空からの贈り物
「うわわ!そこどいてー!!」
突然上の方から聞こえた声に、僕と環は同時に上を見上げる。
そして僕の視界が真っ赤に染まった。
「帷さま!?」
「うわあ!すみませんすみません!大丈夫ですか!?」
……背中が痛い。
どうやら僕は上から振って来たこの、赤い服に赤い三角の帽子を被った人物と衝突をしてしまったようだ。
あれくらい避けられないとは、情けない。
「…大丈夫だ。大丈夫だからそこをどいてくれないか?」
「あっ。すみません…!ついうっかり…」
そう言ってその赤い服の人物は僕の上から慌ててどいた。
僕がゆっくりと起き上がると、環が心配そうに僕の顔を覗く。
「お怪我はありませんか、帷さま?」
「平気だ。なんともない」
僕がそう答えると、環が安心したように微笑む。
そして僕は環に支えられながらゆっくりと立ち上がり、改めて僕と衝突をした人物をじっと見つめた。
…見たことのない格好をした人物だった。
真っ赤な三角の帽子に、真っ赤な服。そして黒いブーツを履いて、なぜか大きな白い袋を持っている。見るからに怪しい人物だった。
そもそも、彼はどこから現れたのか。
僕たちの周りには背の高い木があるにはあるが、僕たちからは距離が離れているし、それ以外にはなにもない。そんな中で空から落ちてきた彼はどこにいたというのだろうか。
考えれば考えるほど目の前の人物が怪しく思えてきた。
「ああ、ぼくとしたことが…これでは師匠に一人前だと認められないのも当然です…ぼくはできそこないなんだ…」
彼は勝手に落ち込み、勝手に嘆いている。
相手にするだけ無駄だと僕なら切り捨てるのだが、お人好しな環は違った。
「あの、あなたは…?」
「あ。申し遅れました!僕の名前は羽水三太郎と言います。かの有名な散田黒鵜の弟子です!」
彼――三太郎はとても誇らしそうにそう名乗った。
だがしかし、僕は散田黒鵜という人物を知らない。かの有名な、というくらいだからもしかしたら環なら知っているのかもしれない。
そう思い、隣にいる環をチラリと見てみると、環は不思議そうに片手を頬に当てて首を傾げていた。
…どうやら、環も知らないらしい。
本当に散田黒鵜という人物は有名なのだろうか。
「あの…申し訳ありません。私、散田黒鵜という方を存知上げないのですけれど…そのお方はどういった方なのでしょう?」
「な…!師匠を知らないなんてそんな人物がいたとは…!」
驚いた顔をして、彼は大袈裟に嘆く。
「あなた損してますよ!師匠は毎年あんなに老骨に鞭を打って子供たちのために働いているというのに…それも無償で」
「まあ。なんて良い方なのでしょう…!散田さまは素晴らしいお方ですのね」
今日まで存じ上げなかったことを恥ずかしく思いますわ、と環がしょんぼりとして言った。
そんなに落ち込むことだろうか?確かに無償で子供たちのために働くのは素晴らしいことだと思うが。
「そうなんですよぉ!師匠はとっても素晴らしいお方なんです!ぼくも師匠の姿に憧れて、押しかけて弟子にして貰えたんです。ですがまだまだ師匠のようにうまくトナカイさんと通じ合えなくて…」
「となかい…?」
「あ、トナカイというのは、鹿のような生き物です!角がとっても立派なんですよ!師匠のトナカイは鼻が赤くて可愛いんですよ」
「そうなのですか」
「そうなんです。…あ。すみません、今日って何日かわかります?」
「今日は師走の二十三日ですわ」
「二十三日…二十三日?ま、間違えたあああああ!!!」
突然三太郎が叫ぶ。
あまりの煩さに僕は両手で環の耳を塞いだ。環の耳が痛くならないように。
三太郎は顔を青ざめてなぜか僕を見つめた。
「あの…」
「…なんだ?」
「僕、一日日付を勘違いしていたみたいで…なので、今日だけ僕を泊めて頂けないでしょうか!?」
三太郎は黒い瞳をうるうるとさせて僕を見つめた。
僕はそんな彼の瞳に思わず顔をしかめる。
本音を言えば、断りたい。だけど断ってもお人好しな環は「泊めて差し上げましょう」と言うのだろう。
だから僕は渋々と、頷く。
すると三太郎はパアっと笑顔になって、僕の両手をとって「ありがとうございますありがとうございます!あなたはぼくの恩人です!」と僕を拝み始めた。
鬱陶しいので「やめろ」と言うと、彼はぴたっと動きを止めた。
その様子が可笑しかったのか、環がくすくすと隣で笑い出す。
なんだがよくわからないが、大変な奴と出会ってしまったな、と思った。
三太郎は見た目だけで判断すると、僕よりも二つくらい下に見えた。
見る物すべてにキラキラと目を輝かせて「下界ってこうなっているんだなぁ」とか「ああ、これ師匠のコレクションにあったやつだ」とか、よくわかないことを呟く。
三太郎が一番興奮したのは、僕の愛刀である鬼丸を見た時だった。
「わあ!これ知ってます!ニホントウって言うんですよね!」
「あ、ああ…」
「本物ですか!?すごい!カッコいいなあ!ちょっと抜いてくれませんか?」
「本物だから駄目だ」
「そうですか…我が儘いってすみません…」
そう言ってしょぼくれる姿はまるで仔犬のようだった。
ただ質問されたことに答えているだけなのに、三太郎はなぜか僕に懐いた。
仕事から帰って来た睦月が、僕のあとを付いて回る三太郎の姿を見て目を丸くしていた。
「お帰りなさい、睦月さん」
「…あ、はい。ただいま戻りました、環様。…ところでアレ、どういうことですか?」
「私もよくわからないのですが、成り行きで我が家に一日お泊りすることになった三太郎君ですわ」
「はあ…」
「帷さまのとてもよく懐いていて…ふふ。兄弟みたいですわ」
「そうですね…。あの帷様がなぁ」
睦月の意味ありげな視線を無視して僕は僕の背中で寝ている三太郎を見つめ、ため息を零した。
遊んであげていたら疲れ果てて寝てしまったのだ。
どうしたらいいのかがわからず、僕は困り果てていた。
子どもの相手なんてしたことがないというのに、なぜこんな目に遭っているのだろう。
僕は本日何度目かわからないため息を吐いた。
そのあとすぐ起きた三太郎と風呂に入ったり、なぜか僕の部屋で寝ることになった三太郎に昔話を聞かせてあげたりをして、その日はあっと言う間に過ぎ去った。
そして翌日、いつもの時間に起きると三太郎がいなかった。僕は慌てて部屋を飛び出し、三太郎を探す。
三太郎は庭で見つかった。
「三太郎」
「あ、帷様。おはようございます。朝早いんですね」
「黙って部屋を抜け出すな。心配するだろう」
「心配してくれたんですか?……へへ、嬉しいな」
そう言ってへにゃりと笑う三太郎に僕は返す言葉が見つからず、視線を彷徨わせた。
心配したのは本当だったので、気恥ずかしさもあった。
「帷様。ぼくのお迎えが来たみたいなんです。だから、これでお別れです」
「迎え?迎えなんてどこにも…」
そう言いかけた時、リンリンと鈴の音が聞こえた。
そして次の瞬間、鹿のような生き物と巨大なソリに乗った、三太郎と同じ服を着た恰幅の良い老人が現れた。
「師匠!」
「これ、三太郎。迷子になりおって。…若いお方、うちの弟子がご迷惑をお掛けした」
「…いや、迷惑ではなかったが…」
あなたは誰だ、となぜか僕は問えなかった。
僕は彼を知っているような気がしたのだ。ずっと昔に会っているような…そんな気さえした。
「あなたはもう子供ではないが、お礼に贈り物を届けよう。明日の朝、楽しみにしていてくだされ。それでは、良い夜を」
「帷様!お世話になりました!またいつか会いましょう!」
リンリンと鈴の音が鳴り、あっという間に彼らの姿はなくなった。
一体、彼らは何者だったのだろうか。
次の日の朝、目が覚めると僕の枕元に大きな箱が置かれていた。
僕は着替えを済ませ、睦月のもとを訪ねる。
「おはようございます、帷様。珍しいですね、帷様がオレを訪ねるなんて」
「睦月。これはおまえの仕業か?」
僕は睦月の質問を無視し、自分の質問を投げかけた。
そんなことには慣れている睦月は気にした様子もなく、僕が見せた箱を不思議そうに見つめた。
「なんですか、それ?」
「おまえじゃなかったか。では誰が…」
僕と睦月が顔を見合わせ悩んでいると、「おはようございます」と環の声が背後から聞こえた。
振り返ると環も僕と同じような箱を持っていた。
「お早う。環、その箱は…?」
「目が覚めたら枕元に置いてありまして…睦月さんか帷さまならご存知かしらと思って尋ねに来たのですが…お二人も知らないのですね」
環が少し困った顔をして僕と睦月の顔を見比べた。
睦月はとても興味津々と言った様子で「その箱開けてみましょうよ」と提案をした。
僕と環は頷き合い、それぞれ手に持っていた箱を開けた。
その中には……。
「まあ」
「…これは…」
環と色違いと思われる浴衣が入っていた。
なぜ、この時期に浴衣。
「まあ、嬉しい…!ちょうど新しい寝間着になりそうな浴衣が欲しいと思っておりましたの」
「それはちょうど良かったですね」
「ええ。ふふ、帷さまとお揃いですね」
環はとても嬉しそうにぎゅっと浴衣を抱いて僕に微笑んだ。
環が嬉しいならまあいいか、と思った僕は「そうだな」と環に微笑み返す。
そしてふと、睦月が思い出したかのように「ああ!」と叫んだ。
僕と環が不思議そうに睦月を見ると、睦月は一人でスッキリした顔でしきりに頷いていた。
「…なんだ?」
「つい最近、とある方に聞いた話なんですが、外国では、赤い服を着たおじいさんが子供たちに贈り物を毎年師走の二十五日に届けるらしいんですよ。その聞いた話の服に、この間いた三太郎の服がそっくりだなあ、というのを今思い出しまして」
「赤い服を着たおじいさん…?」
「まあ。素敵なお話ですね」
環が感心したような顔をしている隣で僕はこの間会った、三太郎と同じ服を着た老人のことを思い出す。
まさか。いや、もしかして…。
「…睦月」
「なんでしょうか」
「その赤い服を着たおじいさんの名前を知っているか?」
「名前ですか?なんだったかなあ…」
睦月が珍しく眉間に皺を寄せて、額を右手の人差し指でコンコンと叩く。
睦月の頭は叩けば思い出すことができるんだろうか、など考えていると、名前を思い出したらしい睦月が僕の顔を見て名前を告げた。
「思い出しましたよ!確か、さんたくろうす、っていう名前でした」
「さんたくろうす…?"さんたく"が苗字で"ろうす"というのが名前かしら…。どちらにしろ、変わったお名前ですね?」
「ですよね。まあ、外国の方らしいので。我が国とは違うのでしょう」
そのさんたくろうす、という人物と散田という人物が同一人物なような気がするのは、僕の思い違いだろうか。
あの散田という人物の服装が睦月の言っていたものと似ているようだから、もしかして…と思ったのだが。
「あら。帷さま、見てくださいな。雪が降っていますわ」
僕が思案に沈んでいると、環が不意にそう声を掛けてきた。
顔を上げ、環と共に窓を覗き込むと、白い雪がちらちらと舞っていた。
「きれい。積もるでしょうか?」
「積もりそうな気がするな」
「帷様のそういう勘は当たりますからねえ。雪かき大変だなぁ…」
睦月が少しげんなりした風に呟く。
そんな睦月に環はふふ、と軽やかに笑い、「頑張ってくださいね」と声を掛けた。
すると現金な睦月はにっこりと笑顔で「環様のためならば、頑張っちゃいますよ!」とさっきの顔はどこに行った、というような威勢の良さを見せた。
僕はそんな二人のやり取りを呆れた顔で眺め、空を見上げる。
環も僕に倣い、空を見上げた。
「帷さま、積もったら一緒に雪遊びを致しましょう」
「は?」
「雪だるまや雪うさぎを作ったり、かまくらを作りましょう。そうだわ。夕鶴君を呼んで、雪合戦もいいですわね。たくさん、良い思い出を作りましょう、一緒に」
そう言って微笑む環に、僕の胸がじんわりと温かくなったように感じた。
僕の過去を知っても変わらない彼女の態度こそが、最高の贈り物だと思う。
僕は込み上げてくるものを堪えて、「ああ、そうだな。そうしよう」と答える。
そして環が「楽しみですね」と本当に楽しみにしているかのように笑う。
彼女は知っているだろうか。
こんな何気ない会話でさえ、僕にとってはとても喜ばしいものだと。
――――メリークリスマス。
空から不意に、そんな声が響いたような気がした。




