第201話 目安箱
「イヤァアアアアアアアアアアーッ!」
という甲高い悲鳴が、学園塔生活で起こった最初のトラブルの合図であった。
悲鳴の出所は学園塔1階エントランスから2階妖精広場まで通じる階段から。
僕はエントランスで錬成作業中だったので、そのやかましい悲鳴が聞こえてすぐに現場へ向かった。
「なになに、どうしたの?」
「おう、桃川か」
僕が声をかけたのは、とりあえずすぐ近くにいた山田である。
これから探索に出発するため、ちょうど通りがかったようで、この場には他にもクラスメイトが何人も居合わせていた。
「なんか、下川が階段の下から小鳥遊のパンツ覗いたとか言って、揉めてるぞ」
「うわー」
これはまた面倒くさいことになってきたぞ。
何やってんだ下川……と思うと同時に、小鳥遊がわざと騒いでいるのでは、という冤罪疑惑も持ち上がる。
もしも小鳥遊が腹黒ならば、スキャンダルをでっち上げて僕の派閥のメンバーを切り崩しにかかってもおかしくない。
それは考え過ぎだとしても、単に下川のレイプ未遂野郎は気に食わねェから貶めようとか、自意識過剰でとりあえず被害者根性全開で絶叫した、という線もありえる。
「ちょっ、ちょっと待て、俺は何もしてねぇっていうか、見てねぇって!」
「言い訳するな! お前がこっちを見ていたのは事実だろう!」
「まぁ、見てたよな?」
「気持ちは分かるがよぉ、下川」
「言いがかりだべ!」
すでにメソメソ泣き始めている小鳥遊と、その隣で彼女を庇うように立って叫んでいるのは、案の定、剣崎である。お前メイちゃんいないとこでは強気だよな。
そして、下川と一緒にいたと思しき上田と中井は、素直に自首を促すよう説得に入っていた。いやぁ、素晴らしい友情ですねぇ。
「おい、桃川、止めに入らなくていいのか?」
「いや、僕の出番はないよ」
山田君、確かにこういう時真っ先に首を突っ込んで行くのが僕だけれど、決して僕は率先して他人のトラブルに介入したがる正義漢でもなければ、お節介焼きでもない。
本来の僕はただ野次馬を楽しみたいだけの一般人的根性の持ち主だけれど、このダンジョンに来て以降は、自分で動かないと物事が解決しそうにもないから、渋々、やっていたに過ぎない。
でも、今はもう僕が直接、仲介に入らなくても良い。
「ここは風紀委員に任せておこうよ」
見れば、風紀委員長の蒼真君と、副委員長の蘭堂さんが、セットで登場していた。
どうやら、二人も騒ぎを聞きつけて駆けつけたようだ。
「おい、これは一体なんの騒ぎだ?」
「誰かなんかやらかしたー?」
鋭い視線で周囲を一瞥する蒼真君と、完全に揉め事を観戦しに来た野次馬気分な蘭堂さんである。
蘭堂さん、自分が風紀副委員長で、こういう時に事態の収拾にあたるのが仕事だってこと、忘れてない? 君は塹壕掘るだけがお仕事じゃないんだよ。
「……本当に大丈夫なのかよ」
「大丈夫だって、あとは風紀委員の二人に任せるから」
実に納得のいかない顔つきの山田だったけど、僕は二人を信じるという名の丸投げをして、エントランスに戻ることにした。
こういう時にしっかり解決してもらわないと、わざわざ任命した意味がないからね。
いやぁ、面倒くさい人間関係のトラブルを誰かにお任せできるって、精神的に凄く楽だよ。結成して良かった、風紀委員。
それじゃあ、後は穏便に解決まで導いておいてよね、蒼真君、蘭堂さん。
それから5分後。
「――大変よ、桃川君! 下川君が殺されそうなの! 蘭堂さんにぶたれて小鳥も泣き喚いてるし、もう収拾がつかないわ! 急いで来て!」
血相変えて飛び込んできた委員長に首根っこを掴まれて、僕は強制連行されるのだった。
どうやら、風紀委員の人選は失敗だったようである。
「――というワケで、今回の一件は証拠不十分により不起訴処分ということで」
委員長と僕が音頭をとって、緊急に学級会を開き、今回の下川容疑者による小鳥遊パンツ覗き見事件の裁判を執り行うことにした。
結果は、僕が宣言した通り、一切処分ナシの無罪判決である。
事件の内容的には物凄くくだらないけれど、全容を解明するのは不可能だ。下川が本当に下心を持って階段の下から覗きを行ったか、それとも、小鳥遊の陰謀か被害妄想によって引き起こされた冤罪か。
下手をすれば泥沼化する危険性を孕んだ事態であったが、幸いにも、物凄く下らないと言った通り、取り返しのつかない致命的な問題が発生したワケではない。その危険性、違法性の低さがあるから、真実の追及を断念して、両者共におとがめなし、で事を収めるのも無理ではなかった。
無理ではないが、苦労はしたけどね。ホントに疲れたよ。
「蒼真君、正直、君にはガッカリだよ」
「……すまない、申し開きのしようもない」
学級会の解散後、僕は風紀委員二人を残し、お説教タイムに突入した。
「そうだぞ蒼真、お前もっとしっかりしろよなぁ」
「蘭堂さんも、いきなり手を出すのはダメだから」
今回のくだらない事件が、学級会で裁判を開くほどの大事に発展したのは、仲介に入った風紀委員の働きが失敗したからに他ならない。
蒼真君は、泣き喚く小鳥遊と怒り狂う剣崎を抑えきることはできず、蘭堂さんはピーピー喚くばかりの小鳥遊にキレてビンタしたりと、やりたい放題である。
「蒼真君さぁ、正直、下川君が覗いた、と思ったでしょ?」
「それは、そうだろう……アイツには前科があるからな」
「気持ちとしては当然だよね。でも、それを風紀委員が持ち出しちゃったら、公平性はなくなるよ」
すでに、僕らは最初の学級会において、これまでの罪は水に流す、もとい、一時的に棚上げする、ということで全会一致の決議がとられている。
ならば、これから先に起こす裁判においては、心情的には別としても、表向きにはそれらの罪を引っ張り出して、非を唱えてはいけない。
今回の例に照らし合わせれば、小鳥遊レイプ未遂の前科を引き合いに出して、やっぱり下川がやりやがった、と言ってはいけないのだ。それを言ったら、折角ゼロベースで構築し始めた、新たな信頼関係を崩すこととなってしまう。
信頼関係の喪失は、モラルの喪失に繋がる。
今、曲がりなりにもクラスがまとまっているのは、誰もがそれなりに信じられるルールがあるからだ。僕らは校則の元に平等である、と。
「君は下川君の信頼を裏切った。風紀委員に必要なのは、誰に対しても公平に扱ってくれるという信頼だよ。そうじゃなければ、誰も言うことを聞かなくなる」
「……ああ、分かっている」
「後でちゃんと、下川君に謝っておいてよね」
あの状況において、蒼真君が真っ先にしなければいけなかったのは、下川君の味方をすることだ。
風紀委員長の肩書きを持つ蒼真君が、下川を疑う目を持てば、最早その時点で彼の容疑は確定したも同然である。
大切なのは、容疑者、ひいては犯罪者、誰か一人を『悪』と決めつけてはいけないこと。
この僅か18人のクラスというコミュニティにおいて、一人のもつ意味は大きい。
だから、風紀委員が受け持つ程度の揉め事において、その解決策は犯人を決めることではなく、如何にして犯人を決めつけずに、穏便に事を治めるか、なのである。
事なかれ主義万歳。
「その点、蘭堂さんの行動は過激だったけど、ギリギリで公平性のバランスがとれたよ」
「だろー?」
蘭堂さんが小鳥遊をビンタしたのは、ホントに見ててムカついたんだろう。
実際、これほど大事になってきているのに、本人は泣き喚くだけじゃあ、相手の釈明を聞くだとか、そういう解決に向けた姿勢が見えない。それどころか、泣き続ければさらに事態を悪化させることになる。
もう一度言おう。重要なのは、如何に穏便に解決するか。
その上でなによりも大切なのは、双方の歩み寄り。
この際、多少の不利益を被ろうとも、クラスの秩序と平和維持、という公共の利益のために少しは我慢して欲しい。
恐らく下川としても、一方的に疑いをかけられていても、一言謝れば許される、という状況ならば、大人しく泥を被って謝っただろう。彼には、それくらいの理性がある。
しかし小鳥遊のように、被害者自ら落としどころを示すこともなく、一方的に自らの被害のみを主張し続けるような行動は、容疑者に対する罪科を最大限まで高めうるものである。
こうなれば、最早問題はパンツを本当に覗いたか、覗いていないか、ではなくなってしまう。小鳥遊小鳥という少女が、これほどまでに泣き叫ぶ精神的苦痛を与えた、というより重大そうな罪に見えてしまうのだ。
「蘭堂さんのビンタのお蔭で、下川君も多少は救われた気持ちになったと思う」
「別にアイツを庇う気はなかったけど。小鳥遊がいつまでもウルセーから」
グーで殴ってくれてよかったよ。
マジで小鳥遊、アイツ分かっててやってんじゃねぇのと、僕も思ったもん。
「でも手を出すのはダメ。ホントにやめて」
蘭堂ビンタが決め手となって、いよいよ泣き止まない小鳥遊に、剣崎も激高して状況の収拾が不能となってしまった。そして委員長が僕のところに駆け込むことに。
「反省してまーす」
全然、反省してない表情の蘭堂さん。
頼むから、次は一喝するくらいで留めておいて欲しい。
「一応、蘭堂さんも手を出したことについては、小鳥遊さんに謝っておいて。勿論、その謝罪を素直に受け入れられるように、ちゃんと蒼真君も言い聞かせておいて」
「ちっ、しょうがねーなー」
「分かった、それくらいの後始末はさせてもらおう」
「とりあえず、風紀委員を更迭するほどの不手際ではないから、二人にはこのまま続けてもらうよ。でも、次からはお願いね、ホントにお願いね」
これ以上、余計な揉め事を僕に関わらせないで。毎回、学級会開くのも疲れるの……
「――目安箱を設置します」
翌日、僕は朝食の折にそう発表をした。
みんなの反応は、あまり芳しくない。コイツ何言ってんだ? みたいな。
「つーか目安箱ってなに?」
「えっ、蘭堂さん知らないの?」
「知らないし……えっ、フツー知らないよね?」
残念な子を見た、みたいな顔でジュリマリから肩をポンポンとされる蘭堂さんは、それきり黙ってしまった。
まさか、名門私立の進学校と名高い白嶺学園の生徒でありながら、目安箱の存在を本気で知らないとは……蘭堂さん、どうやってウチの入試合格したんだろう。裏口とかじゃないよね?
「目安箱とは言うけれど、実際に箱を置くワケじゃないわ。ただ、何か意見や要望、相談事があれば、まずは私か桃川君に、直接メールをして欲しいの」
目安箱ではなく、正確には目安メールボックスである。
昨日の覗き見事件を受けて、その直接的な解決策ではないけれど、事前に不平不満などを受け入れる体勢は整えておくべきじゃないかと、僕と委員長は相談して決めた。
何かあるなら普通に話しかけてくれればいいじゃない、とは思うのだけれど、そういう話こそ切り出しにくいものだし、人の目というものもある。
幸い、小鳥遊のお蔭で全員のスマホは電話とメール機能は使えるようになっているので、連絡手段には事欠かない。誰の目も気にすることなく、意見や相談を持ちかけることができる。
誰からの相談か、というのはメールを受け取る僕か委員長には絶対に分かってしまうが、本人の同意がなければ誓って相談者は公表しないという匿名性も保障する。そうじゃないと、わざわざコッソリ相談を持ちかける意味ないしね。
「ねぇねぇ、それじゃあスマホも普段から使えるようにしてくれるの?」
「使用制限に変わりはないわ」
「えぇー、ダメかぁ」
と、ガッカリする夏川さんだが、他にもちらほらそういう気配の人もいる。
委員長が宣言した通り、実は全員のスマホには使用制限をかけている。
設定でどうこう、ではなく、常に指定の場所に保管するようにした。基本、学園塔内でスマホの使用は禁止だ。
ただし、探索などで外出する時には、貴重な連絡手段として必ず身に着けるようにしてある。
無事に帰還すれば、また元の位置に戻す。学園塔にいるのに、そこにスマホがなければ無断持ち出しが一発で判明するワケだ。
何故、こんなルールを設けているかといえば、充電するのにも限りがあるから――というのが建前で、本音は治安維持のためである。
こんな状況下で、自由に連絡通信、情報交換できるツールなど百害あって一理ない。ふとしたキッカケで、桜ちゃんの我慢が利かなくなり、僕を打倒するためレジスタンスなんかを組織するかもしれない。
裏でコソコソやるには、スマホのような携帯端末ほど便利なものはない。
そうでなくても、どうせ悪口、陰口の温床になるなど、ロクな結果にならない。ささいな悪口でも、同調する者が出始めれば、その悪意は正義に成り代わることもある。相手が悪い、自分は正しい、だってみんなも賛成しているのだから。
実際、僕は悪巧みする方だから、あんまり余計なこと突っつかれたくないのも本音だけど。
「それじゃあ、何かあれば遠慮なく連絡してちょうだい。問題が大きくなる前に、解決できるよう私達も頑張るわ」
そういうワケで、目安箱制度スタートである。
「おっ、早速メールが来たぞ」
委員長ではなく僕の方にメールを送るとは、君は見る目があるぞ。
さて、目安箱初の相談者は――
「おい桃川、ふざけんなよ!」
「なに考えてんだよテメーは!」
と、僕を糾弾しているのは、ジュリマリコンビである。
相談者はこの二人。詳しい相談内容は会って話すとのことで、学園塔5階の密会部屋まで出向いたワケだけど……ご覧の通り、ヤンキーに校舎裏に連れ込まれてカツアゲのような状況となっている。
「なんだよ天道くん係って!」
「委員長の一人勝ちじゃねぇか!」
まぁ、二人の言い分はもっともではある。この二人から話がある、とメールされた時点で、内容もお察しではあった。
「ま、まぁまぁ、落ち着いてよ二人とも」
「落ち着けるかよ、私らは本気なんだぞ!?」
「双葉と杏子に挟まれて自分は余裕かコラぁ!」
「そ、そんなことは、うぼぉあぁ!」
不平不満を叫ぶ二人に揉みくちゃにされる僕は、とりあえず収まるまで耐え忍ぶ。女の子の愚痴は、一通り吐き出させてあげないといけないんでしょ? 精神的に凄い重労働だよね。
「それで、どーしてくれんのよ桃川」
「まさかアタシらを裏切るつもりじゃねーだろーな」
ひとしきり叫んだ後で、話が聞ける程度には落ち着いた二人に、ようやく釈明タイムだ。
「二人には悪いなーとは思ったけど、天道くんの自由行動を許容するには仕方ないことだったから。それに、委員長の気持ちだって二人は知ってるでしょ? 委員長には色々と負担かけてるし、これからもかけることになるんだけど……はけ口がないと先に委員長が潰れちゃいそうだから」
今この状況で委員長がダメになったら、クラスは終わる。二年七組終了。
僕が男子委員長として威張り散らしていられるのも、委員長が同じく女子委員長としているから、みんなも、特に蒼真派閥のメンバーもまだ大人しくしてくれているのだ。
委員長がトップから欠けた途端に、蒼真派閥の不平不満は抑えきれなくなるし、他の人からだって、どんな反感を買うか分からない。
僕は自分が優れた指導者だとは思っていない。最善と信じる方法を考えだし、論理的に説明することはできるけれど……それで誰もが納得してくれるワケじゃないってのは、よく分かっている、というか思い知っている。
委員長には、これまでの信頼と実績がある。そして、人を治める才能、一種のカリスマといってもいいだろう。そういうトップとしての魅力を兼ね備えた人物だ。
そして、僕にはソレがない。
だからクラスを一致団結させて率いていくには、委員長の力は絶対に必要なのだ。
「だからって、これはサービスしすぎじゃねーのか?」
「アタシらどうすりゃいいんだよ」
確かに、現状で天道君はジュリマリと一緒にいるより、委員長と一緒にいる方が長い。
でも、それはあくまで状況によるものだ。ジュリマリは普通に探索部隊のメンバーだから、日中、学園塔にいる時間も少ないし。
「いいや、そんなに悲観するほどの状況じゃないよ。良くも悪くも、今の委員長と天道君の関係は、学園にいた頃のままだ」
つまり、委員長が世話を焼く、天道君が嫌々ながらも従う、といった構図。
「二人の間に、恋愛的な進歩はない。そして、この状況でソレが縮まることもない」
委員長も妙にヘタレなのか、あれだけ散々世話を焼いて構っておきながら、それ以上、親密になるよう踏み込む様子が見られない。
学園生活の頃なら甘酸っぱい青春の一ページとしてそれほどおかしな関係性ではないものの、この明日死ぬかもしれないダンジョンサバイバルで、そんな悠長な恋愛ごっこはしてられない。
委員長の気持ちが強ければ強いほど、距離を縮めきれないこの状況を良しはしないはずだ。
そりゃ恋愛禁止にはしているけどね。でも、それで止められるほど、心の底から愛する強い気持ちってのは、弱いものじゃないだろう。
「二人の関係に変化はナシだ。委員長はこれ以上踏み込まないし、天道君にもその気はない」
「なるほどな」
「確かに、言われてみれば」
「だから、つけいる隙はある」
天道君がそれを望むかどうかは別問題だけど、アプローチをかけるのはジュリマリの自由だから。二人のためにも、天道君は存分に付き纏われるといい。
「僕としては、なるべく天道君と一緒にいられるよう、それとなく部隊配置とかをするくらいしかできないけれど、協力はするから」
「ホントかぁ?」
「もっとなんかないのかよ」
「これでも恋愛禁止だから。あんまり、あからさまにくっつけるような真似はできないよ」
でも、そうだなぁ、二人もこのままじゃあまだ納得しきれないだろう。もう一つ、オマケが必要か。
「でも、二人の気持ち、僕は分かっているつもりだよ。だから、特別に教えてあげる」
これを教えることのリスクはある。でも、これくらいの希望がなければ、こんな状況で恋愛もやってられないよね。
「天道君の部屋は、一番奥の角部屋だから」
「お、おい」
「それって……」
「これを知ってどうするかは、二人で決めて。そして、もし晴れてカップル成立したなら、その時は学級会開いて、その仲を公認にするよう取り計らうよ」
僕が今の二人に持たせられる、最大の希望がこれである。
たとえ我慢の強いられる状況だとしても、一筋の希望があれば、人は耐えられるものだ。実際に叶うかどうかじゃない。叶えられるかもしれない、という希望が、日々を生きる活力に繋がるのだ。
さて、ジュリマリも無事に納得してくれて、その場は解散となった。
けれど、僕は密会部屋に残り続ける。
実は、今日はもう一件、相談の予約が入っているんだよね。
「さぁ、山田君、遠慮しないで何でも話してよ」
「お、おう」
準備万端の体勢で相談者山田を迎え入れると、何故かちょっと引かれた。なんだよ、折角、飲み物まで用意したっていうのにさ。
「それで、相談内容は?」
これも会って話すとのことなので、これから聞くこととなる。
正直、あんまり良い予感がしない。なにせ山田である。あのレイナに一番イカれていた困ったちゃんだ。
これで、今度は小鳥ちゃん大好きとか言い出したら、諌めるのに相当な苦労を擁するぞ……基本的に、他人の恋は応援するタイプだけれど、どう考えても上手くいかない、トラブルに発展する可能性の方が高い、という場合は勘弁である。
さぁ、何て言って諦めさせるか。そんなことをグルグル考えながら、山田の言葉を待つ。
「お前、釣竿って作れるか? あと針とかも。まぁ釣り具一式って感じか」
「……釣竿?」
「まぁ、俺が使うもんだからよ、勝手な頼みをしてるってのは分かってるんだが……なんとか頼む。必ず、みんなが食える分の魚は釣ってくるからよ」
と、素直にボウズ頭を下げる山田を見ながら、ようやく理解が追いつく。
「分かった、僕に任せてよ」
「おお、いいのか、ありがてぇ!」
いやいやこちらこそ、邪推してしまって申し訳ない。
そういえば、山田の趣味って釣りなんだっけ。トリオとサバイバルしてた頃も、よく釣りしていたというのは聞いていた。ヤマジュンとよく一緒に行っていたっていうことも。
「いい趣味を持ったね、山田君。そういうのは大歓迎だよ」
「そう言ってもらえると、助かるぜ」
僕の素直な賞賛の言葉に、やや照れ気味な山田である。
いや本当、こういう良い方向性の相談を待っていたんだよ。
いいじゃないか、一人でも定期的に魚を釣りに行ってくれるなんて。それでいて、こんな潤いのないダンジョン生活の中で、立派に楽しめる趣味ができるというなら、それは精神衛生的にも良いことだ。
「僕って釣りしたことないから、詳しいこと分らないんだよね。だから、作る時は立ち会って、アドバイスとか欲しいんだけど、いいかな」
「なんか、そこまでしてもらうと悪い気もするな」
「いやいや、気にしないでよ。これはみんなのためにもなることだし、新鮮な魚が手に入ればメイちゃんも喜ぶから」
山田の他にも、釣りしたい人がいれば、やってくれてもいいし。今の状況下では、釣りってのは物凄く有益な趣味だしね。
「でも、一人で外を出歩くのは危険だから、行くときは最低でもレムは連れてってね」
「それって実質一人なのと変わらないんじゃねぇか」
「一人でやりたい時もあるでしょ? レムは喋らないから、ただの置物みたいなものだと思えば」
「まぁな……悪いな、桃川。随分と世話になっちまう」
「こんな状況だからこそ、お互いに助け合っていかないと。山田君の釣果に期待してるよ」
「おう、任せとけ」
固く握手を交わした山田を見て、もしかすれば、彼なりに成長しているのではないかと感じた。
ヤマジュンの死を乗り越えたのは、僕だけじゃない。一番の友達だった彼が、この悲しく辛い経験を経て、最も成長できたのかもしれない。




