第174話 トラウマ覚悟の監視任務
青い海、白い砂浜。燦々と陽の光が降り注ぐ真夏風のビーチを駆け抜ける、二つの人影。
「へへっ、何やってんだ、遅ぇーぞ、タカ!」
波打ち際を、飛沫を上げながら走る先頭は、大山大輔。
海パン、ではなくピッチリしたボクサーブリーフ一枚の下着姿である。空手部の練習と自主練とで鍛え上げられた、引き締まった肉体に大粒の汗が浮かぶ。坊主頭に鋭い強面の大山だが、ガキ大将のような無邪気な笑顔を浮かべて、走り続けていた。
「はぁ、はぁ、おーい、待てよぉ、大ちゃーん!」
やや遅れて大山を追いかけるのは、杉野貴志。
彼もまた海パンはなく、下着一枚の格好。ただし、履いているのは高校生にあるまじき、際どいV字を描く真っ赤なブーメランパンツである。
大山よりも一回り以上大きい、熊のような大男の杉野が、汗だくのガチムチボディで疾走する様は、爽やかさの欠片もない凄まじい暑苦しさ。
それでも、「待て待てー」と追いかける杉野は喜びに満ちた表情であり、「早くしろよ!」と呼ぶ大山も笑顔が絶えない。
何がそんなに楽しいのか、そもそもどうして追いかけっこをしているのか。良く分からないし、もう理由なんてどうでもよかった。
あの眩しい太陽の光が、男二匹を熱くさせる。この真夏の海が、野郎二人を盛り上がらせる。誰もいないプライベートビーチ同然の解放感。曝け出した逞しい肉体、噴き出す汗、荒い吐息……今はとにかく、男の野郎が熱くてアツくて堪らない。
「ほらっ、捕まえたぞぉーっ!」
「あっ、くそぉ……離せよぅ」
野太い杉野の両腕が、ガッチリと大山の体を後ろから抱きしめる。離せ、離せ、と言いながらも、モジモジと身をよじるだけで、全くその拘束から逃れようとはしていない。
ピタリと密着した男達の肌がこすれ合い、互いの汗が混じり合い、濃密なオスの臭いに包まれて、興奮のボルテージはグングン上がりビンビンに。
「ダメだよ、絶対に離さない」
「ったく……しょうがねぇな……」
抱きしめられた杉野の腕の中で、どこか艶っぽい溜息を吐きながら大山は正面を向きなおる。
目の前には、ダンジョン生活でもスタイリッシュなソフトモヒカンを維持している、柔和な目をした大人びた顔の杉野の顔がある。菩薩のような優しい微笑みを浮かべながらも、その上気した肌に、ダラダラと流れ落ちる玉の汗は、愛しさと切なさの向こうで燃え上がる、強烈な欲を感じさせる。
一方、そんな杉野の目に映るのは、自分の前でしか見せない羞恥で真っ赤になっている大山の顔。鋭いナイフのような一重の目も、固く引き結ばれた口元も、このぶっきらぼうな空手少年の全てが可愛らしくてしょうがない。
「んっ……」
どちらともなく、重なる唇。
最初はついばむように、けれど、すぐに蛇が絡み合うような激しいものへ――
「んっ、ちょっ、タカ、これ以上はダメだって」
「ごめん、大ちゃん。でも、我慢できないよ」
「こんなところじゃ、ちょっと……せめて、広場に戻ってから」
「いいじゃないか、どうせ、誰も見てないんだ。ここには私と大ちゃんの、二人っきりだよ」
「そーゆう問題じゃ、あっ、おい、脱がすなって!?」
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫じゃねっ、あっ、ッアー!」
男達の熱い夏は、まだ、始まったばかりだ。
「……見なきゃよかった」
それは、僕の心の底から湧き出た後悔の言葉である。
現在、僕は大山杉野コンビが潜伏していると思しき、第二海辺ホテルを監視するべく、『双影』を使って、近くの廃墟ビルで隠れ潜んでいる。
アルファに乗ってここまで来て、レム鳥達のアシストを受けながら、僕は二人を肉眼で監視すべく、こうして出張って来たのだ。本体の方は、臨時で拵えた廃墟の拠点内にて、ごろーんとお昼寝中である。すぐ傍でメイちゃんが料理をしているので、安心して放置できる。
そうして分身の僕は、監視任務の際には恒例となった、手作りのギリースーツ(廃墟仕様)を纏って、ここまでやって来た。
上手く二人を見つけることができるかどうか不安だったけれど、幸いにも、あの二人はのこのこと見晴らしの良い浜辺へと現れた。
そして、きっと僕の幸運はここで使い果たされたのだろう。
二人は、海パン代わりの下着姿で現れた。この時点で、もう嫌な予感がした。そして、ホテルから出てきた二人が、がっちりと手を繋いでいるのを見て、確信する。だって、恋人繋ぎなんだもん……
そして始まる、男二人による壮絶なイチャイチャ劇。ゆっくり浜辺を散歩したり、水をかけあって、キャッキャとはしゃいじゃったりしてさぁ……挙句の果てに、あの波打ち際の追いかけっこである。
お前ら昭和のカップルかよ、と言いたくなるが、彼らは現代に生きるゲイカップルである。そして僕は、生々しい男同士の愛の営みなど、詳しく知りたくない。嫌じゃ嫌じゃ、そんなの知りとうない……
追いかけっこしていた杉野が、大山を捕まえたあたりから、地獄が始まった。そこから先は、詳しく見ていない。直視するのがはばかれるからだ。
レム鳥には、二人が離れたら、僕を呼んでとお願いしてある。
いいねぇ、レムは。人間じゃないから、男同士が濃厚に絡み合っていようが、虫の交尾より感じ入ることが何もない。
「はぁ……」
気分が落ち込んでくる。もう何も考えたくない。特に男の姿なんて見たくない。ちくしょうめ、監視を終えて戻ったら、不審がられてもいいからメイちゃんのことをジロジロと見てやる。舐め回すように見てやる、特に、胸とかお尻とか、男では決して持ち得ない魅惑の曲線美を、僕は生きて帰ったら堪能するんだ!
「あー、もう帰りてぇー」
一人でモチベーション保つのも限界だよ。あんなモン見せつけられてさぁ。
でも、頑張るよ。僕らの進退を決める、重要な任務だからね。僕も言いだしっぺだし、後には退けないし。
ゲイカップルの生態に詳しくなんかなりたくないけど、きっちり監視任務はこなしてやんよ。
なんて、決意は固めるけど、今の僕、生気の抜けた青白い顔をしていると思うんだよね。
「クゥーン、キュー」
テンションがダダ下がりの僕の様子を心配してか、傍らに控えるアルファが、スンスンと鼻先を僕にすりつけてくる。
「あぁー、レムは良い子だなぁー、良い子、良い子」
ペットって、人の心を癒してくれる、素晴らしい存在ですね。ペットは家族です!
でもアルファ、お前は真っ赤で目立つから、もうちょっと身をかがめていような。
大山と杉野は、しょっちゅう盛るために大いに僕の精神力と正気度を削ってくれたが、それでもレムの警戒網と『双影』による監視体制は、思ったよりも上手くいっている。
二人の監視を始めて、早三日。
今のところ、二人に気づかれた様子はない……と、思いたい。こっちはあくまで、僕の視界に届く範囲で見ているだけで、盗聴器で二人の会話まで拾えているわけではない。
いくら普通の鳥や小動物としてレムを使えるとはいえ、あまりに近づけさせると、天職持ち特有の勘の鋭さによって、使い魔の類であると気取られる危険性が高い。
三日もあれば、彼らもほどほどに移動を始めている。第二海辺ホテルで熱い夜を過ごした後、スッキリ爽やかな顔で二人は出発している。
それを、アルファに乗った『双影』の僕が追いかけ、さらに一定の距離を置いて、本物の僕とメイちゃんがいる本隊が続く。僕の意識は基本的に分身の方に割いて、二人の道中の監視に努める。その間、僕の本体は眠った状態になるけれど、アラクネに、新しい荷物として載せておけば運搬は可能だ。どうせ眠ってるし、乗り心地はそんなに気にしなくてもいい。本隊にはメイちゃんも黒騎士レムもいるし、いざという時はすぐに目を覚ますこともできるから、さほど心配はしていない。
そうした監視体制の元で、二人の戦力を計っているのだが……この辺で出てくる魔物が、ジーラを中心に、大蟹とか、その他諸々の雑魚が多いので、二人の実力を引き出す相手としては弱すぎる。
確認できたのは、予想通りの戦いぶりだけ。
杉野は天職『重戦士』の防御力を活かした大胆な立ち回りで、迫りくる相手を巨大なメイスを振り回して蹴散らし、大山は天職『炎魔術士』の基本的な攻撃魔法である『火矢』という火の玉を放って、援護射撃や弓持ちなどを爆散させている。
大山は運悪く、いまだに魔法の杖を手に入れてないようで、素手のまま魔法を使っていた。
「セイヤッ! セイヤぁ!」
と勇ましい掛け声と共に繰り出される拳。その先から、ボウッ! と勢いよくソフトボールサイズの火球が放たれる。その空手っぽい掛け声はいるの? それが詠唱代わりになってるの? 魔術士らしくないスタイルだが、『火矢』を素早く撃ち出し、正確に命中させていることから、やはり炎魔術士としては十分な力を持っていることは間違いない。
ジーラの数が多かった時などは、ちょっと気合いを入れてから拳を繰り出し、バレーボールサイズの大きな火球なんかも撃ち込んでいた。着弾すると結構な範囲で爆発し、さらには炎がまき散らされ、なかなか凶悪な威力を誇っていた。『火矢』よりも強力な攻撃魔法である。
現状で確認できた大山の攻撃魔法はこの二つだけ。だが、あの様子ではもう二つか三つくらい、習得していてもおかしくなさそうだ。
「そういえば、防御魔法は使っていなかったな」
敵を引きつける前衛タンクとしての杉野が優秀ということもあるせいか、委員長や蒼真桜がよく使っていた、それぞれの属性による壁を作り出す防御魔法は見ていない。炎魔術士なら、どう考えても火の壁が、そう、あのオルトロスがメイちゃんを分断した時のような感じで、展開されるはず。
習得していない、という可能性もありうる。天職の成長には個人差があって、次に獲得する能力や技にも、違いがあるのは間違いない。同じ天職だけど違うスキル構成というのは、すでに分かっていることだから。
大山の空手部らしい攻撃的なファイティングスタイルから、攻撃魔法に偏った成長をしている可能性は大いにありうるけれど……ここは、炎の防御魔法もある、と想定しておいた方が無難だろう。
うーん、もっと手の内を引き出してくれる、強敵が現れてくれればいいんだけど――なんて思っている内に、とうとうボス部屋らしき場所にまで、辿り着いてしまった。
それは入り組んだ入江の中に、ぽっかりと空いた洞窟だ。天然の洞窟、ではあるのだろうけれど、岩壁をそのまま掘り削った神殿のような造りが見える。エジプトのアブシンベル神殿みたいな感じ、だけれど、こっちの方は柱や石像はほとんど崩れ去り、あまり原型をとどめていない。
ただ、明確に建造物として加工した跡があるから、ここに人の手が加わっていることは一目瞭然ではある。
「ここがボス部屋で間違いないようだね」
「おう、気合い入れて行くぜっ!」
意気揚々と、大山杉野のコンビは入り江の洞窟神殿へと踏み入って行く。
昨日の内にここへ辿り着き、そのまま一晩休んでいるので、コンディションも整っているだろう。二人のサバイバル生活ぶりも、ここ最近で明らかになっている。ジャージャなどの草食動物が食用であることを知っているようで、通りがかりに見つければ狩りを行い、肉を手に入れている。
流石に僕らのようにロクな調理はできていないが、腹の減った男にとって、新鮮な肉を焼いて、塩をふりかけるだけで十分なメニューとなる。少なくとも、クルミだけの侘しい生活から、肉食中心になって久しいようだ。
特にサバイバル生活における疲労もなく、ついでに、愛し合うパートナーと組んでいるお蔭で、その士気も高い。たった二人、けれど、だからこその強さを発揮する大山杉野のコンビを、僕はボス部屋に入って行くのを見送った。
「仕掛けるなら、今しかないか」
恐らく、あの二人なら順当にボスを倒すだろう。そして、そのまま転移を果たしたならば、次に偶然の発見をするまでは、出会うこともない。つまり、ここ数日の僕がゲイポルノの精神攻撃に耐えながら遂行した監視任務が無駄になってしまう。
「ここで、二人に奇襲を仕掛ける」
「うん、任せてよ、小太郎くん!」
笑顔で応じてくれるメイちゃんは、今にもハルバード片手に突撃していきそうだが、まずは引き留める。
「少しでも消耗したところ、ついでにいえば、油断したところを狙いたい」
つまり、狙うべきはボス戦を終えて、コアを摘出し、いざ次のステージへ、と転移魔法を発動させる寸前だ。僕も何度か経験した、あのタイミングである。今回は、僕の方から仕掛けてやる。
「中の様子は、レムに探ってもらう」
洞窟の中では、コウモリ以外の鳥は目立つので、その辺の茂みでとっつかまえたハブみたいな蛇をレムとして送り込む。
さほど大きくもない、茶褐色の縞模様の蛇は、洞窟を這っていても目立たない。コイツがボス部屋の中を覗きこんでいたとしても、流石に戦闘中では気づかないだろう。
「戦いが終わるまで、僕らは待機だ」
「小太郎くん、殺していいの?」
「うん、殺すつもりで斬って」
殺すか、殺さないか、いまだに迷いのある僕は、もう本人の力に任せることにした。何より、手加減をして奇襲が失敗したら、目も当てられない。
だから、全力で仕掛ける。死ぬだの生きるだのは、成功した後に考えればいい。
「杉野の方を狙って」
「うん、必ず仕留めてみせるよ」
大山と杉野、どっちを先に排除すべきかといえば、やはり杉野の方だろう。あの防御力は厄介すぎる。奇襲による渾身の一撃を加え、一息に無力化させておきたい。
大山の火力も警戒すべきだが、防御に乏しいアイツは、剣を持ったスケルトン一体でも迫られれば危ういはずだ。大山が相手なら、『スケルトン』と『ハイゾンビ』をけしかけるだけでも、十分に効果的となる。逆に杉野が相手だったら、攻撃が通らないから、無意味な存在になるし。
「メイちゃんは、とにかく杉野に集中して。こっちも同時にレムをけしかけて、大山を狙う」
決断は下した。覚悟は決めたものの、握った手にはじんわりと嫌な汗がにじむ。
積極的に人を殺そうというのだ。やはり、いい気分はしない。けれど、これが最善の方法だ。こっちが容赦しても、あの二人はすでに、覚悟を決めている。他のクラスメイト全てを犠牲にしてでも、自分達二人が生き残ることを最優先にすると。
そう決めた時点で、君達は……僕の敵なんだ。
「シャアアア」
チロチロと舌を出しながら、一匹の蛇が僕の下へと帰ってくる。横を見れば、黒騎士レムがコックリと大きく頷いた。
どうやら、いよいよ時が来たようだ。
「じゃあ、行こうか」




