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魔犬さんと私  作者: 喜多邑 葵
第二章
14/19

観取

 エメリと別れたマルタは、魔術院を出て大通りを宿の方向へと進んでいた。

 ――兎に角ルドルフに、直接カルロッタのことを聞いてみよう。

 そう決意出来たのは、エメリと話して幾分頭が冴えたお陰かも知れない。もやもやした感情を昇華させる為には、それが一番手っ取り早いと気付いたのだ。

 心が揺るがないようにと、顔を上げ、背筋を伸ばして歩みを進める。

 マルタは強い人間ではない。もしかしたら、気に病んでいたいたのが馬鹿馬鹿しくなるような答えが返って来るかも知れないし――あるいは傷ついて、今より落ち込んでしまうかも知れない。後者の予感が頭を掠める度に、怯んで足が止まりそうになるのだ。

 傷つくような返答――ぱっと脳に浮かんだそれに、マルタはぐっと拳を握った。

 それはきっと、ルドルフがカルロッタと私的に親しくしているというものだろう。

 宿で紹介された時には、彼女の色香に惹かれている様子もなかったし、それはないと思いたい。思いたいが、そんなものはマルタの願望に過ぎないのかも知れない。

 一旦思考を中断して、マルタは溜め息を吐いた。

 これが何なのか分からない程、マルタは子供ではない。男っ気のない人生を歩んできたからと言って、この手の感情に疎いわけではない。

(――私、恋してるんだわ、ルドルフさんに)

 多分、そういうことなのだろう。

 だって、仕方ないではないか。ぶっきらぼうなのに優しくて、呆れながらもマルタを見放したりしなくて、おまけに格好良いと思う。人の姿の時は勿論、魔犬の姿だって素敵だ。そんな相手がすぐ傍に暮らしていて、マルタのような物慣れない娘が、恋に落ちないわけがない。

 しかしそれは、余り喜ばしい事態ではないことも理解していた。

 マルタがルドルフに何かを求めることなど、あってはならない。想い返して欲しいなど、望んではならない。マルタはただ、ルドルフに与える側でなければならないのだ。

(大丈夫。恋をするって、欲しがるばかりではない筈よ)

 言い切るには経験に乏しすぎるが、そういうことにしておこう。

(そうよ、好きな人の為に尽くすことは、きっと幸せなことだわ)

 少なくとも嫌いな相手の為よりはましだ。

 自分にそう言い聞かせて、マルタは石畳を踏み締めた。

(――だから、大丈夫。今までと何も変わらない)

 宿に戻ったら、ルドルフが帰るのを待って話を聞く。それで暫くは精神を乱されることはない――ショックを受ける場合のことは考えないことにする――から、ブルーノの手掛かりを探しながら血を与える日々を続けるのだ。

 それで良い。それが正しい。

(大体、好きな相手と一緒に居られるってだけでも、私は幸せ者よね)

 うん、と一つ頷いて、マルタは太陽の位置を確認した。まだ色は変わっていないが、傾きつつある。

 宿に着く頃のは夕方になるだろうか。ルドルフが帰っているか微妙なところだ。

 帰ったら魔術符を書こうかな、とポケットを探った。指先で折り畳んだ紙の感触を確かめる。退魔符と護身用の符が一枚ずつしか入っていない。

 退魔符は兎も角、護身用の符は用意していたほうが良い。なんせ首都にはいろんな人間が集まる。治安の悪い区画もあるのだ。トラブルに巻き込まれた時、自分の身を守れる準備をしておかなければならない。

 ポケットから手を出して顔を上げたところで、マルタは向かいから近づいてくる一台の馬車に気が付いた。豪奢な箱馬車だ。

(何かしら?)

 その馬車は徐々に速度を緩め、マルタより少し前の位置で車輪の回転を止めた。

 この辺に店屋などはなかった筈だ。

 マルタが足を止めて首を捻ったその時、箱馬車の扉が勢いよく開かれた。

「マルタ!」

 仕立ての良い服を着こなした紳士が馬車から降り立って、マルタに向かって腕を広げてみせた。マルタは目を見開いて男を見上げる。

「ブロムクヴィスト伯爵……」

 ブロムクヴィストは輝く金色の髪を靡かせ、美しい相貌に甘い笑みを浮かべた。

「やあ、偶然ですね。貴女を見かけたものだから、つい声をかけてしまいました」

 相変わらず華やかな男だ。太陽の下でもその美貌は健在らしく、降り注ぐ陽の光を癖のある金髪が反射している。煌びやかという表現がよく似合う。

 一方のマルタは普段着で――詰まり、カルロッタの妹として相応しくない装いをしている。曲がりなりにも社交場に出入りする人間の服装ではない。

(ど、どうしましょう)

 慌てたところでどうしようもなくて、マルタはその場に凍りついた。激しく鼓動する心臓を抱え、取り繕う言葉を必死で考える。

 ――が、当のブロムクヴィストはマルタの格好を気に留めた様子もなく、手袋に包まれた手を差し出した。

「もう一度貴女と話してみたいと思っていたのですよ。どちらに行かれるのですか? 送って差し上げましょう」

「あ……、ありがとうございます。でも、すぐそこなので大丈夫です」

 するとブロムクヴィストは何か悩むように顎に手を当て、やがてマルタに一歩近付いた。失礼、と呟く声が聞こえたか否か、耳元に口が寄せられる。マルタが混乱する間もなく、潜められた声が鼓膜を震わせた。

「……実は、ブルーノ・ビョルケルの件でお話したいことがあって」

「え……」

 マルタが勢いよく顔を上げると、近い距離でブロムクヴィストの紺碧の瞳と視線がぶつかる。それに動揺する余裕もなく、ただ彼を見詰めた。

「勝手な真似をして申し訳ないのですが、カルロッタから貴女の事情をお聞きしました。ブルーノを探しているとか」

 その台詞に、いよいよマルタは驚きを隠せなくなった。目だけではなく、口まで開いてしまう。

「カルロッタを責めないであげて下さいね。私がもう一度貴女とお会いしたくて、彼女にしつこく聞いてしまったのです」

「いえ……、彼女に無理を言ったのは私です。それより、私の方こそあんな、騙すような真似をして……」

 ブロムクヴィストは軽く首を振って、静かに微笑んだ。金髪の伯爵はマルタを糾弾する気はないようだった。それにほっとして――同時に不思議に思って――息を吐く。

「良いのですよ。お陰でこうして貴女と出会えたのですから」

「そう、ですね」

 返答に困って、マルタは曖昧な相槌を打った。そう言えば女慣れしている人だった、とカルロッタの言葉を思い出す。

「それで、ブルーノについてですが……私の屋敷でお話したいのです。あまり人のいるところでは……」

「ええ、勿論。話題が話題ですからね」

「良かった。それではどうぞ、馬車に」

 マルタは少々ぎこちない動きでブロムクヴィストのエスコートを受けながら、ふかふかの座席に腰を下ろす。正面に座ったブロムクヴィストに微笑まれ、慌てて笑みを作って返した。

 やがて蹄の音に重なって車輪が回りだし、馬車は伯爵邸に向けて、ゆっくりと動き始めた。




 滑らかな赤い生地の長椅子に腰掛けて、マルタは緊張しながら目の前のカップに手を伸ばした。

 冷ます必要もない、舌に丁度いい温度だ。

 この紅茶を淹れてくれた使用人の姿も既に室内にはなくて、通された応接室にはブロムクヴィストとマルタの二人きりだった。廊下の向こうにすら人の気配を感じないのは、ブロムクヴィストが人払いをしたためだろう。

 マルタは喉を潤すと、本題を切り出そうと湿らせた唇を開く。そこに歌うような男の声が重なり、思わず口をつぐんだ。

「宿に宿泊されていると聞きましたが、どちらの宿に?」

「ええと、西通りを下ったところにある、白百合亭に」

「知らない宿だな」

「ええ、あまり……高くない宿屋ですから」

 庶民が使う安宿です、と言うのは憚られた。マルタには十分身の丈にあった宿なのだ。一階にある食堂も、大味の料理ながらなかなか美味くて気に入っている。

 しかしブロムクヴィストはそうは思わなかったらしく、眉を顰めて首を振った。

「長期の滞在でそれは不便でしょう。そうだ、貴女さえ良ければ、この屋敷にお招きしますが」

 え、と声を漏らして、まじまじと金髪の男を見詰める。

 冗談を言っているようには見えないが――そこまで含めて社交辞令なのだろうか。それとも、上位貴族ともなると、客人の一人や二人抱え込む程度わけもないのだろうか。

 どちらにせよ、マルタは世話になるつもりはなかった。いくらなんでも、一度会ったことがあるだけの相手――しかもかなり後暗い会いかただった――にそこまで甘えるのは気が引ける。

「ありがたいお話ですが、連れも居ますし……そこまでして頂く理由もありません」

 ブロムクヴィストの瞳がすっと細められる。彼のその表情は驚く程冷たく、そして美しかった。

「理由。理由ですか。では、理由を作ればずっとここに居て下さると?」

 その視線に真正面から絡め取られて、マルタは一瞬言葉を失った。ぼうっとしたまま、はい、と頷きそうになった自分に驚き、慌てて顔を伏せる。

(美しさに惑わされるって、きっとこういうことね)

 あまり何度も経験したいものではない。

 マルタはここにきてようやく危機感らしきものを覚えた。

 いくら他人に聞かれたくない話をするためだといっても、独身の男女が一つの部屋に二人きりというのはまずいのではないだろうか。何せ相手は遊び人と噂の見目麗しい伯爵で、ここは彼の屋敷だ。彼の話がお世辞の類でないとするならば、何故かマルタに好意を持ってくれているようでもあるし――

「そ、それよりも、ブルーノについてのお話というのは?」

 自意識過剰というやつだと言い聞かせながらも、マルタは早いところ話を終わらせたくてたまらなくなった。訳のわからない雰囲気に呑まれまいと、少しだけ声が大きくなる。

「……つれないな。私は少しでも長く貴女と話していたいのに」

 あれ、と思って伏せていた顔を上げた。ブロムクヴィストはマルタの正面に座って居たはずだったのに、もっと近く――隣から声が聞こえたのだ。

 案の定前の席に金髪の男の姿はなくて、いつの間にかマルタの隣に移動していた彼の紺碧の瞳と視線ががかち合った。

「あ……」

 何だっけ、話を聞かなくちゃと思っていたのに――

 俄かに頭が真っ白になって、マルタは焦った。直前の会話を思い出そうと、必死で脳の中を探る。

 それなのに、至近距離で見詰められたままあの甘い笑みを向けられて、今何をしようとしていたのか、それすらも頭から吹き飛んでしまった。

(綺麗な色……)

 輝く紺碧の双眼から目を逸らせない。マルタはぼうっとしたままブロムクヴィストが近付いて来るのを、ただ眼に映していた。

 肩を優しく抱き寄せられ、力の入らない体は倒れこむようにして、たちまち彼の胸に収まってしまう。

(――おかしい)

 この状況はおかしい。おかしいはずだ。

 兎に角身を離そうと体の間に滑り込ませた腕に、力が入らないことに気が付いた。どうして力が入らないんだろうか、と考える脳の回転も鈍い。

(どうしてこうなったんだっけ……)

 分からない。思い出せない。ただ、あの深い海のような紺碧の瞳に見詰められて――

「マルタ……」

 何か強い感情に揺れる男の声が耳朶を打って、ようやく鈍い頭の隅の方が慌てだした。

 のろのろとポケットの中に手を入れる。符は二枚。何かが記憶に引っかかって、マルタはそこで逡巡した。

 ――目を見ると自失状態になるからな。

 誰だろう、誰かがそう言っていた。あれは何だったっけ。

 首筋に熱い息を感じて、マルタは本能的に一枚の魔術符を引き抜いていた。上手く力の入らない腕でマルタを包み込む体に押し付けて、なけなしの集中力を以て魔力を流し込む。

 青白い炎が立ち上った。金髪の男の身体を包み込むように、轟々と。

 低いうめき声と共に、マルタは突き飛ばされた。その一瞬、炎の向こうに巨大な蝙蝠こうもりの姿が見えた気がした。

 ブロムクヴィストは長椅子の向こう側で、炎を振り払うように身を捩っている。

(退魔符が効いた――)

 そう理解した瞬間、マルタは未だふらつく身体を引き摺るようにして、扉へ走り出していた。

「――このっ」

 背後でぼっと音がして、青白い炎の気配が消えた。

 ドアノブまであと一歩のところで、物凄い力に引き戻される。

「痛い!」

「それはこちらの台詞だな」

 掴まれた手首を更に締め付けられて、マルタは悲鳴を上げた。

 目の前の男は、紺碧の瞳をぎらぎら滾らせている。彼は最早、紳士的な伯爵ではなかった。乱れた金髪さえも絵になっていたが、マルタにはその美しさすら空恐ろしく感じられた。

「あなた――あなた、吸血鬼ね……!」

 金髪の魔物は、すっと目を細めた。その口元には、先程までなかった筈の鋭い牙がちらついている。

「……魔法を使うとは予想外だったよ。君からは魔力の味はしなかったのに」

 どうしてそれを知っているのだろう。マルタは目を丸くして、それから気付いた。

 集会の夜、この男はマルタが使ったカップに口をつけたではないか――

(人間の体液……)

 確かにそれが、あのカップには付着していた筈だ。

「ぼうっとして気持ちよくなっている間に、少し血を貰うだけのつもりだったけれど……仕方がないな」

 美を磨くためにクラブに訪れる女性を連れ込んで、今のように右も左も分からない状態にさせ、それから血液を吸う。きっとこの吸血鬼は、そういう手口を重ねてきたのだろう。

 マルタはその瞳を見ないように、男の口元を睨みつけた。

「伯爵という立場を得る為に中々苦労したんだ。外で私の正体を言いふらされるわけにはいかなくてね。……それに何より、逃がすには君は美味すぎる」

 ひやりとするものを背筋に感じて、マルタは腕を捩った。しかし抜け出すことは適わず、逆に益々強く掴まれてしまった。

「残念だけど、マルタ、君はこの屋敷から出られないよ」

 吸血鬼は血色の良い唇に笑みを刷いた。酷薄で甘い、氷のような美しい表情を前に、マルタはなすすべもなくただ無力であった。

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