第145話 懺悔
幾つかの分岐を経て、僕らは次の妖精広場へと辿り着いた。分かれ道では、あえてコンパスとは違う方向を選んできたから、蒼真パーティが追跡できる確率は、分かれ道の数の分だけある。ひとまずは、これで安心だろう。
「あー、ごめんね、蒼真君。レイナの死体、なくなっちゃったよ」
呪術で使役した影響で、妖精広場に到着するなりレイナの屍人形はサラサラと灰になって、原型を留めず消滅した。勝の時と、同じ現象である。
だが、勝の屍人形は、樋口によって限界以上のダメージを受けて崩壊したが、レイナの方は一切の傷はつけていない。
それでも崩れ去ったというのは、レイナなりの抵抗の証かもしれないな。本当に、忌々しい女だよ。
「はぁ……」
と、僕はどこまでも深い溜息を吐く。
とりあえず、難を逃れて休憩場所に辿り着いたことで、すっかり気が抜けてしまう。考えるべきことは、沢山あるはずなのに、頭の中が真っ白になっていく。
どう考えても、極度の疲労である。肉体的にも、精神的にも。
「小太郎くん、大丈夫?」
「ちょっと、疲れたから……少し、眠るよ」
抱えてきた荷物を放り出して、柔らかい芝生の上に座り込む。蜘蛛糸でハンモックを作るほどの元気さえない。
そのまま、横になって寝ようとした、その時だった。
「わっ」
抱きしめられていた。びっくりするほど柔らかくて、温かくて、良い匂いがする。メイちゃんは真正面から、僕をその大きな胸に抱いていた。
「えっ、あの、なに?」
「ごめんね……傍に、いてあげられなくて」
僕の顔は規格外の爆乳に埋もれているから、メイちゃんの顔は見えない。でも、容易に想像はついた。
メイちゃん、泣いてるの。
「ううん、いいんだよ……だって、ちゃんとメイちゃんは助けてくれたから」
こうして、今、僕を抱きしめてくれている。ただ、それだけ僕は救われる。身も心も、何もかも。
「本当に、無事で良かった……でも、ごめん、ごめんね、小太郎くん」
「どうして、謝るのさ」
命より大事なことなんて、あるワケないのに。
僕は生きて、窮地を脱した。メイちゃんのお蔭で。彼女が、蒼真悠斗と、他のメンバーに対する抑止力となるだけの、戦闘能力があるからこそ。
狂戦士の力を持つ彼女が、僕の味方についてくれている。ただそれだけで、僕には感謝の念しかないというのに。一体、何を謝る必要があるというのだろう。
「大変、だったよね」
うん、大変だった。
「辛いこと、苦しいこと、沢山、あったんだよね」
辛かった。苦しかった。死ぬほどのメに、何度も遭ったさ。
でも、それが何だと言うのだ。ここは魔物が跳梁跋扈する、過酷な異世界ダンジョン。人間が生き抜くには、そんな苦労は当たり前のことだよ。
「ごめんね、小太郎くん……泣かないで」
「えっ」
泣いてはいない。
泣いてない、はず。
「私がずっと、傍にいるから。辛いことも、苦しいことも、私が背負う。だから、小太郎くんはもう、傷つかなくていいんだよ」
「僕は、別に……」
泣いてないし、傷ついてもいない。
「私が守るから。何があっても、絶対に」
ただ、生き残るために、必死に足掻き続けただけなんだ。
「だから、私は小太郎くんがどんなことをしていたって、全て許して、受け入れるから」
そう、僕は、生き残るために……
「たとえ、神様が許さなくたって、私は許す。小太郎くんは悪くない、罪なんか何もない。だから、ね、泣かないで。もう、苦しまないで。私を、信じて」
ああ、やめて、やめてよ。そんなこと言われたら、折角、抑え込んできたのに、忘れようとしたのに、必死に、気づかないフリをしてきたのに――全部、溢れてしまう。
「苦しかった……怖かった……メイちゃんと別れて、一人になって」
「うん」
「レムがいたから、何とかなっただけなんだ。バジリスクだって倒した……でも、限界だと思った」
「うん」
「なのに、次に会ったのは樋口で……僕は、ああ、クソ、やるしかなかったんだ」
「うん」
「他のクラスメイトにも、出会ったよ。今度は仲良くなれて、良かった……けど、取り入るのに必死だった。信頼を勝ち取らなきゃいけなかった、僕は呪術師だから、一人では生き残れないから」
「うん」
「また、一人になって、また、出会って……どうにもならなかった。どうして考えない、どうして分からない、どうして、本気で、生き残ろうとしない……恨むべきは、僕じゃないっていうのに」
「うん」
「僕は……人を、殺したんだ」
「うん」
「樋口を殺した。勝を殺したから」
「うん」
「レイナを殺した。ヤマジュンを殺したから」
「うん」
「僕のやり方は、間違っていたのかな」
「ううん、小太郎くんは正しいよ。だって、こうして無事で、いてくれるんだから」
「うっ……」
「小太郎くんは、生き残るために精一杯、頑張ったんだよ。誰も信じられないのに、たった一人で……誰かの力が必要なのに、誰かと一緒にいるのは、苦痛で、不安で、ストレスで、プレッシャーで、つらいだけなのに」
「う、うぅ……」
「おかえり、小太郎くん。私の前では、もう何も我慢しなくて、いいんだよ」
「うぅうう、わぁあああああああああああああああっ!」
ああ、メイちゃんの言う通りだ。確かに、僕は泣いているよ。
大声を上げて、涙が止まらない。
でも、泣いたっていいだろう。今くらいは、泣いてもいい。
だって、僕はようやく、心の底から信頼できる人の下へ、帰ってくることができたのだから。
「ふはぁ……」
泣いて、寝て、起きて、口から出たのは、大きな溜息。
も、物凄く、恥ずかしい真似をしてしまった……まさか、あんなにメイちゃんへ泣きついてしまうとは。そんなことするつもり、無かったんだけど。
「はぁー」
いや、認めよう。僕の心は、自分でも気づかないほどに、過度のストレスでボロボロになっていたのだと。
明日那のせいで、転移に弾かれて一人ぼっち。まず、これで命の危機。
バジリスク戦は、レムの活躍がなければ負けていた、激戦だった。
そして、よりによって、次に出会ったのは樋口だ。ダンジョンの魔物は恐ろしいが、同じ人間というものは、また別の恐ろしさがある。奴の顔を見てからずっと、僕は生きた心地がしなかった。
結局、勝は犠牲になって、樋口を殺すことには成功した。でも、レイナによって転移を奪われた。心身ともに限界で、心が折れるには十分な状況。
でも幸い、蘭堂さんに拾われた。天道君のヤンキーチームとは、結果的には凄く上手くいった。良好な関係を築けたと思う。僕も、今では彼らのことを仲間として信頼することができるほどなのだが……全く、ストレスがなかったワケではない。
乏しいコミュ力を振り絞って、どうにか僕の存在を認めてもらったのだ。立ち回り次第では、僕は蘭堂さん以下の役立たずとして、ゴミ扱いか、捨てられた可能性だって十分にある。
上手くいくかどうかは、自分の行動に全てがかかっている。それは、途轍もないストレスであり、プレッシャーでもある。パーティの底辺からスタートするっていうのは、そういうことなのだ。
努力の末に、いや、純粋に蘭堂さん達の人柄に救われて、僕はちゃんと仲間になれた……けど、それも一瞬の油断でおじゃんだ。警戒していたって、あのアラクネの一本釣り奇襲は防げないよ。
そうして、次に出会ったのが、あのレイナのお姫様サークルである。
思い返せば、このパーティは蒼真桜のハーレムパーティに匹敵するクソさだったな。真っ当に協力を求められない、ということの苦しさを、思い出させてもらったよ。
だから、温かい食事と熱い風呂と柔らかい寝床を使って、奴らを懐柔した。文化的な生活水準ってのは、レイナですら無視できない魅力に溢れている。普通に協力体制が築けるのであれば、こんなものは無償で提供しても良かったというのに……交渉材料として利用しなきゃいけないほど、彼らは信用できない相手だったということだ。
曲がりなりにも、彼らに指示を出せる程度には影響力を確保した。多少の信頼関係も生まれた。それでも、いつ壊れてもおかしくない、脆いモノだ。ヤマジュンがいなければ、維持することすら困難なほどに。
もし、レイナを殺した後に蒼真悠斗が転移してこなかったら。僕は彼らを率いて、ダンジョンの攻略を進めることになる。でも、ヤマジュンを失った今、僕には遠からず、パーティが崩壊するとしか思えなかった。自分でも、自信がなかった。この面子では、大きな困難に直面しても、きっと乗り越えることはできないだろう。
そして、そうなれば僕は絶対に、彼ら全員を見捨てて一人で逃げ出した。
けれど、呪術師のソロプレイで、これからさらに難易度を増しそうなダンジョンを攻略など、お先真っ暗としか言いようがない。結局、僕が生き残るには仲間の存在が絶対に必要不可欠なのだ。
「これで、良かったんだ……」
だから、メイちゃんと再会できて、本当に良かった。
蒼真悠斗の恨みを買ったのは最大の失態だが、それでも、メイちゃんと一緒になれたことで、僕は救われた。あんなに大泣きするほど、僕の心は追い詰められていたのだから。
「恥ずかしい醜態を晒したのに、変わりはないけどね」
男として、アレはないだろう。メイちゃんは優しいから、僕がわんわん泣いて抱き着いたとしても、幻滅したりはしないだろうけど……確実に、男としてみられることはないよね。
おのれ、蘭堂さんも僕はチビの弟扱いだったというのに、メイちゃんには泣き虫なお子様扱いとなってしまうのか。僕の恋愛フラグはどこ?
「小太郎くん、着替え、終わった?」
「あっ、うん」
メイちゃんに呼ばれて、僕は恥ずかしい後悔の気持ちを一旦脇において、いそいそと木陰から出ていく。
僕が泣き疲れてそのまま眠ったせいで、戦闘直後で汚れた制服姿のままだった。
そんな汚い格好なのに、黙って膝枕をしてくれた彼女は、どこまで僕を甘やかせば気が済むのだろう。実はメイちゃん、知らない内にユニークスキル『母性』とか獲得してない?
ともかく、ひと眠りしてようやく落ち着いた僕に対して、メイちゃんは女神の微笑みで「洗濯するよ」と申し出てくれた。
最近は自分で自分の洗い物するのは当たり前になってたけど、メイちゃんと一緒だった頃は、率先して彼女がやってくれたから、すっかり甘えてお任せしていたものだ。今更ながら、正直ちょっと手間をかけさせて悪いかなと思ったが、僕の甘え根性がここはお願いしたくてしょうがなかった。
そんなワケで、僕はジャージに着替えている。ついでということで、メイちゃんもジャージに着替えてセーラーを一緒に洗濯するということなのだが――
「っ!?」
ジャージ姿の彼女を見て、硬直。
「どうしたの、小太郎くん」
どうしたもこうしたも、凄いおっぱいの谷間が見えるんですけど。見えるんじゃなくて、見せてつけているの? これがダンジョンに生きる女子高生のジャージ着こなしの流行なの?
紺色の学校指定ジャージの上着、そのチャックは半分程度までしか閉まっていない。それだけならば、体育の授業で見てもさして違和感はない。
だが、洗濯するために、彼女はシャツもブラも全てパージし、上着の下はただの裸。おっぱい、生おっぱいである。
そんな状態でチャックを半分も開けてみろよ。見えるだろ、見えないワケない、見ないワケにはいかないよ……ああ、神々しいまでの白く深い谷間。そして、暴力的なまでに圧倒的な肉感。
蘭堂さんはクラスナンバーワンの爆乳の称号を手にしていたが、メイちゃんはそもそも殿堂入りの規格外。純粋なバストサイズでいけば、彼女に敵う者はクラスにはいないし、学園にもいないし、ひょっとしたら白嶺の都市にもいないかもしれない。
そんな最強レベルの爆乳を、この僕に見せつけるとは……誘っているのか。誘われて、いるんだろうか……というか、僕、あの胸に思いっきり顔を埋めて泣いていたのか。なんてこった、あの時は感情が溢れすぎてて、その感触を実感する余裕などまるでなかった。ただ、包み込まれるような安心感だけで、スゴいとかデカいとかエロいとか、一切の雑念が湧かなかったものだ。
ああ、僕のバカ、大バカ野郎、どうして、もうちょっと感触を確かめておかなかった。自分がこの世の極楽浄土に足を踏み入れて、いや、顔を突っ込んでいたというのに、全く、何にも、覚えていないなんて!
いや、しかし、これはヤバい……正気に戻った僕にとって、これ以上に目の毒と呼べるモノは存在しないだろう。おい、僕は今、毒攻撃を受けているんだぞ、『蠱毒の器』仕事しろよ!
くそっ、だ、ダメだ……ジャージが弾け飛びそうなほどパッツンパッツンになってる生おっぱいの谷間から、目が逸らせない。いかん、このままでは、誤魔化すこともできぬ。
「め、メイちゃん、その……ちょっと、胸元、開き過ぎじゃない?」
なけなしの理性を総動員しながら、必死に視線を逸らしつつ、でもやっぱりチラチラしながら、僕は言った。
「胸がキツくて、これ以上、上がらないの」
なにそのエロい理由!? エロマンガでしか聞いたことがない台詞が飛び出したもんだ。
「そ、そうなんだ」
「うん、多分、前より大きくなってるんだと思うな」
まだ育ってんのその胸!?
いや、違う、ただ大きくなっているだけじゃない。分かる、僕には分かるぞ。クラスで一番の巨乳好きと公認された僕だから分かる……形も変化していると。
初期状態のメイちゃんは、その巨大な乳房はどう頑張っても重力に打ち勝つことはできない。かなり垂れていた状態のはずだ。
だがしかしダンジョンダイエットと『恵体』スキルによって、今や巨乳グラドルを鼻で笑える奇跡的なプロポーションを手に入れ、その胸は少しずつ、上を向き始めたのだ。重力圏を脱するロケットのように、サイズだけの爆乳から、ロケット爆乳へ進化を果たしている。
より大きく、前へと突き出る形となったから、XLオーバーなサイズのメイちゃんの特注ジャージでも、ついに、その巨大な胸を抑えつけることはできなくなったに違いない。
なんて恐ろしいことが起こってしまったんだ。メイちゃん、完全に僕を殺しにかかってきている……
「あんまり、気にしないで」
「うん、頑張るよ」
「えっと、その……少しくらいなら、見ても気にしないから」
はい、死んだ。僕の理性、今死んだよー。
「ほら、私、胸が大きい方だから、よく視線は感じるし……でも、小太郎くんなら、嫌じゃないし、気にしないから」
「そうなんだ、大変だね」
と、僕はもう完全におっぱいに向かって話しかけていた。
ごめんなさい。そろそろ、トイレ行ってきてもいいですか?




