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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
最後の事件

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最後の事件

 サリエルは困惑していた。


 まず、自分は一度は屋敷を去るつもりで、皆に黙って汽車に乗った。その事は明確に、屋敷に住む者全員への裏切り行為だと思う。だけど誰も自分にその事を言ってくれない。平たく言えば、無かった事にされてしまった。


 改めて屋敷を出ようにも、クリスティーナからはっきり言われてしまった。あんな騒ぎが起きるくらいなら、二度と屋敷を出ず責任持ってエレーヌの側に居ろ、もうレアルでの仕事は無いと思えと。


 そして。長い侍従生活の中で、あれだけはっきりお嬢様に楯突いたのは初めてである。普通、面と向かって主人をバカ呼ばわりするメイドなど居ないし、頼まれた訳でもないのに主人に一本背負いをかけるメイドも居ない。


 あの日。上目使いで自分を見上げしがみついて来るエレーヌを見て、最後はもう、怒るのが面倒臭いという気持ちになった。

 そこで気持ちを片づけて、黙ってエレーヌについて、屋敷までの長い道を泥だらけの服を着たまま帰って来た。そこまではいい。

 あれ以来、お嬢様が以前より少し余所余所しくなったのだ。


 もしかしたら、お嬢様は後悔しているのではないだろうか。

 お嬢様が列車強盗の真似までして連れ戻したかったのは、忠義一徹でお嬢様に逆らった事など一度も無かった今までのサリエルであり、今のサリエルではないのではないか。

 自分が、主人をバカ呼ばわりするようなメイドの名折れだと解っていれば、連れ戻しに行くんじゃなかったと思っているのではないか。


 今までベッドメイクは自分以外の者にはさせなかったのに、最近はポーラにさせる。朝も起こしに来るなと言うし、パジャマを箪笥に戻させてもくれない。そんな具合でサリエルはもう何日もエレーヌの寝室に入っていない。


 他にも取り上げられた仕事がいくつもある。一番堪えたのはベッドメイクだが、次に堪えたのが夕食時の側仕えの廃止だ。お嬢様が食べるのを斜め後ろで見守る仕事である。あれも無しにされた。

 あの角度からお嬢様の頬袋がむにむに動くのを見るのが、サリエルの毎日の楽しみの一つであり、他の者には無いサリエルだけの特権だったのに。



 今も。

 エレーヌは真顔で自分をじっと見ている。その青灰色の瞳からはどんな感情も読み取れない。お怒りなのか、考え事をされているのか。

 自分に何か至らない点があって、それに気付くかどうか試されているのか。だけど何度考えても解らない。

 射すような視線だけ。

 そしてサリエルの方からエレーヌを見ると、エレーヌはすぐ視線を食事に戻してしまう。全く目を合わせてくれない。


 そしてこの、いつもエレーヌが好む大ダイニングではなく、伯爵家族用の小ダイニングで、何故かディミトリ、ヘルダ、サリエルと同席して、四人で同じメニューをいただく、不思議な夕食。これは一体何なのか。



 今までであれば、お嬢様の食事の後は、自分の夕食を急いで済ませ、お嬢様の部屋へ行って湯浴みの手伝いなどをしていたのだが、それも無い。代わりに呼ばれたのはポーラだ。

 そして自分にはする事が無くなってしまった。学校はまだお嬢様が謹慎中なので宿題も無い。自分の部屋でじっとしていても、一つも落ち着かない。

 それなのに、この妙な眠さは何だろう……サリエルは少し早めに寝る事にして、身支度を整え明かりを消した。



 深夜。

 サリエルの眠りが浅くなり、意識が現世に戻りそうになる。だけど目が開かない……何故こんなに眠いんだろう。

 だけど。何かがおかしい……まるで……顔の上を虫が這っているような感触がするのだ……


 サリエルの鼓動が高まる。間違い無い。何かが部屋にいて自分の顔をいじりまわしている。

 それが解っているのに、体が殆ど動かない。目も開けられない。何が?誰が?自分に何をしているのか!?


「む……むむ、むぅ……」


 サリエルは呻き声を上げる。すると、パタパタと二つ、足音が……離れて行く。


「むむっ、むう、むうむう」


 サリエルは呻き、必死に体を動かそうとする……少しずつ、意識が晴れ、凍りついていたような体が動くようになって行く。やがて。


「ふーっ! ……は……はあ……はあ……」


 サリエルは一気に体を引き起こした。どうにか目が開いた……辺りは酷く眩しい……いや、ベッドの横に点灯したオイルランプが一つだけなのだが……目が慣れないのか、酷く眩しく感じる。


 辺りには誰も居ない。


「悪い……夢かしら……」


 一度は夢かと思い、嫌に重く感じる体をサリエルは再び横たえるが。

 こんな所に点灯したままのランプを置いた覚えは無い。サリエルはベッドから跳ね起きて扉の所へ駆け寄る。


 そしてそれを慎重に開け、廊下を見回すが……辺りに人影は無い。


 鼓動の高まりが止まらない。こんなランプは置いていない。

 目の前には鏡がある。

 先程まで……何かが自分の顔の上を這いまわったような感触があった……

 考えたくない。その先を考えたくない。

 だけど考えない訳にも行かない。

 サリエルは覚悟を決め、鏡の前に立った。



 真っ黒に影の差した目元。黒くこけた頬。捩れた睫毛。血が滴ったような唇……



「きゃあああああああああああああああー!!!!」



 深夜の伯爵屋敷に、乙女の悲鳴が響く。




「お嬢様!!」


 エレーヌの区画へと続く扉を開けるサリエル。


「お嬢様!!」


 リビングへの扉を開けるサリエル。


「お嬢様!! お嬢様!!」


 エレーヌの寝室への扉を開けようとするサリエル。扉は施錠されていなかったが、誰かが向こうで扉を開けられないように踏ん張っているらしく、なかなか開かない。


「お嬢様ぁあ!!」


 サリエルは怪力に物を言わせ扉を引く。扉は勢いよく開き、腰にポーラをまとわりつかせたエレーヌが転がり出て来る。

 サリエルはそれには構わず、寝室の中に突進する。


「待って入っちゃだめ! だめ!」


 エレーヌは半笑いで引き止めようとするが間に合わない。



 サリエルが突入すると、エレーヌの寝室のベッドの上には、様々なメイク道具が散らばっていた。

 以前はすっきりしていて、大きな姿見が一つあるだけだった部屋の壁には、大小の額縁が九つも掛けられていた。

 一番大きな物は等身大のサイズに焼かれた、エレーヌをしっかりと抱き寄せて撮られた男装のサリエルの写真だった。

 他にも色々な角度、ポーズで撮られた男装サリエルの写真が。全身像、半身像、胸像……窓辺以外の三方の壁に分けて、九つの写真が……

 よく見ればベッドサイドテーブルにも小さな胸像写真がある。全部で十だ。



「仕方ないじゃない! アンタいくら頼んでもこの変装してくれないんだから!」

「こういう事をしているから! いつまでも子供のままなのですわ! 大人になって下さいお嬢様!」

「やめて! 剥がさないで! だめ!」


 額縁を引き剥がそうとするサリエルを、半笑いで止めようとするエレーヌ。力を篭めようにも、サリエルの顔が可笑しくて力が入らない。

 サリエルに一服盛って眠らせ、男装メイクにしようとしたのだが。どうにも上手く行かないまま足し算を続けた結果、サリエルは化け物になってしまった。


「こんな事をして何になるとおっしゃるのですか! これでは男爵のなさっていた事と変わりませんわ! 目をお覚まし下さい!」

「その顔でこっち向かないで! 解ったから! 顔洗ってらっしゃい、ね!?」



 ポーラは少し離れてそんな二人を見ていた。

 ポーラから見ると、先日警察が来て叱られて以来、お嬢様は少しサリエルに優しくなったように見えるし、サリエルはお嬢様への遠慮が少し減ったように見えた。


「こんな事をしていたら! お嬢様もヘンタイになってしまわれますわ!」

「その顔で怒らないで! もう無理ですわ、ほほ、ほほほ、ホーッホッホッホ!!」


 自分もいつかサリエルのようになりたい。そう願うポーラだった。

.:(ヽ´ω゛)::作者です。いつもで解りにくくて面倒くさくて説明不足な拙作を御覧いただきまして誠にありがとうございます。



 エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの物語を四ヶ月近く書かせていただきまして、私としては驚くほどたくさんのアクセスを賜りまして、ご来場いただきました皆様には本当に感謝に絶えません。


 そしてサブタイトルに最後の事件と銘打ったこの噺、決して最終話ではないのですが……ここ二ヶ月くらい、ろくにプロットも詰めず、書き溜めもせず推敲もろくにせず「投」稿を続けた結果、袋小路に入ったと感じる事が多くなってしまいました。

 この状態で皆様へのお目汚しを続けてよいものなのかどうか……そういう気持ちが日増しに強くなりまして……それで、一旦この連載小説としてはお開きにさせていただく事に致しました。


 最終話のプロットは別に出来ていて、それはそれでいつかお目に掛ける事が出来ればとは願っているのですが……もしお待ちいただける方は、ブックマークを残しておいていただけると幸いです。再開の暁にはこちらで御案内させていただいた上で、新連載として始めさせていただきたく思います。

 またどこかの画面上で御会いできますように。

 ご来場、誠にありがとうございました。

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