ、シェリーんトコではそうなのかもしれねーが、俺んトコではただの生臭坊主共にしか見えなかったよ。畑を耕すワケでもねぇ、狩りをしてくるワケでもねぇ、武器どころか日用品の一つも作っちゃいねぇ……俺らは生まれてから、里でのシケた暮らししか知らねぇんだ。栄光のシャングリラは、とっくの昔に滅びちまってんだからよ」
シャングリラが最大最悪の竜災によって滅ぼされたのは、およそ20年前。
シェリーは先日ようやく成人を迎えた15歳で、グレッグは19歳。滅びる前の栄えた国の姿を、その目で見たことは一度も無い。
分かるのは、親や大人達が語る昔話と、それが本当だったと思えるような、立派な規模の街の廃墟が至る所にあることくらい。
最早この地は、偉大なる竜王の治める王国では無い。狂った暴虐の天空竜が支配する縄張りに過ぎない。
この地において人間は、遥か天に座す竜の目から必死に隠れ潜み、地虫のように這い蹲り、穴倉に籠るより他に、生き残る術はないのだ。
だが、その卑屈な生存戦略すら許さぬとばかりに、隠れ潜む人間を狩る竜兵が、空から降りてきたのはここ最近の話である。
「俺の飯を、ほんの少しだが分けてやらんこともねぇ。だが、絶対にタダじゃ譲らねぇ」
「ですが、私には支払う対価など、何も持ち合わせは……」
「体で払えばいいだろ」
その冷酷な一言に、シェリーは息を呑む。
だがグレッグとて、譲れない一線であった。
そもそも性欲を持て余しているだけならば、黙って襲えばいいだけの話である。こんな場所では無法こそ法である。何も持たない弱者は食い物になるのが自然の理。
無残に凌辱の限りを尽くそうが、気まぐれの腹いせに殺そうが、その無法を咎める者など誰もいはしないのだから。
けれどグレッグは、そこまでの悪事を働く気は無かった。まだ理性と余裕が最低限残っていると言うべきか。
だからと言って、タダで貴重な食料をくれてやる気は毛頭ない。
ご自慢のお祈りでシャングリラを守れなかったのが神官連中だ。それでも里でのうのうと以前と変わらず祈るだけで、何も為さず、何も生み出さなかった奴らに、もうこれ以上の施しをくれてやるなど、真っ平御免。
欲しいのならば、それ相応の働きをするべきだ。こっちは命に直結するほどの食料を出すのだ。ならば自分の体くらい差し出さなければ、全く割りになど合わない。
「おい、どうすんだ。その気がねぇなら、俺らはもう行くぜ。龍神様が助けてくれるよう、好きなだけお祈りしてな」
自らは何も差し出さず、ただ分け前だけ得ようと、この期に及んでも言い張るならば、好きにすればいい。ここで何もせず見捨てても、罪悪感は随分と軽減される。そっちが選んだ道なのだから。
「わ、分かりました……体で、払います……」
震えながら言うシェリーの姿に、自分の言い出したことながら、また別の罪悪感が湧いてくるグレッグだった。しかしそれもまた、彼女が選んだ道だ。こちらは何一つ、無理強いなどしていない。
むしろ、無理をしているのは自分の方だ。この状況下で、まだ耐えらそうな欲求を発散するために、耐え難いだろう空腹を受け入れようというのだから。
そうして、せめて表からは見えない教会の裏庭へと移動する。教会内はダメだ。ただの廃墟でしかないし、下手な屋外よりも汚い。そして何より、彼女の保護する子供達がいる。
かくして互いの合意の元、ついに行為へ及ぶに至る。
グレッグもその気になっているため、法衣にかけた手にはつい力が入った。その結果、元々限界寸前であった黒布がビリビリと破ける。
「キャァアアアアアアアアアア――――ッ!」
そこで覚悟を恐怖が上回ったか、シェリーの悲鳴が上がる。
ただ反射で出た声ならばまだ良かったが、彼女の円らな瞳からは、ポロポロと大粒の涙が零れだして止まらなかった。
グレッグは泣いて嫌がる女の姿に興奮する性癖は持ち合わせていなかった。服を破いて半裸にしたものの、そこで手は完全に止まってしまう。
「うっ……うううぅ……」
「おぉい、いつまで泣いてんだよ」
少しは待ってみたものの、シェリーが泣き止む様子はない。
チラと振り返れば、自分と同じく対価の代わりに体を求めることに同意した三人の男達も「これいつまで待てばいいんすか?」と言いたげな顔を向けてくるばかりで、どうしようもない。
やはりこんな成人になったばかりの少女相手に、売春を半ば強制させるような真似は酷に過ぎたか、とグレッグが萎えの気持ちと共に諦めかけたその時だった。
「今すぐ、その子を離しなさない! 私が相手になるわっ!!」
不意に現れたのは、女であった。
彼女もまた若い女だが、シェリーよりは年上だろう。自分達と同じくらいの年頃である。
「なんだぁ、お前……?」
この状況で誰何を問うのは当然だが、グレッグは純粋に現れた少女の正体を疑問に思う。
一目で分かる、彼女はシャングリラの生き残りではない。
上着とスカートは統一されたデザインで、見たことのない衣装だ。多少はくたびれているが、自分達のに比べれば遥かに綺麗で、おまけに仕立てのよい衣服である。
そして何より、黒髪黒目の冴えない顔立ち。珍しい組み合わせの色で、肌の色も随分と黄色がかって見えた。顔はやけに平たく、まだ幼さを残すシェリーと比べても、遥かに凹凸が少ない。
これで絶世の美少女といった外見であれば、もしや王家の姫君かと思うところだが……この女はあまりにも普通ではない格好でありながら、凡庸に過ぎる容姿をしていた。
その凡庸な姿が、グレッグから剣を抜かせるほどの警戒心を高めなかった。
「私は、まぁ、ただの通りがかりよ。それより、話は聞かせて貰ったわ!」
「ああ、そうかい。それで、アンタがコイツの代わりになるって?」
「そうよ、この私がアンタ達全員、満足させてあげる。だからその子には乱暴しないでちょうだい」
それはまた、酔狂な女が出てきたものだ。
しかし、女の申し出は渡りに船と言うべきか、今の自分にとって損は無い。
すでにしてシェリーをどうこうしようという気持ちはすっかり萎えてしまった。それを彼女は代わるというのだ。
容姿は平々凡々で全くそそられるモノは無いが、体の方は流石にシェリーと比べれば女性的な成長を遂げている。
法衣を破って露わになったシェリーの裸体は、あばらが浮いたやせ細った身である。里が襲われる前から、ひもじい食生活を送っているだろうことは明らかだ。
一方、謎の女の方は随分と健康的な体つきである。体型だけで言えば胸も尻も貧相な部類になるが、シェリーのようなやつれた印象は全くない。
それに、よく見れば顔は薄っすらと化粧をしている。里の女達でさえ、滅多にできるものではない。それをこの女は、こんな場所にいるというのに当然のように施しているのだ。
一体コイツはどれだけ恵まれた生活を送って来たのか。やはり王家の生き残りか何かなのか。
謎は深まるばかりだが……
「分かった、いいぜ。俺達だって、何も無理矢理しようって気はねぇんだ。アンタがその気になってくれてるなら、文句は無ぇぜ」
ちょうどお預けを喰らったばかりのところだったのだ。ひとまず、ヤルだけヤってから、考えればそれでいい。グレッグはそう結論づけて、薄い顔のくせにやたら挑発的な目を向けてくる謎の女へ歩み寄った。




