見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第十九話
トマは自分の判断で、モンティエ大尉の前に海外派遣される予定だった陸軍士官に会い、話を聞いて来た所だった。
その士官は不満を抱いていると聞いていたのだが。会って話を聞くなり、正直な所ホッとしていたと言い出した。彼は結婚し子供が生まれたばかりだったと言う。
その男は夫婦喧嘩の腹いせに海外派遣に志願して、後で決まってから後悔していたという。それで格好悪いから、交代させられて不満であるかのように振舞っていたらしい。
くだらない真実は聞けたものの、無駄足であったと意気消沈し、帰ろうとしたトマに、陸軍士官は告げた。その任地へ向かう船は定期船で週二回就航しており、火曜日にカトラスブルグに居たら、次に乗れるのは金曜日の正午の便だという。
トマはそれを聞いた後は、伯爵屋敷まで休まず、一目散に走って帰って来た。
「誰か!サリエルか……お嬢様にお取次ぎを!」
トマが騒ぎながら屋敷の玄関ホールに入って来た時、サリエルはちょうどその近くを通りかかった所だった。
「ちょうど良かった、トマ、あの蝋人形を運ぶのにちょうどいい入れ物は無いかしら……」
「そんな事を言ってる場合じゃない!大尉は明日の正午発の船でクレー港を発つ」
サリエルは息を飲んだ。
「サリエル、俺は……結局の所お嬢様と大尉がどうなっていたのかは知らない。だけど、大事な人なんじゃないのか?その事に男爵が嫉妬し、計略を巡らせる程に」
「貴方は余計な事は聞かないのに、するべき事が解るし、それが出来るのですわね……貴方にならお任せしても……いえ。とにかくお嬢様にお伝えしますわ」
「……午後八時のレアル行きの汽車に乗れば間に合う。十時では間に合わない。馬車だけでも用意させておこうか?」
「トマ、私より貴方の方が優秀よ、きっと。貴方が思いつく事なら、私に聞かずに実行した方が宜しいですわ」
「何だか君も様子がおかしいな……自信喪失みたいだぞ。頼むよ、こんな時に」
トマはそう言って肩をすくめ、外に出ようとしたが。
「あの蝋人形を運ぶなら……正直、棺桶が一番いいかもしれないな」
最後にそう言い添えた。
サリエルはエレーヌの部屋に行く。しかしエレーヌのリビングへ続く扉は開けっ放しになっていた。普段、こういう事は無い。
エレーヌは中に居るのか?居るようだ……いや。あれは蝋人形の方だろう。エレーヌ本人は居る気配が無い……ああ。あの蝋人形があるのが嫌だから、他の部屋に避難しているのか。
サリエルは早めにエレーヌの区画を見限り、再びオーギュストの区画の方へ向かう。
「お嬢様……」
エレーヌは居た。結局あの後も部屋着に着替えただけで、こちらに戻っていたようだ……まさか、けん玉に夢中になっているとは思ってもみなかったが。
「何よ。物理の宿題はどうしたの」
「もう終わらせました……あの、お嬢様……」
けん玉を構えたままのエレーヌを見て、脱力感を感じるサリエル。
本当に。本当に何でもないとでもいうのだろうか。
自分がもしエレーヌなら……やっぱり、リシャールには何としてでも会いに行くと思う。愛を誓うにせよ、単にお詫びを言うにせよ。ほったらかしは無い。
だけど……これを言うのが怖い。
エレーヌが無反応だったらどうしよう。そうなったら、ますます自信を無くしてしまいそうだ。
だけどもう時間は無い。今、言うしかない。
「お嬢様……トマが調べてくれましたわ。これが最後のチャンスです」
サリエルは、居住まいを正す。
「リシャール・モンティエ大尉は明日正午、クレーの港を発ちます。午後八時にカトラスブルグを出る汽車に乗れば、お見送りに間に合います」
エレーヌは。サリエルを見ようともせず答えた。
「その事はもういいと申し上げたはずですわ。そんなに暇なら、そうね、夕食の準備を手伝って来て下さるかしら。料理は何でも宜しいけど、私、今夜はデザートにアイスクリームをいだきたいですわ」
「かしこまりました、お嬢様」
けん玉をやめようともしないエレーヌに、サリエルはそう言って、深く頭を下げ、その場から離れた。
オーギュストのリビングを出たサリエルは、調理場へ向かおうと廊下を進むが……途中で、蹲ってしまった。
「うっ……ひっく……うえっ……うっ……」
これで終わりだと思えて、サリエルはすすり泣く。
「ほら見ろ!何をやってるんだ、もう」
その時。馬車を用意しに行ったはずのトマが階段を上がって来た。
「時間が無いって言ってるじゃないか、そんな所で泣いてないで早く……」
「行かないのよ……お嬢様は行かれませんの……今は別の事に忙しいの、もう……もう宜しいんですの……」
「それで何で君が泣いているんだよ!何があったのかは知らないが……納得行かないならもう少し頑張ってみたらどうなんだ、今ならまだ間に合うっていう時に、屈んで泣いてたりしたら、後で後悔するんじゃないか」
「ごめんなさい……貴方が正しいのは解るの……だけど……私これ以上申し上げるのが怖いのよ……!」
オーギュストのリビングの扉が開いた。
「貴方達ね。盛り上がるなら他所でやって下さらないかしら?」
エレーヌは現れた。部屋着にしている、その辺りの庶民とあまり変わらない楽な服装で、片手にけん玉を持って。
トマは口をつぐむ。理由は二つ。一つ、自分は庭師だ。庭師は女主人の私生活の問題に絶対に口出しなどしてはならない。
二つ、これはサリエルの仕事だ。それを侵害してはいけない。
サリエルは黙って居住まいを正しているトマを見る。先程は一人だったが、今はトマも居る……人間、やはり一人よりは二人の方が勇気は出る。
サリエルはもう一度、勇気を奮い起こし、エレーヌの前に出た。
「お嬢様……御願いします!このままではいけませんわ!今、こんな所でけん玉などされていては……お嬢様の為になりません!どうか御願いします!私共と一緒に御出座し下さい!人として……なすべき事をなさって下さい!」
サリエルは涙ながらに訴える。こんなにも強い言葉でエレーヌに何かを迫った事は無い。サリエルとしては、それはメイド生命を賭けた一声だった。
エレーヌは……そっぽを向いた。
「全く……面倒ですわね……そもそも貴女の不始末でこうなったというのに」
「お嬢様、それは!……」
思わず声を上げてしまったのはトマだった。
「貴方もじゃないの、トマ……あんた達二人の不始末を主人である私が片付けなくてはならないなんて。伯爵令嬢も辛うございますわね」
エレーヌは腰に手を当て、胸をそらす。
トマは差し出口をしそうになった事を恥じて、口をつぐんだ。
「お嬢様!トマは大尉から受け取った手紙を、その場で私に渡しただけなのです!トマには何一つ不始末などありませんわ!」
「サリエル……?」
「トマ……私、あの手紙をお嬢様に渡しそびれていたのよ……それが……それが今回の、全ての間違いの原因でしたの……お嬢様は昨日の夕方まで、手紙の事を知らなかったのよ……」
床を見下ろす程俯いたサリエルの耳に、カチン、カチンと……何かを弾く音が届いた。サリエルが視線を上げると……エレーヌはけん玉の底の皿に球を乗せようとしていた。
「お嬢様!!」
サリエルは思わず叫んだ。
「煩いわねもう。貴女、私に何度同じ事を言わせる気ですの?もういいわ。出掛ければいいんでしょう、出掛ければ。トマ。貴方にも来ていただきますわよ」
エレーヌは肩をすくめ、面倒臭そうにそう言った。
サリエルは顔を上げた。トマはホッとして肩を落とす。
「お嬢様……!ありがとうございます!」
「早速、馬車の支度をして参ります。ああ……厨房にも声を掛けないと、サリエル、君はお嬢様の準備の手伝いを」
「お待ちなさい」
トマが早くも仕事に取り掛かろうとするのを、エレーヌが呼び止める。
「馬車の支度って言ったけど、まさか四頭立ての紋章付の馬車を出したりしないでしょうね?まだ見張りは居るかもしれないのよ?」
「これは……危ない所でした、正にそうしようとしておりました、申し訳ありませんお嬢様」
「裏に藁を山積みにしたワゴンがあるわね?あれに馬を一頭だけつけなさい……厨房には私が声を掛けますわ。私の準備も結構。とっとと始めるわよ」
エレーヌはそう言って、さっさと一階へ向かう。
トマとサリエルは呆気にとられ、一瞬顔を見合わせるが……慌ててその後を追う。




