第101話 追跡者
「桃川っ! 桃川ぁーっ!」
「無駄だ、蘭堂、もう諦めろ」
蜘蛛のような魔物に、一瞬の内に桃川小太郎を攫われて、天道龍一を除く一同は大騒ぎになった。
ピンチになってもどこか能天気な蘭堂杏子も、初めて見るほど大泣きに泣いて取り乱している。ジュリアとマリアも攫われた桃川を慌てて追いかけようとするが……魔物が現れたのは、遥か頭上の天井付近に開いた穴。塔の屋上からでも、天井までは何十メートルもある。この地底湖の地形では、天井の穴へと逃れた魔物を追うのは不可能だと、一目で分かるだろう。
レム、と小太郎が呼んでいるスケルトンの使い魔も、主人を追うための道が見つからず、キョロキョロとしているだけ。動くに、動きようがなかった。
「ふざけんなっ、天道! 桃川は――」
「見ただろう、アイツは魔物にやられた」
凄まじい剣幕で怒鳴る杏子に対し、龍一はどこまでも冷静に事実をつきつける。
「まだ生きてる! 死んでない、桃川は絶対、まだ生きてるって!」
「今すぐ追いつくなら、助けられるかもな」
蜘蛛が消えた天井の穴へ、辿り着く方法がない。
どこかしら繋がっているダンジョンの構造を考えれば、他の道から入れば、いつかは合流できるかもしれないが……そんな探索を行って、桃川を救出できる可能性はどれだけあるか。
彼を攫ったのは、身代金目的の誘拐犯ではなく、単に捕食行動をしている自然の魔物だ。桃川が餌として捕まった以上、長時間、彼を生かしておく道理はどこにもない。すでに、頭から齧りつかれていても、おかしくはないのだ。
「いいか、蘭堂。俺達には、アイツを見つける方法も、助け出す時間もねぇんだ」
天道龍一は強い。魔物を喰らい、その身体能力もスキルも相当なレベルに達しつつあるが……空は飛べないし、千里眼を持っているわけでもない。現状、打つ手がないのは誰の目にも明らかなのだ。
「杏子……天道君の言う通りだよ」
「アタシらじゃ、桃川を助けには行けないんだよ」
ジュリアとマリアも事実を悟り、後はもう感情を抑えきれない杏子の説得をするのだった。
「でも、だって……ウチ、桃川のこと……」
簡単に、諦められることではない。特に杏子のような情に厚い人間ほど、誰かを失うことは耐えがたい悲しみである。
「大丈夫、大丈夫だよ、杏子」
「そうだよ、桃川はアレでしぶといから、一人でも何とかするって」
嘘でも誤魔化しでも、ありえない希望に縋るより他はない。そうでも思わなければ、頭が、心が、どうにかなってしまう。
「そうか、お前は行くんだな」
「グガガ」
ようやく、泣きわめく杏子が落ち着いた頃、レムが再起動した。どうやら、天井の穴ではなく、別のルートを行くことを決めたようだ。
言葉の喋れないレムだが、何故だか龍一は彼、あるいは彼女、の意思を理解しているようだった。
「コイツは餞別だ、もって行け」
「ガ」
龍一が『宝物庫』の黄金の魔法陣から取り出したのは、一つの髑髏。ダンジョンにいくらでもいるスケルトンの頭のように見えるが……それは、本物の人間の頭蓋骨であった。
そう、これは『召喚士』としてドラゴンをけしかけ龍一を殺そうとして、返り討ちに遭った、二年七組の男子クラス委員長、東真一のモノである。
何を思って龍一がこれを託したのか、レムには分からない。だが、必要なモノだと分かっているように、この不吉なクラスメイトの頭蓋骨を受け取った。
「じゃあ、私もコレあげる」
「持ってきなよ、武器がないと困るでしょ」
これから桃川を追うレムへ、ジュリアとマリアはそれぞれ自らの武器を与えた。どちらも、それなりの品質の槍と斧だ。今のレムのスペックであれば、槍も斧も十分に使いこなすことができる。
「グガ、ガガガ」
「いいって、私らは適当に調達するし」
「遠慮しないで持ってきな」
言ってることは全く分からないが、二人は笑って、それっぽい適当な言葉を返してあげた。これでもレムは、一緒に地底湖塔の死闘を潜り抜けた仲間だから。
「杏子はいいの?」
「何か持たせてあげなって」
「えっ……ウチ、役に立ちそうなモノ、何も持ってないんだけど……」
魔術士の杏子はこれといった武装はない。小太郎にいざという時のためにと、押し付けられるように持たされたサブウエポンのナイフくらい。小太郎もレムも杏子のより良い品質のナイフをすでに所持しているから、これを託す意味はないだろう。
良いモノがないかと鞄を漁る杏子は、
「んー、じゃあ、コレ!」
何かを掴むと、一瞬の内にレムの持つリュックへと突っ込んだ。
「えっ、杏子、今のなに?」
「何あげたのよ?」
「……秘密。見たら殺す」
珍しくも、頬を染めて恥らう杏子は、相当なモノをレムへ託したようだった。
「ガガ、グガガッ!」
そうして、メンバーからそれぞれの餞別を持ち、レムはご主人様探索の旅へと出発した。
「元気でなーっ!」
「頑張りなよーっ!」
「桃川のこと、頼んだからね! 絶対、助けてよ!」
声援を骨の背中に受けながら、レムは地底湖から伸びる、どこに続くとも知れない洞窟の一つへと走り去って行った。
「それじゃあ、俺らもさっさと行くぞ」
「むぅー、天道、なんか冷たくない?」
「やれることはやっただろ。それに、桃川が生きていりゃあ、先に進めばいつかは合流できる」
「まぁ、そうだけどさー」
桃川を失った四人は、今度こそ本来の目的通り、転移で先に進むべく、地面の魔法陣へと集まった。
「スーハー」
魔物の息遣い、のようなモノを、全員が聞いた。
ついさっき、桃川が蜘蛛に襲われたばかり。再び、魔物がここへ現れてもおかしくない。
杏子含め、すでに死線を潜り抜けてきた四人の反応は鋭い。
ジュリマリはその辺から回収したジーラの武器を手に、音が聞こえた方向へ油断なく構える。杏子も瞬時に石の弾丸を撃ち出せるよう、腕を向ける。
龍一だけは、ポケットに手を突っ込んだままの体勢だが、鋭い注意は向いていた。
全員が注目する中、ソレは現れた。
「クンカクンカ、スーハー」
犯人を追う警察犬のように、いや、地面に生えるキノコでも探す豚のように、荒い鼻息を立てながら、のっそりと四足歩行の魔物が――
「クンカクンカ……匂うぅ、にぃーおぉーうぅーぞぉー」
魔物が喋った。
否、それは、人だった。
「んあぁーっ! 匂うぞぉおおおっ! この芳しい香りはぁー、紛れもなく、マイハニーのモノっ!」
地面を這うような四足から、意味不明な絶叫を上げて二足で立ち上がった男は、確かに、白嶺学園の男子制服を着ている。
大きくもない身長に、ぶくぶくと横にだけ太った、醜い体型。耳が汚れる様なダミ声を喚きながら、その男子生徒はノシノシと歩いて、魔法陣のある地底湖の島へと乗り込んできた。
「お前……横道か」
「ああ!? なんだぁ、テメぇは――うげえっ、天道!?」
向かい合う、天道龍一と横道一。
いわゆるクラスカースト、というのを如実に表すかのように、冷めた目の龍一に対し、横道はあからさまに動揺した気配。
だがしかし、ここはもう平和な学園の教室ではなく、魔物が跋扈する異世界ダンジョン。曲がりなりにも、この場所を踏破してきた経験が、横道を奮い立たせる。
そう、最強の不良生徒と呼ばれる天道龍一を恐れる理由は、横道にはもうどこにもないのだ。
「へっ、へ……うぇへへへ! 天道ぉ、お前ぇ、天道龍一かよぉーっ!」
「随分と上機嫌じゃねぇか。そんなに俺に会いたかったか?」
「テメーみてぇなクソDQN野郎に会いたいワケねーだろが!」
クラスでは絶対に言えない、龍一に対する罵倒も、今の横道は平気で口にする。もっとも、本人は罵倒そのものには何ら気にする様子はない。
注目すべきは、横道の出で立ちであろう。
「ねぇ、横道なんかヤバくない?」
「あー、アレ、ヤバいわ」
これまで真っ当に天職『騎士』『戦士』として戦い、成長してきたジュリマリコンビは、揃って横道の発する異様な気配を察した。
「うん、ヤバい、アイツ絶対水浴びしてないじゃん」
一方、つい最近ようやく『土魔術士』として活動しはじめたばかりの杏子は、横道の酷く汚れた姿から、激しい異臭がしそうという感想しか抱けなかった。
「悪ぃな、ここのボスならさっき倒した。次が出てくるまで待つか、別の道を行け」
「はぁああーっ!? 俺を一緒に連れていくっていう選択肢はなしですかぁーっ! おいおいおぉーい、折角クラスメイトと会ったってのにハナから助ける気ゼロかよオーイ!」
「いや、だってお前臭そうだし」
割と本気で嫌そうに顔をしかめる龍一。すでに、五感も鋭くなっているから、距離を置いても横道の汚れた体と学ランから放たれる異臭と腐臭を鼻が感じ取ってしまう。
「て、てっ、てんめぇ天道ぉーっ! 人のこと平気で臭いとか言うなぁ! 言われた方は傷つくんだぞ、意外なほど傷つくんだぞ臭いって言葉はよぉーっ!」
うっかりトラウマでも刺激してしまったのか、口角泡を飛ばしてマジ反論の横道に、龍一は頼むからもうその臭い大口を開かないでくれとうんざりした表情。
「分かった、もういいから失せろ。お前のことは見なかったことにしといてやるから」
「ちょっ、待てコラぁ! なに勝手に話終わらそうとしてんだよ! こっちの用件は済んでねーぞコラぁ!」
「ほら、お前らさっさと集まれ、転移するぞー」
「おおぉーい! 待て待て待てーっ! 無視すんな! シカトすんな! お前らイジメだぞソレ、イジメカッコ悪い!?」
本当に全員が横道の登場を見なかったことにしたいのか、龍一の言う通り魔法陣に集まり、地底湖に響き渡る虚しい叫びを全力スルーである。
この横道の姿と態度を目にすれば、誰だって仲間に加えたいとは思わない。そもそも、関わり合いになりたくない。非常時だから助け合うとか、過酷なサバイバルだから見捨てるとか、それ以前の問題であった。
お近づきになるのが生理的に無理な人は、黙って距離をとられるに決まっている。
故に、横道が彼らを引き留めるのに必要なのは、言葉ではなく、力でしかありえない。
「くぅおぉんのぉ、テメーら、揃いも揃っていつものクラスみてぇに俺のことをシカトこきやがってぇ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソDQNとクソビッチども――があっ!」
罵声と共に、横道の口から何かが吐き出される。魔法で放った水のボールのようなモノだが、それが小便のように黄色く濁っていることから、毒物か汚物、あるいは両方のイメージを瞬時に抱かせる。
捕食スキル
『麻痺毒液』:触れると中度の麻痺状態になる毒液を精製する。舌の毒腺が発達し、分泌量が増加。
突然のブレス攻撃だが、速度はそれほどでもない。すでにして鋭い感覚と素早い脚力を持つジュリアとマリアは咄嗟にその場を飛び退く。
だが、魔術士クラスの杏子はそこまで素早い回避行動は無理だった。しかし、一歩も動かずに立つのは、彼女だけでなく、龍一もまた同じであった。
「ちっ、汚ねぇな」
つぶやくと同時に現れたのは、水の壁であった。突如として地面から噴き出したように、波打つ水流は数メートル四方の水の壁と化して、龍一とその後ろに立つ杏子を守るように突き立った。
直後、横道の汚物ブレスが水壁に着弾。そこに秘められていた麻痺毒と強烈なアンモニア臭を、波打つ水の防壁は全て洗い流すかのように防ぎきった。
「はあぁ!? なんだよクソ、水魔法かオイ!」
「ああ、さっき使えるようになった」
地底湖のボスだった巨大ワニ型リザードマンは、その巨躯を生かした物理攻撃だけでなく、水流操作を中心とした水魔法も行使していた。
捕食スキル
『アクア・マギア』:水属性の下級魔法を全て行使できる。
喰らえば、水魔法のスキルが獲得できるのは当然である。
「へっ、けど、水魔法かぁ! ふへっ、ふひひ……あの天道がよりによって『水魔術士』かよ」
「はぁ?」
どうやら、龍一の水壁を見て、天職が『水魔術士』だと判断したようである。
あまりに短絡的な判断であり、どうしようもなく間違っているが、それをあえて指摘してやる義理はない。
「ぶへへ、馬鹿が、この異世界は天職で強さが決まるんだっての。『水魔術士』なんてモブみてぇなクソ天職で調子に乗ってるとか、ブフッ、マジで笑えるぜ天道ぉ! やっぱDQNってホンマモンのアホですわ!」
高笑いを上げる横道。
龍一は「やれやれ」と面倒くさそうに溜息をついてから、言い放った。
「おい、やるんなら、さっさとかかって来い」
「お? おおぉ? やんの? やっちゃうの? クソザコ確定な水魔術士の天道くんが、この主人公補正全開の最強チート天職持ちの俺とやろうってんのぉ!?」
「お前らは塔のとこまで下がってろ。危ないっつーか、多分、汚い」
かすかに、だが確かに龍一の体から、戦意としか言いようのない気配が発せられたのを、ジュリアとマリアは感じた。
「えー、横道やめなって、天道めっちゃ強いよ。いいから逃げとけって」
しかし、いまだ戦いの気配に鈍感な杏子は、純粋な優しさ故にそんな心からの注意を発してしまった。
「うわっ、バカ!?」
「ちょっと杏子、ソレはっ!」
慌ててジュリマリコンビが止めに入り、自分の失言に気づかない杏子をそのまま引きずるように塔へと向かう。
そして、彼女の優しさに気づけるはずもなく、案の定――
「な……なっ……舐めてんじゃねぇぞクソアマがぁあああっ!」
横道は激怒した。
 




