立ち去る背中
「ごめ、ごめんなさい。グイード様」
「謝る必要はない。それより、しっかり掴まっていてくれ」
上空でも炎がパチパチ爆ぜる音、草花の焼ける臭いを感じた。
――ごめんね、グイード。あなたが私とお腹の子を優先してくれたこと、あなたの愛した景色を、私は忘れない。
王都にあるグイードの邸宅に到着するや否や、私は寝室に押し込まれた。
すぐに名医が飛んでくる。
「大事に至らず良かったものの、安静の指示を無視して飛竜に乗るとは、言語道断です!」
「でも、急いでたし。飛竜を救急車の代わりにしてもダメなの?」
「きゅうきゅうしゃ?」
私の言葉に眉をひそめた医師の隣で、グイードが頭を下げた。
「すまない」
「そんな、グイード様のせいではないのに!」
「いや、私に知識があれば……」
医師によると、なんと流産しかけたそうで、グイードとまとめて怒られた。
「よろしいですか。今後は絶対に、おとなしくしてくださいませ」
「……はい」
「約束しよう」
力強く頷くグイードが、こちらに歩み寄る。
「セリーナ。最善を選んだはずが、危険な目に遭わせて申し訳なかった」
「いいえ、何度も謝らないでください。元はといえば私のせいなので。まさか頭痛と腹痛が同時に起こるなんて思わなくて、慌てちゃいました」
「君もお腹の子も、無事で良かった」
私の手を取るグイードの手は震え、声はかすれていた。
彼はそのまま膝をつき、顔を近づける。
「セリーナ」
淡い青の瞳に私が映り、彼の吐息が唇に触れる。
たちまち大きく胸が跳ね、呼吸も浅くなっていく。
「グイード、様……」
彫りの深い男らしい顔立ちは、いつ見てもうっとりしてしまう。その瞳の奥は、私を気遣う優しい光に溢れていた。
「ウォホッ、オホン」
「わわっ」
医師の咳払いに驚いて、慌てて手を離す。
一方グイードは落ち着き払った様子で、ゆっくり立ち上がる。黒髪をかき上げる仕草は、いつもの冷静な彼だ。
「よろしいですか、くれぐれも安静ですぞ。立派なお子を生みたいのであれば、閨ごとも当分禁止です」
「ねやごと?」
意味がわからず、グイードに問いかけた。
「寝室での、愛の営みのことだ」
「なっ……あい……まさか! だって妊娠してるのに?」
思わず大きな声が出た。
医師はやれやれといった様子で肩を竦め、グイードは苦笑する。
「静養に専念してくだされば、いずれお腹の痛みも治まるでしょう。その時改めて、許可しますので」
「許可ぁ?」
「わかった。我慢する」
「ちょっ、我慢って……」
医師とグイードのやり取りに、私は一人で青くなったり赤くなったり。
「こんなことでうろたえるとは。セリーナはやはり可愛いな」
「かわっ!?」
「ハハハ」
王都でも指折りという名医の前で、こんな調子でいいのだろうか?
でも、グイードが嬉しそうだから、まあいいか。
「殿下もですぞ。妊娠中のご婦人を興奮させてはいけません」
「心得ておこう」
数日後。
部屋の中を歩き回ることすら許されず、なかなか眠れない。
そんな私がベッドの中でうとうとしかけたちょうどその時、大きな声が聞こえてきた。
「ここにいるのだろう? グイード、私にも彼女の無事を確認させてくれ」
――この声は、ヴァンフリード!
「眠っている。出直してくれ」
グイードの制止を振り切るように、ドアが開く。
私は急いで起き上がり、乱れた髪を整えた。
「セリーナ!」
「静かに!!」
最近のグイードは、私に対してめちゃくちゃ過保護だ。
食事すら常に付き添いスプーンを口まで運ぶから、毎回照れてしまう。
――恋なんて無理ゲーだと思っていた私が、恋人達のど定番「はい、あ~ん」を何度も経験するなんて……。
「セリーナ! やっぱり君だ」
銀色の髪に青い瞳のヴァンフリードが、部屋を横切り大股で近づく。
「ヴァンフリード様、ごきげんよう」
「セリーナ、会いたかっ……」
「それ以上はダメだ」
ヴァンフリードが私の手の甲にキスしようとした瞬間、グイードが引き剥がす。
「なっ……グイード!」
「ヴァン、彼女の大事な身体が穢れたら、どうするつもりだ?」
「穢れる、だと!?」
王太子ヴァンフリードが片方の眉を上げた。
戴冠式後に王となる彼に遠慮なくものを言えるのは、グイードくらいのものだろう。
「グイードの方こそ、大勢のご婦人方を相手にしておきながら、よく言えたものだな」
「今はセリーナひとすじだ」
「だから、穢れてないとでも?」
一触即発の雰囲気だ。
睨み合う二人を止めようと、私は両手を前に突き出した。
「ストップ、ストップ、ストーップ。ヴァンフリード様もグイード様もその辺で」
勢い余って胸まで覆った上掛けが、ハラリと落ちた。
グイードが慌てて駆け寄り、元通りに引き上げる。
「セリーナ、平気か? お腹が冷えたのでは?」
「この一瞬で? まさか。グイード様ってば、心配しすぎです」
私は自分の手をグイードの手に重ね、大丈夫だと微笑みかけた。ホッとした表情の彼は、本当に過保護だ。ヴァンフリードに目を向けると、なぜかその場で立ち尽くしていた。
――あれ? なんで無表情?
「ヴァンフリード、様?」
「どうした? ヴァン」
グイードまで訝しげに目を細めたが、ヴァンフリードは変わらず動かない。
「あの……」
「ヴァン!」
「ん? ああ、すまない」
我に返った様子のヴァンフリードが、首を横に振る。
そして寂しげに笑う。
「実際、目にするまでは信じられなかった。だが君は、確かにグイードの子を宿しているんだね」
応えるように我が子がお腹を蹴ったため、グイードと顔を見合わせた。
私の中に芽生えた命は、今日も元気だ。
「はい。誇らしい気持ちでいっぱいです」
弾んだ声で応えると、ヴァンフリードが瞼を伏せた。
「そう……か」
つかの間の後、彼は目を開け優しく笑う。
「おめでとう、セリーナ。君とその子が生きていてくれて、本当に良かった」
「えっと、ありがとうございます」
ヴァンフリードは小さく首肯し、グイードの方を向く。
「それからグイード。セリーナを悲しませたら、この私が許さない。今度こそ全力で潰す」
「お言葉、肝に銘じます」
改まった様子のグイードが、臣下の礼を取る。
「用向きは以上だ。グイード、戴冠式で会おう」
そう言って帰りかけたヴァンフリードが、途中で足を止める。
「セリーナ、最後に一つだけ。私はいつでも君の味方だ。それだけは、忘れないで」
――ああ、そうか。王太子の彼もまた、あるがままの私を受け入れてくれた一人だ。
「はい。あの……ありがとうございます」
私に告白してくれて。
味方だと言ってくれて。
グイードを愛した私は、ヴァンフリードの想いに応えられなかった。
でも今は、彼の幸せを願いたい。
「いろいろありがとうございました!」
後ろ姿に向かって叫ぶと、ヴァンフリードは片手を上げて応えてくれた。
その表情は見えない。
立ち去る背中が消えた途端、なぜか無性に泣きたくなった。
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