見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第二十一話
河岸近くの道を離れ、一頭引きの四輪の荷車はゆっくりと夜道を進む。その御者はエレーヌが自ら務めていた。
時刻は既に午後八時を過ぎていた。それでも未練のサリエルが御者を務めていたら、馬車で駅前を通っていたかもしれない。汽車は遅れる事もあるのだ。
結局午後九時頃、馬車は伯爵屋敷の裏の荷車用出入り口に戻って来た。
「ご苦労でしたわね、トマ。今回の事はもう大丈夫と思いますけれど、また頼りにさせて貰うわよ」
裏口から屋敷に戻ったエレーヌは外套を取りながら言った。
「いつでもお呼び下さい。それでは」
「ああ、お待ちになって、夕飯を食べ損ねたのではなくて?ジェフロワに夜食を頼んであげますわ、それを……」
エレーヌがそう言い掛けた所に……ジェフロワは、かなり慌てた様子でやって来た。
「あら早いわね。託けは伝わっていたかしら?あと、トマに夜食を……」
「お嬢様!こんな時間までどちらに行かれて……いや、失礼、あの」
普段、物事ははっきり言うし口篭る事など少ないジェフロワは、慌ててやって来た割には何か言いにくそうに俯いていたが……不意に勢いよく、シェフの帽子を取ると、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんお嬢様!私の監督不行き届きでした!」
少し疲れていたエレーヌは、一瞬訳も解らずきょとんとしていたが、やがて言った。
「ブルーノの事ですの?……ようやく話して下さる気になったのかしら」
屋敷の裏口ホールに、エレーヌの声を聞きつけたディミトリとヘルダもやって来る。
「それは……ああ……もうお気づきでしたか……」
ジェフロワはがっくりと肩を落とす。
「どういう事でしょう?」
急いでやって来た、執事長ディミトリが言った。
エレーヌは外套をディミトリに渡しながら答える。
「最近私の行く先々に謎のスイーツを置いて回っていたのはブルーノですのね。そしてブルーノを匿い、支援していたのはジェフロワ達料理人一同ですわ」
ディミトリに続いて現れた、ヘルダが尋ねる。
「そうですの……?ジェフロワさん」
「申し訳ない!……あいつの気の済むようにやらせてやりたかった……」
ジェフロワは顔を上げる。
「では、ブルーノが行方不明だと言うのは……」
「あいつ、ここの所思いつめていたんだ……俺があいつをパティシエに指名したのは十日くらい前だったんだが……その途端、その……お嬢様が、おやつを残すようになられて……」
ディミトリの問いに、ジェフロワは気まずそうに答えた。
エレーヌは少し気分を害したように、手を腰に当てる。
「私は何度も申し上げましたのよ。私がおやつを食べないのは単に私の事情で、ブルーノの腕とは関係無いと」
「お嬢様……それでも、俺達料理人にとっては、主人に匙もつけてもらえないというのは、気持ちの死活問題なんです……あいつ、その事で酷く悩むようになって……先週の土曜日くらいかな。サリエルが」
ジェフロワがそこまで言い掛けた所で、サリエルがびくりと震えた。
「私!その事も忘れて……お嬢様、私が悪いのです、私、ブルーノに間違ったヒントを与えてしまったのです!お嬢様は、一目見て味が解るスイーツには飽きてらっしゃるのだと」
「ま、待て待て、サリエルはそこまでは言ってない、ただ、俺がその後で煽ってしまったんだ、もっと見た目も工夫しろと」
「結構ですわ!もう」
エレーヌが間に入る。
「それでブルーノは!ちゃんと貴方達が確保していたのね?でしたらそれで結構ですわ、明日からまた普通に……普通によ?デザートを作って下さったら宜しいのよ。おわかり?では解散。サリエル。入浴するから手伝って下さるかしら」
「お待ち下さい!お嬢様!」
立ち去ろうとするエレーヌの前に、ジェフロワが立ちはだかる。
「ブルーノは厨房の地下で日夜様々なスイーツの研究をしていて、料理人達はそれを手伝っておりました!そうしたら……ブルーノはいつの間にか、あんな物を……地下に持ち込んでいたのです!どうかこちらに来て、御覧下さい……」
ジェフロワは大変な覚悟を決めたようにそう言い、うっすらと涙まで浮かべた。
「な……何なのよ一体……」
ジェフロワに導かれるまま、エレーヌはホールからダイニング、厨房へと歩いて行く。サリエル、ディミトリ、ヘルダ、それにその場に居たトマも何となくついて行く。
「私も……こんな事ならもっとしっかりブルーノを見張っておくべきだったと……どうかブルーノをお許し下さい、ブルーノをこんな所へ追い込んでしまったのは私なのです!くっ……うううっ……ブルーノ……何故こんな……」
ジェフロワはそう言って、男泣きに泣いた。
厨房ではブルーノが四つん這いになり、床に顔を伏せていた。その周りには気まずそうな、同僚の料理人が四人。何故か幼いメイドのポーラもその場に居る。
そして……その床には。
「な……何だって!?」
最初に反応出来たのは、一番後ろに居たトマだった。
「ひっ……ひいい!?」
「ぎゃ……ぎゃあああ!?」
続いてサリエルが、エレーヌが、揃って青ざめて……その場に、尻餅をつく。
その床に散らばって居たのは、エレーヌのバラバラ死体……ではなく。ドレスを剥ぎ取られ、分解されたままの……エレーヌの蝋人形だった。
ジェフロワも、がっくりと膝をつく。
「ブルーノはこれを、厨房の地下に持ち込んでいたんです……恐れ多くも、お嬢様の蝋人形を、こんな姿にして、厨房のロッカーの中に……お嬢様!お許しください!ブルーノは正気じゃなかったんだ!俺のせいで……」
「あ、あの、ですが」
次に発言したのは意外にも、ポーラだった。
「私、ちゃんとお戻ししたはずなのです……ここにあるのは何かの間違いです」
「ポーラ……どういう事だね」
ディミトリが尋ねる。
「ブルーノさんが、こちらの……お嬢様の人形を……お仕事の参考に使うとおっしゃられて、朝、厨房に運び込むのと、夕方、厨房から運び出すのを、私、お手伝いしたのです、私、私ちゃんとこの人形を、お嬢様の部屋で組み立てて置いておく所まで見ました」
それを聞いたジェフロワは、ますます声を枯れさせる。
「ブルーノお前ポーラまで巻き込んだのか!お前って奴は一体どこまで……」
ヘルダが青ざめ、震えながら口を挟む。
「ブルーノ……貴方、一体……このお嬢様の蝋人形で何をしてたの?どうしてポーラがお嬢様の部屋に戻したはずという蝋人形が、ここにあるの?」
――カンカンカンカン!!
エレーヌが突然立ち上がり、厨房のフライパンとおたまを取り、激しく打ち鳴らした。
「この話、終わり!!」
「お待ち下さい!ブルーノはお嬢様を驚かせる事にばかり夢中になっていて……」
「終わり!この話終わり!」
「ブルーノ、話して頂戴、貴方この蝋人形で何をしてたの!」
「いいから!この話なし!終了!」
「それでブルーノは結局、ずっと厨房の地下に居たのですか?一体そこで何をして……」
「ディミトリ!貴方もいいから!この話はおしまい!以上!」
ジェフロワを、ヘルダを、ディミトリを。何故か、どうにか黙らせようとするエレーヌ。
「ちょっと待って下さい!!」
サリエルが叫ぶ。
「つまり……ポーラがお嬢様の部屋で組立て、私達が先程運んで行ったのは、この蝋人形ではなく、ブルーノの作品」
「ぎゃあああああああ!」
――カーン!
サリエルの後頭部を、叫び声を上げるエレーヌのフライパンが襲う。
サリエルの意識はそこで途絶えた。
A;´д゛) うーん……




