第253話 悪霊(1)
「ところで、怪我はしてない?」
「いや、大丈————ぶっ、じゃねぇ……」
今にも泣きそうな顔で、葉山君は肩口の辺りを抑えてうめき声を上げた。
「壁が砕けた瓦礫に当たったのか」
「プガガァ!」
「し、心配すんなよキナコ、別にどうってこと……痛ぇ……」
「僕が治療する。レム、杏子、周辺警戒よろしくー」
「りょーかい、任せとけ」
「……りょうかい、あるじ」
チラ見で命に別状はないことを確認した杏子は、さっさと林側を向いて歩哨に立ってくれた。レムも幼女状態に戻って、杏子とは反対側をぼんやり見つめ始める。
キナコも状況を察したのか、葉山君を心配そうにチラチラしながらも、新たな魔物の襲来を警戒するべく、背を向けた。
「ワンワン!」
「あー、ベニヲはそのまま葉山君についててあげて」
「ううぅ、ベニヲぉ、情けない姿見せちまってすまねぇ……」
「クゥーン……」
とか悲しそうな鳴き声を上げるベニヲを傍らに、さっさと治療を開始する。なんか悲壮な雰囲気出てるけど、こんなの全然軽傷だからね。
「傷薬塗るから、早く脱いで」
「お、おう」
「なにちょっと恥ずかしがってんのさ」
「べ、別に恥ずかしがってねーし!」
そのツンデレ今いるの? 謎の羞恥心を発揮する葉山君を僕は呆れたジト目で見ながら、いそいそと制服を脱ぎ終わるのを待つ。
「葉山君、意外といい体してるんだね」
「そういうこと言われると流石に恥ずかしいんだけど!?」
素直に褒めてるんだけど。伊達にバスケ部ではないって感じ? ちゃんと腹筋も割れてるし、胸筋もなかなか。なんか細マッチョで普通にカッコいいんだけど。
そんないい体してるんなら、もっと堂々とすればいいじゃん。
「見たことろ、打撲って感じかな」
「そうか、骨とか大丈夫かよコレ」
「折れた感じする?」
「分かんねぇけど、フツーに痛ぇぞ」
「僕も医者じゃないから見ただけじゃ分かんないよ。まぁ、傷薬塗っとけば大体の傷は大丈夫だから。一応、患部も冷やしておく?」
「なんでもいいから早くしてくれ」
というワケで、氷は手元にないので、委員長お手製の氷結晶をタオルで包んで患部を冷やしてから、傷薬Aを塗りたくる。
「……桃川、マジですまねぇ」
「仲間が負傷すれば、すぐ治療するのは当然だよ」
「いや、それもだけど……さっきのことだよ。勝手に先走って、悪かった」
「自分でそう言えるなら、反省は十分だよ」
自分が悪い、と思っていなければ、どれだけ非があると説いても意味はない。人は時に、論理よりも感情を優先するものだから。
ここで素直に非を認められた時点で、反省を促す言葉に意味はない。
「魔法の武器は頼りになるけど、所詮は一定の威力しか出せないからね。過信は禁物だよ」
「そうだな……自信はあったんだけどよ」
「葉山君のレッドランス、あれって火精霊の力も乗ってたでしょ?」
「なんだよ桃川、もしかしてお前も精霊が見えるようになったのか?」
「いや、僕が想定した威力よりも大きかったし、誘導性能もついてたからね」
僕が作ったレッドランスは、その術式の構造上、常に一定の威力しか出ないようになっている。でも使用者が『火魔術師』だったら、自前の火属性魔法で威力を上乗せ、なんて真似もできるだろう。
葉山君は火属性魔法を使えないけど、ジッポライターに火精霊を住まわせており、すでに友好関係を結べている。ならば、そこから火力を上げるサポートを受けたと考えるより他はない。
「結局、ダメだったけどな。情けねぇ」
「そんなことないよ。単純に火力アップできているなら、素晴らしい効果だよ。使い込んでいけば、さらなる成長も期待できそうだしね」
「だといいんだけどな」
「葉山君、大事なのは正確に自分の力を把握することだよ。自分はどれだけの威力の攻撃が出せるのか。そして、それがどこまで相手に通じるのか」
まぁ、初見の相手にはとりあえず撃ってみる、とかはよくあるけど。
今は割愛ね。
「それから、僕らはパーティなんだから。仲間を信じて、自分の役割を果たすんだ」
どうせ、活躍したって特別報酬でお金が貰えるワケでもなければ、女の子にモテるワケでもない。
ここには僕らしかいないのだから、戦闘なんてただ死なないために、前に進むためだけにやっているに過ぎない。
「だから、君が無理して敵を倒さなくてもいいし、倒せなくて焦る必要もない。僕らが勝って、生き残れれば、それでいいんだからさ」
「くそ、なんだよ桃川……そんな優しくされると、逆につらいじゃねーかよぉ」
「もう、なにも泣かなくてもいいじゃん」
「うるせぇ、傷が痛むんだよ!」
さて、泣くほど傷が痛むとサッカー選手並みの負傷アピールをしていた葉山君だったけど、
「おおぉ、この薬マジですげぇな! もう全然痛くねぇ!」
「それ鎮痛作用が効いてるだけで、完治してるワケじゃないから無理したらダメだよ」
「はははっ、分かってるって! キナコ、ベニヲ、心配させて悪かったな、リライト完全復活だぜ!」
「プガァ!」
「キャンキャン!」
などと、森の仲間たちと喜び合っている葉山君のことは、もう放っておいても大丈夫だ。
さて、それじゃあ僕は次の作業に移るとしよう。
「ねぇ小太郎、流石にコイツを捌くのはキツくね?」
「デカい猪も解体してきたんだから、今の僕らなら大丈夫だよ」
「いやでも、コレ一頭食べつくすのにどんだけかかんだよ」
流石にそこまで肉には困ってないからね。贅沢な話だけど、飽きる、って問題もあるし。
「でも心配しなくていいよ。コイツは食べないから」
「そうなん? でもこのモンスターって結構美味いんでしょ?」
なんでそんなことだけちゃんと覚えているのさ。確かに、ロイロプスを食べた時の食レポを話したことあるけどさ。
「どうしても食べたかったら、次の機会を待ってよ。コイツはどうしても、使いたいんだよね」
「なんに使うの?」
「そのまま使ってやるのさ」
これまで試そうかな、とは思っていたけれど、逃亡してきてからこっち、現れたモンスターはゴーマにスケルトンとロクなヤツがいない。流石に試す価値もない相手に、わざわざ足を止めてノンビリ実験していられるほど、暇ではなかったからね。
でも、ロイロプスほどのモンスターなら、ちょうどいい。
「レム、こっちおいで」
「はい」
いまだ周辺警戒中だったレムが、呼べば返事をしてトコトコ歩いてい来る。あー、レム可愛いなぁ、これだけで可愛いなぁ。
「あるじ、これ、たべる?」
「あははは、レムちんもウチと同じこと聞いてるしー」
「いや、多分、素材として吸収するかどうかを聞いてるんだと思うよ」
影人形へと進化を果たしたレムだが、基本的な性能は変わらない。より強力な魔物素材などを取り込むことができれば、更なるパワーアップも可能だろう。
けれど、今回試すのはアップグレードではなく、レムのもう一つの派生呪術の方である。
「死出の旅路を祝い、晒される骸を呪う。黒い血。泥の肉。空っぽの頭。最早その身に魂はなく、ただ不浄の残滓を偽りの心と刻む。這い、出で、蘇れ――『怨嗟の屍人形』」
きっちり魔法陣を描いた上にフル詠唱で発動。
腐り沼のようなドロドロにロイロプスの巨躯が丸とごと沈みこんで行き、それが再び浮上した時には、黒々としたアンデッドカラーとなって再び大地へと立つ。
「ん、カラーリングが微妙に違う?」
屍人形を使うと、基本的には黒い色になる。アルファのように、元々の色合いが多く残る場合もあるが……今回のロイロプスの色は、それともまた違っていた。
元々はバッファローのように茶色い毛皮に覆われているが、それらが黒一色へと染まると共に、四つの足首と首から胸元にかけて、血管のように走る赤色のラインが描かれていた。
この赤い模様は当然、ロイロプスにはないし、僕が直接書き込んだワケでもない。つまり、屍人形をかけた結果に発生したものに違いない。
「もしかして、『屍人形』も進化してんのかな。レム、どう?」
「……うごく」
そりゃあ、屍人形はレム制御だからね。
レムがジっとロイロプスを見つめると、問題なく動かせることをアピールするように、ズンズンとゆっくり歩きだした。
「ひとりで、うごく」
どういう意味だ、と問いかけようとした時、
「ブゥウオォオオオオオオオオオオオオン!」
と、けたたましい咆哮を上げて、ロイロプスは再び歩き出す————と同時に、僕は気づいた。気づかされた、と言うべきか。この感覚は、すでに僕にとって馴染みがあるものだったから。
「もしかして、自立行動できるようになってるのか」
ブフー、と鼻息を荒くしながら、ゆっくり僕の周りをウロつくロイロプスの姿は、生前と変わらぬ意思、のようなものを感じさせる。
今までの屍人形は全てレム制御だったが……どうやら、スケルトンやハイゾンビの召喚術を使った時と同じように、術者の命令に従い自立行動可能な程度の頭脳を持つようだ。
僕もそれなりの頻度で『召喚術士の髑髏』を使って来たからね。今のロイロプスからは、正に召喚術で呼び出したモンスターと全く同じ繋がり、みたいなものを感じられる。
「これ、すぐにレムと意識の切り替えはできるの?」
「できる」
「レムはロイロプスとの繋がりは分かる?」
「わかる」
「よし、上出来だ」
そもそもレムは絶対服従のいい子だから、自立行動できるようになったところで大した意味はないように感じるが、重要なのは僕の制御力が軽減される、ということだ。
僕の制御力は現在、ヤマタノオロチ戦でレム主力機体を総動員した時と同じ。黒騎士、アラクネ、アルファ、ミノタウロス、の4機を十全に動かすので精一杯、というところ。
ロイロプスはミノタウロスと同程度の制御力を必要とするので、最大で4体同時に使役するのが限界だ。
しかし、この感覚なら、倍の数でもまだ余裕がありそう。
レムの制御も離れた自立行動モードにすると、僕の制御力が大幅に節約できる。
「この感じなら、もっと数が増やせるし、より強力なヤツも連れていけそうだ」
クラスメイトという仲間たちを失ったが、その代わりにしろとでも言うように、僕が使役できる使い魔を増やせるというわけだ。
数は力。シンプルに戦力増強できそうだ、やったぜ————などと内心ウキウキでレムとロイロプスを両方なでなでし始めた僕に、強い視線を感じた。
「プ……プガガガ……」
やけに愕然としたような表情、だろうか。そんな雰囲気を醸し出しながら、いつもピンと立っている長いウサミミみたいな耳がペタンとしおれさせたキナコが、僕を見つめながら震えていた。
「葉山君、なんだかキナコの様子がおかしいんだけど」
「いやぁ、それがベニヲの奴もおんなじ感じなんだよな」
傍らに立つ葉山君の足の間に潜り込むように、尻尾を丸めて震えるベニヲがいた。
なんで二匹はこんなにビビり散らしているのだろうか。
「おいおいキナコ、どうしちまったんだよ、そんなブルった顔してよぉ。いつもの勇ましいお前らしくねぇぞ」
「プグゥ……プガガ、ムガァ!」
「えっ? まぁ、確かに、俺にもそういう風には見えたけど」
「プグァ! プォオーン」
「なるほど……いやでも、大丈夫なんじゃないか? そんなに心配するなよ」
相変わらず独り言のようにしか見えない葉山君とキナコの会話だが、どうやらきちんと理由を問いただすことはできているようだ。
「で、キナコはなんだって?」
「うーん、なんつーのかな……悪霊の力で死体が蘇った、ってとこが凄いビビりポイントらしいぞ」
「悪霊、ねぇ」
「お前が使ってた新呪術とかいうヤツと同じだな」
確かに、ここに至るまでの道中、ゴーマの群れと遭遇した時に僕はレムと共にお呼ばれしたあの時に授かった新呪術の試し撃ちは済ませていた。
相変わらず尖った性能だけど、きちんと使いどころを見極めれば効果的な呪術だと思う。
と、そんな程度の認識だったけど、悪霊、とキナコが呼ぶモノは、それほどまでに恐ろしい存在なのだろうか。
「僕からすると、違いが分からないんだけど。というか、屍人形に悪霊は関係ないような」
「いや、かなりの悪霊出てたぞ。黒い棒人間がめっちゃいっぱい集ってるの見えたし」
悪霊というか、闇の精霊というか、葉山君には普通の精霊とは異質、だが黒い棒人間という姿は非常に似通った存在として見えるそうだ。
僕は棒人間と表現される微精霊の姿は見えないし、悪霊呼ばわりの黒棒人間も見えない。
だが、そういう悪霊的存在があるならば、呪術はそういう奴らからも力を得ている、というのはありえそうな話だ。あくまで、僕は授かった呪術を行使できるだけで、その構成術式を全く理解できていない。
エアランチャーなど、『呪導錬成陣』と『外法解読』の合わせ技で曲がりなりにも魔法の武器を作るようになってから、魔法陣や術式について理解は進んできたが……だからこそ、自分の呪術がどうやって発動しているのか想像もつかない謎の術式構成をしていると分かった。
流石は神の御業といったところか。その割に効果は……
「でも屍人形はこれから必要だし、勝手に暴れることもないし、レムと一緒に仲よくしてやってよ」
「そうだぞキナコ、人を生まれで判断しちゃあいけねぇ。この新しく生まれ変わったサイ君と、仲良くしてやるんだぞ」
「プ、プ、プゥー」
非常に不承不承といった気配だが、それでもキナコは頷いてくれた。
なんて物分かりの良い野生動物なのだろうか。やはり獣人系亜人なのかも。
「そういえば、レムからは悪霊の気配は感じないの?」
「いや、特には見えねぇな」
「レムのことは、キナコも怖がってないよね」
「そりゃあ小さい子供相手だから、アイツもちゃんと優しくするって。キナコは紳士だからな」
キナコはオスだったのか。いや、葉山君のことだから、適当に言ってるだけかも。
「レムと屍人形は基本的には同じような存在だと思うんだけど……やっぱり、今のレムには自我が確立したから……」
「おーい、小太郎。そろそろ手伝ってよ。夜んなる前には仕上げたいし、風呂も入りたいしー」
おっと、杏子がお呼びである。
この河原を山越え準備のための仮拠点にするので、ここまでの簡易的な野宿よりかは、本格的な居を構えるつもりだ。川が流れているから、上手く水を引けば久しぶりに風呂も入れるだろう。
「今行くよ。じゃあ、葉山君達は周囲の警戒お願いね。ロイロプスもつけるから、いざって時は盾にでも何でも好きに使って」
「桃川、お前そういうとこドライだよなぁ」
正しい使い方だと思うんだけど。葉山君は多分、自分が使い込んだ物品にも思い入れできて大事にしちゃうタイプなのかも。
ともかく、さっさと仮拠点建設を始めよう。今度は、いきなり飛び出してきたロイロプスが突進してきても大丈夫なように、防壁も建てておこうかな。




