フィナーレ そして始まる恋の物語
これにてこの物語を完結とさせていただきます。
1975年 吉日
「で、俺の夢は日本一の職人になって、社長になることなんです。由紀子さん」
「素晴らしいと思います。久さん」
はむはむ。もぐもぐ。ふがっ。ふがっ。
「久さんはとてもハンサムですけど、さぞかし女の子に人気があるんでしょうね」
「そっ そんなことはないですよ。小柄だし、俺は昔から女の子が苦手で」
はむはむ。もぐもぐ。ふがっ。ふがっ。
小さいが掃除の行き届いた料亭は開店直後から様々な階層の人々でにぎわっている。
何処からか流行の音楽が聞こえてくるが。青年の関心はそこには払われない。
小さな席につく長身の美女。控えめな化粧だがその美貌を損じることはなく、その衣装の隅々には彼女の洗練されたセンスを感じさせる。
対するのは作業服姿の青年。
先ほどまで作業をしていたかのように機械油の異臭を放ちつつも、その瞳は熱く輝き、言葉少なくも強い情熱をもって美女を口説こうとしているのがわかる。
中国が漁船を使ってベトナム領土を奪い、由紀子の好きな「アルプスの少女」が放映され、ひと夏の経験をアイドルが歌った年の翌年。彼女と彼は。
「あのね」
「はむっ?」
長身の美女は呆れたように呟く。
「さっきから私ばかり喋っていないかしら?」
「興味ないし」
そういってのけた『子供』は再び大きな蟹の身を穿る作業に入った。
丁寧で的確で。速い。そしてまた蟹の身が彼女の胃袋におさまる。
「由紀子さんは簿記。法律の知識にタイプライターを使いこなし、和琴にお花。裁縫は和裁に洋裁。書道に舞踊も嗜む才媛とか」
青年側の席に座った中年の女性が穏やかに問いかける。
美女の肘が『子供』の脇腹をつつくが、『彼女』は意に介さず、寿司を口に運ぶ。
「いえ、拙いものです。本当にささやかなものなんです」
美女がそう呟くと、なぜか寿司を口に運びつづける『子供』が上目遣いで彼女を睨んだ。
「本当に、拙いのですよ」
「悪かったわね」
何故か子供は膨れてみせる。その様子に美女は微笑んで見せたが青年は不思議そうにしている。
カチカチと時計が時の流れを告げる中、美女と青年の会話は弾む。
周囲の人々は明らかに見合いとわかる異色ながらもお似合いのカップルに優しい瞳を向ける。
はむはむ。もぐもぐ。ふがっ。ふがっ。
はむはむ。もぐもぐ。ふがっ。ふがっ。
美女が連れてきた『妹』と思しき『子供』の食事の様子が少々下品なことを除けば実にほほえましい光景だ。
そうして、付き添いの人々が『これからは若い人だけで』と告げて席を立つ。
キラキラと輝く瞳を見せながら、小柄ながら目鼻立ちの整った青年。久は美女を誘う。
「では、由紀子さん。これから映画にでもいきませんか」
美女は艶やかに微笑む。
そして、ぱくぱくと御馳走をほうばる『子供』の背を強く叩いた。
「ほら、誘われているぞ。由紀子。あんたの見合いだろうが」
「ほむっ?」
親友の付き添いでやってきた女性。
彰子はニコリと微笑むと、見合い相手の青年に頭を下げる。
「では、主人と子供が待っておりますので、これにて失礼させていただきます」
スタスタと席を立つ美女。目を丸くする青年。料理を口に運び続ける『由紀子』。
呆然とする久。彼の作業服の裾を『子供』が握った。
「行きましょう。久さん」
西尾由紀子は後の夫となる青年。武田久に微笑んでみせた。
これからはじまるこの恋には魔法はない。呪文も無い。
その愛は魔物より強く。天使より優しい。
携帯電話もなければ。メールもない。インターネットも無い。
これから始まる昭和の恋の物語は。ファンタジーより幻想的。
命短し。恋せよ『勇者達』。
目覚めなさい。目覚めなさい。
(『ククク。ヤツは四天王の中では最弱……。』 おしまい。
『夜明けまで恋して』第二章『由紀子と久』へ 続く)