第228話 リライトと色んな精霊(1)
ガウガウ!
と、けたたましい鳴き声と共に、真っ赤な毛並の野良犬が牙を剥いて襲い掛かってくる。
「うぉおおぁあああああああああっ!?」
俺は無我夢中で槍を振り回すだけ。正確に狙いをつけて突く、なんて真似はとてもできない。
素人丸出しの槍攻撃だったが、運よく赤い犬の体にあたったようだ。
ギャウン! と声を上げて、赤犬は俺への突撃を断念し、身を翻して下がっていった。
だが、安心するにはまだ早い。
ガウァアアアアアアアアッ!
腹に響くようなデカい咆哮に、震えが走る。さっき退けた赤犬よりも、さらに一回りデカい奴が俺へと襲い掛かってくる。
「くそぉ、なんだよテメぇ、ボス犬かコノヤローっ!」
立派な大型犬サイズのボス赤犬を前にしても、俺には槍を振り回すことしかできない。
俺自身の腕前はショボくても、この槍そのものは切れ味鋭い鉄の穂先を持っている。その攻撃力を警戒してか、ボス犬は一足飛びに飛びかかって来ることはなく、槍の間合いギリギリのあたりで激しく吠えて、威嚇。あるいは、俺がビビって怯むのを待っているのか。
ゴァアアアアアアアアアッ!
その時、大きく開かれたボス犬の口から炎が迸る!
こ、コイツ、火を噴くのかよ!?
「ぐわぁああああ、熱っつぅ――くない?」
目の錯覚ではなく、間違いなく迸る炎が俺を襲ったはずなのだが、不思議と熱さは感じなかった。
いや、俺の胸元に、妙な熱を感じた。
「メラァー」
「ボァー」
子供みたいなその声は、俺の胸ポケットにあるジッポライターから発せられていた。
LEDライトでも仕込んでるみたいに赤々と光り輝くジッポは、今や火の精霊の住処となっている。
「も、もしかして、お前らが守ってくれたのか?」
「ヒー」
要領の得ない解答だが、どうやらそれであってるらしい。
なるほど、火の精霊ならば炎を操ってそらしたり、消したり、なんてこともできそうだしな。
「ありがとな! やっぱ持つべきモノは精霊のお友達だぜ!」
ガウガウ、グガァアアアッ!
渾身の炎攻撃を無効化されて怒ったのか、ボス赤犬が凶暴に吠える。
そして、とうとう間合いに踏み込み、俺の喉笛に喰らつかんと、火花を散らしながら鋭い牙を剥く!
あっ、やめろ、直接的な物理攻撃は精霊さんじゃ防げないの!
「プンガァアアアアアアアアアアッ!」
そこで飛んできたのが、野生のパワー溢れる毛深い剛腕。
鋭い爪をギラつかせて、情け容赦なく大口を開けたボス赤犬の横っ面を張り飛ばす。
「キナコぉ!」
「リライト、後ハ任セロ」
ようやく群れていた赤犬共を倒し、俺の救援に駆けつけてくれたキナコである。
「いやぁ、やっぱり、持つべきモノは熊の親友だな」
キナコと共に森を進み始めて、早三日。
気が付けば、こんな生活にもちょっとだけ慣れてきたと思える。
いや、違うな。俺が逞しくなったのではなく、俺でもそこそこ大丈夫なくらい、サポートしてもらっていると言うべきか。
「――ぷはぁ! 冷たい水がいつでも飲めるってのは最高だぜ。キナコも飲むか?」
「飲ム」
「ほい、それじゃああーん」
「アーン」
目いっぱいに口を開けるキナコに、俺はボスゴーマからいただいてきた水入りの皮袋を逆さに振るう。
すると、ドバドバ出てくる冷たい水。
マジでドンドン出てくる。明らかに皮袋の容量を超えた水が。
「ミズー」
「ダバー」
大量に水がでる秘密は、精霊である。
いわゆる水の精霊という奴らで、ジッポの火精霊と同じように、何故か皮袋にいつの間にか住んでいた。
青く輝く、やはり小さい棒人間な彼らだが、俺は水精霊のお蔭で、飲み水にも生活用水にも困らずに済んでいる。
他にも、色んな精霊に俺は助けられながら、なんとかキナコと共に森を進めている。
今にして思えば、俺の天職が『精霊術士』で良かったとしみじみ思う。
これで、剣だの魔法だのを使う職業だったなら、そりゃあ戦いで死ぬことはないかもしれないが、結局、食うに困って死にそうだ。生水を飲んで腹を壊したりするかもしれないし、何気なく食べた木の実が猛毒かもしれない。
サバイバル生活で長く生き抜くためには、とにかく人体に安全なモノだけを食べることが大切だと、なんかのテレビ番組で見た覚えがある。
その点、俺は無尽蔵に出てくる綺麗な水に、キナコに俺でも食えそうなモノを教えてもらったりしている。こんなに恵まれたサバイバル環境にいるのは、俺だけだろう。
「キナコ、今日もお疲れさん」
「プガー、余裕ダ」
「赤犬の群れは結構、激戦だったよな。お前、結構、血がついてんぞ。洗ってやるからこっち来いよ」
「頼ム、リライト」
今日も河原を野営地と決めて、夜を超す準備を始める。
野生の熊だけど結構キレイ好きなキナコは、こうして体を洗ってやると喜ぶ。自分じゃ背中まで手は届かないしな。
戦いの返り血などで汚れた時は、俺は感謝をこめて綺麗に洗ってやるのだ。今のところ、俺は大騒ぎしながら槍を振りまして自分の身を守るのに精一杯である。キナコと肩を並べて戦える日は、まだ遠い。
「リライト、オレ、魚トッテクル」
「じゃあ俺はその辺で食えそうな木の実とか集めてくるわ」
キナコのお陰で、美味い木の実や果物は教えてもらったし、あんまり美味くないけど食える植物なども覚えた。この状況では、どれも貴重な食料だ。
「焼キ魚」
「おう、任せとけよ」
そして、料理をするのは俺の担当だ。
料理と言っても、ただ焼いて塩を振るだけなんだけどな。
それでも、温かく塩味のついた焼き魚は、キナコ的には生で喰らうよりよっぽど美味しいらしい。ちなみに、キナコの好みの焼き加減はレアである。生焼けが美味しいと言ってくれるのは、料理人の俺としては凄い楽で助かる。
いまだに、あんま上手に魚をコンガリ焼けない俺であった。
「プガー、ンマイ! 焼キ魚、ウマイ!」
「そいつは良かった。変な形の魚だから、上手く焼けてるかどうか自信なかったんだよ」
「リライト、魚、焼ケル、スゴイ。オイシイ」
「へっ、食材と調味料さえ揃えば、もっと美味いモン食わしてやれんだけどな」
「カラアゲ!」
「そうそう、から揚げ。いつか絶対作って、二人で腹いっぱい食おうぜ」
「プガァ! カラアゲ、ガンバル!」
「お、キナコ、その荒ぶるポーズはなかなかワイルドでカッコいいぞ」
シャッターチャンスとばかりに、俺はポケットからスマホを出して撮影。
ついでに、自分も撮っておこう。
「サバイバル生活三日目。今日も飯が美味い!」
キナコと肩を組んで、自撮りをして保存。
折角だから、毎日の記録をつけようと思った。
もう二度と充電なんて望めないスマホを、こんな無駄遣いしている理由は、すでに充電の必要もないからだ。
「よう、お前ら、調子はどうだ?」
「ビリビリー」
「ペカー」
輝くスマホの画面から、白と紫に光り輝く精霊がゾロゾロと這い出てくる。
白い方は光の精霊で、紫の方は雷の精霊だ。
スマホは電気で動いて光るから、両方の精霊が宿っているのだろう。
コイツらのお蔭で、バッテリーは常にMAX状態だし、ライトの明るさも本物の懐中電灯を凌ぐ光量を発揮する。
俺のスマホは現代の技術を越えた、奇跡の精霊スマホと化したのだ。
「よしよし、寝る前にちょっと遊んでやるか」
バッテリー無限だから、ゲームも遊び放題! 世界的に人気のキャラクターの生首を積んで消す大人気パズルゲームは、俺もそこそこハマっていた。
ネットは繋がってないのに、何故起動できるのかは分からんが、遊べるならば何でもいい。
とはいえ、ゲームをプレイするのは自分のためってより、精霊達のためなのだが。
何故かゲームで遊ぶと、精霊達も楽しいのか、ワイワイと喜び出す。
俺は異世界でもスマホを使い続けられる恩恵の感謝の印として、毎日ゲームをプレイすることにしている。
キナコも見ていて楽しいのか、俺がゲームするとピッタリくっついてきて画面を覗き込んでくる。たまに爪で画面を叩いて邪魔したりもするけど。
「――すっかり暗くなったな。今日はもう寝るか」
「リライト、オヤスミ」
「おう、おやすみ、キナコ」
そして俺はキナコのでっかいモフモフボディを布団代わりにして、今夜も快適な眠りにつくのだった。
翌日。朝の用意を済ませ、今日も元気に出発だ、と張り切って河原を歩き出したその時であった。
ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
けたたましい鳴き声と共に、森が揺れた。
ゴーマも赤犬も、激しく吠える。だが、この咆哮の主は格が違う。声だけで、一体どれだけデカい奴なんだと思えてくる。
想像を絶する咆哮に俺がビビって硬直していると、
「リライト、隠レロ! 早ク!」
いつにもまして切羽詰った声を上げるキナコに、俺はそのまま抱えられて藪の中に突っ込んで行った。
一体何なんだ、と思う間もなく、森の木々も、俺達が隠れ潜む藪も、ザァザァと強風に煽られる。まるで台風でも来たかのような風速と風圧を伴って、ソイツは空から現れた。
「ま、マジかよ、アレって……ドラゴンじゃねーか!」
真っ赤なドラゴンが、大きな翼をはばたかせながら、河原へと舞い降りた。
ちょうど俺達が野営していた場所である。たき火の痕は、ドラゴンのはばたきによってあっけなく吹き飛ばされている。
もしかして、俺達を獲物と定めて狙ってきたのか――そんな恐ろしい予想は、川に首を突っ込んでゴクゴク水を飲むドラゴンの行動で、どうやら違うらしいと安心できた。
「良かった、水飲みに来ただけか」
「リライト、気ヲツケロ。見ツカッタラ、死ヌ」
キナコがかなりビビっている。いつもは誇るようにピーンと立っているウサミミも、今はペタンと倒れているし。
こんなに怯えているキナコは初めて見る。だが、あのドラゴンを前にすれば、それも当然だ。あんな怪獣、逆立ちしたって勝てっこねぇよ。
グルルゥ――
不意に、川面から顔を上げたドラゴンは、周囲の様子を探るようにキョロキョロと見渡し始める。
ま、まさか、俺達の存在に気付いたのか!
「……」
「プググ……」
俺とキナコは抱き合って震えることしかできない。
頼む、どうか俺達のことには気づかないでいてくれ。
そんな切なる願いを嘲笑うかのように、ドラゴンは鼻をならしながら振り返り、俺達が潜む藪の方を真っ直ぐに見つめてきた。
や、ヤバい……見つかった……?
「カクレルー?」
「ヒソムー?」
その時、聞こえたのはすでにして聞きなれた能天気な精霊の声。
どの精霊の声だ、と思えば、目の前に奴らはいた。
緑の精霊。だが、最初にお世話になった薬草の精霊ではない。
どうやら、この藪を形成している草の精霊らしい。
「……頼むぅ」
震えるような小声で、けれど心の底からお願い申し上げた。
すると、俺とキナコを包み込むかのように、草がゆっくりと動いて覆いかぶさって行った。
グォアアアアアアアアアアアアアッ!
そして、次の瞬間には再びあがる大音量の咆哮と、草木を薙ぎ払わんばかりに揺らす凄まじい風圧を伴い――赤いドラゴンは、あっという間に空の彼方まで飛び去って行った。
「た、助かった……」
「ヤッタ」
「いやぁ、マジで見つかったと思って焦ったぜ」
「見ツカッテタ」
「え?」
「見ツカッテタ。ケド、緑ノセイレイ、アツマッタ。ドラゴン、食ベルノヤメタ」
「おいおいマジかよ、精霊が庇ってくれなきゃホントに俺ら食われたたのかよ」
マジモンの危機一髪だったワケか。
いや本当に、精霊術士で良かったよ。
「お前ら、マジでありがとな。命の恩人だ――だから次もどうかお願いします!」
あのドラゴンのお蔭で、俺は心の底からここが本当の異世界なのだと実感した。
そして、この森はキナコでも敵わないような化け物が闊歩している、超危険地帯だということも。
これからは、もっと慎重に進んで行こう。
「――リライト、緊張シスギ」
「い、いや、だってよぉ……」
ドラゴンと遭遇してから、俺は急にこの森が恐ろしくなってきた。
警戒すべきなのはあのドラゴンだけでなく、他にもあんなようなデカい奴らはいるとキナコは言うじゃないか。
熊も人間も、この異世界森林の食物連鎖では上位にはまるで食い込めない。過酷すぎんだろ。
ああ、そうか、だからただでさえ熊の強さを持つキナコ達も、群れを作って暮らしているのか。熊が群れなきゃ太刀打ちできないようなモンスターが普通にいるから。
「ああ、早く街に、いや、もう超ド田舎でもいいから、辿り着きたい」
安全というのは、何よりも勝る贅沢なのだとしみじみ感じていると――
「リライト! ソコ、ナニカイル!」
「うぇええっ!?」
キナコが臨戦態勢を取り、茂みの向こうを睨む。
俺は完全にへっぴり腰になりながら、槍を構える。
頼む、どうか出て来てもゴーマくらいの強さの奴らにしてくれよ!
「……行クゾ」
意を決して、キナコが何者かが潜むという茂みに踏み込む。
ガサガサと草をかきわけて進んだ、その先には、
「クゥーン……」
一匹の犬がいた。
「なんだ、コイツはただの赤犬じゃねぇか」
「イヌ、弱イ。カナリ弱イ」
キナコからすれば赤犬の群れなど雑魚同然……という意味ではなく、ここにいる犬のことを言っている。
「確かに、コイツは随分と小っこいし、痩せてるな」
それに、奴らは犬らしく群れるはずなのだが、このチビは一匹だけで、木の根元にうずくまっている。
なんなんだ、こんなナリして、実はキナコみたいに反骨精神溢れて群れを飛び出してきた一匹狼なのか。
「あっ、コイツ、足を怪我してるぞ!」
毛皮が赤いからすぐ気づかなかったが、よく見れば後ろ足からは固まった血糊がベッタリとついている。黒ずんで凝固した血の跡は、負傷したのは今日、昨日、といった感じはしない。
「お前、もしかして、仲間に見捨てられたのか……」
「リライト、行クゾ。コイツ、危険ナイ」
何の脅威にもならないと判断したキナコが、早く行こうと俺の袖をクイクイ引っ張ってくる。
けれど、俺の足は動かない。
「クゥ……クゥーン……」
放っておけば、このままコイツは死ぬ。負傷した野生動物の末路としては、当然のものだ。
犬に怪我をした仲間の手当なんてできっこない。舐めて治るような傷じゃなければ、見捨てる以外に方法などない。
群れの奴らが薄情とは言うまい。これこそが自然の掟なのだから。
けど、それでもよぉ……そういうのを残酷だとか、可哀想だとか、そんな甘っちょろい感情で否定すんのが人間だろうが!
「待て、キナコ。俺はコイツを助ける!」
そして、俺にはコイツの傷を癒す力があるんだ。
なら、治してやって何が悪い!
「リライト、ドウシテ」
「どうしてもあるか、可哀想だろうが!」
「治レバ、襲ッテクルカモ。危険」
「そん時はキナコが守ってくれよ!」
めちゃくちゃ自分勝手なことを叫びながら、俺は地道に集めていたギザギザ葉っぱの薬草を取り出す。
空っぽになった弁当箱に詰め込んだ薬草を掴むと、
「キズ、ナオスー?」
「チ、トメルー?」
そこには、すでに薬草精霊達が治癒の力を解き放たんと、今か今かと待ちわびていた。
「ああ、頼むぜお前ら! 俺はコイツを助けてぇ!」
そうして、緑の輝きを放ち始めた薬草を、犬の傷口へと俺はつきつけた。
2020年1月24日
次回で第14章は完結です。
次章はいよいよヤマタノオロチ戦と、大きな山場になりますので、どうぞお楽しみに!




