第243話 裏切り者(2)
2020年5月9日
大変申し訳ございません、昨日の予約投稿を忘れてしまいました。事情は『黒の魔王』最新話での前書きに書いた通りです。
多大なご心配をおかけしてしまったこと、深くお詫びいたします。来週からは通常通り金曜日に更新いたします。
「ぐ、うぅ、桃川ぁ……」
「流石は蒼真君。デススティンガーの毒を盛られても、まだ喋れるなんてね」
体を蝕む猛毒に抗いながら、俺はやっとの思いで体を起こす。
他のみんなは、もう呻き声をわずかに漏らすだけで、体はピクリとも動かず倒れ伏したまま。
多少なりとも体が動き、会話できるだけ意識を保っていられるのは、俺だけのようだ。
「な、何故だ……どうして、裏切った……」
「馬鹿だなぁ、君らの方こそ、どうして僕なんか信じたの?」
信じるさ……俺は、この学園塔での生活を通して、お前のことを確かに見直した。
桃川はレイナを殺した、許せない仇だ。
けれど、その恨みを棚上げして、ヤマヤノオロチを倒すために協力してきた。
俺も、みんなも、精一杯に頑張ったさ。けど、一番頑張っていたのは、お前だったはずだ。
嘘、だったのか……お前がこれまで積み重ねてきた努力も、築き上げた信頼も、全部……
「ヤマタノオロチは僕だけじゃ倒せないからね。みんなに協力するのは当然だし――」
桃川はゆっくりと俺の方へと歩み寄る。
何の罪悪感もなく、いつもと同じ野良猫みたいな飄々とした表情で。
「――用が済んだら、始末するのも当然でしょ?」
ガツン、と頭を蹴飛ばされ、再び地面へと突っ伏す。
何の威力もない桃川の子供みたいな蹴りだが、猛毒に蝕まれた今の体にはなかなかの痛打だ。
もしかして、修行の模擬戦で容赦なく切り捨てたこと、根に持ってたりするのか。
「こ、こんなことが……許されると、思っているのか……」
「許す? 誰が、誰を? いいかい蒼真君、僕は呪術師だ。他人を呪う外道な天職。真っ当な倫理観を求める方がおかしいんだよ」
そうだろうか。
素直にそれに頷けないほど、俺は、いいや、俺達はお前の呪術に救われてきた。
美味しい食事、熱い風呂、温かい寝床。この学園塔に住んで不自由しないのは、お前のお蔭だった。
けれど、それすらも俺達を油断させるための罠だったのか。
「それにさぁ、誰だってこんな状況になれば、自分が助かるのを最優先にするでしょ。忘れちゃったのかな、僕らはここで、命を賭けたサバイバルをしているんだよ」
「それでも……お前は、俺達が全員、助かる道を示しただろう……どうしてだ、その通りにすれば、俺達は……」
「まぁ、自分でもそれなりに筋の通った説だと思うよ。お蔭でみんな、最後の最後まで油断しきってくれたよね」
そうさ、それだけの希望が、お前の話にはあった。
俺達なら、この二年七組なら、一致団結すればダンジョンだって全員で脱出できると。みんなが信じたし、それを信じさせるだけのことを成し遂げたのは、お前自身だったはずなのに。
「でも、僕はこんな場所さっさと出たいんだよ。この呪術師の力があれば、中世ファンタジーみたいな異世界でだって、好きなように生きていける」
「桃川……お前がいれば……俺達はみんなで、ここを抜け出せる、はずだ……」
「そんなのに付き合うのは御免だよ」
どこまでも見下した冷たい目で、桃川は再び俺に蹴りをくれた。
「ここさえ越えれば、もう最深部まで直行だ。天送門は三人使えるみたいだけど……悪いね、僕一人で使わせてもらうよ」
「お、お前は……双葉さんすら、裏切るというのか……」
「あはは、ブタバなんていらないよ」
俺を殺すなら、まだいい。
お前にとって、やはり俺は敵だったと納得もできる。
けれど、双葉さんは違うだろう。
お前がいなくなった後、彼女がどれだけ心配していたか分かっているのか。双葉さんには俺達全員と敵対してでも、お前の味方をする覚悟があったんだ。
その全幅の信頼すらも、お前は簡単に切り捨てるのか。
「も、桃川ぁ……」
「睨んでも無駄だよ。勇者の力にも限界はあるしね。それに、助けを期待しても無駄だよ」
俺の内の残る僅かな希望さえも打ち砕くように、桃川は言う。
「天道は転移魔法陣で追放してるから。エントランスで呑気にタバコ吹かしてるところをね。知ってた? ここの転移魔法陣って、他にも結構、色んな所に飛べるんだよ」
くそ、桃川の奴、先に龍一を狙っていたのか。
龍一なら、寸前で毒に気づいたか、あるいは、毒が効かないスキルも持っていたのかもしれない。
それを警戒して、龍一だけ別な手段で排除した。
まさか、桃川が小鳥遊さん以上に転移魔法陣を扱えるなんて……それに、コイツは確信をもって次が天送門のある最深部だと断言していた。
何故、そんなことまで知っている。どうして分かる。
桃川は一体、どこまで俺達の知らない情報を握っているんだ。
「本当にバカだよ、蒼真君。僕のことを最後まで疑っていたのは小鳥遊だけだったよ。アイツを信じるべきだったね」
小鳥遊さんは、このことを言っていたのか……桃川は信用ならないと、あんなタイミングで。
けれど、誰も死なせずにヤマタノオロチを見事に討ち果たしたことで、俺は完全に油断していた。彼女の忠告なんて、すっかり忘れて。
『賢者』の言うことが正しかったのだ。
「これが最後だし、何か聞きたいことがあるなら今の内だよ? まぁ、毒が回って、もう満足に喋れないかもしれないけど」
そうして、再び桃川の高笑いが響き渡る。
信じていた仲間が倒れる中で、一人、笑い声を上げる姿は悪魔そのものだ。
死ぬのか、俺は……こんなところで、こんな奴に……
けれど、どれだけの悔恨を抱いても、体の中は毒の苦痛に塗れて、何の力も湧きあがって来ない。
ちくしょう、何が『勇者』だ……こんな時に、何もできず無様に倒れたままだなんて。せめて一矢報いなければ、死んでも死にきれない。
許せない。許せるはずがない。
レイナだけじゃない。桃川は、俺も、みんなも、何もかも全てを裏切った。
決して、こんな悪を許してなるものか――
「くっ、は……」
それでも、思いとは裏腹に肉体は死への一途をたどるのみ。
ダメだ、もう、息をするだけでも苦しくなってきた。
体は……指先がかろうじて動く程度。
剣を握るどころか、もう立ち上がることさえできそうもない。
「……」
何の意味もない、無駄な悪足掻きとも言えない、最後に俺ができたことは、ただ何かを求めるように、腕を伸ばすだけ。
伸ばし切った指先が、ピクピクと痙攣するように動くだけで精一杯。
もうそんな動きすらもできなくなるだろう――そんな予感が過った、その時だった。
指先に、光が灯ったような――
「……別に、僕は勇者になりたいワケじゃないし」
努力はしてきたさ。
まずは自分が生き残るために。
次はメイちゃんのために。
今はみんなで生き残ることを、本気で考えている。
勇者だろうが、英雄だろうが、どうでもいい。名声なんて欲しくはないし、僕のことを最後まで認めてくれなくたって構わない。
ただ、みんなが生き残ってくれれば、それだけで良かったのに。
「桃川君の気持ちなんてどうでもいいことだよ。邪魔なんだから排除するのは当然でしょ。ホントに手間をかけさせてくれたよね」
「もしかしてバレるかも、ってビビりながら今まで過ごしてたのか? それはご苦労なことだね」
「ふふ、その減らず口ももうすぐ聞けなくなると思うと、ちょっと寂しいかも」
「それはどういう予定なワケ? お前と蒼真君の二人だけ生き残っても、僕を殺すならどっちか片方は死ぬことになるけど」
「小鳥、蒼真君と二人きりになるのは、今すぐとは言ってないよ?」
2階妖精広場の毒殺現場にいる分身の方の僕は、蒼真君に向かってベラベラとお喋りの真っ最中。
如何にも蒼真君がキレそうな内容を、迫真の演技で分身の僕は語っている。なんでだよ、本物の僕はあんな嫌味っぽく話さないだろう。なに素直に騙されてんだ。これだから鈍感ハーレム野郎は。
しかし、ここまで念押しする理由はあるのだろうか……いや、あるんだろう。
蒼真君のヘイトを僕だけに向けるための演技。
いいや、それに加えて、恐らく本命は、時間稼ぎの演出だ。
「お前、まだみんなを利用するつもりか」
「みんなはいらないけど、必要な人はちゃんと残すよ。勿論、明日那ちゃんもね。小鳥の親友なんだから!」
あははは、と屈託なく笑いながら、小鳥遊は自慢げに語る。
「よく見ててね、桃川君。ここからがいいところなんだよ。まず、邪悪な桃川君の企みを唯一見抜いていた小鳥が、なんとこっそり解毒薬を持っているのでーす」
自演乙、と言って欲しいのか。
「それで、まずは蒼真君を治して、次に桜ちゃん、それから明日那ちゃんと委員長と――うーん、残念、ここでもう解毒薬はなくなっちゃいまーす!」
毒を盛るかもと疑ってるくせに、全員解毒できるだけの量を持ってないとか頭おかしいんじゃないのか。
あまりに都合が良すぎる分量だと、疑われるぞ。
僕なら絶対、疑うね。コイツ、仲間を間引くために最低限の解毒薬しか持ってなかったぞと。
「おい、そこはせめて夏川さんまでは助けてやれよ」
「アレはもういらない。ホントはオロチ相手に犠牲になって、蒼真君が覚醒してくれるはずだったのに」
「光の剣に加えて、光の盾まで出せるようになったんだぞ。十分、覚醒しているだろう」
「この段階で『天の星盾』だけじゃ足りないよ。もう第三固有スキルには目覚めてもらわないといけないのに」
コイツは勇者のスキルツリーも見えてんのか。
どうやら、小鳥遊には明確に僕が邪魔したせいで、どれくらい勇者の成長度合いが滞っているのかも判別できているらしい。
流石はゲームマスターというべきか。圧倒的な情報アドバンテージだな。
「それで、お前らだけ生き残った後は……」
「そこから先は、桃川君が気にする必要はないでしょ? だって、これから処刑されるんだから」
なるほど、処刑と来たか。
そりゃあ、素面で僕を殺せるヤツはいないからね。
「ふふふ、縛ってその辺に転がしておけば、魔物が勝手に食べてくれるからね」
僕を殺すならそれが妥当だろう。
道連れの能力は、それを相手に伝えて理解できるからこそ、身を守る盾として機能するのだ。野生の魔物に対しては、自爆覚悟の最終手段にしかならない。
「安心して、ちゃんと桃川君が食べられるところ、最後まで見ていてあげるから」
「襲われるならリビングアーマーがいいかな。急所狙いで一撃で殺してくれそうだし」
「ゴーマに差し出してあげる。村を襲って虐殺したし、人体実験の真似事もしたし、因果応報ってヤツじゃないかな?」
「それじゃあお前は、ゴーマに嬲り殺しにされるよりも酷い死に様するぞ、小鳥遊」
「その舐めた口のきき方さ、5分後もしてられるかな、桃川君? さぁ、解毒の時間だよ」
処刑宣告でもするように言い放ち、小鳥遊は笑った。
そして、倒れた蒼真君を足蹴にして、笑っている分身の方の視界に注目すると――隅の方で目立たないよう倒れている小鳥遊が、ゴソゴソと動き始めているのが見えた。
解毒薬を使うつもりだ。
分身の制御は取り戻せない。レムもあの場には居ない。
小鳥遊を止める手段はない――
「――っ!?」
だが、小鳥遊が声を抑えながらも、驚いた。こっちのも、あっちのも。
まるで、想定外のことでも発生したかのようなリアクションだが……残念ながら、僕は何もしていない。
じゃあ、誰だ。誰が動いたのだ。
「――さない」
妖精広場に、眩い輝きが迸る。
神々しく白く輝くその光は、ゆっくりと立ち上がった者の体から発せられていた。
「こんなこと、絶対に許しませんよ、桃川!」
白く輝く光を纏いながら、蒼真桜が立ち上がっていた。
「どうして桜が!? そんな、先に『聖女』の力が目覚めるなんて、こんな時にぃ!」
そんなに桜ちゃんが覚醒した風なのが驚きなのか。
広場に寝転ぶ本体の方は解毒薬を漁る動きも止めて黙り込んでいるが、僕の目の前にいる幻影の方の小鳥遊が叫んでいる。
「おい、どうした小鳥遊、詳しく」
「うるさいな、黙っててよ!」
ちょっと想定外の事が起こって焦ってるのかーい? へいへい、賢者ビビってるー。
煽りたいところだけれど、僕は分身の視覚を通して、広場の様子を注意深く観察する。
「卑劣な毒殺など、この私には通じなかったようですね。『聖女』として、私はみんなを救う力を授かりました」
分身の僕に向かって、桜は名探偵が犯人を暴くかのようにビシっと指をさす。
その卑劣な毒殺を目論んだ真犯人の小鳥遊は、お前の後ろで狸寝入りしてるけど。
「そ、そんな馬鹿な、聖女の力だと……デスストーカーの毒を解毒したというのか!?」
小鳥遊の野郎、分身の僕を使ってわざとらしく探りを入れてやがる。
分身の僕は、如何にも想定外のことが起こってうろたえてます、みたいな感じになってるけど、小鳥遊本人の今の気持ちも同じだろう。
「聖なる輝きよ、悪しき力を祓い給え――『破邪顕正』!」
桜が高々と右手を掲げると、そこから激しく白いフラッシュが瞬き――この魔力の感覚は、なんだ、治癒魔法のような、ポーションを飲んだ時のような。分身を通しても、強い魔力が発せられているのを感じた。
どうやら、肉体に対して回復効果を発揮する輝きのようだが、単純な治癒とも異なる感じもする。
けれど、悪しき力を払うと言いつつも、その光の波動が収まっても、呪術である分身は消滅することはなかった。
お蔭で、桜の放った『破邪顕正』の効果を見届けることもできた。
「うっ……さ、桜、これは……」
「はぁ……はぁ……ど、毒が治ったの?」
息も絶え絶え、といった様子ではあるが、まずは蒼真君が、続いて委員長が立ち上がった。
「う、うぅ……」
「うーん……」
他のクラスメイト達も、ゾンビのような唸り声を上げながら、それぞれ動き始める。
どうやら、毒を受けた全員に解毒効果は作用したようだが……何故だ、メイちゃんだけは倒れたままピクリとも動かない。
まさか桜、テメぇ……
「この新しい聖女の力で、みんなの毒を治しました。もう大丈夫です」
「そうか……ありがとう、桜、助かった」
ここぞとばかりに兄貴へ寄り添う桜だが、すでに力を取り戻しつつあるのか、蒼真君は自らの両足でしっかりと立った。
そして、妹へ向ける親愛の表情から一転、許しがたき怨敵に鋭い視線を向ける。
「桃川、覚悟はいいか」
「く、くそぉ……こんな馬鹿なことが!」
追い詰められた小悪党臭い、実にわざとらしい台詞を分身が叫んでいる。
まぁ、この状況では、僕の分身一体だけで、当初の予定通りの流れに戻すのは不可能だろう。
「ふん、桜が余計なことしてくれたけど、桃川君を処刑するのは変わらないからね」
不機嫌そうではあるが、それでも完全に余裕は失っていない幻影の方の小鳥遊が、僕へと言う。
「そりゃあ、この流れで誤解を解くのは無理だよね。どう考えても、このまま怒りに任せて僕を殺しに来るだろうさ」
分身の方を見れば、おお、分身越しでも感じるこの壮絶な殺気。
武器こそ持っていないが、蒼真君は真っ直ぐに分身の僕へ向かって右手を突き出し――閃光が瞬く。
痛みはない。だが、分身の負傷具合は即座に分かる。
どうやら、光の矢が頬をかすめて飛んで行ったようだ。
「分身か。桃川、本物のお前はどこにいる」
蒼真君は怒り狂っているに違いないけれど、抜け目はないね。
そのまま真っ直ぐ殺しにかかるんじゃなくて、まずはちゃんと軽傷を負わせて僕が本物かどうか確認してるよ。
「蒼真君! 本物の桃川君はまだ学園塔にいるよ! 絶対に逃がさないで!」
ちゃっかり桜の解毒で治りました、みたいな風を装って、フラついた演技をしながら小鳥遊の本体が叫んだ。
「そうか――」
そこで、分身の視界と繋がりは完全に途切れた。
見事なまでの攻撃魔法によるヘッドショット。蒼真君、これはガチで僕を殺しにかかって来ているな。
「というワケで、もうすぐここに怒り狂ったみんなが雪崩れ込んでくるよ」
そりゃあそうだろう。学園塔は広いけれど、隠れられる場所はそれほどでもない。
鬼が17人でかくれんぼすれば、あっという間に見つかるだろう。
「開けて」
小鳥遊の一言命令によって、今度はズズズズ、と密会部屋の扉が開いていく。
ここで扉が閉まりっぱなしだと、みんなが入って来れないから困るだろうし、下手に学園塔の機能を弄った疑いを、小鳥遊は避けたいはずだ。
だから、僕は待っていた。
お前が再びこの扉を開けるのを。
「レムぅうううううううううううううううううううううう!」
開いた瞬間、声の限りに叫びながら、僕は階段へと飛び出した。




