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運命の赤い糸を、繋ぐ。  作者: 増田みりん
第四章 赤い糸と因縁
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因縁を、解く3

帷視点です。



 ゆっくりと目を開けると、見覚えのある天井があった。

 少しぼんやりとしたまま、ゆっくりと周りを見回し、ここは自分の部屋であると認識をした。


「帷様。目が覚めたのですね」


 少し離れたところから穏やかな声がした。

 体を起こし、声の主の方を見ると、部屋の戸口に夕鶴がほっとしたような表情を浮かべて僕を見ていた。

 その夕鶴の表情に、なぜ、と疑問がわく。

 なぜ、夕鶴はそんな表情をして僕を見ているのか。


「夕鶴…」

「どこか痛い所はありませんか?」


 僕のすぐ傍までやって来て、僕を気遣うように夕鶴は問いかける。

 特に痛いところはないので、「どこも痛くはない」と答えると夕鶴は良かった、と安堵の笑みを溢した。

 なぜ夕鶴はそんなに僕に気遣っているのだろう。僕はなにか夕鶴に心配をかけるようなことをしただろうか。

 そう疑問に思った僕は意識を失う前の記憶を手繰り寄せた。

 そして、重大なことに気付く。


「……夕鶴」

「はい」

「環は?」


 夕鶴は僕の問いかけに顔を歪めた。そしてそれを隠すように顔を伏せる。

 その仕草に僕は嫌な予感を覚えた。


「夕鶴、答えろ。環はどこにいる?」

「…帷様」

「夕鶴」


 問い質すように夕鶴の名を呼ぶと、夕鶴は重い口を開いた。


「環様は…大神家の屋敷におられます」


 夕鶴の回答に、やはりか、という思いと、なぜ、という疑問が渦巻く。

 なぜ僕は屋敷に戻されたのだろうか、と。

 その疑問の答えは夕鶴が持っていた。


「帷様は、大神家の方がここまで運んでくださいました。その時に、環様は大神家で預かることになったことが伝えられました」

「その場には西園寺公爵もいたのか?」

「はい。その場には閣下もおられました。閣下は大神家の方の話を聞いて…環様を任せると、そう仰いました」

「な…!馬鹿な…!」


 夕鶴の言ったことが信じられない。

 斎は『あの家に環を渡すつもりはない』と、確かに言っていた。

 それなのに、環を任せると言ったなんて、信じられない。いや、信じたくなかった。

 例えそれが様々な背景を考慮した上での決断であっても、僕はその決断をした斎を許せないと思った。

 斎のその判断は、僕にとっては“裏切り”行為と同等だった。


「…帷様。大神家の方がお帰りになる際に、これを帷様にお渡ししてくださいと」


 混乱している頭を宥めている僕に、夕鶴がそっと差し出したものは、白い封筒だった。

 それをじっと見つめたあと受け取り、裏を確認する。

 差出人名には『大神司』と、今一番見たくない名前が記されていた。

 その事に顔を顰めつつ、封を開けて中身を取り出す。

 そこに書かれていた内容に、僕の眉間の皺は更に深まった。


『親愛なる宮様


 お加減は如何でしょうか。

 きっとご気分は優れていらっしゃらないかと推測致します。

 僕を恨む気持ちはわかりますので、どうぞ存分に僕をお恨みください。

 卑怯なやり方で、貴方の大切な婚約者を手元に止めたこの僕を、大神家をお恨みください。

 宮様のご事情は僕も幾らか知っておりますので、宮様のその想いは持って当たり前のことと受け止めます。


 僕がこうして手紙をしたためたのは、貴方の気を晴らすためではありません。

 大神家の事情をご説明したほうが良いかと判断したためです。これは僕の独断であり、大神家の意思に背く行為であることを、ご承知ください。


 まず、今回の件に関して、強引で乱暴なやり方をしてしまったことをお詫び申し上げます。

 今回の件は大神家の決定であり、次期当主となる僕が逆らって良い決定ではありませんでした。

 というのも、お会いした時に申し上げました通り、国を護る結界の力が弱まったからです。

 ただ弱まっただけならば、僕たち大神家の力だけでなんとかなったでしょう。しかし、今回の弱まり方は異常でした。

 ほんの数ヶ月前までは、常と変わらない強度を保っていたはずの結界に、突如、穴が開いたのです。

 それを塞ごうと、大神家は総力を持ってあたりました。けれど、穴は広がる一方で塞ぐことは適いませんでした。

 辛うじて穴が広がるのを押さえるくらいしか、大神家の力を持ってしてもできなかったのです。


 宮様ならば、これがどれほど異常なことかお判りでしょう。

 国を護る結界を張り直したのは珠緒様です。通常ならば何もしなくても五十年は保つくらい強度な結界を珠緒様は張られた。なのに、その結界にあっさりと、なんの前触れもなく穴が開いたのです。

 今、大神家は穴をなんとかすることに精一杯で、穴が開いた原因を調べることまで手が回っておりません。

 僕だけでも独自に調べを進めようと思っておりますが、この件は宮様を始め、西園寺家の皆様にも知っておくべきことだと判断し、こうして手紙をしたためることに致しました。

 僕のこの報告が宮様方の手助けになれたら幸いです。



 大神 司



 追伸

 環さんは二週間ほど預かることになります。

 満月の夜に結界の補強を行って貰う手筈となっておりますので、宮様もご承知くださいますよう、お願い申し上げます。』


 手紙を読み終えて顔を上げると、夕鶴が神妙な顔をして僕を見つめていた。

 その表情で僕はぴんと来た。

 夕鶴もこの手紙の内容を知っているのだと。


「大神家の方が言うには、帷様を解放したのはその方が安心だからだと」

「僕を解放した方が安心…?」

「はい。帷様をこのまま大神家の屋敷に閉じ込めても、帷様は力づくで逃げ出すでしょう。その時に環様を攫われたら困る。ならば、二人を引き離した方が良いと考えたようです」

「…僕をこの家に戻した理由は?」

「他の屋敷に移しても、満足に帷様を捕らえていることは出来ないだろうと。すぐに逃げられて居場所がわからなくなるくらいなら、ここに帰した方が良いと判断した、と伺っております。大神家は相当、人手が不足しているようですね」

「なるほど。最もだな」


 夕鶴の説明に、僕は苦笑を漏らした。

 どうやらあちらは僕の性格をよく理解しているようだ。


「夕鶴。西園寺公爵と朔夜、それから睦月を呼んでくれ。今日ならば朔夜もいるだろう?」


 今日、朔夜はこの近辺の調査をしていると聞いていた。

 僕の体内時計が正しければ、まだ一日も経っていないはずだ。

 だから全員を集めることは難しくはないと考えた。


「畏まりました」


 夕鶴は理由を問うこともせずに、頭を下げて素早く部屋を出て行く。

 きっと夕鶴には僕の考えていることがお見通しなのだろう。

 それはそれで少し気恥ずかしくもあるが、頼りにもなる。

 僕はもう一度手紙を読み返す。

 綺麗なまるで手本のような字で書かれた手紙。そこから、大神司という人物の人柄が伺えた。


(きっと彼は本来、こういうことを好まない性格なのだろう。だから、手紙を僕に寄越した。環の力を利用しようとしたのも、彼の望むところではなかった。彼は大神家の決定に不満を抱えている。だが、彼の立場上、表立ってそれを言うことは出来ない…)

 きっと彼の立場が違えば、あるいは僕の立場が違えば、彼とは友好的な関係を築けたのではないか、と思った。

 彼のことは正直許せない。だが、どうしようもない彼の立場も理解はできる。

 彼は次期当主として、ああしなければならなかった。大神家は大神家で、必死だったのだ。だから、あんな強引な手段に出た。


(まさか、ここまで深刻な事態になっているとは…いや。ここまで深刻になったからこそ、環の力に注目をしたのか…?)

 環が赤い糸を視て、恋愛相談に乗っていた期間は一年以上ある。大神家は環に対して干渉を今まで行ってこなかったが、大神家の血筋を引く女子として、監視はしていたはずだ。

 だから環に異能があることは一年前には知っていたはず。だが、今まで接触をしてこなかった。

 それは恐らく、環の力が珠緒の力よりも格段に弱いものだと思っていたからだろう。なにせ、幼い頃に珠緒は環の力を封じ、異能の鱗片すらわからないように隠した。

 だが最近になって環は妖怪に接する機会が増え、それに比例するように異能を使うことが多くなった。そしてその異能の力を開花させていった。

 そして恐らく、大神家が今回環の力を利用することに決めたのは、あの温泉療養の時の一件で、だ。


 あの時、環は自らの力のみで、縁を解いた。

 切れた縁を解くことは、歴代の大神家の巫女ならば誰でも出来た。異能さえあれば誰でも切れている縁は解くことが出来た。

 だが、まだ切れていない縁を解くことが出来たのは、歴代の巫女を振り返っても、ほんの数人しかいない。異能の力が強くなければできないことなのだ。

 あの場には司もおり、彼も自身の目で確認しただろう。

 ───環の異能の力は、珠緒に劣らないくらい強いものだと。


 あの時、司があの宿に訪れていたのは恐らくはただの偶然ではなく、僕たちがあの宿に泊まることを事前に知っていたからだろう。

 環の力がどれほどのものかを確かめるために、彼はあの宿にやって来たのではないだろうか。

 もしかしたら、他にも目的はあったのかもしれない。だけど、彼があの宿に泊まった目的の一つに、環の観察という名目はあったはずだ。

(あの時、もうすでに結界に綻びが出ていた、ということか…よく今まで保ってきたものだな。……ああ、だから“人手不足”なのか)

 

 あの時、環にたいした異能はないと判断されれば、大神家が環に接触することはなかったかもしれない。

 いや、今の現状を考えると、異能があると判断されただけでも接触を図ったかもれいしれない。

 少なくとも言えるのは、今回の件がなければ、大神家が環に接触することはなかっただろう、ということだ。

 恐らくだが、珠緒のあとに生まれる女子はかなり先の話になると、珠緒は予知していたのではないだろうか。だから珠緒は大神家を出る前に、色々と手を打った。

 結界を張り直したのも、自分のあとに異能の力を有する女子が生まれるのはだいぶ先であると考えていたから。だから五十年は保つように結界を張った。

 他にもきっとなにか手を打っていたのだろう。予知が得意だった珠緒ならば、先の事を考えてやっていそうだ。

(珠緒らしいな…)

 ふっと苦笑を漏らした時、声が掛けられた。


「帷様、閣下と朔夜様、そして睦月さんをお連れ致しました」

「ああ、有り難う。入ってくれ」


 僕が答えると、スッと戸が開き、斎、朔夜、睦月、夕鶴という順番で部屋に入ってきた。

 斎や朔夜の顔色が優れないのは、環のことを心配しているからだろう。

 睦月もいつになく神妙な顔つきをしていた。


「帷様、お加減は如何ですか」


 斎が先頭を切って口を開いた。

 僕が「どこも悪くない。心配をかけたな」と答えると、斎はほっとしように表情をほんの少し綻ばせた。


「いいえ。帷様がご無事でなにより」

「…どうせなら環を帰してくれれば良かったのに」

「朔夜」


 ぼそりと呟いた朔夜の言葉に、斎が鋭い目を向ける。

 朔夜は罰の悪そうな顔をしながらも、謝らなかった。きっと呟いた言葉は朔夜の本心なのだろう。


「申し訳ありません、帷様。朔夜、謝りなさい」

「いや、いい。朔夜の気持ちもわかる。それに謝らなければならないのは、僕の方だ。

 ───すまない。僕がいながら、環を呆気なく奪われてしまった」


 頭を下げた僕に、斎が「私たちは帷様を責めるつもりはありません。顔をお上げください」と告げたが、僕は頭を下げるのをやめなかった。

 呆気なく気を失ってしまった自分が、情けなかった。そして、環を奪われてしまったことに、怒りを覚える。ただただ、自分に腹が立つ。

 あの時もっとしっかりとしていれば、背後に気を付けていれば。

 そんな後悔ばかりだ。

 きっと環は今頃不安を抱えているだろう。そして彼女は優しいから、気を失ってしまった情けない僕のことを心配してくれているだろう。その表情はきっと曇っているはずだ。

 環は笑顔が似合う。そんな彼女から笑顔を奪ってしまった情けない自分が、どうしようもなく憎い。


「勘違いなさらないでください、帷様。俺は、帷様に対してはなんとも思っておりません」

「朔夜…」


 感情を抑えたような朔夜の声音に、僕は下げていた頭を上げた。

 そして見た朔夜の顔は、とても悔しそうだった。


「ただ、自分に腹が立つのです。大神家の動きに気づいていながら、手を打つのが遅れてしまった自分に」

「……」


 朔夜の言葉に、目を見張る。

 そしてハッと斎の顔を見ると、彼の顔も朔夜と同じ表情をしていた。

 何かを悔やんでいる表情。隣の夕鶴も、睦月も、皆同じ顔をしている。


「皆、悔やんでいるのです。もっと自分がちゃんとしていれば、と。でも過ぎたことは仕方がない。大事なのは今どうするか、です。そうですよね、父上?」

「…その通りだ」


 しっかりと頷いた斎の表情は、息子の成長を喜んでいるように見えた。


「…とにかく、帷様がご無事で良かったです。これで、行動が起こせる」

「行動…?」


 朔夜の言葉に眉を寄せる。

 そんな僕を見つめて、昨夜は得意げな顔をしてみせた。


「ええ。反撃に出ましょう、帷様。このまま黙って環が帰って来るのを、指を咥えて待っているのなんて、俺はごめんです」


 そう言って彼が取り出したのは、見覚えのある白い封筒だった。


「それは…」

「帷様も受け取られたでしょう。父上のところに宛てられた物と俺宛ての物が同じだったので、恐らく帷様に宛てられた物も同じ内容だと思いますが…ここに、二週間後の満月の夜に結界を補強する予定だと。この時に、どさくさに紛れて環を取り戻しましょう」


 朔夜曰く、環のいる大神家の屋敷の警護は厳重で、付け入る隙が見当たらないらしい。

 かといって、環が帰って来るのを待っていても、大神家がすんなりと環を帰してくれるとは思えない。

 だから環が外へ出る、この時を狙うのだと朔夜は言った。


「ですが…この時も当然警護は厳重ですよね?」


 不思議そうに首を傾げた夕鶴に、朔夜はフフンと楽しそうに笑う。


「それは重々承知している。だけど、あの小さな屋敷を警護するよりは、突破しやすい」

「そうでしょうか…」


 尚も夕鶴は首を傾げた。

 そんな夕鶴を安心させるように、「俺に考えがある」と朔夜は言い、僕たちにその作戦を伝えた。

 その作戦に夕鶴は一瞬目を見開いて驚いた顔をし、次の瞬間には「なるほど…それならまだ可能性が…」と真剣な顔で思案をした。

 そんな慎重な夕鶴とは正反対に、睦月は楽しそうな表情を浮かべ、「腕が鳴るぜ」と嬉しそうに呟いた。


「…いいのか、斎」

「ええ、構いません。若いうちはこれくらいの無茶をした方がいいんですよ」


 いいのかと問う僕に、斎は喰えない笑みを浮かべて答えた。

 こういうところは本当に、斎と朔夜は父子なのだな、と実感させられる。


「…だがしかし、僕も同じ案を考えていた」

「へえ。奇遇ですね、帷様」

「これが一番手っ取り早いからな」


 興味深そうに僕を見つめる朔夜から視線を逸らし、僕は皆を見回した。


「では、この作戦で行こう」


 僕がそう告げると、それぞれが返事をした。

 そして作戦の準備をするべく、皆立ち上がる。

 僕もそれに倣い、立ち上がった。

 そしていつも首に下げている環から貰った御守りを服の上から握る。


(───待っていろ、環。君は絶対に、僕が取り戻す)

 

 そのために、するべきことをしなければならない。

 僕はただ真っ直ぐに前を見つめ、準備のために部屋を出た。






次話からは環視点に戻ります。

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