十月のエリーゼ 第二十三話
みんなーあつまれー
ざまぁの時間だよー
先頭は四頭の馬。御者席には楽しげな魔女ジョゼ。キャビンには今日は誰も乗っていない。
その後ろがアーチのついた山車で、そのアーチにはロープが結ばれている。ロープの先にはエレーヌが乗ったブランコ椅子があり、それは巨大なランプの魔人の形の風船によって、上空十メートルくらいまで吊り上げられている。
アーチ山車の後ろはほぼ実物大の象のハリボテが乗った山車…その山車の内側に取り付けられていたのは、オイルランプではなく電燈だった。
ジョゼの技術はサリエルの技術より三十年以上は進んでいた。アーチ山車の下部に組み込まれたダイナモにより、馬の走る力で電気を作り出せるのだ。
象の後ろはライオンのハリボテ。これは体長が実物の倍だった。その後ろのゴリラの身長は実物の三倍。見栄えのする大きさを追及した結果である。
こうしたハリボテに関しても、サリエルの竹工作技術では馬車で引き回しても壊れない強度には出来なかっただろう。ジョゼは普及を始めたばかりのアーク溶接機を扱う事が出来るのだ。
カバも大きい。一応他の動物が象の大きさを超えないよう配慮はされているようだが、このカバの口の大きさは覗き込むのが恐ろしい程だった。表情もリアルだ。美術面でもジョゼはサリエルを上回っていると言わざるを得ない。
しんがりを務めるのは七人の三頭身の小人。小人と言ってもそれぞれ大人の背丈くらいある。小さな台車に乗って最後について来る。
そしてそれら全てに電燈が入っていて、色とりどりに光っている。
地上の台車はロープの他電線でも繋がれ、発電機からの電力の供給を受けている。しかし、空中の魔人に電力を供給するのが難しい。最初はロープに細い電線を組み込んで対応しようとしたが、強度や重量の問題を解決出来ない。
ギリギリまで解決策を模索したジョゼが辿り着いたのは、世界の最新技術の一つである乾電池だった。僅かな文献を頼りに、睡眠時間をゼロにしてジョゼが完成させた乾電池による電飾装置は、魔人風船の両目に取り付けられた。
そんな技術者の想いと犠牲者の身体を乗せ、伯爵令嬢のお誕生日行列は、伯爵屋敷からブドウ畑、長屋通り、そして鍛冶屋通りへと爆走して行く。
長屋通りでも。
「お父さん!なんかすごいのが走ってる!」
「また蒸気自動車かい?」
「違うよ!象にライオンにゴリラだよ!みんな光ってる!」
「ちょっと見て!女の子が魔人のブランコで空を飛んでるわ!」
「馬鹿言ってないで早く洗濯物を取り込むんだよ!」
「本当よ!見てよあれを!目が光ってるのよ!」
鍛冶屋通りでも。
「おいニール、あれを見ろよ!とびきりバカげてるぞ!」
「何だこりゃあ!何の騒ぎだおい!」
「御者が女の子だぜ、ハッハ!見ろ、手を振ってくれたぜ!」
「おおーい!そいつは何の祭りだー!?」
「よく見ろ、誕生日おめでとうって書いてあるぞ」
「あの風船に乗ってる子の誕生日か。おーい!すげえな!おめでとうー!!」
ジョゼは夢中で馬車を駆りながら、沿道の人々に手を振りまくる。
「素敵ですわー!皆様エレーヌ様の誕生日を御祝いしてくれてますのよ!私、私、たくさん頑張りましたの!頑張った甲斐がありますの!」
不眠不休で技術的問題に向き合い、納期厳守で製造に取り組み、全てを完成させたジョゼの脳内では、何かの物質の過剰分泌が起きていた。或いは技術的成功による恍惚が、彼女の理性を麻痺させてしまったのかもしれない。
「止めなさいっ!!止めなさいジョゼー!!止めてー!!」
風船は風船であるが故。先程から角を曲がる度に激しく振り回され、そこらじゅうにぶつかっていた。商店の看板、バルコニー、洗濯物、時計塔…
エレーヌ自身も思いっきり看板に叩きつけられもした。薄いベニヤの看板で簡単に割れたから良かったが。
伯爵屋敷に残された者も、黙っていた訳ではなかった。
「サリエル!あれは一体何なの!」
さすがに笑っていられなくなったクリスティーナは、エレーヌが連れ去られてすぐ飛び出して来た。彼女もまたエレーヌ同様、何よりも恥を恐れる人種である。
「あの魔女みたいな子には…悪意はございませんの…」
サリエルはまずそれを言った。言わないとクリスティーナはジョゼを撃ってしまうかもしれない。
「悪いのは皆私ですの、お嬢様は本当に何も知らないのですわ、とにかく、お嬢様を助けに行かないと!」
サリエルは厩舎に走る。クリスティーナも叱るのは後と決め、蒸気自動車に走る…ただ、蒸気自動車は構造上、火を入れてから走るようになるまで時間がかかる。
「先に参ります!」
サリエルは髭の紳士姿のまま、屋敷の老いぼれ馬を駆り行列の追跡を始める。
「あれを見ろよ!すげえぞ!」
「どこまで行くんだろう!」
「待ってー!!」
長屋通りを、鍛冶屋通りを、行列を追い掛ける人々が走って行く。
金融通りに差し掛かった馬車を、街の警邏が見咎める。
「お、おい!一体それは何だ…!?停まれ!!一旦停まれ!」
笛を吹き馬車を止めようとする警邏。しかし今のジョゼを止める為には全くの刺激不足であった。
「うわあああ!!」
馬車に跳ね飛ばされそうになり、警邏は大きくよろける。
駆け抜けて行く、馬、魔女、馬車、山車、象、ライオン、魔人と伯爵令嬢、ゴリラ、カバ、七人の小人…それは一体どんな世界観なのだろう。
「待てッ…待つのだっ!」
どうにか立ち上がる警邏の後ろから…
「待てーっ!!」「待ってー」「向こうへ行ったぞー!」
「パパ、早く!」「見えなくなっちまうぞ!」「遅れるな、続けー!」
殺到する人波。
「何の騒ぎだこれは!?」
「お誕生日ですの!お誕生日ですのよー!!皆様ー!!エレーヌ様のお誕生日ですのよー!!」
魔女のジョゼは金融通りに満面の笑顔を振り撒きながら馬を駆る。
「助けてー!!」
建物の壁、看板、屋根やら何やら、色々な物に叩きつけられながら宙を舞う伯爵令嬢。幸い金融通りは広く真っ直ぐなので、物にぶつかる心配は減ったのだが。
戦勝記念通りのバルタザールの店の近く。ここは街でも一番の大きなロータリー交差点になっていた。ロータリーの中心部には小さな庭園とモニュメントがある。
庭園には四十人ばかりの男女が居た。ほとんどは男で、高齢者が多い。皆一張羅を引っ張り出して来たような正装を身につけ、多くが金管楽器を携えている。彼らは市民による趣味の楽団だった。
彼らは今まさに演奏をしている所だったのだが、率直に言って、そのレベルは高いものではなく、その為周囲の市民の注目度は低かった。足を止めてまで聴いている者は多くない。
指揮者が腕を跳ね上げるように振り、曲の終わりを知らせる。演奏はややまばらな余韻を残して終わった。
周りから、いくらかの拍手が起こる。何人かは熱心に拍手しているが、まあ、身内なのだろう。
バルタザールの店の三階の小部屋の窓辺でも、楽団に拍手を送っている者が何人か居た。医師のマティアス・マナドゥと妹のマルセル、バレエ教師コンスタンと生徒達。そして今や首都レアルでスターの階段を駆け上がっている、バレエダンサーのミリーナだ。
これはエレーヌの誕生日祝いのつもりで開いた会だったのだが…そのエレーヌは結局来なかった。その事は勿論少し残念だった。
「演奏もまだ続くようですが…お料理が冷めるといけませんわ」
「そうですね、もう始めましょう、皆さん席について下さい。それでは…皆様ミリーナさんとの再会を祝して」
予約は最大十五人にしたのだが、結局全部で十五人来てしまった。これでは本当にエレーヌとサリエルが来た時に少し困る。マナドゥは自分の見積もりの甘さを悔やんだが…生憎にしてエレーヌ達は来なかった。
「あ…あれは…何でしょう…」
乾杯の音頭を任されていたミリーナは、それを言う前に窓の外の異変に気づいた。
伯爵令嬢の行列は、正にその瞬間、カトラスブルグ市の繁華街の中心部の一つと言える、このロータリー交差点に突入して来た。
「皆様ー!!伯爵令嬢!エレーヌ・エリーゼ・ストーンハート様のお誕生日ですの!エレーヌ様が十七歳になりましたのよー!!」
御者席の魔女は立ち上がって両手を振る。その声はほとんど雑踏と馬車の爆音に掻き消され、聴衆の耳には届かなかった。
山車は一つも脱落する事なくここまでの道のりを追従していた。電燈も全て点灯したままだ。暮れ行くカトラスブルグの街で、それは当然大変に目立つ。
金管楽団とその指揮者は大変困惑していた。ちょうど二曲目の演奏を始めた所にこの騒ぎが始まったのだ。
見た事もない。こんなのは見た事もない。それなのに。これではまるで、自分達はこの行列を盛り上げる為にここに来たみたいではないか。
増えて行く。観客も凄い勢いで増えて行く。行列に釣られて金融通りの方から追い掛けて来た野次馬、周りじゅうの建物から顔を出す人々、通行人も…足を止めぬ者など居ない。
指揮者の額を冷や汗が伝う…出来るのか?我々に出来るのか?この期待に応える事が出来るのか?
パレードは回る。ロータリー交差点を回り続ける。行列に釣られた人々も回る。
交差点を抜けようとしていた駅馬車が、人波に阻まれて交差点を脱出出来ず、一緒に回り始めた。
「君!このままロータリーを回ってくれ!」
辻馬車の客が御者にそう叫ぶ。
笛の音が鳴り響く。
「その騒ぎをやめろ!やめろ!」
数人の警邏隊が徒歩で駆けて来る。激しく笛を吹き、警棒を振りかざしながら。
「野暮はやめろ!おまわり共!」「邪魔をするな!」
「こら!ここを通せ!」「道を塞ぐなっ!このっ!」
それを阻止しようとする鍛冶屋通りの男達も。人垣を作りながら一緒にロータリーを回る。
「助けてー!!助けてー!!」
あまりの事に。空中のエレーヌの方ももう赤くなったり青くなったりで、ほとんど正気を保てなくなっていた。ただただ、そう叫ぶのが精一杯だった。
「私が!私が何をしたとおっしゃいますの!!助けてー!!」
こんな現場にも、心ある人々が居ない訳ではなかった。カトラスブルグ消防隊とその馬車である。
「何だあれは!」
「解らんが、あの風船のブランコにしがみついている女性は助けを求めているぞ!」
「道を!道を開けろ!」
激しく鐘を鳴らしながら消防隊の馬車はロータリー交差点に突入した。消防隊の男達は、いつでも問題の馬車に飛び移れるよう、馬車から身を乗り出す。
しかし生憎な事に、消防隊の馬車は伯爵屋敷の馬車のちょうど反対側でロータリーに合流してしまったのだ。これではなかなか行列に辿りつけない。
だが心があるのは消防隊だけではなかった。カトラスブルグ市警察の警邏自動車が来たのだ。
蒸気で走る田舎では珍しいその自動車も、鐘を打ち鳴らしながらやって来た。
「そこの行列、停まれー!!市民は道を開けろー!!」
しかし生憎な事に、市警の警邏自動車もまた伯爵屋敷の馬車のちょうど反対側でロータリーに合流してしまったのだ。これではなかなか行列に辿りつけない。
駅馬車、警邏隊、消防隊、そしてたくさんの辻馬車が加わり、大混雑となったロータリー交差点から、野次馬が次第に外に押し出されて行く。
金管楽団の面々もパニックになっていた。一体この騒ぎは誰の為のものなのか。何故自分達がこんなにも過大な期待を背負わなくてはならないのか。
しかし極度のプレッシャーは、時に人を育てる事もある。
ええい、ままよと。トランペットが、トロンボーンが、ホルンが、チューバが、嵐も吹けよと吹きまくる。パーカッションも先程までとは別人のように、命の限りと打ち鳴らす。
地獄のメリーゴーランド。
サリエルが、クリスティーナが、群集をかきわけ現場に到着する頃には、ロータリー交差点はそういう光景になっていた。




