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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
十月のエリーゼ

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十月のエリーゼ 第四話

 翌朝一番に伯爵屋敷の使いが来た時には、マナドゥはある意味生きた心地がしなかった。


 マナドゥは最初、自分は悪戯を仕掛けられているのだと思ったし、面白いので少し乗ってみようと思ったのだ。その悪戯を仕掛けて来た相手の意図は最後まで解らなかったが、シードルを飲ませたのは悪乗りが過ぎたらしい。

 その人物はアルコールに弱いのではなかったが、安酒に弱かったのである。



 重い足取りで伯爵屋敷を訪れ、階段を登るマナドゥの耳に、伯爵令嬢主従が争う声が聞こえて来た。


「だからダニエル先生でいいと申し上げてるでしょう!何故マナドゥ先生を呼ぶの!?」


「お嬢様、そのような自暴自棄は御止め下さい!ベッドに御戻り下さいお嬢様、どうか安静になさって下さい!」


「いい、からッ!!ダニエル先生をッ!呼んでッ…きなさいッ…!!」


「どうしてもと…おっしゃるならッ…このサリエルの屍を踏み越えて…お進み…下さいッ…!!」



「どうなさいましたか…」


 ディミトリに案内され、エレーヌ専用リビングに通されたマナドゥが見た物は、すがりつくサリエルを捻じ伏せ、革のブーツで踏みつけようとしている伯爵令嬢だった。

 エレーヌはマナドゥを見るとすぐ、サリエルをティーテーブルの方に投げつける。


「どうも…いたしませんわ…どうぞ…ポーラだけ診てお帰りあそばせ…」


 エレーヌは普段の三倍邪悪な笑みと怒筋を浮かべ、マナドゥを見た。その顔には頭がすごく痛いと書いてある。


「そうですか…ではポーラさんを」


 そう言って退室しようとしたマナドゥは、不意に足首を捕まれ戦慄する。


「お待ち下さい…マナドゥ先生…お嬢様は頭痛が酷いのです…」


 足首を掴んでいたのは、ティーテーブルと共に倒れたサリエルだった。その顔色は高熱を出したポーラより頭痛に悩むエレーヌより悪い。


「貴女は大丈夫なんですか、サルヴェールさん…」

「お嬢様は…今まで頭痛になんかなった事が無いのです…御願いします…お嬢様を…お嬢様を診察して下さい…御願いします…お嬢様の身に万一の事があっては…」


 サリエルはぼろぼろ涙を流しながらマナドゥにすがりつく。

 彼としては、気まずい事この上無かった。


「申し訳ありませんサルヴェールさん、お嬢様が望まれない以上、私はお嬢様の診察が出来ません…ポーラさんの様子を見て参りますので、失礼致します」

「先生!お待ち下さいマナドゥ先生!ダニエル先生では困るのです!先生!」


 再びすがりつこうとするサリエルをエレーヌが抑えつけている間に、マナドゥは素早くリビングから退出した。



 一時間後。


 伯爵家の馬車から降り立ったエレーヌは、表向きはいつもと変わらないように見えた。後ろにはいつも通りサリエルも連れている…いつものエレーヌだ。

 ただ、何と言うか雰囲気が尋常ではなかった。一言で言えば手負いの虎のような、迂闊に刺激すれば何をするか解らないような、そんな気配を漂わせていた。

 エレーヌは邪悪な笑みと怒筋を浮かべたまま聖ヴァランティーヌ学院のホールへと入って行った。


 サリエルはエレーヌから少し遅れて歩いていたが、エレーヌがホールに入って行ったあたりで、ふと、足を止め…辺りを見回した。

 他の生徒達は…そんなサリエルと視線を合わせないよう、慌しく他所を向いたり、下を向いたり、意味もなく鞄の中を覗き込んだりしていた。


 その様子を見て、サリエルはまた溜息をつく。結局、エレーヌは止める事も出来ないまま登校してしまった。そしてエレーヌはただでさえ他の生徒から恐れられているのに、あんな顔をしていては益々皆逃げて行くだろう。

 何とか、誕生日会に来てくれる同級生を見つけなくてはならないのに…



「きゃああああっ!?」

「シャルダンさん…また貴女ですか?」


 生物の授業中。今年飛び級で五年生になり、エレーヌと同じクラスになった秀才、ジョゼ・シャルダンが悲鳴を上げた。


「つ、机の中から…イモリが…」

「…シャルダンさん。それはヤモリです。イモリは両生類、ヤモリは爬虫類。イモリは泳げるけどヤモリは泳げません」


 教室の一部から笑いが漏れるが、笑っていない者も多い。

 エレーヌだ。こんな九歳男子が本当は好きな女子にするような手口のいじめをするのはエレーヌしか居ない。


 サリエルは内心、頭を抱える。ジョゼならば御願いすればパーティくらい来てくれるような気がしていたのだが。こんな事ではとても言い出せない。



 昼休み。エレーヌの命令で購買部へ走るサリエルを、誰かが追い掛けていた。ただ、サリエルの使いっ走り能力は間違いなく学院一で、追いつける者は居ない。

 一階にある購買部への競争は、どうしても一階で学ぶ一年生の方が有利で、殆どの五年生には競争の機会すら与えられない。それでもサリエルがここで五位以内を外す事は殆ど無かった。

 五位以内の褒美は一日限定五食の、生クリームとフルーツのたっぷり入った満月サンドである。

 そのくらい伯爵令嬢なんだから屋敷から持ってくればいいのに。他の生徒達はそう思った。何故わざわざ付き人を走らせてまで庶民の楽しみを奪うのか。



 サリエルを追うように購買に辿りついたジョゼだったが、順位は十二位…これでは副賞の半月サンドにも届かない。

 しかし去年の今頃のジョゼは三十位以下だった。

 修行の成果は出ている。ジョゼはそう思った。


「サリエルさん」


 満月サンドを手に、恥ずかしそうに肩をすくめながら教室に帰るサリエルに、ジョゼが声を掛けた。ジョゼは結局、何も買っていなかった。


「今日も満月サンド、手に入れましたのね…さすがエレーヌ様の一番の…」


――使い魔ですわね…


 ジョゼは語尾を飲み込む。


「ごめんなさい…どうしても好きなもので…」


 サリエルはいつも自分が欲しくて買ったのだという事にしている。


「あのう、サリエルさん」


 サリエルより15cmは背が低いジョゼは、サリエルの顔を斜め下から覗き込むように顔を上げていた。


「今日から十月ですね?エレーヌ様のお誕生日、今月ではありませんでしたか?」

「えっ…ええ…よくご存知ですのね…」

「お誕生会は開かれませんの?私、是非ご一緒したいですわ!」


 ジョゼはそう言って屈託の無い笑みを浮かべた。

 サリエルは勿論驚いていた。目尻に涙が浮かぶ程に。まさかジョゼの方からそんな事を言ってくれるとは思っていなかったのだ。


「ジョゼさん…それは本当ですの?」


 サリエルはがっちりとジョゼの両手を握っていた。逃がすものかという風に。

 ジョゼは微かに眉を歪める。少し痛い。


「は、はい?勿論ですわ!あの…」

「ジョゼさん…いえ、ジョゼ、貴女も私をサリエルと呼んで、あのね、私…サプライズパーティを計画してますの!お嬢様は、その…ほんの少し素直じゃない所がありますので…準備はあくまで秘密で!秘密で進めなくてはならないの!」


 ジョゼはパッと笑顔を輝かせる。


「素敵…素敵ですわ!私も是非!!あっ…声を落としませんと…ごめんなさい、私も是非お手伝いさせて下さいっ」

「放課後に、一度屋敷に来て下さらない?勿論お嬢様には内緒で…」

「はい!」


――これで手間が省けましたわ…ククク…まさか自ら手に落ちて来るとは…。


――これで手間が省けましたわ…ククク…まさか自ら招き入れて来るとは…。


 二人は固い握手を交わす。

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