1 アッシュブルー
ガラガラ…… バッシャーン!
教室のドアを開けると、勢いよく何かの液体がかかってきた。熱いから、熱湯だろう。正直、どこからそんな発想が生まれてくるのかを知りたい。
「ほら、お前が拭けよ」
そう愛衣に雑巾を投げつけられる。愛衣は、いじめっ子の頂点に立つ女だった気がする。誰かを見下すような光のない目が、憎らしかった。僕は、言われた通りに濡れた床を拭く。殴られたくないから。すると、康成がニヤつきながら、
「つまんないの笑」
とこちらを見下してきた。拭かなかったら殴られる、拭いたら文句言われる。自分は何をしたらいいのだろうか。どうやったら、この人たちを納得させられるのだろうか。僕は、静かにそんなことを考えていた。
「そういえば、スリッパどうしたの?笑」
愛衣が聞いてくる。しかし、僕もわからないから答えられない。いつの間にか消えていたのだから。
「俺が持ってるから、履いてこれないんだろ笑」
そう、クラスメイトの一人が答えた。やっぱりそうだった。人までは予想できなかったけど。すると、翔が教室に入ってきた。
「おはよう(ニコ」
「あ、やっと学級委員来た〜」
「ごめん、お母さんに手伝わされてさ」
そう、笑顔を貼り付けながら答えた翔。
「お前のお母さんやってんなぁ…笑」
「そうだよね?!本当にめんどくさいよ。それで、"道崎さん"はどうしたの?」
道崎さん。その一言が、刺さって抜けない。このまま抜いたら、血が噴き出して死んでしまうから。抜こうと思えば抜ける。でも…
「汚かったから、お湯かけてあげたんだよ笑
シャワーがわりになったんじゃない?」
クラスメイトの一人が甲高い笑い声をあげる。恐怖で、背筋が震える。
「ほら、手を動かしなよ?(ニコ」
翔がそう耳打ちした。恐怖で頭が真っ白になった。
「おはようございます〜」
そう担任の酒井の声がして、みんな酒井を取り囲む。僕は、いそいで雑巾を片付ける。すると、酒井が僕を見て
「光太くん、濡れちゃってるけどどうしたの?」
「えっと……」
「道崎くん、水たまりで転んだらしいですよ〜」
康成がそう僕を隠すようにほら話を語る。酒井は、康成を疑うことなく
「それじゃあ、光太くん。体操服着替えてきたら?」
「…はい」
言いたいことはあったが、言っても無駄なので、先生の指示に従った。僕は、トイレに入り、着替える。
「奈緒先生可愛い〜!」
「あ、ありがとう…」
「まじで酒井先生ってしっかりしてるよね」
「確かにな」
そう、クラスから騒がしい声が聞こえてきた。僕は、醜い自分の姿を鏡で見る。無様で、どこか憎らしい。腹が立った。眼鏡を拭きながら、今日のことを考えようとした。
「…なんで?」
しかし、未来が想像できない。真っ黒に塗りつぶされて、何も見えない。青く澄んでいた世界は、青黒く染まってしまったらしい。
「酒井先生、朝読の時間なので、生徒を静かにさせてください。うるさいです」
「ごめんなさい、野田先生……」
そう、酒井が野田に怒られているのが聞こえて、僕は現実に戻る。眼鏡をかけ、廊下に出た。
野田は、隣のクラスの社会教師。何でもズバズバ言うところが、いい意味でも悪い意味でも人気があるらしい。僕には魅力が何も分からないが。相変わらず、眼鏡の奥に潜む目が厳しい。ほんと、中堅が初心者を怒ってどうするんだよ…。そこまで言ったら、初心者の心が折れるかもしれないのに。
「光太、体操服になってるけどどうしたんだ?」
空気のように気配を消したつもりだったが、野田には全てお見通しのようだ。
「…水たまりを踏みました」
そう言って僕は、2人の横を抜けて教室に入る。みんな、ニヤニヤしている。僕はそんな視線を無視して、席に座る。そして、本を取り出した。
「酒井先生、自分のクラスのこと、ちゃんと"監視"しておいてくださいよ?」
「…はいっ……」
酒井の声がとても小さくなっている。その光景が、とても心地よく感じてしまう。このバカ担任が怒られていて、とても気持ちが良かったんだろうな。野田にはそこだけは感謝したい。
「じゃあ」
野田はそうしていなくなった。
「監視ってひどくない?」
クラスの女子が小さな声でそう言うと、みんな静かに頷く。酒井は
「そんなこと言わないで!」
と隣に聞こえる声で注意していた。しかし、また野田がやってくることはなかった。
そういえば、僕ってなんでいじめられてるんだっけ。
僕は、本を読みながら、意識は過去の記憶へとんでいた。あの、思い出したくもない記憶を。




