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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第10章:幻惑
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第143話 呪術師VS精霊術士(2)

 セイラムの腹という水底の中で、僕は抵抗することをやめた。手足をバタつかせたところで、外に出られるワケでもない。ゆらゆらとした水の流れを感じるセイラムの体内は、一度囚われれば、どんなに激しくもがいたところで脱出は不可能なのだろう。この肉体そのものが、水の牢獄なのだ。

 さて、僕の酸素ゲージもいよいよ限界に近づき、そこから先はダイレクトにHPが削られる感じで死まで一直線なのだが……慌てる必要はない。

 弱い『呪術師』の能力、しかも、今回は十分な準備を整える時間も環境もなかったという状況。今の自分の強さがどんな程度か、僕は自分でよく分かっているつもりだ。

 それでも、僕は挑んだ。このセイラムという霊獣がレイナを守っていると知りつつも、何の躊躇もなく、作戦を決行した。

 相手は一体といえど、霊獣だ。強いに決まってる。豪華装備のレムがいても、あるいは、僕ら全員で挑んでも、セイラムは倒せないかもしれない。ほら、水の体だし、物理攻撃はあんまり有効そうじゃないし。一応、通ったけど。

 ともかく、セイラムは「コイツ一体くらいならなんとかなるわ、余裕」と調子に乗れるほどチョロい相手ではないということだ。

 だが、あえて言わせてもらおう――コイツ一体くらいならなんとかなるわ、余裕。

「……ぶっ!」

 呪印、解放。広げた両の掌から、じんわりと血が滲む。僕の血だ。『黒き血脈』を宿す、呪術師の血。

 にじみ出た鮮血は、すぐに水中へと溶けるように揺らいでいくが、量としては十分だろう。いつもは一滴だしね。

 それじゃあ、気合いを入れていってみよう――広がれ、『腐り沼』。

「ルォオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

「ぶげぇーっ!?」

 耳をつんざく絶叫と共に、僕は思いっきり外へと放り出されていた。あまりの勢いで、ロクに受け身もとれず、顔面を芝生の地面にぶつけた。痛い、鼻が痛い。

 ジーンとした鼻の痛みをこらえながら、僕は女性にあるまじき絶叫を上げる、水精霊のお姉さまを見やる。

「ぜぇ……はぁ……はっ、はははは! どうだぁ、体の中から、毒に犯される気分は!」

 作戦成功。思わず悪役みたいな高笑いを上げてしまうほどに。

 セイラムは今、悲壮な金切声をあげて苦しみもがいている。原因は勿論、僕が奴の体内で炸裂させた『腐り沼』だ。

 僕の血を元に、適切に発動した『腐り沼』は、そこが地面ではなく精霊の体内であっても、そのままそこへ酸性毒液を呼び出した。本来、それなりの範囲に渡って毒液の沼ができるほどなのだから、その量は実際のところ結構なモノだろう。少なくとも、バスタブをイッパイにしても余裕なくらいの水量が発生する。

 それだけ大量の毒液を、腹の中でぶちまけられたのだ。水の精霊も、コイツは効いただろう。

「きゃぁああああっ! セイさん! そんなぁ、セイさん!」

「ォオオオオッ、キィイアアアア!」

 流石にレイナも、セイラムの異常な様子に声を上げる。苦しみもがく姿もそうだが、何より、体内で毒沼が発生した結果、水の体と混じり合うように全身に広がり、瞬く間に透き通ったシルエットが、毒々しい赤黒い色に変わり果てているのが、見た目に物凄いインパクトを与えてくれる。

 恐らく、多少の毒や汚水なんかが彼女の体に混じったとしても、すぐに浄化すると思われる。それくらいの防御力というか免疫力というか洗浄力というか、戦闘前提の霊獣としては当然、備わった機能のはず。

 しかし、全身を赤黒く変色させるほどに、大量に入り混じってしまえば、即座に回復するのは厳しい。というか、最早、戦いどころではない苦しみ。

 セイラムは敵であるはずの僕の方など見もせずに、主であるレイナの呼びかけに反応することすらできず、ひたすら、清らかな水の体を犯し尽くす、呪いの毒液に苦しむだけ。

 それでも即死しなかった以上は、油断できない。刺せる時に、トドメは刺しておかないとね。

「羽ばたけ、不幸を撒く羽、かの元へ――『逆舞い胡蝶』」」

 ちょっと久しぶりに使った『逆舞い胡蝶』。今回、元にした発動材料は青花素材の解毒薬。この呪術にかかれば、毒を治すその効能の真逆を発揮させることができる。

 今正に、毒液によって肉体を蝕まれて苦しんでいる、セイラムにはお似合いのダメ押しだろう。

 羽ばたく青い蝶の群れが、腐れる毒に爛れた赤黒い汚水の体へと向かう。まるで、それが美しい花であるかのように、静かに、そして無慈悲に、毒強化の力をもって、胡蝶が舞い降りる。

「ルォオオアアアアアアアアアアアア――」

 どこか幻想的な青い輝きとなって、蝶々が弾けると同時に、セイラムは断末魔を上げながら、その体がドロドロと崩れ落ちる。汚らしいドブのように、汚染されたヘドロのように、変色した水精霊の肉体は形を失い、ついに妖精広場に倒れた。

 僕は弱い『呪術師』で、コイツは強い霊獣の水精霊。それでも、勝てたのは完全に相性だろう。

精霊なんて言っても、所詮はケモノ風情の知能しかないね。セイラムは相討ち覚悟で、僕を水の球で撃ち殺すべきだったんだ。そうしたら、自分は死んでも、レイナは確実に助けられる。

 自分の命を惜しんで、『痛み返し』を喰らわないよう、僕を体内で溺死させようとなんて横着をするから、こういうメに遭うのだ。

 まぁ、僕如きをセイラムが我が身を犠牲にしてまで倒そう、なんて絶対に判断しないと確信してたけど。究極的には、レイナ自身がセイラムの喪失を望まなかったから。

 そう、レイナが真面目に術者としてセイラムを行使していれば、僕の『腐り沼』を警戒して、コイツでは相性が悪いと自爆覚悟で殺害を命令する選択もとれた。霊獣が死んだら、復活できるのか、そのまま完全にロストするのかは分からない。

 でも、自分の命には変えられない。たとえセイラムを失ったとしても、『精霊術士』としてレベルアップすれば、さらに強力な霊獣や、完全上位互換な水の大精霊みたいな奴だって、獲得できたことだろう。

 つまるところ、レイナはやはり『何もしない』という己自身の無能によって、敗北するのだ。

「……レイナ」

「ひいっ!?」

 頼みの綱の霊獣が倒れ、レイナの顔は恐怖に引きつる。アイツの目に、僕は死神か悪魔にでも見えているのか。実際、その通りなんだけどね。

「言い残すことがあるなら、一応、聞いてやるよ」

 僕は必殺の魔法武器『レッドナイフ』を抜いて、レイナに迫る。

「い、いやっ、やだ、やだよぉ……」

 早くも大粒の涙をポロポロ零して、大泣き状態に入るレイナ。おいおい、折角、一時的には仲間だったよしみで、遺言は聞いてやると言う僕の気遣い台無しかよ。本当に、お前はどうしようもなく自分勝手だよな。

 でも、その方がレイナらしくていい。お蔭で、お前を追い詰めたこの状況になっても、罪悪感やら躊躇する感情ってのは、まるで湧いてこない。

「まぁ、いいや。どうせ、お前とは話は通じない。これ以上、語ることもないし……命乞いを聞くほど、悪趣味でもないからね」

 レイナとは3メートルほどの間合いをとって、僕は足を止める。レイナ自身は無力だから、僕でもナイフ一本あれば刺殺は余裕だけど、何が起こるか分からない。たとえ、レイナに奥の手なんてなかったとしても、直接刺しに行ったら、つまらないサスペンスドラマのように、もみ合ったら襲った方が事故って死ぬ、みたいなことになるのは絶対に御免だ。

 だから、レッドナイフには黒髪縛りを絡ませて、今度こそ、飛刃攻撃で確実に殺す。この距離なら、首でも心臓でも、好きに狙える。

「死ね、レイナっ!」

「キャァアアアアアアアアアアアアアーっ!」

 狙い違わず、僕のレッドナイフはレイナの細い首を切り裂く――はずだった。

 赤い炎の刃は届かない。泣き叫ぶレイナ、彼女の目の前で、ピタリと止まっている。

「なっ、なんだ!? どうして動かない! くそっ、動けーっ!」

「イヤァアアアアっ!」

 どれだけ力を、魔力と意思を籠めても、黒髪縛りは動かない。完全に硬直して、フリーズしてしまっている。

 何だよこれ、超能力のサイコキネシスがレイナのピンチに覚醒したとでもいうのか! ありえない、ちくしょう、そんな馬鹿なことがあってたまるか――いや、待てよ。

 ありうるかもしれない。念力ではなく、すでに似たようなスキルを、僕は知っている。

「まさか……『神聖言語「拒絶の言葉」』かっ!?」

 それは『賢者』小鳥遊小鳥が持っていた、特殊な魔法。本人の感情と叫びだけで、物理的に迫る脅威を停止させることができる、お手軽な自衛の魔法である。

 それを実際に見たことがあるお蔭で、ピンときた。

 天職は違っても、同じ名前と効果のスキルを授かることはある。だから、『神聖言語「拒絶の言葉」』が賢者の専用スキルではなく、魔術士クラスの汎用レアスキルという可能性も十分ありうる。そうであるならば、レイナが霊獣の守りを全て失ったこの土壇場において、自衛のためのスキルが覚醒するのも、まだありえそうな話。

 もしくは、これが初期スキルだったのかも。

「くっそぉ……最後の最後まで、手こずらせやがってぇーっ!」

 ピンチ、覚醒、大逆転! なんて展開、許してなるものか。

 僕は手元に戻したレッドナイフを自分で握って、直接、レイナを刺しに行く。

 幸いなのは、『神聖言語「拒絶の言葉」』そのものに、攻撃力はないことだ。突っ込んで行っても、ダメージを受けることはない。

 アリが殺到し、さらに強力なカマキリが迫れば、その不思議な停止力も限界があった。気合いと根性で耐えれば、突っ切れないこともないはず。

 だから、僕はここが最後の頑張りどころと心得て、レイナに向かって突撃する。

「イヤアアッ! 来ないでっ! 嫌い、嫌い、嫌い、大っ嫌いーっ!」

「――んがあっ!?」

 レイナの拒絶の意思に阻まれて、レッドナイフを構えて突っ込んだ格好のまま、僕の体は金縛りにあったように、ピタリと止まった。

 うお、こ、これは……マジで全然、動けない! っていうか、なんかちょっと息苦しい感じもするし、何だ、か、体全体がギシギシと軋みを上げて……い、痛いっ!?

「ぐっ、が、あぁ……」

「桃川君は嫌い!」

 う、うるせぇ、キンキン声で叫ぶなよ。頭がガンガンする……くそ、なんだよ、「拒絶の言葉」で止められるのって、こんなに負担がかかっていたのかよ。

 いや、違う、もしかしてコレは「拒絶の言葉」ではなく、止めた相手に謎のダメージも加える、より上位のスキルかもしれない。

「もう、私に近づかないでっ!」

「ぐぅうぉおおおおおっ!?」

 筋肉痛のような痛みが全身に走り、さらに、頭が割れるように痛い。どういう原理か知らないが、確実に、僕の体には何らかのダメージを受けている。物理的に切ったり突いたり叩かれたりしているワケではないのに、この苦痛は、テレパシーのような精神攻撃とか、純粋な魔力による影響とか、そういう類のものか。ああ、ちくしょう、そんな謎の攻撃、防ぐ手段なんて全く思いつかないよ。

 というか、どうしてこの痛みがレイナに返らない。僕の呪術も無効に……いや、違う、レイナはただ『止めている』だけで、ダメージを受ける様な謎の魔法に対し、僕が自分から突っ込んで行っているだけだから、『痛み返し』は発動しないのだ。

 いわば、レイナは罠を張っただけ。で、僕はその罠に自分からかかっているだけ。相手からの直接攻撃でなければ、『痛み返し』の対象にはならない。

「いなくなれ!」

「がっ、あぁががああああぁ……」

 鼻血が噴き出た。とうとう、出血が始まるほどのガタがきてしまった。まずい、このままだと、確実に僕は死ぬ。謎の攻撃によって、体中の穴という穴から血を噴いて死に晒すに違いない。

 どうする、退くか? 後ろに下がって、レイナから距離を取るようには動けるような気がする。退路はまだ、残されてはいる。

 けど、ダメだ。ここで退けば、もう二度と僕はレイナに接近することはできなくなるだろう。証拠はない、けど、不思議と確信できる。この拒絶の圧力に晒されて、一度でも負ければ、突破は不可能。そんな気がしてならない。

 だから、僕がレイナを殺せるチャンスは、きっと、今、この瞬間にしかないんだ。

「いなくなれぇーっ!」

「かっ、あ、あぁ……」

 でも、どう頑張っても体は動かない。それ以上に、心が折れる。

 ダメだ、届かない。あと少し、僅か30センチそこそこの距離が、永遠に縮まらない。僕のちっぽけな気合いと根性では、とても破れない、分厚い不可視の壁が立ちはだかる。

 体と頭を、苦痛が侵蝕する。痛みは加速度的に酷くなってゆき、鼻血はますます勢いを増し、目の端に浮いた涙は、どうにも血涙っぽい。

「う、ぐっ、ごはぁっ!」

 おまけに、吐いてしまった。折角、最後の晩餐として食べてきた牡丹鍋が台無しだよ。

 ああ、ヤバい、これはもう、本格的に死ぬ。もう無理、マジ無理、やっぱり、僕みたいな奴には、復讐を遂げることなんてできはしないのか。

 痛み、という絶対的な障害を前に、僕が燃やしたはずの殺意は、どんどん衰えていく。もういい、僕は十分、頑張った。人にはできることと、できないことがある。『呪術師』の僕が、チート級天職の『精霊術士』には敵わない。当然の結果を、受け入れだけのこと。

 ヤマジュンだって、復讐なんて望んでない。きっと、今の僕の姿を見たら、心配そうな顔で、「桃川くん、そんなに無理しなくていいんだよ」と言ってくれるに違いない。

 だから、もう、いいのかもしれない。ここまでレイナを、追い詰めたというだけで。

 いいじゃないか、こんな女、偽物の蒼真君と一緒に、一生このダンジョンに引き籠っていれば。

 ああ、もう、殺意が、足りない――

「……す」

 そうだ、僕にはもう、レイナを殺すんだと言う意思が足りない。

「……殺す」

 だったら、借りればいい。

「レイナぁ……お前は、僕が……」

 頼むよ、樋口。お前の殺意を、僕に貸してくれ。

「殺すっ!」

 レッドナイフを捨てる。

 代わりに、ポケットから抜いたのは、樋口のバタフライナイフ。

 異様なほどに切れ味抜群で、そして、握ると何故だか、かすかに殺意が湧いてくる。まるで、アイツの怨念が籠っているかのように。

「あぁあああああああああああああああっ!」

 気のせいかもしれない。けれど、このナイフを握った僕は、動いた。動けた。

 あれほど遠かった30センチが、ついに0へと縮まって行く。

「やぁああああっ! 嫌っ、イヤァアアアアアアアアアっ!」

「うぉおおおおお――」

 鼻血をまき散らし、血涙を流し、盛大にゲロを吐き出しながら、僕はゾンビのようにレイナへと襲い掛かる。全身は千切れそうなほど痛くて、何より、重い。

 ナイフを構えるのもままならず、詰め寄った拍子に足がもつれる。

「――ああっ!」

 気が付けば、僕はレイナを押し倒していた。

 一瞬、意識が飛んでた。でも、ナイフは硬く握りしめたまま。

「キャァアアーっ! ワァアアアアアッ!」

 僕の下敷きなっているレイナが、いよいよ狂ったように泣き叫びながら、バタバタと激しくもがく。だが、よほどの非力なせいで、僕みたいな小柄な男子の体すら、押し退けるには力が足りなかった。

 レイナの拒絶の力は、まだ効力を発揮している。コイツが子供のような力で暴れるだけでも、僕にはズキズキと抉り込まれるような痛みが走る。

 早く、ケリをつけなければ。僕がこのまま死んでしまう。

「はっ、はぁ……レ、イナぁぁああ……」

 震える右手でナイフを握りしめ、そのまま、レイナの小さな胸元へと切っ先を振り下ろす。もう、ナイフを突き立てるほどの力も残ってない。だから、僕は自分の体重をかけるような格好で、その胸を貫けるように押し込もうとするが――これが、最後の抵抗か。レイナの小さな両手が、刃を阻む。

「イヤァっ、ヤダっ、やだよっ! 死んじゃう、助けてっ!」

「し、死ぃい、ねぇえええ……」

 レイナは全力を振り絞って、僕の手を抑えてナイフの侵攻を防ぐ。

 ちくしょう、今にも意識が飛びそうだ。もう、ナイフの切っ先が、セーラー服の布地まで届いたってのに。

 あと、少し、もう、少しで……

「助けてっ! 助けて、ユウくん!」

「――死ね、レイナ」

 ゆっくりと、ナイフの刃が突き刺さる。

 セーラー服の生地を破り、玉の肌がとうとう切り裂かれる。そうして、一度届いてしまえば早かった。まるで吸いこまれるように、レイナの胸元に、バタフライナイフの刃は沈んで行った。

「あっ、あ……ユウ、く……」

 見開かれたレイナの青い瞳には、きっと、僕は映っていなかっただろう。

 だって、彼女はただ、蒼真悠斗という男、ただ一人だけを見つめ続けていただけの、恋する乙女に過ぎないのだから。

「はっ……はっ……はぁ……や、やったか……」

 ちょっと、自分でも何を口走っているか分からない。あまり縁起のいい言葉ではなさそうだけど、正直、頭の中が真っ白で、しばらく、何も考えられなかった。

 僕にはもう、指一本すら動かす気力が残っていない。だから、レイナの胸にナイフを突き立てたまま、覆いかぶさるように倒れ込んで、そのまま。傍から見たら、絶対、誤解される体勢である。

 でも、どうでもいいや。とにかく、疲れたんだよ、僕は。このワガママ女に振り回されて、僕は、とても、疲れたんだ……

「……やった……やった、んだ……」

 果たして、10秒か20秒か、それとも五分以上なのか。あれほど全身を苛んでいた苦痛が綺麗さっぱり消え去ったことに気づいて、ようやく、頭が回り始めた。

 レイナが死んだのなら、『神聖言語』が解除されるのも当然である。けど、それまでに負ったダメージはそのままだから、全身が大嫌いなマラソン大会が終わった後よりも酷い疲労感に包まれたままだ。でも、動けないほどでもない。それに、いつまでもレイナの死体に抱き着いているのも、趣味が悪いし、気持ちも悪い。

 どうにかこうにか、上半身を起こす。そうして、改めて、レイナの死に顔と対面した。

「死に際は、樋口の方が遥かにマシだったな」

 己の死を覚悟した樋口に対し、レイナは最後の瞬間まで、どうして自分が殺されなければならないのか、本気で分からなかっただろう。互いに殺意をもって戦った以上、樋口とは立派な決闘だったといってもいい。けど、レイナとの戦いは……果たして、これは呪術師と精霊術士の決闘だったのか、それとも僕の復讐劇だったのか、あるいは、単なる殺人か。

 法的に、倫理的に、第三者が見て『正しい』と思えるだけの行動を、僕はとったのだろうか。

 いいや、そんなことは、どうでもいいことか。だって、僕は僕自身が正しいと信じて行ったんだ。レイナ・A・綾瀬という少女を、殺すしかない。他でもない、この僕が殺さなければならないんだと、そう、覚悟して挑み、そして今、達成したんだ。

「はぁ……疲れた」

 やった、と喜ぶ気にも、笑う気にもなれない。でも、悔いはない。

 だって、驚愕の表情で固まったレイナの憐れな死に顔を見ても、僕は何の感情も湧かなかったのだから。

 ただ、やるべきことを終えた。大変だった。疲れた。それだけのこと。

 終わったならば、後片付け。ぼんやりと、特に考えもなしに、僕はレイナの胸に刺さりっぱなしだったバタフライナイフを抜く。まだ、刺殺したばかりだから、引き抜けば結構な勢いで血が噴いた。

「うぇ」

 ちょっと、顔にかかった。汚いな。

 まぁいい、後で洗おう。僕の体も、血塗れのナイフも。

「……」

 やはり、まだ疲れているのか。なかなか、立ち上がれなかった。いっそ、このまま倒れて眠ってしまいたい気分だったけど……そういうワケにもいかないだろう。

「あぁ、来たか……」

 妖精広場の入り口の向こうから、あーだこーだと言い合う、仲間達の声が聞こえてきた。

 レイナが死んだことで、霊獣もその瞬間に強制退場。やはり、思った通りである。

 聞こえてくる声は、ちゃんと全員分、上田と中井と下川と山田。ああ、良かった、一人も犠牲がでなくて。

 だって、ダンジョン攻略はまだまだこれからだし、彼らは大切な仲間である。こんなところで、脱落してもらっちゃあ困る。

「はぁ……何て言い訳しようかなぁ……」

 それなりに考えていたはずなのに、レイナを殺してしまったことに対する弁解の論理が、頭からすっかり抜け落ちてしまってる。

 どうしよう、何て切りだせばいいか、と頭を悩ませる暇もなく、彼らは勢いよく犯行現場たる妖精広場へと駆けこんできた。

「おい、桃川! レイナちゃんは――」

 その瞬間、全てを見失う。多分、入り口に最初に顔を出して、僕に呼びかけたのは、上田だったような気がする。でも、もう確認のしようがない。

 光。光だ。

 あまりに眩しい真っ白い光が、広場を包み込んでいた。

 なんだこれ――答えなんて、すぐに分かるはずなのに、疲労の極致で、頭が全然働かない今の僕には、分からなかった。あるいは、無意識的に、理解を拒んでいたのかもしれない。

「――桃川」

 その声は、今ばかりは、聞こえてはいけない声だった。

 振り返る。よせばいいのに、でも、僕は反射的にその声の方を向いてしまう。

「……レイナ?」

 目を見開いて、酷く驚いた表情をしたその人物は、なんてことだ、霊獣ソーマ・ユートめ、コイツだけはまだ生きていたのか――と、それだけだったら、どれだけ良かったことか。

「そ、蒼真、悠斗……」

 本物だった。

 そこにいるのは、本物の『勇者』、蒼真悠斗に違いなかった。

 転移魔法陣によって、ここの妖精広場へと現れた。簡単に現状を示すなら、ただそれだけのことだった。

「げえっ、蒼真悠斗!?」

「おいおいマジかよ!」

「ちょっ、これはヤバいんじゃねーべか」

 上中下トリオが騒ぐ声は、全く耳に入らなかった。恐らく、目にも入ってないだろう。僕にとっても、蒼真君にとっても。

「な、なんだ……レイナ、なのか……」

 だって、彼は真っ直ぐ、僕を、いいや、僕の足の下で、血だまりに沈んでいるレイナを見つめているのだから。

「そんな、まさか……死んで……」

 この世の終わりを見たかのような、絶望的な表情。

 けれど、蒼真悠斗は勇者である。勇者は絶望に屈しない。勇者は絶望に抗うものだから。

 そして、勇者は戦う。そう、絶望の根源たる、悪を憎んで。

「――桃川、お前がやったのか」

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― 新着の感想 ―
これ、もはや運悪いとかじゃないでしょ。 誰かしらの意思が介在してね
ネクロマンシーで誤魔化すのかと思ってたらこれから勇者ハーレムパーティーと敵対か。 妖精広場だからそういうこともあるよねって、カツアゲされたり殺害現場でかちあったり、この章の転移運悪すぎる。
[良い点] 一難去ってまた一難。 世界は理不尽と呪いに満ちてやがる。 [気になる点] レイナの死体、ネクロマンスするんだろうか? 心情的にはまるでしたくないだろうけど、割りと貴重な戦力になる可能性も…
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