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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
側仕えのサリエル

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側仕えのサリエル 第九話

 エレーヌは全く調子が上がらなかった。


 クラスの生徒達のほとんどは、エレーヌはジョゼをいじめるに違いないと思っていたが、今の所、そうはなっていなかった。

 一方的にエレーヌについて回るジョゼに、むしろエレーヌの方もまんざらではない態度で接し始めているように見える。


 授業も真面目に受け、他のクラスメートへの当たりも柔らかいエレーヌ。むしろ気遣いさえ感じる。一体何が起きたのか。エレーヌも五年生、或いは何かが変わったというのか。生徒達の間には、そんな期待感さえ生まれ始めていた。



 昼休み。エレーヌは自分の名前のついた四年生の物理のノートを手に、理科学部教員室の前に居た。

 教員は昼食を教員室で取る。殆どの教員は弁当を持参している。

 だが、文明人なら食事の前には手を洗うし、食事の前に一息つきたいと思う事もあるだろう。昼休みの初め頃には、職員の数が少なくなる瞬間がある…エレーヌがそれを狙っているのかどうかは、本人にしか解らない。


 しかし。


「エレーヌ様!」


 後ろからまた声を掛けられ、エレーヌはごく小さく飛び上がる。振り向けばジョゼ…またか。


「私、今日はランチボックスをお持ちしましたの!御一緒しませんか!ティーセットもございますのよ!」



 いつのまにかジョゼは自然にエレーヌの事をエレーヌ様と呼ぶようになっていた。


 ジョゼは良く手入れされた庭の芝生の木陰にシートを敷き、ランチボックスを広げる。サンドイッチの束と一緒に、ブリオッシュもいくつか入っている。


「エレーヌ様のお口に合えば宜しいのですけれど…」


 普通に空腹に負けたエレーヌはシートに座る。


「私、お湯をいただいて参ります!」


 ジョゼはそう言って、ポットを手に駆けて行く。


 エレーヌは空腹の他に、眠気にも耐えていた。明らかに睡眠不足である。

 伯爵令嬢の専属メイドは、伯爵屋敷で今も眠っている。そして彼女が仕えるべき伯爵令嬢は、学校で眠気に耐えている。

 エレーヌは密かに拳を握る。


 サンドイッチは…野菜やハムを挟んだ物、ツナサラダやたまごサラダを挟んだ物、ローストビーフを挟んだ物…ごく普通の物だ…ブルーベリーサンドがない…別にエレーヌが好きな訳ではないので、無くても問題は無いのだが。


 そのうちジョゼが戻って来る。笑顔で、いちいち手を振って…その様子は誰かに似ている。エレーヌは目をこする。眠かったのではない。ジョゼが一瞬、誰か他の人間に見えたのだ…いや…やっぱりジョゼはジョゼだ。



「すみません、待っていて下さったのですね、エレーヌ様。先に召し上がって下されば宜しかったのに。今お茶を入れますね」

「…ありがとう」


 木陰には優しい風が吹いていた。日向がまだ少し暑い分、ここは本当に気持ちがいい。


 ジョゼはうるさくない程度に、色々な話をエレーヌに聞かせた。物語の話、音楽の話、花や鳥の話。ジョゼの声色は優しく滑らかで、聞くのは苦にならない。

 そしてエレーヌは、時々相槌を打つだけで良かった。ジョゼがそうなるように話してくれているのだ。今日の疲れ気味のエレーヌにはそれもまた心地よい。


「…」


 エレーヌは遠慮なくサンドイッチを頬張る…伯爵令嬢の舌は相応に奢ったものだが、このサンドイッチは彼女を納得させるのには十分な味だった。


 たまごサンドはかつて屋敷に居たオルフェウスの腕には敵わないが、味わいも良く、優しくふっくらと出来ている。


 ローストビーフサンドは庶民的だが悪くはない。等級の低い肉ながら丁寧に調理されていて、しっかり肉汁が閉じ込めてある。


 次にエレーヌはブリオッシュを手に取り、割ってみる。これは…小豆餡。カトラスブルグでは珍しい…店では売っていないだろうに、わざわざ作ったのだろうか。美味しい。生地も餡も思い切りよく甘くて宜しい。



「エレーヌ様、紅茶のおかわりはいかがですか?」


「…ありがとう」


 そう言ってカップを差し出した瞬間…

 エレーヌの髪の毛が、一瞬逆立った。その背筋を、謎の寒気が走った。


 ランチを用意してくれて、お茶を注いでくれて、色々な話を聞かせてくれるジョゼの髪は…色素こそサリエルより薄いが、その髪型は…毛先の一本まできちんと模倣したかのように…サリエルに瓜二つなのだ。



「どうかなさいましたか?エレーヌ様」



 良く言えば少し小さくなったサリエルがそこに居るかのような感覚…

 悪く言えば妖怪ドッペルゲンガーがサリエルを乗っ取ろうとしているような感覚。


 そもそも何故ジョゼはこんなに無邪気に笑いかけて来るのか。

 主従関係にあるサリエルがエレーヌに尽くすのは当然の事だが、ジョゼにどんな理由があってエレーヌに尽くすのか?少なくともエレーヌは思いつかない。


 そしてこの心地よさは…何かがおかしい。何かが間違っている。

 この心地良さに溺れてしまったら、自分が自分でいられなくなるような気がする。



 今朝教会通りで会ったジョゼはランチボックスを持っていなかった。

 ジョゼはまさか…一度ランチボックスを学校に置いてから…また外に出てあそこで待ち伏せしていたのか?



「あっ…!私当番を忘れておりましたわ!エレーヌ様、もし私が戻って来れなかったら、このランチボックスはそのままにしておいて下さいね、私が片付けますから…ごめんなさい!」


 消えた…気を利かせて消えた。エレーヌが何か考え込んでいるのを察して。ジョゼは消えた。



 エレーヌは待った。逸る気持ちを抑え二分だけ待った。サンドイッチを一つ食べる間待った。そして恐る恐る、呟いてみた。


「…結局一人じゃない。寂しいですわね」


 すると。


「ごめんなさい!今済みましたの!」


 笑顔のジョゼが戻って来た。



――ギャア!ギャア!ガアガア!バサバサバサバサ!!ギャア、ギャア…


 学院の奥の森の中で、数十羽のカラスが一斉に鳴き騒いだ。



「エレーヌ様?…もしかして…お疲れですの?眠気がなさいますの?」


「ええ…少し寝不足なのですわ…」


 伯爵令嬢は…努めて顔色を平静に保ち、引きつった作り笑いを浮かべて言った。


「いけませんわ、少し仮眠を取られてはいかがですか?五分だけ目を瞑って横になりますの。そうしたら心身共すっきり致しますのよ」


 ジョゼは愛くるしい笑みを浮かべ…誘うように、太股の上に白いシルクのクロスを敷く。睡眠不足の昼下がり。心地よい木陰、優しくて気が利くジョゼの膝枕で過ごす五分間…それは実際、今のエレーヌが一番欲しいものだったかもしれない。


 だけどそこに堕ちてしまえば間違いなく…自分は、血も涙も汗も無い伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートではない、全く違う、別の生き物になってしまう…そんな未来が、一瞬見えた…



 顔色を維持する制御力も失ったエレーヌは、酷く青ざめて立ち上がる。


「…ゆ…誘惑はやめなさいッ…貴女一体…何者なのっ!?」


「エレーヌ様…?」


 ジョゼは不思議そうに小首を傾げた。

 エレーヌは。その仕草を少し可愛いと思ってしまった自分に気づくと、


「きゃあああああああ!!」


 伯爵令嬢、傲慢な女主人、仮面優等生、裏番長…自分に貼りついた様々なレッテルを放棄して、エレーヌは、ただの乙女のような悲鳴を上げ遁走した。

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