五話
ズルズル。
四つ目の怪物がカップ麺を啜る音だけが店内へ響いていた。
ポットの横。
白いパーカー。
小学生みたいな小さな身体。
四つの目だけが、湯気の向こうでゆらゆら揺れている。
「……うま」
満足そうな念話。
店の外は静かだった。
さっきまで殺し合っていたはずなのに、今は妙な静寂だけが広がっている。
割れた道路。
崩れた車。
青黒い血。
白い体液。
その中心で。
ハウンド達と白い怪物達が、互いを睨み合っていた。
唸り声だけが響く。
「グルルルル……」
「キィィィ……」
飛びかからない。
だが。
いつでも殺れる距離だった。
店の中からでも分かる。
緊張感。
空気が張り詰めていた。
それなのに。
店の中だけ空気が違う。
暖かい。
明るい。
肉まんの匂いすらする。
男は、その異常さに未だ慣れなかった。
目の前では、人類を滅ぼしかけている怪物がカップ麺を食っている。
しかも。
味の感想まで言っている。
灰色の巨体が低く唸る。
「毎回、麺ダナ」
四つ目が向く。
「悪いっすか?」
「腹、膨レナイ」
「そっちは極端なんすよ」
四つ目がため息みたいな念話を飛ばす。
「この前なんか、生肉コーナーずっと見てたじゃないっすか」
灰色の巨体の黒い眼球が細くなる。
「……肉ハ良イ」
「店内でヨダレ垂らすのやめて欲しいっす」
ゴリッ。
床が軋む。
灰色の巨体の機嫌が悪くなったのが、男にも分かった。
空気が少し重くなる。
だが。
四つ目は慣れた様子でカップ麺を啜り続けていた。
仲が悪い。
本当に。
だが同時に、“慣れて”いた。
男は頭痛を覚える。
なんなんだ、この空間は。
その時。
玖条がレジ奥から顔を出した。
「座ります?」
「ん?」
四つ目が振り向く。
「イートスペース空いてますよ」
店の奥。
窓際に、小さなテーブルと椅子が並んでいる。
学生向けに作られたような簡素な席。
だが。
今その空間には、
人間。
ハウンド。
シェイド。
本来絶対に同じ席につかない存在達がいた。
「お、いいっすね」
四つ目がカップ麺を持って歩き出す。
軽い。
本当に。
友達の家みたいな空気だった。
灰色の巨体は動かない。
じっと四つ目を見る。
「……近イ」
「いやテーブル一個しかないじゃないっすか」
「狭イ」
「そっちがデカいんすよ」
ギスギスしていた。
だが。
結局、灰色の巨体も動く。
床がミシ、と鳴った。
その途中。
灰色の巨体がホットスナックケースを見た。
「……追加」
「はい?」
玖条が顔を上げる。
「肉」
玖条がケースを見る。
「ああ、フライドチキンですね」
灰色の巨体が低く唸る。
肯定らしかった。
「三つで足ります?」
「……五」
「食いすぎっすよ」
四つ目が呆れた念話を飛ばす。
「育チ盛リダ」
「その図体で?」
また空気が悪くなる。
男はそのやり取りを呆然と見ていた。
化け物が。
フライドチキン追加注文している。
頭がおかしくなりそうだった。
その時。
玖条が男を見る。
「ヒューマンさんは?」
「……え?」
「食べます?」
腹が鳴った。
ぐぅ、と。
最悪のタイミングだった。
四つ目が吹き出す。
「腹減ってるじゃないっすか」
男は顔をしかめる。
だが。
言われてみれば、もう何時間も何も食べていなかった。
極限状態が続きすぎて、空腹すら忘れていた。
「……おにぎり」
気付けばそう言っていた。
「鮭で」
「はい」
玖条が冷蔵棚からおにぎりを取り出す。
その光景が妙に普通で。
男は逆に混乱した。
レジ。
商品。
注文。
まるで世界が終わっていないみたいだった。
「……待て」
男がポケットを探る。
「俺、金――」
指先に何かが触れた。
くしゃくしゃの紙。
引っ張り出す。
五千円札だった。
いつ入れたのかも覚えていない。
汗で湿っていた。
血まで付いている。
だが。
確かに、日本円だった。
男は少し呆然としながら、それをレジへ置く。
玖条は普通に受け取った。
「はい、四千七百六十円のお返しです」
チャリ。
レジが開く。
硬貨の音。
千円札。
当たり前みたいに、お釣りが返ってくる。
男はそれを見つめる。
外には怪物。
崩壊した街。
終わった世界。
なのに。
コンビニでは、ちゃんとお釣りが返ってきた。
「……なんなんだよ、本当に」
男が掠れた声を漏らす。
玖条は普通に答える。
「コンビニですから」
窓際の席。
四つ目が椅子へ座る。
足が届いていなかった。
ぶらぶら揺れている。
灰色の巨体は当然座れない。
イートスペースの横へそのまま伏せた。
幼体も隣へ丸まる。
肉まんを咥えたまま。
男は向かいへ座る。
その瞬間。
妙な感覚が走った。
会議室みたいだった。
人類と。
怪物達の。
あり得ない会談。
男は小さく息を吐く。
「……俺は桐谷隼人だ」
少し沈黙。
四つ目の視線が向く。
灰色の巨体の黒い眼球も、ゆっくり男を見る。
「……お前ら、名前あるのか?」
四つ目が少しだけ固まった。
「名前?」
「個体名って事っすか?」
「ああ」
「あるっすよ?」
当然みたいな念話。
「ないと指揮系統めんどいっす」
男の眉が動く。
そこまで社会化されているのか。
四つ目が自分を指差す。
「俺、ゼクスっす」
四つの目が少し細くなる。
「隊長名みたいなもんっすね」
そして。
灰色の巨体を見る。
灰色の巨体は少し沈黙したあと、
「……ガルム」
低い声で言った。
「群レ、呼ブ名ダ」
桐谷は黙る。
本当に。
人間と変わらなかった。
名前があり。
群れがあり。
部下がいて。
子供がいて。
敵を嫌う理由もある。
その時。
桐谷の口から、ずっと抱えていた疑問が漏れた。
「……なんで、お前らここで争わないんだ」
静かになる。
外では今も、互いの群れが睨み合っている。
一歩動けば、また殺し合いが始まる。
なのに。
この店の中だけ、異様なほど静かだった。
ゼクスがカップ麺を啜る。
ズルズル。
「……壊したら出禁っすから」
「は?」
桐谷が固まる。
ガルムが低く唸る。
「……肉マン、買エナクナル」
「コンビニ出禁、普通に困るんすよねぇ」
ゼクスが肩を竦める。
「あと玖条さん、マジで怒るんすよ」
玖条がコーヒーを置きながら言う。
「昔、一回やりましたからね」
桐谷の眉が寄る。
「……やった?」
ゼクスが露骨に嫌そうな顔をした。
「まだ俺、ここ来たばっかだった頃っす」
四つ目が細くなる。
「そしたら、こいつも来て」
ガルムが低く唸る。
「……気ニ食ワナカッタ」
「こっちもっす」
即答だった。
「で、店ん中でやり合ったんすよ」
桐谷の喉が動く。
想像する。
この二体が本気でぶつかる光景を。
外の戦場が、そのまま店内で起きるようなものだ。
「……どうなった」
少し沈黙。
ゼクスが遠い目をする。
「覚えてないっす」
「……は?」
「攻撃した瞬間、視界消えて」
ゼクスが頭を掻く。
「次、店の外で寝てたっす」
ガルムが低く唸る。
「我モダ」
黒い眼球が細くなる。
「傷、一ツ付ケラレナカッタ」
桐谷の背筋に冷たいものが走る。
外で群れを率いている怪物達。
その頂点同士が。
まとめて気絶させられた。
しかも。
何をされたかも分からないまま。
玖条が穏やかな顔でコーヒーを置く。
「営業妨害は困りますからね」
軽い口調だった。
だが。
ゼクスも。
ガルムも。
本気で黙った。
そして。
玖条が静かに続ける。
「営業中くらい、休戦にしたらどうです?」
その言葉に。
ゼクスが窓の外を見る。
睨み合う群れ。
今にも飛びかかりそうな部下達。
「……まあ、したくて戦ってる訳じゃないんすけどねぇ」
小さな念話。
ガルムの黒い眼球が、ゆっくりゼクスを見た。




