睦月との出会い
温泉療養に行く旅の最中で、列車の中から雪景色をぼんやりと見つめていた僕に、環が唐突に話し掛けてきた。
「あの、帷さま。ずっと気になっていたのですけれど…」
「なんだ?」
「夕鶴君と帷さまの出会いは聞きましたけれど…睦月さんとはどんな風に出会ったのですか?」
純粋な好奇心で目を輝かせて尋ねる環に、僕は言葉をうっと詰まらせた。
睦月との出会いはあまり人に話したい出会い方ではなかった。
そんな僕の様子に環が「お話したくないのなら無理に仰らなくても大丈夫ですわ」と遠慮がちに呟いた。
「あ…いや、違うんだ。話したくないわけではなくて、ただ…その…」
口ごもってしまった僕を睦月はにやにやとして見つめる。
そんな睦月を僕はぎろりと睨む。しかし、睦月はそれでもにやにやとした笑みを引っ込めなかった。
「話し辛いだけなんですよね、わかりますよ!特に、環様には話し辛いですよねえ」
楽しそうに話す睦月を僕はさらに険しい表情で睨んだ。
睨んでもどこ吹く風で楽しそうな睦月と僕に環はおろおろとする。
環は助けを求めるように朔夜と夕鶴を見つめるが、朔夜はただ面白そうな笑みを浮かべるだけであったし、夕鶴は困ったような笑みを浮かべてどうしたものか、と悩んでいる顔をしていた。
このままでは環を困らせてしまう。
環を困らせるのは本意ではない。この旅行は環の気晴らしのための旅行でもあるのだから、僕が原因で環の顔を曇らせるわけにはいかない。
僕は覚悟を決めて環を見た。
「…あまり面白い話ではないが、それでもいいだろうか?」
「ええ、勿論ですわ。その…帷さまが嫌ではないのなら、ぜひ聞かせてくださいまし」
ほっとした表情を浮かべる環から僕は視線を逸らし、窓の外を眺めた。
そして、睦月と出会った日のことを思い出した―――
僕が睦月と出会ったのは、珠緒が亡くなってすぐのことだった。
力を暴走させた僕を監視するという名目で、睦月は僕の元にやって来た。
「初めまして。朝霧睦月と申します。本日付で、宮様の護衛を兼ねた監視役となりました。よろしくお願い致します」
白い軍服と着こなし、キビキビとした仕草で挨拶をする睦月に僕は生気のない目を向け「…よろしく」とだけ答えた。
そんな僕を見て睦月は眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を取り繕った。
正直、どうでもよかった。僕に監視役がつこうとも、この身を牢獄されようとも。はたまた、この命を捨てることさえ、僕は厭わない。
僕の方こそ、いなくなるべきだったのだ。この命であの優しい人を取り戻せるのなら、あの穏やかな人への罪滅ぼしになるのなら、この命でさえも差し出すことに躊躇いはない。
―――いや、いっそ…。
ぎゅっと鬼丸を僕は掴んだ。そしておもむろにその鞘を抜こうとした僕の手を、誰かが強く掴んだ。
「なりません、宮様。あなたのその命はあなただけのものではありません。勝手にその命を失うことをあなたは許されていないことを理解してください」
睦月は痛いくらいの力で僕を掴んでいた。
痛みに顔を顰めても睦月はその手を離さない。とうとう手に力が入らなくなり、僕はぽとりと鬼丸を落とした。それを確認し、睦月も僕の腕を離した。
ずるずるとその場に座り込む僕を睦月は冷めた目で見つめた。
(そんな目で見るのなら、僕の事なんて放っておいてくれてもいいじゃないか…)
睦月の目はまるで嫌な物を見ているかのような色を宿していた。
彼も、同じなのだ。珠緒や兄上や夕鶴と違って、僕を忌み嫌う。
僕を起こそうと、僕の手を掴んだ睦月の手を僕はサッと振り払った。
「放って置いてくれ。僕がいなくなったところで、誰も困らないだろう。僕こそがいなくなるべくだったのに…僕が消えてしまえば…」
呟いているうちに、止まらなくなった。
普段ならこんな弱音を決して吐かなかった。だけど、珠緒を失い、そしてその原因が自分だと知った今は、心が弱っていた。
小さく呟いた「消えてなくなりたい…」という僕の台詞に、黙って僕の言葉を聞いていた睦月がぴくりと反応をした。
「―――いい加減にしろよ、このクソガキ」
低い声で睦月がそう呟いた。
そして僕は気付いたら吹き飛ばされており、背中にダン!と強い衝撃と痛みを感じた。
ガッと小さく呻いた僕はずるずると壁から落ちていく。しかし、僕の足が床に着く前に、睦月が僕の胸倉をつかみ、冷たい目で僕を見つめていた。
「さっきから聞いてりゃ、胸糞悪りぃことばかり言いやがって!オレはそういうのが大嫌いなんだよ!てめえのそれはただの逃げだ!」
「に、げ…?」
「ああ、そうだ。自分がいなくなるべきだった?消えてなくなりたい?そう思うのは自由だが、それを口に出すな!聞いているこっちが不愉快だ。それに、おまえを守って死んだ人がそれを聞いたらどう思うか考えろ!命をかけて守られた命を粗末にすんな!」
ぎろりと僕を睨む睦月の目は、どうしてか温かく感じた。
こんな風に僕のことを叱ってくれる人はいなかった。
睦月の言ってることはどれも間違いではない。むしろ、正しい。
それそうだ。そんなことを誰かに言われたら、僕も不快に思うだろう。そんなことすら、頭が回らなかった。
ましてや、珠緒がどう思うかなんて、思いつきもしなかった。
「ぼ、くは……」
あの日以来、まったく動かなかった心が動き出すのを感じた。
それと同時に温かいものが頬を伝うのも感じ、僕は泣いているのだと知った。
「泣きたい時は泣けばいい。おまえはまだ子供だ。子どもは笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣くの仕事なんだ。我慢なんて、覚えるな。我慢を覚えるのはもっと大きくなってからでいいんだ」
睦月はそっと僕を下ろし、僕の頭を少し乱暴に撫ぜた。
その手は大きくて、珠緒とは違う手なのに珠緒と同じくらい優しくて温かく感じた。
「後悔をするのはいい。だけどいつまでもうじうじしていても、何も変わらない。大事なのはこれからどうするか、だ。そのままうじうじしているよりも、もう二度と同じ後悔をしないように努力した方がいいだろ?」
温かい睦月の言葉に、僕はそれもそうだとこくりと頷いた。
そして涙を拭い、改めて睦月を見つめた。
「あなたの言う通りだ。僕はもう二度と、同じ過ちを繰り返さないように強くならなければならない」
睦月の目を真っ直ぐに見つめて言った僕に、睦月はニカッと笑った。
良く出来ました、と言わんばかりに頭をもう一度撫ぜる。
「だけど僕はまだ子どもで、間違えたりするかもしれない。僕がまた過ちを繰り返さないように僕を見張っていてくれ、睦月」
「…畏まりました。改めまして、オレの名は朝霧睦月です。これからよろしくお願いします、帷様」
「僕の名は帷だ。こちらこそよろしく頼む、睦月」
僕と睦月は握手を交わした。
それから僕は睦月と共に行動するようになり、朝霧睦月という人物の人柄を知っていった。
お調子者で、情に厚く、世話を焼くのが好き。
最初の印象から睦月はもっと大人な人だと思っていたのだが、共に過ごす時間が増えるにつれてそうではないことを知っていった。
そんな睦月に呆れつつも、僕は睦月が嫌いにはなれなかった。
睦月の明るさに助けられたことが何度あったか。口には死んでも出すつもりはないが、睦月には感謝をしていた。
「……ということがあったんだ」
「まあ…」
環は目を見開き、「そんなことが…」と僕と睦月を見比べた。
僕は気恥ずかしくて環から視線を逸らしたが、睦月は「あの頃の帷様は本当にクソムカツクガキでしたよ。いやあ、懐かしい」と飄々として言った。
朔夜までもが面白そうに「そんなことがあったのですね」と呟いた。
これは後々に揶揄わそうだと、僕はため息をつきたくなった。
だから、言いたくなかったのに。
「でも…睦月さんとのその出会いがあったからこそ、今の帷さまがあるのですね」
微笑んで言った環の台詞に、僕と睦月は目を見開く。
そんな僕たちを環はとても優しい笑みを浮かべて見つめた。
「睦月さんが帷さまをお叱りになったから、帷さまは立ち直ること出来たのでしょう?
そうした出会いだったからこそ、お二人は何でも言い合えて、こんなにも仲良しなのですね」
「仲良くない」
「仲良くありません」
すかさずに返すと、不本意なことに睦月と同時に返事をしてしまい、とても気まずい。
僕と睦月は互いに顔を見合わせ、睨み合う。
そんな僕たちを見て、環は声をあげて笑った。
環の笑い声にハッと周りを見ると、朔夜と夕鶴も笑っていた。
どうしたらいいのかわからずちらりと睦月を見ると、睦月と視線が合った。
そしてどちらかもともなく笑い出す。
確かに、環の言う通りだ。
睦月とのあの出会いがあったからこそ、僕は立ち直れて、今こうしてここにいる。
ああした出会いだったからこそ、睦月には何の気負いもなく言いたい事を言い合える関係になったのだろう。
僕は今のこの睦月との関係も悪くない、と思う。
いや、悪くない、ではない。
僕は睦月とのこうした付き合い方がとても気楽で、好きだ。
僕が間違えたら体を張ってその間違いを正してくれる、睦月の存在を有り難く感じている。
有り難うなんて死んでも言ってやらないが、心の中だけでも言っておこう。
それくらい、僕は睦月に感謝をしているのだから。
―――こんな僕に付いて来てくれて、有り難う、と。




