第144話 分かれ道
死んだと思った。
何も言えなし、何もできなかった。
本気の怒りに震える『勇者』の圧倒的な力の発露を前に、僕は一切、何の抵抗もできず、ただ呆然とするより他はない。
かろうじて、剣を振り上げる蒼真君の姿が見えた、気がした。ああ、流石は勇者、実に剣を構える姿が様になってるなぁ。
「桃川っ! お前が、レイナを殺――」
蒼真悠斗の怒りの叫びは、凄まじい金属音によって途中でかき消された。ガキン! と響く甲高い音は、このダンジョン攻略生活をしていればお馴染みとなってくる、刃と刃がぶつかり合う剣戟の声に違いない。
目の前で、パっと大きな火花が散る。呑気にも、綺麗だ、なんて思ってしまった。
「わふっ」
突風が僕を襲う。髪の毛がブワっと逆巻き、顔に当たる風圧で、反射的に目をつぶる。
「――小太郎くん」
そして、再び目を開けたそこに、彼女は立っていた。
「……メイちゃん?」
「うん、小太郎くん、助けに来たよ」
天使の、いや、女神の微笑みと言うべきだ。可愛らしく整った美少女の浮かべる笑み、その慈愛の眼差しは、ただ僕にだけ向けられている。神を信じる、人の気持ちが分かった気がする。ああ、こんな時に、こんな顔をされたら、心の底から信じたくなるさ。
けれど、彼女は全知全能の神でもなく、美を司る女神でもない。
「ああ、良かった……待ってたよ、メイちゃん」
双葉芽衣子。天職『狂戦士』。僕が出会った中で、心から信じられるただ一人の、仲間であった。
「双葉さん、どういうつもりだ!」
蒼真悠斗の鋭い声が上がる。
僕はいきなり、蒼真君に切り殺されそうになった。レイナの死体を見て、犯人が僕だと思い込んで。思い込みも何も、真実、その通りなのだが。
そうして、僕を切って『痛み返し』で自分も死んでレイナの後でも追うつもりだったのか、剣を振り上げて襲い掛かって来たその半ばで、メイちゃんが動いた。蒼真君を本気で殺すつもりで、その背中に目がけて、手にした黒い大きなハルバードを振り下ろしていた。
だが、流石は勇者、危険を察知し、僕に向かって剣を振り下ろす寸前で身を翻して、背後からの一撃を受け止める。ガードには成功したが、十全な体勢で受け止められなかったため、踏ん張りもきかなかったのだろう。長身の部類に入る蒼真君の体は、メイちゃんの一撃を受けてそのまま大きく弾き飛ばされていた。それでも、バッチリ着地を決めたのは、流石の身体能力だけど。
ともかく、こういう経緯で僕は一命をとりとめた。
蒼真君が再び、一足飛びに切りかかって来ないのは、僕を背中に庇うように、メイちゃんが立ちはだかっているからだ。右手にはハルバードで、左手には巨大な黒い大盾を携えている。ズン、と大盾を地面につけて、僕の体を隠すようにして守ってくれていた。
こうして、メイちゃんの後ろ、というこのダンジョンで一番安全な場所に身を置いたことで、僕もようやく突然の恐怖で固まっていた思考が再起動を始め、現状を正確に確認していく。
「双葉さん! 貴女はやはり、裏切るつもりですね!」
「ちょっ、ちょっと待って、悠斗君も双葉さんも、落ち着いて!」
ああ、ちょっと懐かしい声が飛び交っている。一目見て、全員の無事を確認。
どうやら、僕が置き去りにされてから、蒼真パーティは一人の増員も欠員もなく、あのメンバー構成のまま、ここまでやってきたらしい。
メイちゃんと、その後ろに庇われる僕を、親の仇でも見る様な目で睨む、蒼真桜。そして、すでに剣を抜いてしまった蒼真君と、同じく武器を振るったメイちゃんに対して、必死に呼びかけるのは、うーん、相変わらずの苦労人、もとい仲裁役の委員長。ちょっと、顔がやつれた気がする? 大丈夫? ちゃんと食べてるのかな、今度、牡丹鍋をご馳走するよ。
それから、桜と委員長の後ろには、早くも突然の修羅場が発生したことで、小動物のように震えながら身を寄せ合う、小鳥遊小鳥と夏川美波。
そして、僕を転移魔法陣から突き飛ばす殺人未遂を犯した犯人である、剣崎明日那の姿もあった。すでに臨戦態勢に入ったメイちゃんを見て、若干、青ざめた表情をしている。狂戦士にフルボッコされたトラウマは、いまだに克復できていない模様。
でも、こうして僕と再会したんなら、真っ先に言うべき言葉があるよね? 「すみません」とか「ごめんなさい」とか「もうしません」とか。まぁ、謝ったところで、それで許すワケもないけどさ。
「そこにいるのは、上田と中井と下川か……お前達もグルになって、レイナを殺したのかっ!」
山田君もいるよ。省かないであげて。
そして、彼らは無実だよ! 彼らは一生懸命、引きこもりニートの目を覚まそうと頑張ったんだよ。命をかけて霊獣の足止めをしてくれたんだ。彼らを責めるのは、全くもって筋違いだ。
恨むなら、僕だけを恨め!
そんな弁解をするのは、ひとまず後回しでいいだろう。
殺意をもって凶器を抜いた人がいる以上、話し合いは成立しない。武器を向けている以上、その言葉の内容は単なる脅しにしかなりはしない。暴力を持ち出すってのは、そういうことだよね。
「お、俺らは違うって!」
「そうだ、俺らはレイナちゃんを助けるために――」
「なぁ、これ、もう逃げた方がよくねーべか」
下川君、正解。コイツら、キレたら基本的に人の話も聞かないし。
もっとも、すでにレイナが死んだ、という事実がある以上、どう言い訳のしようもないのだけれど。
きっと、蒼真桜あたりに言わせれば、僕は絶対にレイナを救わなければいけなかったし、自分の命が危なかったからといって、正当防衛的にレイナを殺してしまうなんて、あってはならないこと。そんなことになるくらいなら、お前が死ね。そういうことを平然と言い切るタイプだ。レイナの命大なり、越えられない壁、僕の命。アイツにとっては、そういう価値基準になっているから。
だから、僕が本当にやむをえず、裁判で認められるレベルでの正当防衛が成立していたとしても、蒼真兄妹が僕を許すことはないだろう。
「許さない……絶対に、許さないぞ!」
ほら、蒼真君も許さないって言ってるし。今にも『光りの聖剣』をぶっ放しそうな雰囲気だよ。
それでも、まだ僕が無事でいて、多少の余裕をもって考え事ができるのは、ひとえにメイちゃんが守ってくれているお蔭。
きっと彼女から見ても、僕がレイナを殺した、ってことは分かっているのだろう。それでも、迷うことなく、仲間であるはずの蒼真君に対しても躊躇なく刃を向けて、僕についてくれたのは、ただ、メイちゃんが信じてくれているからこそ。そう、彼女に限っては、この世で唯一、僕の命大なり、越えられない壁、レイナの命、という価値観でいてくれる人間だ。
いやぁ、本当に、仲間の信頼っていうのは、素晴らしいね。
これで中途半端な正義感を持つような奴だったら、「自首して、罪を償おう?」とか、本人にとってはクソの役にも立たない説得コマンドをしてくるところだろう。
そんな素晴らしい仲間がいるんだ。これで、この窮地を切り抜けられなければ嘘だろう。
「あのー、とりあえず、事情説明がしたいから、みんなちょっと落ち着いてくれないかな? 綾瀬さんが死んでしまったのは、不幸な事故で――」
「よくも、そんなことが言えますね! 桃川君、貴方がレイナを殺したことは、言い逃れなんてできませんよ!」
「委員長、お願いだから蒼真さんを黙らせてくれないかな? これじゃあ、落ち着いて話し合いもできないよ」
「桃川、悪いが、俺にはもう話し合うつもりはない……」
蒼真君が、実に憎悪の籠った眼で僕を睨む。ああ、恐ろしい。メイちゃんに守られてなかったら、失禁してもおかしくない殺気だよ。
桜に比べて、まだ冷静で、話はできるかと思っていたけれど――どうやら、蒼真君にとって、幼馴染であるレイナの死というのは、彼の理性を容易く吹き飛ばすほどの威力があったようだ。
「クソ、忌々しい……死んでも僕の足を引っ張るとは……」
思わず恨み言が口から漏れるほど、レイナのことが憎くてたまらない。ここで、もう一つ先の妖精広場で合流できれば、全員と口裏を合わせて、レイナの存在をなかったことにして、ただお互いの無事を喜べたというのに。
レイナは己の命を賭して、『勇者』蒼真悠斗に、僕を憎悪させるという役を果たした。これは最早、呪いと呼んでもいい因縁かもしれない。呪術師の僕が呪われるとは、とんだお笑い草。
けれど、この最悪のタイミングで転移に出くわしたこと……ただの偶然とは考えられない。恐らく、狙われた。僕ら全員のダンジョン攻略の状況を把握する、黒幕のような奴か、あるいは、本物の神が見ている。精霊術士の神が、レイナを殺された腹いせに、僕がピンチになるよう蒼真パーティの転移に介入した、と言われても今なら信じられる。
「たとえ、どんな理由があろうとも、俺は……俺は、レイナを殺したお前を、許すことはできないっ!」
さて、いるかどうかも怪しい黒幕について考えるよりも、目の前の窮地に対処しなければ。蒼真君の殺意は本物だ。おまけに、お前の言い分に聞く耳もたないと、堂々と宣言までしてくれる始末。
こうなってしまえば、もう、誰にも止められないだろう。
いや、天道君ならできるのかな。お前ちょっと落ち着けよ、とかいって、一発ぶん殴ってくれないかな。
チラッ、やっぱり、新たな転移は発動しない。
「それじゃあ、僕が死ねばよかったと言うの? 僕は彼女に本気で襲われて、殺されるところだった。正当防衛だよ」
「黙れ! 言い訳なんて、聞きたくもない」
「待って、お願いだから落ちついて! ここで私たちが争って、何になるというの!」
「涼子、もう話し合いなんてできませんよ。桃川君は、レイナを殺した。それが彼の本性です」
「誰が好き好んで人なんか殺すかよ……僕は、僕が生き残るためだけに殺した! それに文句があるなら、お前らが先にレイナを助けてみろよ! 『勇者』と『聖女』が、揃って人に責任を押し付けるな! 僕を恨むな、レイナを助けられなかった、自分の無力を恨めよっ!」
どの道、交渉は決裂だ。そもそも、テーブルにすらついてない。何を言っても、ただの時間稼ぎにしかならないなら、もう好き勝手に言ってやれ。
「お願いだ、双葉さん。そこを退いてくれ。俺に、レイナの仇を討たせてくれ」
「蒼真君の方こそ、剣を引いてよ。小太郎くんが、言ってるでしょう、綾瀬さんが死んだのは、しょうがないことなの。小太郎くんは、何も悪くないんだよ」
「たとえ、そうだったとしても……俺は、桃川を許すことはできない。レイナの胸に、ナイフを突き立てた犯人を、俺には絶対に許せない」
「やめなよ、蒼真悠斗。復讐なんて、綾瀬さんは望んでないよ?」
「ッ!」
言葉を失ったのは、心を打たれたからではない。断じて、蒼真悠斗の脳裏に、「ユウくん、私のために争うのはやめて」みたいな甘いことをレイナが囁いているイメージが湧いてはいないはず。
火に油を注いだ。お前が言うな、おまいう。
あまりの怒りに、言葉に詰まっただけだ。
「僕らがここで、本気で戦えば……三人は道連れになるよ? 死んだ人のために、まだ生きている大切な仲間の命を潰そうっていうの? それは、あまりに酷いんじゃあないかな」
ガチバトルが発生した場合のシミュレート。まず、僕が『痛み返し』で誰か一人を道連れにします。で、キレたメイちゃんが試薬X全消費で本物の狂戦士モードで大暴れ。確実に、二人以上は殺傷できる。上手くいけば、蒼真悠斗以外は皆殺しにできるかもね。
まぁ、そのパターンだと、僕もメイちゃんも死んじゃうから、絶対やらないけど。
「双葉さん、これが最後だ。そこを退いてくれ。さもなければ――俺は、君を傷つけてでも、桃川を討つ」
「小太郎くんは私が守る。彼を傷つけるなら、蒼真君も敵……敵は殺す。容赦は、できないよ?」
一触即発。もう、次の瞬間には問答無用のバトルロイヤルが、この妖精広場で始まってもおかしくない。
ならば、僕はここで動くとしよう。
「死出の旅路を祝い、晒される骸を呪う。黒い血。泥の肉。空っぽの頭。最早その身に魂はなく、ただ不浄の残滓を偽りの心と刻む。這い、出で、蘇れ――『怨嗟の屍人形』」
消耗したのは主に体力だから、魔力は足りるはずだ。ほら、ちょうどそこに、出来立ての死体があるじゃないか。
レイナ、お前が死んでも僕を呪うなら、僕は死んだお前すら呪ってやる。さぁ、僕のために、僕が生き残るために、お前を働かせてやる!
「動くな、一歩でも近づけば、コイツを切る」
レイナの死体が起き上がり、僕の隣に立つ。そして僕は、一度は仕舞った樋口のバタフライナイフを抜いて、『怨嗟の屍人形』と化したレイナの顔へと突きつける。
精一杯の笑みを浮かべて、僕は言った。
「死体でも、傷はつけたくないでしょ?」
「桃川ぁあああああああああああああああっ!」
憤怒の絶叫を上げる蒼真悠斗。妹さんも、この世のモノとは思えないほどおぞましいものを見た、というような表情だ。
けれど、動かない。誰も、動けない。ただの死体でも、彼らにとっては、十二分に人質としての価値があるからだ。
良かったな、レイナ。お前、死体になっても、大切に思われてるよ。
お蔭で、僕も命拾いできるってもんだ。
「このまま僕らを見逃してくれれば、レイナの死体は綺麗なままで置いておくよ。でも、精霊でも飛ばして追跡する素振りがあれば、品質の保証はできない。可愛い幼馴染をブサイクに整形されたくなかったら、大人しくしててよね」
レイナの人質に、隙はない。なにせ、今、この体を動かしているのは、僕の忠実なシモベにして、可愛いカワイイ泥人形であるレムだ。
すでに僕の意図は、レムは理解している。だから、人質の方から隙を見て脱出、なんてことはない。人質そのものが犯人とグルだから、決して隙を見せずに細心の注意を払っている。たとえ蒼真悠斗が切りかかって来ても、むしろレムの方から僕を庇ってくれる。
そんなレムの献身的な協力もあるから、僕が人質として抱えていても、スムーズに移動することができるのだ。
「行こうか、メイちゃん。また二人に戻っちゃうけど、ごめんね」
「ううん、いいよ。私は小太郎くんがいてくれれば、それだけで」
何とも男心に響くことを言ってくれる。本気で惚れちゃうよ。いや、もう惚れてるか。二度と離れられない、依存してしまいそうで、怖くなるくらい。
落ち着け、理性を保て。とりあえず、油断せずにこの場を脱してからだ。
「下川君、悪いけど、『水霧』をお願い」
「えっ」
急に話を振られて、ビクっとなってる下川。しっかりしろ、僕が抜けた後、パーティを引っ張っていくのは君だぞ。
「みんなは悪くない、レイナを殺したのは僕だから。一緒についてきたら、アイツらに恨まれる。だから、ここでお別れだね。今まで、ありがとう」
本当は、貴重な仲間としてついてきて欲しいところだけれど、レイナを殺し、完全に蒼真パーティから恨みを買った僕に、彼らがついてくるメリットはない。上手いこと弁解して、誤解を解くか、それとも、あまりに気まずくて逃げ出すかは、彼らの自由に任せよう。
「そ、そんな、桃川……本当に、いいんだべか?」
「大丈夫、僕にはメイちゃんがついてるから。もし、この先で出会えたら、また協力しよう」
「分かった……じゃあな、桃川! 『水霧』っ!」
薄らと漂い始めた霧の中で、僕とメイちゃんは、妖精広場から歩き去る。
「桃川……俺は、お前を絶対に許さない」
「僕は、いつでも蒼真君を許すよ。次に会う時までには、頭を冷やして、平和的な話し合いができることを祈っているよ」
蒼真悠斗の燃える様な視線と、僕の冷めた視線とが交差したのは一瞬のこと。すっかり、広場の中には霧が満ちて、お互いの姿を覆い隠していく。
そうして、次のエリアへと続く通路に出た僕とメイちゃんは、二人で、いや、レイナの体にとり付いてるレムを含めて、三人か。実に懐かしいメンバー構成となって、さらなるダンジョンの奥地へ向かって、歩き出した。




