第235話 ヤマタノオロチ討伐戦・不測
小太郎が穴の底へ降下し、外殻の融解作業に入ってから15分が過ぎようとしていた。
「あー、ゴメン、これ以上はもう無理だわ」
ガキン、と黄金リボルバーのトリガーを引く杏子は、頬に冷や汗を流しながら正直に申告した。
発動した土の防御魔法は、大きくヒビが入り、今にも砕け散りそうな防壁を修復させる。
だが、修復箇所はもうこの一か所だけでは済まない。
前後左右、さらには天井まで。ありとあらゆる場所にヒビが走り、強く何かぶつかる衝撃音が絶え間なく外から響いてくる。
「ちくしょう、ここまで奴らが騒いでたら、霧の目くらましも意味ねーってか」
ここの壁を破ろうとガーゴイルが奮闘する度に、その音を聞きつけて周囲から集まってくる。そして、増えた奴らがさらに騒ぎ、より遠くの仲間も引き寄せる、負の循環。
掘削地点を完全に覆ってしまう形にしたことで、下川の『酸盾』以外で外のガーゴイルを倒す手段がないのも、状況の悪化の一因であろう。
しかし、それも分かった上で小太郎はこの陣地にすると決めた。全員が迎撃可能な地形にしたところで、労力はあまり変わらない。一匹も中に通さない時間が少しでもある分、こちらの方がマシだとの判断だ。
つまり、築き上げたこの防壁が突破され、ガーゴイルが雪崩れ込んでくるという状況は、最初から想定されてはいた。
「桃川はまだなのですか!」
「蒼真さん、落ち着いて。下手に騒いで、小太郎くんの邪魔するようなら、力づくでも止めるから」
最終的にはガーゴイル軍団との大乱戦も想定されてはいたが、あくまでそれは最終局面だ。
まだまだ貫通までに時間がかかるような状態で、その戦況になってしまえば、作戦はほぼ失敗と言ってもいいだろう。
ガーゴイルが一匹でも、穴の底にある小太郎の呪術を妨害さえすれば、その時点で奴らの勝ち。外殻を貫く手段がなくなれば、ヤマタノオロチは依然、無限の再生力を誇る無敵のままだ。
作戦が失敗し、ただ敵のど真ん中に取り残される本体攻撃部隊がどうなるか。その末路は想像するまでもない。
「私はそんな短絡的な真似はしません。ですが、このままでは作戦の成否にも関わります」
「それはまだ分からないし、決めるのは貴女じゃない」
睨みつけるような桜の視線に、どこまでも冷たい芽衣子の目が応える。
給食係として、いつもニコニコ笑顔でみんなが美味しく食べる姿を見つめる芽衣子。その朗らかなイメージはクラスメイトの誰もが学園塔生活で抱いていたが、また同時に、芽衣子から笑顔が消えた瞬間が、最も危険な兆候であることも知っていた。
冷たい無表情と化した芽衣子は、一切の情け容赦を持たない『狂戦士』となる。
「そ、そうだべ! もうここまで来てんだから、腹ぁくくるしかねーからな!」
この土壇場で芽衣子と桜が険悪という、破滅フラグもいいところな気配を察した下川は、慌てて声を上げる。
今更、言い争ってもどうしようもない。四方はすっかり無数のガーゴイルに囲まれ、退路などどこにもない。
「そうだな。後は俺らが、体を張って時間を稼ぐしかねぇ」
鈍感な方の山田でさえ、この期に及んで一致団結できないのはまずいだろうと思い、下川に賛成するように言った。
「おい、ビビてんじゃねぇぞ蒼真」
「誰が! 恐れてなどいません。ただ、私は桃川の作戦が――」
上手くいくとは思えない。
いいや、違う。
上手くいったとしても、何かがあるのではないか。
その疑念は尽きない。小鳥から受けた、「桃川小太郎は裏切るかもしれない」という言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。
「おいおいおい、今更もう作戦がどうとか言ってる場合じゃねーべ! 山田の言う通り、もう俺らが戦って時間稼ぎするしかねーだろが!」
「あと一分もしないで、どっかの壁破れるぞ。アンタら、覚悟決めなよ」
桜のヒステリックに付き合っている暇もない、とばかりにメンバーはそれぞれの武器を構えて、掘削した穴を背に迎撃態勢をとる。
次の瞬間に、どこかが破れて敵が雪崩れ込んでくる気配をありありと感じ、桜も弓を構える他に、できることはなくなった。
そして僅かな間、誰もが息を呑んで押し黙る。
ガーゴイルの叫びと、防壁を破らんとする激しい攻撃の音と衝撃が響く、戦場のやかましさ。だが、不思議と静かに感じられた。
永遠にも思えるような、妙な時間感覚の最中、終わりは不意に訪れる。
ドガガガガッ、ガラガラ!
けたたましい音を立てて、ついに防壁の一部が破れた。
突破してきたのは、通常のガーゴイルより3倍は大きく、横幅もある。背中から生える翼は、完全に両腕と化しており、空を飛ぶよりも、殴りつけることに特化したように野太い。
小太郎が『大型』と呼んでいたタイプのガーゴイルである。
その巨躯を活かした力まかせの突進で、ついにこの堅牢な城壁を破ったのだ。
勢いのまま、転がるように飛び込んできた大型ガーゴイルは、その内に潜んでいた人間の姿を目にし、威嚇の叫びを、
「ハアっ!」
上げようとした瞬間に、狂戦士の刃でもって叩き潰された。
脳天に叩きこまれたハルバードの斧刃は、頭どころか胸元近くまで抉り、大型ガーゴイルを一撃で沈黙させる。
「蘭堂さん!」
「『石盾』」
破られた穴を、即座に杏子が土魔法で塞ぎにかかる。
後続のガーゴイルが雪崩れ込もうとしていたが、すんでのところで壁の穴が埋まる方が早かった。
無論、この補修もその場凌ぎに過ぎないことは百も承知。
芽衣子はすでに、次に破れそうな箇所へと移動し、再びハルバードを振るった。
「蘭堂、ここは俺が塞ぐ! そっちの方がデカい穴が開きそうだから、対処してくれ!」
「任せな!」
下川が二つ目の突破口を水の盾で塞ぐのと同時に、反対側の壁にメキメキと巨大な亀裂が走る。
今度は芽衣子も間に合わない。ガラガラと盛大な音を立てて、二体の大型ガーゴイルが並んで飛び込んできた。
「俺がやる! レム、力を貸してくれ!」
「ブモォアアアアアアッ!」
対処に動いたのは、山田と4号機ミノタウルス。
流石に芽衣子のように一撃で大型を倒すことはできないが、一対一ならそう時間をかけずに倒せるだろう。
その僅かな時間で、侵入してくるガーゴイルを、3号機アルファの爪と牙、そして自慢のノコギリ尻尾が狙う。
「この穴塞ぐのは20秒はかかるぞ! 天井の方はその間、なんとか耐えろよ!」
補修状況を察し、杏子が叫ぶ。
大型ガーゴイル二体同時でぶち開けた穴は、『石盾』一発で塞ぐには少しばかり大きい。
完全に塞がるまでの時間で、先にミシミシと音を立てている天井が破られるのは確実。
そして、上空に攻撃できる者はメンバーの中でも限られる。
「――『白光矢』」
すでに狙いを定めていた、桜の中級攻撃魔法が『聖女の和弓』より放たれる。
白く輝く一条の光線と化して、天井を破った敵を襲う。
石の天井を強引に突き破って来たのは、ただのガーゴイルではなく、また別の大型種であった。コウモリのような外観でありながら、大きなクチバシを生やした不気味な面構え。
先端が赤く光るクチバシでもって、天井を突き、削り、ついに突破して頭を突っ込んだところに、桜の『白光矢』が直撃する。
固いクチバシさえ砕きながら、そのまま頭部をぶち抜き、息絶える。
突き破った本人の死骸が、ちょうど天井に空いた穴を塞ぐ形となり、幸いにも後続のガーゴイルを防ぐことができていた。
「なんかキモいの引っかかったままなんだけど!?」
「そんなの気にしないで、そのまま塞ぎなさいな!」
それもそうだ、と思い直し、杏子は桜の言う通り、コウモリ型が頭を突っ込んだままの状態で、そのまま穴を塞ぐ。やれば意外とできるモノで、欠けたクチバシの先っぽが飛び出している以外は、綺麗に補修は完了した。
「次は……」
「双葉、次はそこの壁になる、頼んだぞ!」
「分かったよ、蘭堂さん」
ハルバードを構え、指示された通りの壁へと向く。
今のところは、上手く塞ぎきれている。クラスメイトの連携もちゃんととれていて、それぞれが十全に力を発揮できている。
けれど、キリがない。
このまま、いつまで優位を保ったまま守っていられるだろうか。
流石の芽衣子も、終わりの見えない防衛戦に、一抹の不安感が過る。
「大丈夫……ここは必ず、私が守り抜くから」
たとえ自分一人になったとしても。この足の下で、小太郎が力の限りを尽くして頑張っているのだ。
だから、決して退かない。何者も通しはしない。
狂える闘争心とはまた違う、不退転の覚悟と戦意を芽衣子は漲らせる――だが、たとえこの場を守り通したとしても、戦場は他にもある。
そして、どこも同じだけの激戦地であり、いつ、綻びが生じてもおかしくなかった。
グゥウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
その時、天を衝くようなヤマタノオロチの雄たけびが響き渡る。
すでにして聞きなれた、巨大な大蛇頭の咆哮。それが一つではなく、三つ。共鳴するように響き渡る。
そして、その咆哮の響きと共に、芽衣子が睨んでいた方面の壁が砕け――そして、垣間見えた外の景色に、輝く三本の光の柱が映った。
「オロチのブレス……あっ、こっちの方向は!?」
それが、決して見えてはいけない輝きであることを、芽衣子はすぐに察した。
なぜなら、見ている方向は岩山より西側。
つまり、三つの首を封印している方向で――天に向かって放たれた三条の光線は、ヤマタノオロチの三つ首が復活したことを意味していた。
無数のヒビが走り、今にも砕け散りそうな氷と鉄の封印槍。
しかし、いまだ折れることなく、三つの頭を地面へと縫い止め続けていた。
「小鳥! 桃川君の方はどうなっているの!」
「今桃川君が掘り始めたところーっ! でも時間かかりそうだよぉ!」
スマホを片手に、トーチカから叫んで伝えられた小鳥の報告に、涼子は眩暈がしそうであった。
「大丈夫、大丈夫よ……キツいけれど、作戦自体は予定通りに進んでいるわ」
今しばらくの間、この封印を維持し続けなければならないのが厳しいことには変わりないが、作戦続行が不可能なほどの不測の事態が発生したワケではない。
ついに小太郎が外殻突破にまで挑み始めた段階まで来れば、作戦も終盤。殻さえ破られれば、王手である。
「美波! 中嶋君! ようやく外殻を掘り始めたわ! あともう少し、なんとしてでも抑えるわよ!」
「りょーかいだよ、涼子ちゃん!」
「分かった、委員長!」
それぞれの二刀流を振るいながら、美波と陽真が力強く答える。
「二人の体力はまだ持つわね。問題は私の魔力の方かしら……」
開戦よりずっと、上級攻撃魔法『凍結長槍』を行使し続けている涼子の魔力消費は激しい。
合間を見て、魔力を回復するためのMPポーションを飲んだりしているが、やはり消耗する方が早い。
このままのペースを維持して、あとどれだけ持つか。魔法を使い続けて精神疲労も蓄積された今では、明晰な涼子の頭脳でも即座に答えは出なかった。
「頼むわよ、桃川君。私の魔力が尽きるより前に――」
「――涼子ちゃん!」
切羽詰った美波の声に、ハっと涼子は顔を上げる。
「どうしたの、美波」
「なんか首の様子がおかしいんだけど!」
言われるものの、これといった変化は特に見当らない。
封印槍はヒビこそ入っているが、まだ芯はしっかりとしていて、身じろぎ一つで折れるほどではない。
縫い止められている大蛇の頭も、大きく動いた様子もみられなかった。
「私にはどこがおかしいのか、よく分らないのだけれど」
「見た目はそうだけどぉ――でやぁ!」
美波は右手の『デススティンガー』を根元まで突き刺す。剥がれた鱗の下、確かに血肉の通った肉体へと猛毒の刃は深々と沈み込んでいるが、
「やっぱり、なんか刺した手ごたえが薄い感じがする!」
「薄いって、どういうことなのよ」
「委員長、夏川さんの言う通りだ。俺も、切り裂いてもあまり手ごたえが感じられない気がする」
直接攻撃役の二人から同じ申告をされて、涼子は次なる『凍結長槍』の発動と並行しながら、考える。
「手ごたえがないってことは、肉が柔らかい? いえ、ダメージが通っていないのかしら」
しかし、あらためて三つ首を眺めていても、これといった変化は見られない。
「一体何が起こっているのかしら――『凍結長槍』」
考えつつも、術式が完成し、何度目になるかわからない重ねがけを、最も耐久が削れている第一頭を刺す封印槍へと施す。
一時的にヒビが修復され、迸る冷気が再びオロチの脳天を突きぬけてゆく。
「――なに、これは、本当に手ごたえがない!?」
自身が魔法を使ったことで、ついに涼子もソレを実感した。
美波達のように、手にした武器で直接肉体へ攻撃しているワケではないのだが、氷魔術士として、涼子は相手に魔法が命中した時、手ごたえのようなものを感じることができる。
ゴーマを氷の矢で貫き一撃で致命傷を与えた時と、ボスモンスターの固い外殻に弾かれた時とでは、感じる手ごたえはまるで異なるものだ。
恐らく、放った魔法そのものには、何かしらの魔力的な繋がりが術者と維持されているが故の感覚、と涼子は考えていたが――その感覚を信じるならば、この手ごたえはまるで、死体でも撃ったかのようなモノだ。
「どういうこと、頭は確かに突き刺しているはずなのに……まさかっ!」
その可能性に思い至った時には、すでに異変は始まっていた。
ズズズズズズ――
と、三つの首が震えるように小刻みに揺れ動き始めた。
「うわわっ!?」
長大な首の上に乗っかって刺しまくっていた美波は、足元が大きく揺れたことで慌てて首から飛び降りる。一方の陽真も、これまでと違う動きを見せた首を警戒し、やや距離を離して後退していた。
「なんてこと、再生はすでに完了していたのね……」
何故、攻撃の手ごたえが感じられないのか。
それは、そこにダメージを与えるべき生身が存在しなかったからだ。
美波の毒剣も、陽真の魔法剣も、本体には攻撃が届かなかっただけのこと。
涼子に魔法命中の手ごたえがないのは、封印槍はすでに、ヤマタノオロチの頭には突き刺さっていないから。
三つ首の外観に変化はない。それも当然。
なぜなら、変化は首の内側で起こっていたのだから。
バキバキバキバキッ!
けたたましい音を立てて、三つの首は背中側から大きくひび割れてゆく。
鱗や甲殻を弾き飛ばしながら、メキメキと砕けて行き――その内から、白くヌメった蠢く巨躯が現れる。
「えぇ、うそぉ……脱皮しちゃった」
「そんな、こんな方法で封印を脱してくるなんて……」
驚愕の表情で、美波と陽真は目の前で脱皮をした、新たなるオロチ頭を見上げた。
脱ぎたてのせいか、首は粘液に塗れ、新しい鱗や甲殻も真っ白に染まっており、当初よりも若干、柔らかそうに見える。
脱ぎ捨てた部分は、鱗と皮だけでなく、ある程度までの肉体までそぎ落としたせいか、新しい白い首は元の首より一回りは細くなっていた。
頭部に至っては、ほとんど丸ごと捨て去ったのだろう。封印槍が突き刺さり身動きのできない部分より下で新たな頭部を形成したようで、頭の部分はさらに細く、尖っているように見えた。
そうして脱皮したばかりの白い首は、元の首よりも小さく細く、柔らかく、明らかに弱体化しているといってもよい。
しかし、三つの首は自由を取戻し、大きく開いた口腔には、それぞれ赤、青、黄色、と莫大な魔力を輝かせた。
「美波! 中嶋君! 逃げてっ!」
直後、轟々と吐き出される光の奔流。新たな産声を上げる代わりに、三つの白首がブレスを放つ。
三色に輝くブレスは、大きく大地を抉りながら、そのまま首をのけぞらせて天へと向く。
空に向かって突き立つ三本の光の柱は、他の戦場で戦うクラスメイト達に、三つ首の封印が解かれたことを、この上なく知らしめるのだった。




