道を踏み外す
遺跡実習から数日後。
陽が落ちたアストレアの街を、ナヤミたち三人は歩いていた。
学生や研究者で賑わう中央区から離れた一角。魔導灯の数は少なく、通りに並ぶのは酒場や賭場、看板すら掲げていない店ばかりだった。
三人とも貴族の家に生まれている。表では扱えない仕事を請け負う者たちが存在することくらい知っていた。
特に侯爵家嫡男であるナヤミは、そうした世界へ繋がる方法も多少は教えられている。
もっとも、ここはザルディア帝国ではない。
持っていた知識と金を使い、いくつもの店を経由して、ようやく目的の場所へ辿り着いた。
古びた酒場の地下。
重い扉を開けた先には、酒場とは明らかに異なる空気が広がっていた。
壁際には武器を帯びた男たちが座り、奥では数人が小声で話している。三人が入った瞬間だけいくつもの視線が向けられたが、それもすぐに逸らされた。
案内されたのは奥の卓だった。
向かいに座った男が、面倒そうに口を開く。
「それで、仕事は?」
ナヤミは左右の二人を見る。
ここまで来た以上、迷う理由はなかった。
「一人、殺してもらいたい」
周囲からいくつか視線が向いたものの、男の表情は変わらない。
「名前は?」
「レイン・クロード」
「どこの人間だ」
「アルカディア王国の人間だと聞いている」
「立場は?」
ナヤミがわずかに間を置いた。
「イシリア・フォン・エーベルハルト様の護衛だ」
男の表情が止まった。
近くで交わされていた会話も、いくつか途切れる。
「……誰だって?」
「イシリア・フォン・エーベルハルト様の護衛だ」
今度ははっきり答えた。
男はしばらくナヤミを見つめると、椅子の背もたれへ身体を預けた。
「帰れ」
「金額をまだ言っていない」
「聞く必要がない」
「金なら払える。通常の倍でも――」
「そういう問題じゃねえよ」
男が遮った。
近くの卓から笑い声が上がる。
「おい、聞いたか?」
「エーベルハルト公爵家だとよ」
「ずいぶん景気のいい仕事を持ってきたな」
ナヤミの表情が険しくなる。
「殺すのはイシリア様ではない。護衛だ」
その言葉に、正面の男が呆れたように眉を上げた。
「だから何だ?」
「何?」
「公爵家の令嬢が外国へ出ている最中に、その護衛を殺すんだぞ。誰を敵に回す仕事なのか、それくらい分かるだろ」
ナヤミは黙った。
周囲から再び笑い声が聞こえてくる。
「俺たちは金で仕事をする。死ぬために仕事をするわけじゃねえ」
「俺が誰か分かっているのか?」
ナヤミの声が低くなる。
「カリン侯爵家嫡男、ナヤミ・フォン・カリンだ」
周囲がわずかに静まった。
しかし、男の態度は変わらない。
「だったら、なおさら俺たちを巻き込むな。公爵家と侯爵家の問題なら帝国でやれ」
「貴様……」
「お前らも帝国出身なら奴らに手を出したらどうなるか分かるだろ」
「帰れ」
取り付く島もなかった。
「坊ちゃん、家の人間に頼めよ」
「それができないから、こんな所まで来たんだろ」
周囲からまた笑いが起こる。
ナヤミは拳を握ったが、それ以上何も言わなかった。
椅子を引いて立ち上がる。
二人も続き、三人は背後から聞こえる笑い声を浴びながら地下を後にした。
地上へ出ると、夜の冷たい空気が頬を撫でた。
「……ふざけやがって」
男子学生の一人が吐き捨てる。
「金で人を殺す連中が、偉そうに」
「もういい」
ナヤミは低く言って歩き出す。
結局、何もできなかった。
その事実だけで十分に腹立たしかった。
「待ちな」
背後から声がした。
三人が振り返る。
路地の奥に、五人の男が立っていた。
年齢も服装もばらばらだった。軽装の男もいれば、大柄な男もいる。腰に剣を下げた者もいれば、武器らしいものを身につけていない者もいた。
先ほど地下で見かけた顔ではない。
中央に立つ男が口元を歪める。
「その仕事、俺たちなら請けてもいい」
ナヤミの目が細くなる。
「……聞いていたのか」
「聞こえただけだ」
男は地下への入口を顎で示した。
「帝国公爵家の護衛を消したいんだろ?」
「お前たちは、あそこの人間ではないのか?」
「違う」
「なら、エーベルハルト公爵家が怖くないのか」
男は鼻で笑った。
「俺たちは違う大陸から来た。仕事が終われば戻る。それだけだ」
ナヤミは五人を見渡した。
「金次第で請けるってことか?」
「ああ」
条件は悪くない。
だが、ナヤミはすぐには頷かなかった。
「相手は強いぞ」
男の表情から、わずかに笑みが消えた。
「どの程度だ?」
「分からない」
「分からない?」
「遺跡でダンジョンウォーカーのケルベロスに遭遇した」
五人が黙る。
「奴は、その三つの首を一瞬で斬った。俺たちには動いたところすら見えなかった」
中央の男は少し考えた後、短く頷いた。
「なるほど」
怯えた様子はなかった。
ナヤミは五人を順番に見る。
「お前たちは強いのか?」
次の瞬間、五人の姿が消えた。
「――っ!?」
首筋に冷たい感触が触れる。
ナヤミは動けなかった。
いつの間にか男が背後へ回り、ナイフを首へ添えている。
左右を見る。
二人も同じだった。
それぞれの背後に男が立ち、首筋へ刃を当てている。
残る二人は路地の前後を塞いでいた。
誰一人、動きを捉えられなかった。
やがて刃が離れる。
中央の男は、いつの間にか元の位置へ戻っていた。
「これで足りるか?」
ナヤミはしばらく男を見つめた。
「……いくらだ」
男の口元が上がった。
「話が早い」
その日の夜。
五人の男は、学園北東の高級住宅街にいた。
昼間とは違って人通りはほとんどなく、整然と並ぶ屋敷の間を魔導灯が淡く照らしている。
その一角に、イシリア・フォン・エーベルハルトが滞在する邸宅があった。
五人はそれぞれ距離を取り、屋敷を観察していた。
窓の位置。
出入口。
警備の配置。
周囲の建物。
逃走に使えそうな道。
「表に二人」
「裏にもいる」
「少ねえな」
「見えている奴だけとは限らん」
中央の男が屋敷を見上げる。
「今夜は見るだけだ。標的と護衛の配置を確認したら引く」
四人が小さく頷いた。
その時だった。
「皆さま」
女の声がした。
五人の表情が変わる。
背後。
誰も気づかなかった。
「ずいぶん血の匂いがしますね」
ゆっくり振り返る。
そこには侍女服を着たリーヴェが立っていた。
いつからそこにいたのか分からない。
中央の男から、先ほどまでの軽い雰囲気が消えた。
「……いつからそこにいた」
リーヴェは穏やかな表情のまま答えない。
五人がほぼ同時に動いた。
剣へ手を伸ばす。
腰を落とす。
魔力を練る。
そのはずだった。
「……?」
誰も動いていない。
男の表情が固まった。
指が動かない。
腕も上がらない。
足も地面へ縫いつけられたように動かなかった。
視線だけを横へ向ける。
他の四人も同じだった。
「な……にを……」
意識はある。
呼吸もできる。
それなのに身体が言うことを聞かない。
中央の男がリーヴェを睨みつけた。
「貴様……能力者か」
リーヴェが僅かに首を傾ける。
「能力者……ですか」
その言葉を確かめるように繰り返し、改めて五人を見渡した。
「その言い方をされるということは、中央大陸の方ですか?」
誰も答えない。
リーヴェは静かに男の前まで歩いていく。
「ちょうどよかったです」
いつもと変わらない穏やかな声だった。
「少し、お話を聞かせてください」




