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それでも今日が終わりますように



 ざまあみろ


 いつだって馬鹿みたいに陽気だったレドが、そう口にした。怒り、憎しみ、哀しみ、諦め、そういった負の感情を全て煮つめてドロドロに溶かしたような声で、吐き捨てる。その表情だけは、頑なに動かす事もなく。


「ヴィオラ様、貴女が魔族らしく、人の感情が分からない方で本当に良かった」


 まるで、目の前の彼が知らない生き物のように見えた。レドは人間だ。今でも、私が気紛れに拳を振り抜くだけで、彼程度なら殺す事が出来るだろう。彼の眼前から去りたければ、私は空を飛ぶ事も出来る。しかし、足は大地に縫いとめられたように動かず、目の前の脆弱であるはずの彼が、信じられないほど恐ろしかった。


「憎まないはずがないでしょう?死ぬ間際の暴力を加えられ、それまでの生活を踏みにじり、両親を蹂躙した魔族を、憎まない訳がない。それを束ねる魔王は、正に憎しみの象徴でした」


 レドは、爛々とその目を不気味に輝かせ、早口にまくし立てる。じっとその目に見詰められれば、身動ぎ一つする事も許されない。


「けれどまあ、分は弁えているつもりです。俺ではあれにかすり傷一つ負わせることも出来ないでしょう。だから、考えました。せめて、あれの柔らかい部分を抉ってやろうと」

「陛下の、柔らかい部分?」


 彼の指が、目眩がするほどゆっくりと私を指さす。


「貴女です、ヴィオラ様」


 口調は妙に軽やかに、レドは語る。突然の刺すような言葉に何も答えられない私に構わず、彼は一方的に話し続けた。


「貴女から話を聞いて、随分目を掛けられている事が分かりました。貴女に勇者一行へ潜入する命令が下ったとき、ようやく運が向いて来たと思ったものです。ヴィオラ様がどういった方か、重々承知しております。少し状況を整えてあげるだけで、貴女は見事に彼らへ情を向けました」


 頭がぐるぐると混乱する。まるでレドの話を聞いていると、彼の思惑通りに私が陛下を裏切ったようではないか。レドには人間に対する疑問をぶつけたくらいで、私はずっと自分の意思で動いていた。しかし、そういえば、レドの返答でますます頭を悩ませる事の方が多かった。

 彼の言葉の意味が理解出来なくて、その分いつまでも人間に対する疑問は、私の中に燻り続けた。


「見ましたか!あのときのあれの顔を!魔王なんて言われている癖に随分寂しそうな顔をしていたものです!ああああざまあっみろ!」


 血を吐きそうな怒鳴り声だと思った。いつも馬鹿みたいに陽気なレドのそんな感情的な声を、初めて聞いた。心臓が不安と恐怖で震えている。まるで知らない獣のようだった。私のそばでずっと仕えてくれていた人間の子どもは、どこにもその面影がないように見える。


「おまえ………」


 唇が震える。喉が枯れんばかりに叫んだ無表情のレドの目が、私へ向けられた。


「ずっと憎んでいたのか」

「当然でしょう」

「ずっと、そんな、私のそばにいて」


 声が震える。初めて垣間見たレドの激情に、すっかり飲まれていた。唾液を呑みこむ自分の音が、嫌に大きく聞こえる。


「それで、それで何故、まだ私に付いてくると言ったんだ」


 レドは、ずっと魔族を憎んでいたらしい。今ならば、私にもそれが分かる。近しい者を殺されるということは、人が憎しみを育てるに十分な理由だ。

 そんな、憎んでいたレドは、その憎らしい魔族である私のペットとしてずっと扱われてきた。それは、どれほど口惜しい事だったのだろう。ようやく離れられるならば、喜んでそうするのが順当な反応だと思う。それとも、そばにいて、今度は私の命を狙うつもりだろうか。それにしては、何故その感情をこんな所で私に明かしてしまうのか。


 レドは一度口を噤んだ。そして一呼吸置くと、先程の憎しみをまるでどこかへやってしまったかのように、至極冷静に口を開いた。


「貴女のせいです」


 もう一度、彼が繰り返す。


「貴女のせいです。俺はきっと、あのときあのまま死ねたのに。両親の元へ逝く事が出来たのに、貴女のせいです。貴女が泣くから、誰の前でも泣けない臆病な貴女が俺の前で泣くから、俺はどこにもいけなくなってしまった」


 レドが、私に向かって一歩を踏み出す。後ずさりする事なく近付いた彼を見上げれば、彼は私の頬に左手を添えて、右手の親指で私の額を拭った。力を抜くと、背負っていた荷物が肩を滑って地面に落ちる。


「今更、捨てられるなんて思ったら大間違いです」


 叩き付けるように、彼はそう口にした。陛下に対する怨念を吐きだしていたときに比べると、妙に頼りなく聞こえる。彼の異常な様子に感じていた恐怖が、少しばかり和らいだ。私から手を離して、レドははっきりと口にする。


「貴女は全てを失いました。全てを溝に捨てました。貴女に残されているのはその身一つと、俺だけです」


 答えなんて分かりきっていた。彼の言葉を信じるならば、私が全てを失って破滅したのは、レドにその原因の一端があるのだろう。けれどそれを恨めしく思うには、私はもう全てを失い過ぎていて、そんな気力もなかった。


「私についてくれば、すぐに死ぬかもしれないぞ」

「貴女の死ぬときが、俺の死ぬときですよ」

「随分、簡単に言ってくれる」


 これでも私は、初めてレドの事を慮ったつもりだった。ペットでしかなかった彼を、初めて思いやり、手離す事に決めた。しかし、本人がそれを許さないという。全くもって勝手なやつだ。

 悔しいのは、それに少しばかり安堵した自分がいること。


「好きにしろ」

「ええ、もちろん」


 複雑な心境を隠すように、素っ気無く答えた途端、レドは当たり前のことかのように頷いた。そのまま、私の手を取る。何事かと思えば、彼は私の手を引き寄せ、この手首に唇を寄せた。


「何をする」

「忠誠の誓いですよ」

「今更そんなものはいらん」


 その手を振り払い、もう一度荷物を背負い直し、背を向けて歩き出した私の後を、レドはいつものように少し離れて追って来る。何もかもいつも通りのようで、しかし私はもう彼の主人ではなく、彼は私のペットではない。私は魔族で彼は人間だった。

 しばらく無言で歩き、ふと頬を撫でる風に誘われるように空を見上げる。じりじりと肌を焦がすような、憎いくらいの快晴が頭の上に広がっていた。


 私はもう二度と、リア達に会う事はないだろう。あるいは、彼らが本当に陛下を討ち滅ぼすことができたなら、それも可能となるかもしれない。しかし、私は彼らと陛下、そのどちらが斃れたとしても、言葉を尽くしても語りきれない感情を抱くだろう。だからこそやはり、これは今生の別れとなるのかもしれない。


 けれど、きっと、この空は繋がっている。リアも、フラムも、ヘリオドールも、ユノも、アルバも、同じ空の下で我武者羅に生きている事だろう。


 これから、私には逃げるだけの生活が待っている。誰にも見付からないようにと隠れ潜む生活には、夢も希望も光もない。夜が更ける度に今日も生きられたと安堵し、夜が明ける度に今日も生きられるだろうか、と不安に押し潰されそうになるかもしれない。けれど、このまま夜が続いてくれればいい、とは思わないことだろう。


 同じ空の下にいる彼らには、希望のような朝陽が届けば良いと願うから。だから私は、毎夜夜明けを待とう。そして笑うのだ。あの太陽の下で、彼らもまた空を見上げているのだと信じて。この心が恐怖に揺らいだとしても、


 それでも今日が終わりますように、と。






最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。


元々ファンタジー×長編、というものに「難しい」という苦手意識を持っており、このお話は初め短編で考えたものでした。しかし、登場人物の変化などを示していくには、短編よりも長編の方が相応しいと考え、苦手ながらチャレンジしました。

途中心折れそうになりながらも、励ましてくれた友人と、支えて下さった読者様のお陰で最後まで描ききることができました。


楽しんで頂き、皆様の心に小さな足跡を付ける事ができたなら、とても幸いに思います。本当にありがとうございました。


以下、登場人物紹介と、ざっくり考えている今後の彼らの妄想です。ご興味がございましたら、どうぞお付き合い下さいませ。










ヴィオラ:魔族で百歳くらい。魔族の中では若輩で魔王陛下の側近的立場。死にたくない一心で生きており、その為なら他の生き物などどうでもいいと思っていた。本編終了後も、未だに人間の事は訳が分からないと思っている部分が多いが、だからといって否定せずに理解しようとする姿勢は芽生えている。今後もレドとふわふわ旅を続け、色々流されながら生きて行く。主にレドに。



レド:ヴィオラのペットになった人間。読み書きなどはヴィオラに教えられた。一番憎い両親の仇が早々に死んでしまい、魔族の象徴である魔王に憎しみを向けていた。生きたい、という本能が枯渇してしまっている。本編後はふざけた事を言う頻度が下がるが、代わりにちょっと我儘になる。肩の力を抜いて、ある意味ヴィオラに甘えを見せるというか、いい変化のはず。



フラム:王都にある宿屋の少年。悪戯好きの冒険好きで、近寄っちゃダメと言われていた聖域の神殿に探検に行き、うっかり聖剣を引きぬいてしまう。本編以前で、一度ヘリオドールと本気で戦ってこてんぱんにされた事がある。リアとは幼馴染。口うるさいと文句を言う割にいつも一緒。色々とお察し頂けるといい。



リア:フラムの家のご近所さんで幼馴染。悪戯好きのフラムを咎めるようでいて、面白そうならついつい自分も参加してしまう。甘え上手だが、芯は強く、よくフラムの背中をばしばし叩いて励ましている。ヴィオラが急にいなくなった事に物凄く腹を立てている。たぶん、再会出来たら鬼の形相で追い掛ける。



ヘリオドール:元勇者候補だったが、そうでなかったと判明した瞬間に周囲全部に手のひら返されてグレていた。ユノの気持ちには気付いているが、今その事に触れてもお互い辛いだけなので何も言わない。早く幻滅してくれればいいのに、と思っている節もある。ユノには恩義を感じていて、彼女が笑ってくれれば、割と普通に少しだけ世界が美しく見える。



ユノ:元勇者候補の役に立ちたくて聖剣の守人を志した。ヘリオドールには、自身に夢と生き方をくれた事への感謝もしている。想いを打ち明けるつもりもないのに、彼が女性を口説いているとかっとなってしまう。文句をつける資格などないのに、と勝手で最低だと思うが我慢出来ない。時々使命感と恋心の狭間で揺れる。



アルバ:皆を優しく見守るパッパ的なポジション。穏やかで優しいが押しに弱く、時々戸惑っている。十代後半の娘がいて、彼女が幸せに暮らせる世界を作る為に旅に参加。フラムに剣の手ほどきをした人。久しぶりに娘のところに帰れば、初めて見る恥じらうような赤い頬で、娘に恋人を紹介される事を、彼はまだ知らない。



魔王陛下:自分を殺そうとする相手を軒並み薙ぎ払っていたらいつの間にか魔王という地位にいた。ヴィオラの事は、すごく可愛がっていたつもり。恐怖に畏縮したヴィオラは、珍しく自分の命を絶対に狙う事のない存在で、たぶん心地良かった。レドの事は視界にも入っていなければ存在を忘れていることがほとんど。昔はヴィオラのように生に執着していたが、そろそろ疲れてきてる。




こんなところまでお付き合い頂き、ありがとうございました。



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ありえないくらい面白いです。心象描写が丁寧で、引き込まれました。願わくはみんなにハッピーエンドが訪れますように。
[良い点] はー面白かった… レドが特別な立ち位置にしては、道中空気と化しているように感じることが多くて違和感を覚える作りだったけど、それが黒幕の動きとして綺麗に収まっていて気持ちが良い。
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