15話 水の牢獄
「他の誰でもない、わたくしの手で……あなたを倒します」
―そう啖呵を切ったのは良いものの、シーラはやや行き詰まっていた。
一般的な<漆桶の魔手>の構成員は言語を介さない。こちらとの会話に応じるのは主に幹部だ。セレナイト学園襲撃事件のとき、ミラは幹部と会話したと聞く。
そして稀に、会話には応じないものの魔神に捧げる言葉を口にする者もいる。最近の襲撃で発見されることが多くなった彼らに共通するのは、特殊な技能を持つということだ。
―目の前の男が何やら特殊な技能を持っているらしく、シーラが放つ魔術をことごとく無効化してくるのである。その事に気付いてすぐ、危険なのでソレイユは遠ざけた。
運動というものがからっきしで、身を守る手段が魔術しかないシーラからすれば、非常に心臓に悪いタイプの敵であった。
男自身の力なのか、手に握る剣の力なのかはまだ分からない。しかし、男が魔術に向かって剣を振るうとこちらの攻撃はハラハラと霧散してしまうのだ。
こういった能力には条件や限界があることが多い。その情報を本人から引き出すのも、立派な対応策であるが―
「『ຂອງພວກເຮົາພຣະເຈົ້າ』」
この男は、言葉を口にはするものの、会話をしてくれるわけではなかった。いくつか質問を飛ばしても全然駄目である。
余計狂信者っぽく見えて怖いので、やめてほしいところだ。
―となると、シーラが自力でこの男の能力の詳細に迫るしかないだろう。
幸い、検証の方法は教わったことがあるので知っている。
これでもセレナイト学園では優秀な生徒なので。
(体系、属性、威力、組み合わせ……思いつく限りの魔術を、順番に試していく必要がありますわね)
どこで当たりを引けるのか、はたまたそんなものは存在しないのか―その前提すら不明瞭。消費魔力量は膨大で、早々に当たりを引いたとしても負担が大きい。詠唱の必要があるので、時間がかなりかかる。
―しかし、シーラは絶望しなかった。
隠しポケットからとあるものを取り出しながら、シーラは男に告げる。
「わたくし、自分が凡人だと理解していましてよ」
才能がないとは口が裂けても言えない。しかし天才であると言うのはおこがましい。だから、自己評価は凡人、というもの。
「故に、事前準備は怠りませんの」
なにせ、事前にこのパーティーには<漆桶の魔手>の犯罪予告が出ていると知っていたのだ。時間は十二分にあった。
検証が必要になる可能性も勿論、考慮していたから。
シーラが行った準備は、魔導具を製作する、というもの。
検証用の魔導具だ。付与された術式通りに魔術を発動し、その過程を感知魔術で観測できる。脳内構築の難度が跳ね上がるなど、実戦向きではないデメリットが大きく滅多に使われない節制術式も、付与してある。そして、魔導具であるから、詠唱は必要ない。
シーラは男に微笑みかけた。
「どうか、教えてくださいませ―あなたの、弱点を」
そして、魔導具を起動した。
魔導具に魔力を流し込むと、魔術が立て続けに発射される。検証用であるために、用意された魔術は実に多様であった。魔術は次々に男に襲いかかっていく。
―魔導具は正常に作動した。
しかし、この男の弱点は見つからなかった。
どんな魔術でも無効化してきたのである。
(……厄介な能力ですわね)
男の行動が魔術の無効化に留まるわけがない。剣を振るって繰り出してくる攻撃は水魔術で作り出した盾で防ぐ。
驚くことに、同じ魔術であっても、盾の方は斬れないようだった。
(防御は斬れないのでしょう。攻撃の意志の有無が要……?)
流石に、防御まで無効化された場合には、最初の数十秒でシーラは死んでしまっていたに違いない。
糸口が中々見つからず、消耗戦に入った場合にも、シーラの魔力が尽きた時点で敗北へのカウントダウンは始まってしまうのだけれども。
仮に、防御は斬れないとしても―倒す糸口であるとは思えなかった。攻撃の意思を持たずに敵を倒せと言われても、できるわけがないからだ。
(どうしたら……周囲に戦闘職の方はいらっしゃいませんし)
視線を走らせるが、戦闘に入っていない実力者はもういない。他にホールにいるのは、戦闘技能を僅かにしか持たない保護されるべき人間だけ。
本日、屋敷内には自らの認識を上手く利用して巨大な魔獣を打倒している暗殺者もいるのだが―シーラには知りようもない。
知っていたとして、シーラにも似たようなことができるかと問われたら、答えは否だろうが。
ふと、不安が首をもたげた。
―自分では、この男を倒せないのではないか?
事前準備はした。この男は幹部というわけではない。幹部の方が、魔術を始めとして戦闘能力が高いだろう。しかも、積極的に攻撃を仕掛けてくるわけでもない。視界は明るい。わりと戦いやすい場である。
襲撃事件のときのミラよりも、はるかに恵まれた環境だ。彼女は事前準備をする暇なんてなく、コンディションも悪い中、幹部と応対した。全て一人でとはいかなかったらしいが、暗い森の中で。
だから勝てる、などとはとても言えない。
だって―
(わたくしには、才能がない。生まれたときから『無能』なのですから)
ミラは、天才だ。そしてシーラは、凡人だ。
努力したとて届くはずもない。天才と凡人の間には越えられない壁がある。戦闘の環境の差異では、埋められないほどの。
無意識に、シーラは唇を噛んだ。
その刹那。
「――っ!!」
よく知る声が息を呑むのが、聞こえた。
反射的に目を向ける。
男の斬撃がソレイユに向かって繰り出された。
魔術を使わなければ。男が魔術を無効化するには、剣で斬り裂く必要がある。背後からの攻撃を斬り裂くためには振り返らなければいけない。ソレイユを攻撃できなくなる。いや、その前に、防御は無効化できないのだから、二人の間に盾を―。
思考がグルグルと空回った。
―もっとも、残念ながら。
魔術は、最初から間に合わなかったのだが。
*_*_*_*_*_*
シーラに大した才能はない。
ある程度の魔力量はあり、師に恵まれたものの、凡人の域を出ない―それが、自己評価。
―しかし。
それでも、魔術師になりたい。
シーラの努力でも、少しは通用するのなら。
自分にも、魔術師になる道があるのなら。
可能性があるなら、目指したいと思ったのだ。
そう思ったことを、後悔したことは一度もない。
―なかった、のに。
やっぱり、『無能』が目指すのは間違いだったのかなぁ。
*_*_*_*_*_*
魔術が間に合わない。であれば、使うのは―
「―ソレイユ!!」
―魔法、しかない。
魔法は燃費が悪い代わりに、魔術よりもはるかに発動までにかかる時間が短い。必要なのは魔力操作だけだから、当然だが。
(ギリギリですが……間に合いましたか)
安堵しつつ、シーラは手早く魔術を発動した。二つに分割し、盾をつくる。シーラとソレイユを守る用に、一つずつ。魔法で守り続けるのは少し心もとないから。もっとも、ソレイユはレティアが保護結界を付与したペンダントを着けているので、かなり安全なのだが。その事実をシーラは知らなかった。
そして、その間立て続けに水魔法で男を攻め立てる。男が攻撃を防がれたことで、こちらに向き直していたためだ。
(攻撃は無効化されるでしょうが……可能であればソレイユから遠ざけたいところですもの)
様々な方向から水の矢を飛来させる。防がれることを前提とした配置だ。魔術を行使したシーラ自身も、男が無効化する未来を予想していた―のだが。
思わず、目を疑う―シーラが放った水の矢のうち、男が避けきれなかった数本が男に突き刺さったのだ。男は剣で斬ろうとしなかった。全て、避けようとしたのだ。
威力を高めるために高速回転している矢は、男の背中、脇腹、左太腿に突き刺さった。着弾から消えるまでの数秒間、矢は男の身体を削る。矢が消えた後、床に真っ赤な血液が零れた。そこまで量は多くない。失血死するほどの量でもない。
しかし、これは大きな収穫だ。
(この男……魔法攻撃は斬ることができないのですね……‼)
この男が斬ることができるのは、魔術による攻撃のみか。魔術による防御、魔法による攻撃、魔法による防御は無効化できないらしい。
端から魔術を中心として使おうとする魔術師とは相性が悪い。例えるなら、この男は『魔術師殺し』ということになるだろう。このことに気付かなければ、どうにか裏を突こうと励むうちに、魔力が尽きて殺されてしまう。
「…………とはいえ―」
シーラは姿勢を整え、杖を構え直した。一歩踏み出して笑ってみせる。
貴族の当主に相応しい、堂々たる態度で、告げる。
「気付けばこちらのもの、ですわ―<漆桶の魔手>」
用意するのは、二つだ。
*_*_*_*_*_*
やっぱり、『無能』が目指すのは間違いだったのかなぁ。
―そう、心が嘆くのを、止めたのは。
それはソレイユの無事でも、解決策の発見でもなかった。
いつか、ミラからもらった言葉だ。
「『――――――』」
そう言って、ミラは笑った。
シーラに新しい特注の杖を手渡しながら。
「ねぇ、シーラ。あなたはきっと、立派な魔術師になる……私が保証するよ」
その言葉が、ずっと忘れられなかった。
ともに、今日まで歩んできた。
その道のりが間違っていなかったことを、遅まきながら、シーラは自覚する。
*_*_*_*_*_*
水魔法で絶え間なく牽制をしながら、シーラはとある魔術の脳内構築と詠唱を終えた。
(わたくしがこんな複数作業を同時に行えるようになるなんて)
初級魔術の発動すらままならなかった頃からは想像もできない、と苦笑しながら。
まず一手、打つ。
唱えるのは―儀礼詠唱。
「<水禍牢>」
儀礼詠唱と共に作り出された巨大な水流は男の方へ、うねりを上げながら一目散に向かっていく。
男の口元が笑顔で歪むのが見えた。
「『ຂອງພວກເຮົາພຣະເຈົ້າ』」
剣が構えられる。
魔術での攻撃など、容易に斬れるというのだろう。それが特級魔術であろうと。
―そう、考えているのが、手を取るように分かった。
―だが、それは勘違いだ。
「――っ?!」
「初めて、あなたの『あの言葉』以外が聞けましたわね」
シーラは可能な限り意地の悪そうな笑顔になってみせる。イメージするのは、皮肉を言っているときの姉の顔だ。
ニタァ、とできたかは、自分では分からないけれど。
男に襲いかかったのは、魔術ではない。
「それ、ただの魔法でしてよ」
振るわれた剣が水流を断ち切ることはなく。反対に、押し返される。
水流が男を包み込み、そのまま男の動きを止める。
そこに解き放たれるのが、発動直前で維持してあった特級魔術だ。
「――薙ぎ散れ」
今度生み出されたのは、圧倒的な質量の水だ。
魔法で包み込まれ、動きを封じられた男。<水禍牢>はそれごとくるみ、鉢のような形となった。
近年はその高い操作性から別の形で用いられることが多いこの魔術だが、今回の場合は本来の使い方が最も適している。
すなわち、牢獄である。元々これは捕縛用の魔術なのだ。
巨大な鉢の形となった水は少しずつ縮小していった。中の男ごと、手のひらサイズとなる。
それを、防御結界で包み込み、シーラは脱力した。まだ襲撃は続くだろうが、許してもらいたい。魔力切れになりそうなぐらいなのだ。
厄介な能力を持つ敵は捕まえた。そのまま圧縮させて殺さなかったのは、研究者たちに引き渡すためだ。その能力を調べ尽くし、対抗策を手に入れるため。
人の命が無為に散らされる数をほんの少しでも減らすことができたと思えば、存外の成果だろう。
―あぁ。まったくもって。
「『魔術は、努力を拒まない』。その通りですわね、ミラ様」




