第61話 王命には従わん
「寝かせる人は、何人だい」
四日かけてカンディアへ戻ると、救援所の女は荷台を覗き込んだ。
入口には、ヴェラ教団の灯火の布が掛かっている。女は返事を聞くと、奥の寝藁を足すよう声を飛ばした。勝ったかとは訊かなかった。
商隊護衛を請け負う傭兵隊長ガイウスが、腿を負傷した部下を下ろす。診療助手のマティアが、寝床へ布を敷いた。
「ここへ寝かせてください。服は脱がせず、こちらで切ります」
ガイウスは兵の手を荷台から外させ、寝床まで運んだ。
残った二台分の麦は依頼人へ返した。一行の食料は、ナザルが手持ちの金で買い直す。救援所の鍋から、軍の糧食を持ち出すわけにはいかない。
ロウラが空の荷車へ戻ると、兵装の男が待っていた。
「マルケリス将軍の使いです」
ロウラの手が止まった。
ヴァルネで戦った王国の将軍だ。部下を逃がすために崩れた梁を支え、降伏した。その後、捕虜交換で王軍へ帰っている。
「将軍は領境にいます。カンディア方面の物資を止める任務ですが、別の王命が届きました」
男が書状を出した。
「ヴァルネで捕虜になり、交換で戻った二十四人を処刑せよ、と。敗戦の査問が終わり、敵に助けられて帰った兵へ責任を取らせるそうです」
「あいつが斬るのか」
「再審査を求めて、執行を止めています。兵を逃がしたい。受け入れてもらえないかと」
国王に反旗を翻した王妹ヴァレリアも、書状を読んだ。
使者は、半日の距離にある野営地から来たという。灯火団の印を頼りに救援所を訪ね、一行の帰りを待っていた。
「明日の正午までに執行するか答えろと、監察使に迫られています」
ロウラは男へ書状を押し返しかけた。
染物職人の少年ティロは、ヴァルネの戦いで死んだ。あの将軍が引き返していれば、姉の横でまだ布を染めていたかもしれない。
「今度は、自分の兵を助けてくれってか」
使者は目を伏せた。
カッシウスが荷車へ肘をつく。
「帰した兵を、捕虜になったことでは罰しねえ。あいつ、そう言ったな」
「覚えてる」
「許せとは言ってねえ。殺される二十四人は、あいつじゃねえぞ」
ヴァレリアが書状を畳んだ。
「受け入れる話は、あたしがする。来るか」
ロウラは、空いた荷台を見た。
「兵を見に行く」
*
翌朝、空車二台と護衛を連れて町を出た。
ガイウスは負傷兵のそばに残り、自隊への連絡を引き受けた。昼前に領境へ着くと、使者が街道沿いの野営地を指した。
木柵の西門の前で車を止める。緋環隊の隊長アウルスが、兵を左右へ分けた。リネアが頭上を一周し、柵の内側を覗く。
「人が並んでる。手を縛られてるよ」
使者が門へ声を掛けた。
「監察使の前で兵の名簿を改めると、将軍が申し入れてあります。兵が出てきても、すぐには動かないでください」
ロウラは荷車の車輪へ手を置いた。門の外へ受け入れ先を用意できても、兵を渡すと決めるのは、あの男だった。
やがて、縄で手を縛られた兵たちが、門の内側へ連れてこられた。二十四人。杖をつく者も、隣の肩へ体重を預ける者もいた。
その前へ、マルケリスが出てきた。
ロウラは男の左肩を見た。鎧は着ているが、腕の動きにはまだ硬さがある。こちらの視線に気づいても、男は肩をかばわなかった。
「兵を受け入れるか」
「本人が望むならな」
ヴァレリアが答えた。
「武器を置いた者を、捕まえて王へ渡すことはしねえ」
マルケリスが頷いた。
門の奥から、細身の男が進み出る。王命の執行を見届ける国王の監察使だった。武装した護衛が十人、背後へ並ぶ。
「王妹へ捕虜を売る相談か、将軍」
「捕虜ではない。俺の指揮下で戦い、交換で戻った兵だ」
マルケリスは監察使の前へ立った。
「捕虜になったことでは罰しないと、俺が約束した」
「赦免を決めるのは国王陛下だ」
「罰するなら、降伏した俺を罰しろ」
監察使は、封の切られた王命書を広げた。
「陛下は、お前に忠誠を示す機会をお与えになった。お前自身の手で、この者たちを処刑せよとある」
並んだ兵の一人が、頭を上げた。
マルケリスを見ていた。ロウラも、その顔を見た。
ヴァルネの門で、あの将軍は、王命が変わらなければまた攻めると言った。
今回は、どうする。
マルケリスは胸の徽章を外した。
広げられた王命書の上へ、徽章を押しつける。
「王命には従わん」
男の声が、門の外まで届いた。
「二十四人は連れていく。兵を救うために降伏した。帰ってから殺すためではない」
監察使が徽章を握った。
「返せば済むと思うな。お前も反逆者だ。拘束しろ!」
護衛の剣が抜かれた。
マルケリスが盾を上げ、縛られた兵との間へ入る。最初の剣を受け、二本目を盾の縁で押し返した。
右から、一人の護衛が兵の襟を掴んだ。
ロウラは門の下を駆け抜けた。
「手を離せ!」
護衛が剣を振り上げる。その刃へ拳を出した。
黒い罅が走り、剣が半ばで裂けた。ロウラは相手の手首を打ち、兵の襟から指を外させる。続けて胸当てを押し、監察使の側へ突き戻した。
「縄を切れ! 車まで歩かせろ!」
アウルスが部下を門へ入れた。
護衛が二人、門へ回り込もうとした。緋環隊の兵が盾を差し入れ、左右の門柱へ押しつける。空いた真ん中を、縄を解かれた兵が抜けていった。
カッシウスも兵の列へ回り、短刀で縄を切る。ナザルは門の外で車を寄せ、歩けない者を先に乗せた。
ロウラの前で、一人の兵が足をもつれさせた。引き起こすと、男が顔を上げる。
「あのときの……」
ヴァルネの地下で、梁の下にいた工兵だった。マルケリスに支えられた梁の脇を抜け、ロウラの横まで逃げてきた男だ。
ロウラは、まだ縛られている手を見た。
「こいつの縄も!」
カッシウスが刃を入れた。縄が落ちると、工兵は自分の足で門の外へ走った。途中で戻り、膝をついていた隣の兵へ肩を貸す。
「立てる者は、隣の人に肩を貸してください。荷台には寝かせる場所を残してください」
ナザルが荷台の脇から呼んだ。
マルケリスの陣からも、兵が駆け寄ってきた。
「将軍を囲め!」
盾が五枚、マルケリスの横へ並ぶ。監察使の護衛が足を止めた。
だが、陣地に立つ兵の半分は動かなかった。
旗持ちの男が、竿を握り直した。
「俺は、王軍を抜けません」
マルケリスは、その男へ顔を向けた。
「それでいい。俺についてくる者だけ、門を出ろ」
旗は下がらなかった。
ロウラは縄の残った兵を外へ押し出した。門の内側で、マルケリスと従う兵が盾を揃えて下がってくる。
監察使が追撃を命じた。
王軍へ残った兵が槍を持ち上げる。だが、先端はすぐ前にいる元の仲間へ向いた。男たちは互いの顔を見て、踏み出せなかった。
その間に、最後の一人が門を抜けた。
アウルスが車列を動かし、ロウラはその後ろへ回った。
マルケリスは、旗の残った陣地を見た。戻ってくる兵を待つように、しばらく立っていた。
誰も出てこなかった。
男は盾を下げ、車列へ加わった。
*
野営地から離れると、マルケリスは車を止めさせた。
逃がした二十四人を、一人ずつ見た。
「俺は王軍を離れた。お前たちまで従う必要はない。故郷へ戻れるかは調べる。今ここで兵に戻れとは言わん。残る者には、戦ってもらうことになる」
一人が膝を折り、土へ手をついた。隣の兵が、その背を撫でた。
「命令を断っても、いいんですか」
顔を上げた兵が訊いた。
「ああ。俺は、王に従うことをやめた。お前たちが俺に従わないことを、罰するつもりはない」
兵は口を閉じ、手首の縄の跡を擦った。すぐに返事をする者はいなかった。
ロウラはマルケリスの前へ立った。
「ヴァルネでも、そう言ってほしかった」
男は顔を上げた。
「お前の軍に、仲間を殺された。兵を助けたからって、そこは変わらねえ」
「俺の命令で攻めた」
マルケリスは目を逸らさなかった。
「王に命じられた。それで済む話ではない」
ロウラは、男の胸を見た。徽章の留め金だけが残っていた。
殴れば、まだ殴り返してくるだろう。あの町で死んだ者は、それでも帰らない。
「次に同じことをしたら、あたしが止める」
「承知した」
ヴァレリアが二人の横へ来た。
「王を止めるために、お前の力を借りる。従う兵のことも、これから話すぞ」
「俺も王を止める。今日の二十四人だけを逃がして、終わりにはできん」
マルケリスは、連れてきた兵を見た。
「持ち出せた糧食は、各自が背負った分だけだ。軍の倉と荷車は置いてきた」
「こっちも、麦と中継地を取られたばかりだ。何でも揃ってると思うなよ」
ヴァレリアが言った。マルケリスは頷いた。
カッシウスは兵の人数を書き留めた。縄を解かれた一人が隣の名を教え、書き漏らしがないか指で辿る。
ナザルが、その紙を覗く。
「将軍と兵が加わった。次は、これで軍資金を集める」
「食わせる人数も増えたぞ」
「分かっている。王の将軍まで離れたんだ。金を出す相手にも、こっちが勝つ見込みを売れる」
ナザルは外套を直し、ヴァレリアへ近づいていった。
ロウラは荷台の兵へ水袋を渡した。縄を外したばかりの手では蓋を開けられず、代わりに緩めてやる。
車が動き出した。
マルケリスは、その横を歩いた。ロウラも、荷台を挟んだ反対側へ並んだ。




