第11話 王都の片隅で珍花を並べる
首輪が外れても、首の痕は残った。
市場の門をくぐる時、門番の目がそこに止まった。
言葉にはしない。
だが、見た。
レイジは紙束を抱えたまま、王都の南市場へ入った。
石畳は濡れていた。
朝の水撒きのあとらしい。魚の匂い、焼いた肉の匂い、濡れた麻袋の匂いが混じっている。
商人たちは声を張り、野菜売りは籠を並べ、荷運び人が荷車を押していた。
その端に、空いている場所があった。
空いているというより、誰も使いたがらない場所だった。
水路に近い。足元が湿っている。通りの流れから少し外れている。
「ここですか」
リーゼが言った。
古い外套を羽織っている。
家紋の入った服ではない。貴族として目立たないためだろう。
「ここなら安い」
レイジは答えた。
「……本当に商売を始めるのですね」
「紙を持って歩くだけでは、飯にならない」
ノアが小さな木箱を下ろした。
「これ、どこに置く?」
「手前」
レイジが言うと、ノアは濡れた石の上に古布を敷いた。
その上に、花束を並べる。
淡い青の花だった。
花弁は薄く、光を受けると少し透ける。一本一本に銀色の筋があり、遠目には小さな硝子細工のように見えた。
だが、それだけだ。
食べられない。
薬にはならない。
魔法素材としても、乾かせば染料の足しになる程度だと聞いている。
珍しいが、役には立たない。
レイジは小さな板に値を書いた。
一束、500ルク。
ノアが目を丸くした。
「高いの?」
「屋台飯一回分だ」
「花なのに?」
「花だからだろうな」
ノアは分かったような、分からないような顔をした。
隣の野菜売りが鼻で笑った。
「おい、新入り。そんな場所で花か」
向かいの香草売りも見た。
「しかも看板なしだ。商会名は?」
「ない」
レイジは短く答えた。
「保証人は?」
「ない」
「誰も、お前の商売を大丈夫だと言ってくれないわけだ」
「仕入れ元は?」
「ある」
「言えねえのか」
「言う必要がない」
野菜売りは声を上げて笑った。
「聞いたか。首輪痕の兄ちゃんが、王都で商売だとよ」
何人かがこちらを見た。
レイジは首の痕に触れ、紙束と花を見た。そばにはリーゼとノアがいる。
見るだけで、値踏みされる。
「奴隷上がりが、貴族のお嬢様連れて花売りか。ずいぶん上等になったもんだ」
ノアが顔を伏せた。
リーゼの手が、外套の内側で軽く握られた。
レイジは反応しなかった。
値札の板をまっすぐ置き直す。
信用がない。
それを確認するために、ここへ来た。
この花は、焦げついた小口契約のひとつから来ている。
レイジは、最初から知っていた。
この花は美しい。
だが、王都の外では葬り花に似ていると見る者もいる。
噂を流す必要はない。
誰かが気づけば、そこで値段は揺れる。
気づかれなければ、値札だけが上がる。
庭師の男がいた。
屋敷の飾り花を育てていたが、主人が支払いを遅らせ、種苗代と借金だけが残った。
男爵家の帳簿では、回収不能。
レイジはその契約を組み直した。
今すぐ大金を返せとは言わない。花を出し、売れた分から少しずつ返せばいい。
それだけだった。
庭師は、半信半疑でこの花を出した。
だから、元手は小さい。
信用もない。
商会看板もない。
あるのは、花と値札だけだ。
昼近くになっても、客はほとんど来なかった。
通る者は見る。
足を止める者もいる。
だが、買わない。
「綺麗ね」
「でも、どこの花?」
「知らない売り手から買うのはねえ」
「すぐ萎れそう」
言葉だけが落ちていく。
北方訛りのある荷運び人が、花を見て首を傾げた。
「これ、北の葬り花に似てるな」
香草売りが笑った。
「縁起でもねえこと言うな。王都じゃただの珍しい花だ」
荷運び人は肩をすくめ、荷車を押して去った。
誰も、その言葉を拾わなかった。
リーゼが小さく言った。
「見てはいるのですね」
「ああ」
「でも、買わない」
「俺を信じていないからな」
「それを分かっていて、ここから始めるのですか」
「分かっているから、ここから始める」
リーゼは花を見た。
青い花弁が風に揺れている。
「信用されない商売は、不利です」
「信用がいる商売ならな」
その時、ひとりの女が足を止めた。
衣装屋の使いらしい。腕に布束を抱えている。
「これ、夜会の袖飾りに使える?」
「使える」
レイジは答えた。
「香りは?」
「薄い」
「薬効は?」
「ない」
「魔法は?」
「ない」
女は眉を寄せた。
「売る気あるの?」
「嘘をつく気がないだけだ」
女は少し笑った。
「一束」
レイジは花束を渡した。
女は500ルクを置いた。
ノアがそれを見た。
本当に金になったという顔だった。
女は花を持って去る。
すぐに、近くの装飾商がその背を見た。
「今の、どこの店の使いだ」
香草売りが聞く。
「東通りの衣装屋じゃないか」
「夜会向けか」
小さな声が、隣の店に移る。
たった一束。
500ルク。
大成功には遠い。
だが、値札の前で足を止める者が、ひとり増えた。
レイジは板を裏返した。
ノアが覗き込む。
「何を書くの?」
「明日の値段」
板の裏に、レイジは小さく書いた。
3000ルク。
ノアは花を見て、それから板を見た。
「同じ花だよ」
「明日も、同じに見えればな」
ノアは板を抱えたまま、もう一度花を見た。
「花は同じなのに、値札だけ変わるの?」
「そうだ」
「じゃあ、明日買う人は、花じゃなくて3000ルクの札を見るの?」
「そのつもりにさせる」
ノアは板の数字を見つめた。
花より先に、数字が目に入った。




