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少年少女、あるいは何処にもなき理想郷(下)

 東雲に昇る太陽が閉ざされた空をじわじわと焼き尽くしていく。

 千切れた雲の隙間から覗く朱い光は、生命の脈動を感じさせた。

 これが、とある少年が選び、掴み取った世界の風景。

 当たり前ではなくなっていた、当たり前の空の景色。

 世界の、あるがままの姿。

「……」

 イリスは涙を流していた。

 しずくは頬をつたい、そして地面に落ちた。

 にじむ。濡れた砂が、茶色く色づいた。

 〈死〉によって殺された世界。死は流転しない。しかし、黙示録の騎士は世界に対して直接の影響は及ぼさない。

 あれは、人間の幻視した観念的な存在である。

 だから、死を乗り越えた生の証によって、その呪いは晴らされていく。

 広がっていく空。澄んだ青の色は果てなどないかのようだ。

「……広いなあ」

 それを見上げることとなった()もまた、そんな感想を漏らした。

 リヒトの右腕を食らい再生したユウマが。

「綺麗だなあ……」

 青年は起き上がらない。起き上がることなく、空を見ている。

「この青は、どこまで続いてるんだろう」

「どこまでもよ」

「どこまでも、ですか」

 初めて二人は言葉を交わす。互いが互いを知らない。その正体について、二人とも興味はあるはずだ。

 だが、訊かない。

「空はどこまでも続く。たとえこの世界の外に出たとしても、その事実は変わらないわ」

「そう……なんですか」

 それで何かを得たのか。強く目をつむって、それから億劫そうに立ち上がった。

「リヒト君は、やったのですね」

「ええ。見たわけじゃないけれど、きっと」

「じゃあ、次は僕の番か……託された、らしいので」

 イリスは打倒したユウマに少年がかけた言葉を思い返した。

「何から始める気なの?」

「彼は人類を救った。僕はまだ世界を救えていない――だからまずは、そこから始めてみますよ」

「……ねえ、あなたはなんで世界を救うおうと思ったの?」

「なぜ、世界を救おうと思ったか……」

 ユウマの瞳に望郷の色が宿る。意識の底にある無意識。その場所にあるであろう何かを探している。

「……昔、赤ん坊が生まれる瞬間に立ち会ったときがあったんですよ」

 答えに行きついたらしい。彼は訥々と語り出した。

「施術は淡々と進められて、生まれたのは女の子でした。〝おぎゃあ〟、〝おぎゃあ〟って泣くその子を見て僕は、ああこんなところに生まれたくなかったんだろうな……、と思いました。それは『揺り籠』では当然でも、生まれたばかりの彼女にとってはそうではない。そう気づいて、だからその泣き声を終わらせようとした……でも、できなかった」

「なんで……?」

「だって、彼女は生まれたんだ。生まれて、〝こんな世界ふざけるな!〟って泣いてたんですよ。だから、僕は何もできなかった。彼女は泣いて泣いて泣き続けて、泣かなくなった」

「……」

「世界を救うことは僕の根底に刻まれた命令です。あらかじめ決まっていること。だけど、それを選んだのはあの瞬間。そこにはきっと、意味があるんでしょうね」

 彼はきっと世界を救うであろう。

 喇叭吹きの天使が紆余曲折を経ながらもその役割を全うしたように。

 命じられた役割は、どんな艱難辛苦を前にしても途絶えることを許さない。

 だから、世界を救うという結果ではない。そこへ至る過程が結果に意味をもたらすのだ。

 青年と相反するあの少年が叫んだ言葉。それをユウマは、苦笑交じりながらも受け入れていた。――いや、そうではない。それもまた、勘案すべき事柄だと判断したに過ぎない。

 〈主人公〉へ、裁定者として、彼女は問うた。

「人はもう、同じ過ちを繰り返さないわよね」

「どうでしょう? 体験じゃないことなんて掠れ、失われて野暮ったい教訓になるだけですよ」

 結局は想像できるか。

 かつて理想郷にたゆたった人類は、思考を放棄した。

 だから、ユートピアは何処にもなき理想郷。

 理想に果てがなければ――果てなき理想を追い求めるとき、人間は人間らしさに殉じることができるから。

 思考を止めないこと。前に進み続けること。

 それが生ある人間の刻印|。

 人の根底に刻まれた命令。

 ゆえに、どんな人も考えることをやめてはいけない。歩みを止めることは許されない。

 願うため。幸せになるため。

「おや……」

 差し込む光に目を細めて、ユウマが呟いた。

「そう、そろそろ時間なのね」

 イリス本人も気づいていた。透ける体。自身が喪失されていくことに。

 それに恐怖したりはしない。共に逝く、愛する男が寄り添っているから。

 得るものは得た。次の自分にはそれは反映されていないかもしれない。そもそも次があるのかもわからない。

 それでも、今生を全うできたと断言できる。

 ただ気がかりがあるとすれば、やはり――

「あら」

 イリスは崩れた『箱庭』に人影を見た。

 一つではない。二つでもない。もっと多くだ。

 男女混淆の集団。六番目、そして〈終末黙示録〉が招いた終わりから生き残った者たちだった。

 彼らは、『胎』や蕾の娘たちを守ることを選択したのだ。

 もちろん死体の山の中には、女性のものもある。

 だから、守り抜いたのだ。

 奇跡としか言いようがない。

「生き残り……絶対にいないと思っていたのに……なぜ」

 生存者の存在はあまりに予想外だったらしい。隣の青年は、目に見えてうろたえた。

「奇跡は、理屈がないからこそ奇跡なのよ」

「奇跡……」

 そんな見えざる手が、あの呪いから人を守ってくれるだろうか。そんな疑念がユウマに肯定を渋らせる。

 ――ふと、集団の誰かの呟き声が耳に届いた。

「……きれいだ」

 空を見上げ、知らぬまぶしさに目を細める。

 その言葉に、その姿に、ユウマの全身へ震えが走った。

「は、はは……はははははッ! そうか! そうか!!」

 哄笑をあげる青年にイリスは怪訝な目を向ける。

 もはや風景と同化しかける身。懐疑を続けた半生であるが、それが駄賃というのはむなしすぎる。

 だが、真を問う必要はなかった。

 青年の視点ではもう、懐疑などは意味をなしていないのだから。

 感情を制御する栓が壊れてしまったように語りだす。

「世界は醜く、希望は遠くの光でしかないけれど……雲の向こうには、変わらずこの空があった。だったら世界は美しいんだ」

 どんなに世界が絶望に満ちても、その根本的な在りようは変わらない。

 清濁がまぜこぜになり、元の光が見えなくなろうと、それの形は変わらないのだ。

「そして僕も彼らも、そしてきっと、リヒト君だって……この空を見て、綺麗だと感じた。感じることができる」

 人は同じ視点を共有できない。

 同じ情景を見ても、同じ記号として処理できない。

 だけど、思いを共有することはできるのだ。

「けど、それで何がわかったというの?」

「あ、ええ。そうですね……僕にわかったことがあれば」

 もったいぶるように区切り、青年はいたずらっぽく笑った。

「人は願うんですよ、自らの幸福を。だけど、願うだけでは終わらない」

「ん?」

「願い続けるんですよ」

「っ! ……じゃあ、その可能性も……!?」

 もし彼がそれを諦めていなければ。そのために抗い続けていたとしたら。

 〈人類免疫〉は、人の願いの集合体である。

「僕はそうあってほしいと願いますよ」

「わたしも、願うわ」

 最後の思い残しが少しは和らいだ。涙を笑顔に変え、イリスは姿を消した。

 彼女だけではない。

 この世界を覆っていた人知の及ばぬ異常――その全ては夢幻であったかのように消え去った。

 ユウマは歩み出す。

 分岐点に立つ名もなき者たちの元へ。

 その向こうに、姿なき少年少女を見ながら。

これにて完結にございます

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